日 時: 2024年7月16日(火)13:30~16:00
会 場: めぐろパーシモン小ホール
テーマ: 古賀&服部ミュージックと最愛のジャパン
時代考証:橘かほり

みなさま、本日はようこそ。
古賀政男先生のご生誕120年の祝賀コンサートを開始してから、沢山の方々が古賀さんの生きた1930年代から戦後にかけての日本の歌謡と時代背景に興味を持たれていることが判って、驚きました。去る6月25日に行った湘南逗子市の「さざなみホール」での記念コンサート会場は、あっという間にお客さまで満杯となり、歌はもちろん、合間、合間に語る歴史放談に深く頷いてくださった。感激して涙するお方も。帰りがけに、「このコンサートに来てほんとに良かった」と、固く手を取って言われた方々も。

私どもも大いに喜び、このシリーズを続行する意義を噛みしめた次第です。

今回、都内目黒区の「パーシモンホール」でのコンサートはパリ・オリンピック・パラリンピックの真っただ中ですので、テーマも「古賀&服部ミュージックとジャパン」と銘打って、ニッポンの良さを歌に含めて発信したいと存じます。

ジュン葉山はピアノ、エレクトーン、シンセサイザーを同時に動作させながら肉声で歌うという、4in1の技法で舞台に立ちます。

元は銀座のジャズ界で長年歌ったボーカリストですが、古賀メロディと服部良一の功績とその時代を深く愛し、人生の後輩として真のジャパンの歌心を歴史と共に披露する所存です。先生方の時代は戦争あり貧困ありで、暗かった。でも古賀先生も服部先生も偉かった。ご自身の世界を見事に打ち建てられた。その気持ちを受け継いで、シンガーソングライターのジュン葉山が歌い上げます、日本史の原点奈良県飛鳥村の橘寺至近で育った文学者橘かほり先生の時代考証を得て歌い上げますので、どうぞ最後まで共に泣き共に笑ってお付き合いください。

第1部 古賀メロディーとその時代

No.1 古賀メロディ「影を慕ひて」

古賀政男の「せつなさ」、「やるせなさ」は何処から生まれたか。それを辿ると、1904年、福岡県の貧農の生まれ幼くして父を亡くし、母の苦労を一身に背負って姉弟と朝鮮の仁川にまで渡り歩いた古賀家のさすらいの旅路にまで遡る。何事も成就せず空蝉のごとしで古賀は悲恋の果てに宮城県の青根温泉へ。名曲中の名曲「影を慕ひて」はこの絶望の淵から生まれたデビュー曲です。

No.2 「酒は泪か溜息か」

高橋掬太郎の歌詞の心境を古賀が捉えて作曲。出たのは1931年、満州事変の勃発の年。15年戦争幕開けの年。街では「カジノ・フォーリー」、「ムーラン・ルージュ」、「宝塚歌劇」も華やか。柳田国男と南方熊楠が「日本民俗学」に傾倒するが、世は酒で不安を紛らすしかない時代。この曲は当時の「やるせなさ」を語るが如し。

No.3 「二人は若い」

昭和10年、古賀政男とサトウハチローのコンビで作った底抜けに明るい映画『のぞかれた花嫁』の主題歌。ディック・ミネと星玲子のデュエット。中原淳一の夢見る乙女たちの時代。アメリカは恐慌から立ち上がり、ベニーグッドマンのスイングが大流行だが、日本は軍部台頭で2.26事件の前年。国情は歌に反して暗い。

No.4 「赤い靴のタンゴ」

この曲は朝鮮動乱の始まった昭和25年に登場。西城八十作詩古賀政男作曲。北朝鮮と米軍守備隊の戦闘は北朝鮮が連戦連勝で、驚いた日本では兵隊上がりの教
員たちが男子生徒を校庭に集めて軍事訓練。北朝鮮軍は釜山まで押し寄せ、一挙に日本に上陸かという瀬戸際。小中学校の校庭では連日「軍艦マーチ」が鳴っていた。

No.5 「夜のプラットホーム」

奥野椰子夫作詞、服部良一作曲で昭和22年に二葉あき子が一発吹き込みで歌って大ヒットした名曲。累計21万枚売れたといわれる。だが元は1939年、原節子主演の映画『東京の女性』の挿入歌で、淡谷のり子が歌い発売禁止になったもの。格調高い立派なタンゴ調が今も皮肉に聞こえる。服部良一は変名で外国へも。

No.6 「サマータイム」

舞台は1930年代アメリカへ。南部大西洋岸チャールストンに住むアフリカ系の母親が歌うブルース調の子守歌。原作は1925年発表の小説。2年後ブロードウエイで初演。それをガーシュインが30年代半ばに大作『ポギーとべス』に仕上げた。第1幕冒頭、赤ん坊に母親が歌う。哀愁に満ちたこの曲は古賀メロディに通底する。

