みなさま、本日はようこそ。
古賀さんの1930年代は大恐慌のど真ん中だった。アメリカ株はガタ落ち。例えば最大手USスティールの株が$261から$21に、GEが$396から$34へと落ち、庶民は住宅担保で借りた金で株を買ってたが、ゼロになって路頭に。銀行倒産も多々で、貿易頼みのジャパンも失業者だらけ。古賀さんの処女作「影を慕ひて」の失恋悲話もそこから始まる。
今夕、銀座のジャズ界で鳴らしたジュン葉山が古賀メロディに愛を籠めて、ジャパンの歌の心のときめきを歴史と共に歌い上げる。時代精神というより、時代の心を、古賀政男の気持ちになって綴る。
≪プログラム≫
日時:2024年6月25日(火)18:00‐20:30
会場:逗子文化プラザ「さざなみホール」
出演:ジュン葉山 [プログラム解説:橘かほり]
テーマ:1930年代の歌謡とその時代
第一部
No.1 古賀メロディ「影を慕ひて」
1904年、福岡県貧農の生まれ。古賀政男は幼くして父を亡くし、母の苦労を一身に背負って姉弟と朝鮮の仁川にまで渡り歩く。何事も成就せぬ、さながら空蝉のごとしで、絶望した古賀は宮城県の青根温泉へ。「やるせなさ」が心を捉えて。
No.2 「酒は泪か溜息か」
高橋掬太郎の歌詞の心境を古賀が捉えて作曲。出たのは1931年、「カジノ・フォーリー」、「ムーラン・ルージュ」が大賑わい。「宝塚少女歌劇団」の育ての親小林一三が浅草の軽演劇場「カジノ・フォーリー」で爆笑。新宿では「ムーラン・ルージュ」が開幕して伊馬春部らがミドル・ブラウを相手に脚本を書く。
No.3 「青い背広で」
作詩は佐藤惣之助。彼も重厚な歌も作詩すれば、こんな軽快な曲に合う詩もつくる。昭和12年に唄って、当時、ニュース映画を見たり、お茶したりが流行で、折から戦争で、テノールの藤山一郎は戦地で軽快に唄い、兵士の郷愁を誘ったとか。
No.4 Peggy Lee, Johnny Guitar
一足飛びにアメリカ西部へ。ロッキー山系の北端ノースダコタへ。
情熱家ペギー・リーは粗野な英語でカルメンのノースダコタ版ってところで歌う。むろん古賀さんとは住む世界もちがうけれど、ペギーのこの歌は、意図せずとも古賀メロディの「切なさを」たっぷり籠めて歌うから、聞かせる。
No.5 「二人は若い」
昭和10年、古賀政男とサトウハチローのコンビで作った底抜けに明るい映画『のぞかれた花嫁』の主題歌。ディック・ミネと星玲子のデュエット。中原淳一の夢見る乙女たちの時代。アメリカは恐慌から立ち上がり、ベニーグッドマンのスイングが大流行。日本は軍部台頭で2.26事件の前年。
No.6 ジュン葉山「鎌倉ラバーズ」
旧鎌倉の路地裏のショットバー。彼との二度目のデート。鮮やかな色のカクテルを飲んだら盛り上がる心を抑えきれない…。そんな大人の恋物語の始まりを描いたこの曲は、テレビで何度も取り上げられたジュン葉山の代表曲。疾走感溢れる演奏とドラマティックな歌をお楽しみください。
No.7 ジュン葉山新作「涙の観音さま」
ジュン君は厳しい教育家の母と、いつも葛藤劇を繰り返し、わが道を歩む。それは弟も知っている。母に従えないジュン君は親不孝者か。あるとき、母は大病に。ジュン君も毎日看病に。だが容態急変。この日に限って遅れた自分。大船駅からモノレールに乗り駆け付けたとき…
お母様を囲んで居並ぶご兄弟の眼を受けて病室に…と、母は…
どうなさったかと思いますか?
これで第一部は終了です。トイレ休憩は15分。どうぞ、みなさまロビーでご歓談あそばせ。
第二部
テーマ:服部良一時代へ
1907年大阪に生まれた服部は市内の鰻店「いずもや」が率いる音楽隊に入るが2年で解散、26年に大阪フィルに入ってフルートを担当、ウクライナ人のエマニュエル・メッテルに見出されて4年間、音楽指導を受ける。1933年にディック・ミネの紹介で、30歳代から活躍。「別れのブルース」、「東京ブギウギ」、「青い山脈」、「銀座カンカン娘」、「蘇州夜曲」など、やはり古賀メロディとは異なるムードで、浪漫の歌を沢山作曲された。淡谷のり子の登場が目立ちます。
では、第二部のTOPに、ジュン葉山作曲の新作「なぎさ橋ブルース」です。この「なぎさ橋」は逗子のなぎさ橋で、この橋の上で切ない恋人の別れがある。作詩は、橘かほり、作曲はジュン葉山です。果たせぬ恋のお相手を未だに胸に、なぎさ橋に佇む、雨の中を。想い出を抱いて。お聴きください、この女心を…。
No.8 新作「なぎさ橋ブルース」
これは橘かほりが作詞してジュン葉山が作曲し、湘南逗子の浜辺のラブストーリーとして、心を籠めて古賀先生と服部先生に捧げます。なぎさ橋には世界的に有名なカフェがあり、このカフェで花開いたオールドラブストーリーです。幾年か後にきっと実る日も来る。そう信じて…どうぞ聞いてやってください。
No.9 「雨のブルース」
さて服部良一の良さは浪漫調にあります。古賀メロディと比べると、その悲惨さの度合いは軽い。けれども、暗い絶望感を、降りしきる雨に譬え、心の辛さに織り込む。「雨のブルース」の作詩は野川香文だが、野川は、雨が持つ、言い知れぬ圧迫感を上手く言葉に変える。歌う女性の心境に照らして個性を演出する。淡谷調にせよ、島倉調にせよ、人となりに合うセリフを付けるなど、稀にみる心配りである。
No.10 「蘇州夜曲」
服部さんの「蘇州夜曲」の作詩は西城八十で、帝国海軍の将校と思われる男性と中国娘の恋が水の都蘇州の船遊びとして描く。二人とも、愛し合うが、この恋愛は結ばれない。いつか敵味方に分かれる運命。うっとりするような一時が、水面にうつる影のように、うたかたとなって消えていく。やるせない。上海からほど近い蘇州では戦時中、こんな切ない日本軍将校とクーニャンとの恋が生まれたのである。
No.11 「別れのブルース」
淡谷のり子さんが九州の特攻基地に慰問したときのこと。15歳、16歳の少年たちが、歌の途中で出撃命令が出て、一人、また一人と、敬礼して去って行く。轟く特攻艦上機のプロペラ音。機内で操縦桿を握るりりしい少年の姿が「別れのブルース」を歌う淡谷さんの瞼に浮かぶ。必死に堪えて歌うが声にならない。泣き崩れる。知覧や各地特攻基地に行くと、今でも「別れのブルース」が風に乗って聞こえる。
No.12 「もう一度直球勝負」(女性全員合唱)
これは勝ち気でなけりゃと、自らを奮い立たせる女性の歌。世の男どもよ、女を甘く見るでない。おおこわ! ご存知かもしれないが、フェミニズムという流行語は今に始まったことではない。明治30年代、平塚らいてうや『青鞜』の主張でもある。時速160キロの上野投手だけでない、愛苦しいジュンちゃんも直球勝負!
No.13 「東京ラプソディ」(いよいよフィナーレ!)
添付の歌詞を見て、全員で大合唱しましょう!
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