日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和六年一月二十日
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
元日の夕方に能登半島で大規模な地震があった。筆者は愛知県の実家に帰省中であったが、そこでも震度四程度の揺れが観測された。甚大な被害が出ている模様で、新年のおめでたい気分など瞬く間に消えてしまった。さらに翌日、羽田空港で地震の支援に向かう海上保安庁の航空機と日本航空の旅客機が衝突する事故が起こった。炎上する映像は衝撃的だった。今年は一体どんな年になるのだろうと心配な気持ちになった。
歌会は十月二一日午前一時半よりでぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
「三浦半島最高!」と声を残して走りゆく
若きサイクリスト朝焼けの中 由良子
作者は加藤由良子さん。息をのむほど美しい朝焼けの日があり、三浦にサイクリングに来ていた自転車乗りがその美しさに大きな声を上げていたそうである。きれいな夕焼けを見ることはあっても、朝焼けは珍しいとのことで、やはり早起きは三文の徳なのだろうか。自分の暮らす土地を「最高」と言ってくれたことがうれしくて歌に詠まれた。三十一音を大きく超える音数であるのにそれを感じさせないほどまとまっているのはお見事である。
畑道に初日待つ人並び立つ
空気澄みしか吐く息白し 光枝
作者は嘉山光枝さん。毎年同じ場所から初日の出を見るのが嘉山家の元旦の恒例行事になっていて、今年は雲もなくきれいな初日が見られた。畑から海が見える場所だそうだが、「初日待つ人並び」とあるので嘉山さんたちだけでなく他にも何人もそこに見に来ているのだろう。寒い中、日の出は今かと待つ人たちの息づかいが伝わってくる。
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
元日の夕方に能登半島で大規模な地震があった。筆者は愛知県の実家に帰省中であったが、そこでも震度四程度の揺れが観測された。甚大な被害が出ている模様で、新年のおめでたい気分など瞬く間に消えてしまった。さらに翌日、羽田空港で地震の支援に向かう海上保安庁の航空機と日本航空の旅客機が衝突する事故が起こった。炎上する映像は衝撃的だった。今年は一体どんな年になるのだろうと心配な気持ちになった。
歌会は十月二一日午前一時半よりでぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
「三浦半島最高!」と声を残して走りゆく
若きサイクリスト朝焼けの中 由良子
作者は加藤由良子さん。息をのむほど美しい朝焼けの日があり、三浦にサイクリングに来ていた自転車乗りがその美しさに大きな声を上げていたそうである。きれいな夕焼けを見ることはあっても、朝焼けは珍しいとのことで、やはり早起きは三文の徳なのだろうか。自分の暮らす土地を「最高」と言ってくれたことがうれしくて歌に詠まれた。三十一音を大きく超える音数であるのにそれを感じさせないほどまとまっているのはお見事である。
畑道に初日待つ人並び立つ
空気澄みしか吐く息白し 光枝
作者は嘉山光枝さん。毎年同じ場所から初日の出を見るのが嘉山家の元旦の恒例行事になっていて、今年は雲もなくきれいな初日が見られた。畑から海が見える場所だそうだが、「初日待つ人並び」とあるので嘉山さんたちだけでなく他にも何人もそこに見に来ているのだろう。寒い中、日の出は今かと待つ人たちの息づかいが伝わってくる。
今言っておかねばならぬと気がせきて
娘との通話電池切ればかり 和子
清水和子の作品。電池切れをするのは娘さんの電話だろうか。今言っておかなければという作者の気持ちにお構いなく物である電話が物理的に話を遮ってしまうのだろうか。それとも電話に出た娘さんが、電池が切れそうだからと電話を切ってしまうのだろうか。一度ならまだしも「ばかり」となっているところがとても切ない。
気がつけばひねくれ根性大きなり
赤心願って産土参り 弘子
作者は嶋田弘子さん。ご自身のことを詠った歌とのことである。「無知の知」ではないが、自分がひねくれていると認めることができることこそが、素直であることを表しているだろう。近頃は残りの人生を自分の好きなように生きると決めているそうだが、しかしどこかで本心は生まれたときの赤子のような心に戻りたいとも思っていて、その揺れ動く気持ちから実際に産土参りにまで行かれている。「気がつけば」で始まるが、自分のことには気がつかない人がほとんどである。自分を客観視することは簡単ではない。歌を詠むことでもご自身と向き合おうとされている姿勢には心を打たれる。