No.7 ジュン葉山「鎌倉ラバーズ」

鎌倉ラバーズ鎌倉の路地裏のショットバー。彼との二度目のデート。鮮やかな色のカクテルを飲んだら盛り上がる心を抑え切れない。そんな大人の恋物語の始まりを描いたこの曲は、テレビでも何度も取り上げられたジュン葉山の代表曲。疾走感溢れる演奏とドラマティックな歌をお楽しみください。

No.8 ジュン葉山「涙の観音さま」

ジュン君は厳しい教育家の母と、いつも葛藤劇を繰り返し、わが道を歩む。それは弟も知っている。母に従えないジュン君は親不孝者か。あるとき、母は大病に。ジュン君も毎日看病に。だが容態急変。この日に限って遅れた自分。大船駅からモノレールに乗り駆け付けたとき…橘かおりはジュン君の真心を汲んで作詞。

これで第一部は終了です。トイレ休憩は15分。どうぞ、みなさまロビーでご歓談あそばせ。

第2部 テーマ:服部良一時代へ

1907年大阪に生まれた服部は市内の鰻店「いずもや」が率いる音楽隊に入るが2年で解散、26年に大阪フィルに入ってフルートを担当、ウクライナ人のエマニュエル・メッテルに見出されて4年間、音楽指導を受ける。1933年にディック・ミネの紹介で、30歳代から活躍。「別れのブルース」、「東京ブギウギ」、「青い山脈」、「銀座カンカン娘」、「蘇州夜曲」など、やはり古賀メロディとは異なるムードで、浪漫の歌を沢山作曲された。淡谷のり子の登場が目立ちます。

では、第二部のTOPに、ジュン葉山作曲の新作「なぎさ橋ブルース」です。この「なぎさ橋」は逗子のなぎさ橋で、この橋の上で切ない恋人の別れがある。作詩は、橘かほり、作曲はジュン葉山です。

果たせぬ恋のお相手を未だに胸に、なぎさ橋に佇む、雨の中を。想い出を抱いて。お聴きください、

この女心を…。

No.9 ジュン葉山「なぎさ橋ブルース」

これは橘かほりが作詞してジュン葉山が作曲し、湘南逗子の浜辺のラブストーリーとして、心を籠めて古賀先生と服部先生に捧げます。なぎさ橋の袂にはテラス
の眺めが最高のカフェがあり、このカフェで花開いたオールドラブストーリーです。
幾年か後にきっと実る日も来る。そう信じて…どうぞ聞いてやってください。

No.10 「雨のブルース」

さて服部良一の良さは浪漫調にあります。古賀メロディと比べると、その悲惨さの度合いは軽い。けれども、暗い絶望感を、降りしきる雨に譬え、心の辛さに織り込む。
「雨のブルース」の作詩は野川香文だが、野川は、雨が持つ、言い知れぬ圧迫感を上手く言葉に変える。歌う女性の心境に照らして個性を演出する。淡谷調にせよ、島倉調にせよ、人となりに合うセリフを付けるなど、稀にみる心配りである。

No.11 「蘇州夜曲」

服部さんの「蘇州夜曲」の作詞は西条八十で、帝国海軍の将校と思われる男性と中国娘の恋が水の都蘇州の船遊びとして描く。二人とも、愛し合うが、この恋愛は結ばれない。いつか敵味方に分かれる運命。うっとりするような一時が、水面にうつる影のように、うたかたとなって消えていく。やるせない。上海からほど近い蘇州では戦時中、こんな切ない日本軍将校とクーニャンとの恋が生まれたのである。

No.12 「別れのブルース」

淡谷のり子さんが九州の特攻基地に慰問したときのこと。15歳、16歳の少年たちが、歌の途中で出撃命令が出て、一人、また一人と、敬礼して去って行く。轟く特攻艦上機のプロペラ音。機内で操縦桿を握るりりしい少年の姿が「別れのブルース」を歌う淡谷さんの瞼に浮かぶ。必死に堪えて歌うが声にならない。泣き崩れる。知覧や各地特攻基地に行くと、今でも「別れのブルース」が風に乗って聞こえる。

No.13 ジュン葉山「ノストラダムスの魂」

これは橘かおり作詞ジュン葉山作曲のfortune tellerの物語。諸君を幻想の世界にお連れする。時空を飛翔する魂魄の詠歌。暗い宿命を打破するには、己が破戒僧に成らねばならない。古賀さんも服部さんも、その魂魄には神が宿り、歌の文句にもあるじゃありませんか、「暗い運命にうらぶれ果てし身を」解き放ち、輝ける人生を築かれた。その立派さにジュンとかほりは二人の大先達にこの歌を捧げます。

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