日々deathを認識して「現存在」を確認する
ハイデガー哲学の齟齬を質す
 
濱野成秋

戦争や強盗は自分を殺して否応なくその存在を消し去る。だから生身を大事に保ちたい人間は、できることなら出兵に参加したり、危ない夜道に出ていこうとはしない。

ところが昨日、元気に、朗らかに過ごしていた自分が今日、しょんぼりとベッドから起き上がったとき、昨日に存在した自分が完全に消し去られている状態にあることへの慨嘆や苦しみを覚えて、のたうち回って苦しむことをするだろうか? 「生者必滅」とは「時間」がもたらす暴力的破壊行為なのだが。

Cruel Today  by Seishu Hamano

Dear Today, you have killed Yesterday
Without any love or mercy.
Say Sorry for the corrupting past days!
Without shedding tears, this killer, an arrogant murderer
Has come down from the innocent, vacant-headed sky,
Down deep into the obscure, shady, conscious widow, asking
How many yesterdays did I kill for you in this way?

時間の経過と共に消え去った「今日」が過去になると「昨日」という、定かでない虚構と成り果てていても、人間の実存は昨日の自分を今日も維持させているから問題ないと考える。だが、昨日語り合い、意気投合し合った人間たちは、自分をもふくめて、絶対に取り返せない虚像と化しており、それを昨日という括りで棚上げして、「今日」という日に対してめまぐるしく対応して過ごすうちに、「今日」も「昨日」と化し、「昨日」という括りで棚上げしておいた「昨日」は「一昨日」という、もっと虚像化した架空存在になって、もはや手の届かないほど遠距離で、記憶からさえも遠ざかって、いかに手を尽くしても手繰り寄せられない対象へと成り果てる。自分の存在は神に頼みもしていないのに、「時間」という得体のしれないクラウドにからめ捕られて、虚像化し、かつての実存は確実に非在化していないか。

How many ancestors challenged you in the past time cave?
Swords decayed, broken and left in the mud of repentance cried out
Let it come down into my dream,
Let it cry over the spilt milk!
Memory, a bundle of dismay and hopeless inquiry,
Dried, shrank, rotten, with half-attained aspiration
Waiting in line for their coming into Today, but in vain,
Tomorrow, come with me, you the grand children of the victims.

ハイデガーは「人」(ダス・マン)を「主体性」を喪失して日々を非本来的な存在として「頽落」しているから、その不安状況から逃れて日常性にかまけて生きる。その状態では永遠に自己の実存を獲得することが出来ないから、Man is mortal.すなわち「人は死ぬもの」という自覚を前面に据えて、「死への先駆的決意性」を発揮せねばならないと主張する。見方を変えれば人間疎外を認識し、自己を覚醒することによって、現存在を獲得する必要があるというのであるが、それが時空というアプリオリな、逃れ難い怪物の餌食になっているという、もう一つの魔物には無頓着でいることと相俟って、「人」は益々主体性を喪失する方向に流される。

肉体が尽きて「死」に至る前に、人は没個性化して「頽落」状態にあるから、「死」への存在としての自分を自覚せねばならないというハイデガーは自己を「個」として捉え「現存在」を確保できろとする楽観論者である。キルケゴール以来の実存論争は彼自身の不条理な誕生とその後の曲折した生存状況がカオスであるがゆえに複雑多岐に分裂していたし、それに加えて時間の経過による実存在の消滅ということには配慮を怠るわけにはいかない。だがハイデガーはそれを怠る。筆者はしたがって、これをHeidegger’s discrepancy と呼びたい。ハイデガー理論は一次方程式のようなロジックから出ておらず、この現実界を覆う多元的ファクターを考慮しない。これは同時代のカミユの不条理どころか、ほぼ一世紀以前のキルケゴールの不条理と比しても物足りない思考といえまいか。

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