現代浪漫詩人 その1.高鳥奈緒
心は孤独な旅人 高鳥奈緒
僕は書かねばならない。濱野成秋
僕の心の文学を拓いてくれた女流作家や詩人はいっぱいいる。学生時代には津村節子や郷静子がいる。
津村節子は社会派。郷静子は鶴見女学校を卒業後、戦乱の巷を生き抜いて文学学校にかよい、「れくいえむ」で文壇に登場した。津村同様、芥川賞をとったが、そんなきらびやかさは微塵もない人だった。鶴見女学校から日本文学学校へ。郷静子にあったのは戦後の新日本文学を率いていた野間宏、中野重治、佐田稲子に針生一郎や黒井千次の頃で、新日文は共産党と抗争を繰り返すさ中だったか。郷の心には日本中に黒雲垂れ込める暗い日々であったはず。
そして今、同じ鶴見女学校出身の高鳥奈緒を紹介することになって感無量である。
高鳥奈緒には、孤独で、状況に翻弄され、行方定めぬ旅人の黒雲がある。この点では郷静子に等しくするか。だのにその内奥には沸々と滾る思いが噴き上げる。
父や母との確執、それが自己の内部をかき乱し、夫との齟齬へ、確執へ。思い詰める日々は壮絶。さながらギリシア悲劇のエレクトラである。
西洋では孤城に幽閉されたファムファタル的存在か。現代ジャパンでは、郷静子が静かに没して十年。高鳥奈緒が彼女なりのレクイエムを背負って、鶴見文学の旗手となり、金子みすゞの世界にも通底する筆致で詩を書き散らす。
みすゞのようでありながら、みすゞにあらず。
奈緒は叫ぶ。ハウル。ギンズバーグのごとく迸る言葉の洪水が噴出する…。
怒ッタコトモ 高鳥奈緒
怒ったことも
笑ったことも
癒やされたことも
疲れたことも
ときめいたことも
人を愛したことも
人を憎んだことも
傷ついたことも
傷つけたことも
すべてがあって。
恋の魔法
時よ、止まれ
魔法使いになりたい
この瞬間
人が好きだよ
人に傷つけられたのに
また人を好きになっている
それは私、高鳥奈緒
あの人を想えば
魔法使いになりたい
恋の魔法を
いっぱい賭けてやる
瞳
あなたの瞳が
私を離さない
私の瞳が
あなたを離さない
キバを剥けば
キバを剥く
笑みを向ければ
笑みがかえる
無い物
無い物かぞえたら
足りない
有る物かぞえたら
いっぱい
素直に生きたい
素直に生きたい
心 つくしたい
優しく 強くありたい
正直に 生きたい
楽しみを見出したい
おおきく 広い心をもちたい
ゆっくりと
雪が春に溶けるように
あなたの心に寄り添う気持ちで
それが私の気持ちなの
心の文学を拓いてくれた女流作家や詩人には、西洋ならエミリー・ディッキンソンがいる。理屈っぽくて高邁すぎて。だから日本では多識を競うタイプにも愛されている。その目で郷静子さんを診れば沈んで見えようし、高鳥奈緒をみれば、多情多恨。自分とは異なる情熱があふれこぼれて、名門鶴見女学校の金字塔かと思える。府立第一高女の鳳晶子にも通じるか。梅花の増田雅子か。小浜の山川登美子も想わせて今に生きる。金子みすゞの再来とも声が高いが、吾等の学会が抱える作家詩人の中では最も謎の多い人物でもある。成秋筆。