高千穂大学学長 寺内一

                     
元旦早々、ゼミの4年生の卒業論文の指導をしているとふたりの恩師を思い出す。ひとりは人見康子慶應義塾大学名誉教授、もうひとりはイギリスのウォーリック大学のMeriel Bloor先生である。人見先生には私が法学部法律学科の3年生の20歳の時、Bloor先生には31歳の時にお会いした。還暦を迎えた私の人生に重要な指針を示していただいたふたりの恩師の教えを回顧し、改めて感謝の念を申し上げるとともに、今後の抱負を述べてみたい。

人見先生には学部時代はもちろん、その後のイギリス留学に関して何から何までお世話になった。「法律そのものよりも、法律を学ぶ学生のための英語教育の専門家になることをあなたは目指しなさい。イギリスのウォーリック大学で、『English for Specific Purposes(特定の目的のための英語教育・研究)』という勉強ができるから、そこで学位を取って帰ってきなさい。日本ではひとりもやっていないわよ。」というミッションが下されたのである。このひとことが今の私を作り出したといっても過言ではない。

人見先生は、慶應義塾大学に在職中の1976年にロンドン大学で在外研究を行って以来、20年以上夏休みの5週間をロンドンで過ごすことを常とされていた。ご専門の民法(家族法)の研究以外に、昼には図書館、美術館や博物館を巡り、夜には演劇、音楽会、バレエ、オペラなどの観劇をされていた。「学位を取ることはもちろんだけど、留学中にイギリスの奥の深さを学んで来なさい。」という指示も出されていた。先生ご自身が経験されたイギリスという国のさまざまな面を経験するという別の課題も出されたのである。

湾岸戦争が終結したばかりの1991年4月、ウォーリック大学での私の留学生活が始まった。ここでもうひとりの恩師であるBloor先生と出会った。それから博士論文を提出するまでの5年3か月、Bloor先生の厳しい指導を受けることになった。Bloor先生からの指導は週に1度、2時間から3時間に及んだ。それもすべて英語である。そのBloor先生が常に口にしていたのは、「独自性をきちんと出さないと博士論文ではない」、「イギリスでの論文の特徴は、先行研究を質量ともに充実させること」と「データ収集ばかりに時間をかけないで早く論文を仕上げること」であった。「早く仕上げること」に関しては、「今後、あなたが研究者として生きていくためには、区切りを決めて論文として完成させること。そうすれば、新たな課題が必ず見つかる。そこで出た課題を次に論文にしていくことが重要なのよ。」ということであった。どれも今でも肝に銘じている貴重な教えである。

学位論文を執筆しながら、人見先生からのもうひとつのミッションであるイギリス生活を満喫することを心掛けた。先生はロンドンに住まわれたが、私はシェイクスピア生誕の地として名高いストラットフォード・アポン・エイボンという街に住むことにした。大学から車で30分の距離であり、治安が良く、コンパクトにまとまっていて、イギリス生活を体験するのにうってつけだったからである。街中にあるパブに毎夜通い、ビターという苦いビールを飲みながら、フィッシュ・アンド・チップスを食べることを常とした。そして、シェイクスピア劇場で睡魔と闘いながら演劇を楽しむことにしたのである。

恩師のおふたりに共通していたのは、遊びと研究のメリハリをつけていたこと、物事のとらえ方が柔軟で、日々の生活を楽しもうという気持ちがあったこと、何事に対してもポジティブに臨まれていたことである。おふたりともすでに鬼籍に入られたが、その教えは、私が大学の教壇に立つ時にはもちろん、現在の高千穂大学の学長職、大学英語教育学会の会長職を務める上で、とても重要な人生の指針として生きている。おふたりに心より感謝しつつ、笑顔を思い出しながら、教えを再確認して、学生の卒業論文ひとつひとつに厳しいコメントをつけていくことにする。
 

編者コメント:寺内先生はご自分が受けられた師弟愛について経験談と共に感謝の気持ちを籠めて書いておられます。師弟愛とはまさに菩薩の愛に近い存在で、それが尊くまた厳しいが故にそれを解さない弟子には、唯々きつい仕置きのように見える。だがこれは自分への愛の故だと感じとるがゆえに、一層励むようになる。私にも中学時代、高校時代や大学時代に多くの先生方から手厳しい助言と、身に余る誉め言葉を他者を通して聞き及び、本当はもの凄く期待してくれているのだと気づく。「君のことを思っているから言うのだ」とは言われない。だが第三者には「あいつの書いた本は避けては通れない立派な本だ」と言われていると聞き及び、はらはら涙を流したことがある。寺内先生も今は学長であり同時に日本最大の学会の会長職にある。まだ若い。彼の厳しいアドヴァイスに挫けず若い諸君は頑張り給え。