能登半島地震のありてラジオより
安否不明者の名前を聞けり 尚道
三宅尚道さんの歌。元日に起こった能登半島を震源とする地震についての歌である。筆者も地震の情報を知ろうとしたが、その際に利用したのはテレビとインターネットであった。ラジオで聞いているから歌になるのだろう。ラジオが語りかける音声に耳を傾ける。テレビやネットでは言葉より映像や写真が中心となる。言葉の力で何かを伝えるのは短歌もラジオも同じである。
座右の銘「無財の七施」とせし亡姑は
四国の先祖の遺伝子を継ぐ 員子
娘との通話電池切ればかり 和子
清水和子の作品。電池切れをするのは娘さんの電話だろうか。今言っておかなければという作者の気持ちにお構いなく物である電話が物理的に話を遮ってしまうのだろうか。それとも電話に出た娘さんが、電池が切れそうだからと電話を切ってしまうのだろうか。一度ならまだしも「ばかり」となっているところがとても切ない。
気がつけばひねくれ根性大きなり
赤心願って産土参り 弘子
作者は嶋田弘子さん。ご自身のことを詠った歌とのことである。「無知の知」ではないが、自分がひねくれていると認めることができることこそが、素直であることを表しているだろう。近頃は残りの人生を自分の好きなように生きると決めているそうだが、しかしどこかで本心は生まれたときの赤子のような心に戻りたいとも思っていて、その揺れ動く気持ちから実際に産土参りにまで行かれている。「気がつけば」で始まるが、自分のことには気がつかない人がほとんどである。自分を客観視することは簡単ではない。歌を詠むことでもご自身と向き合おうとされている姿勢には心を打たれる。
能登半島地震のありてラジオより
安否不明者の名前を聞けり 尚道
三宅尚道さんの歌。元日に起こった能登半島を震源とする地震についての歌である。筆者も地震の情報を知ろうとしたが、その際に利用したのはテレビとインターネットであった。ラジオで聞いているから歌になるのだろう。ラジオが語りかける音声に耳を傾ける。テレビやネットでは言葉より映像や写真が中心となる。言葉の力で何かを伝えるのは短歌もラジオも同じである。
座右の銘「無財の七施」とせし亡姑は
四国の先祖の遺伝子を継ぐ 員子
作者は羽床員子さん。「無財の七施」と「四国」という二語で四国遍路の「お接待」のことに言及しているのだとわかる。「座右の銘」とあるが、羽床さんの姑さんは生前、お金をかけずともにこやかな気持ちでいれば、皆が幸せになれるもので、それを和顔施と言うと教えてくださったり、「無財の七施」についてよく話をされていたそうである。いろいろな事をよくご存じだった亡き姑さんを思って詠まれた歌である。いわゆる「嫁姑問題」がなく、とても良好なご関係であったとのことだが、それもよく伝わってくる。
荒玉に地割れ幾人黄泉の里
下天の嗚咽画竜を揺るがす
濱野成秋会長の作。元日の地震を受けて詠まれた。「荒玉」とはまだ磨いていない玉のことだが、年の初めに今年をどう磨いていこうかと思っていると地震が起こって何人もの人が亡くなる。「画竜」は竜の目に瞳を入れて仕上げる「画竜点睛」のことで、自分が思う竜を描こうとしていたが、地震でそれどころではなくなってしまったという意味の歌である。「荒玉」は「あらたまの年の初め」を連想させ、「竜」は今年の干支であり「今年」を表している。たいへん見事な歌である。
幼き日植えた千両一株が
今や庭中朱く染めたり 裕二
筆者の作。正月に実家に帰省すると毎年庭には千両が赤い実を付けている。地震のあった次の日の朝に庭を見ると千両の実の赤色が広がっていた。筆者が小さい頃に植えられた一本が長い年月をかけて庭中に増えていった。鳥が実を食べて種を落とすのである。赤い実の千両は縁起物とされ、お正月飾りに使われたりもする。一つがこれだけ増えた。地震で大変な思いをしている人たちにもこの千両のように幸せが増えていってほしいという気持ちで詠んだ。
歌会を終えて楽しみにしていた新年会が始まる。美味しい料理をいただきながら、しばし歓談。濱野先生の短歌ではないが、今年はどのような年になるのだろうと思いながら今回は歌会に参加した。歌会で皆様にお目にかかり、皆様の笑顔と楽しいお話をうかがって、きっと今年は良い年になると思えるようになった。羽床さんのおっしゃった和顔施の大切さは、全くその通りである。月並みだが、災害などが起こるたびに何気ない日常がいかに貴重であるのかを再認識させられる。
荒玉に地割れ幾人黄泉の里
下天の嗚咽画竜を揺るがす
濱野成秋会長の作。元日の地震を受けて詠まれた。「荒玉」とはまだ磨いていない玉のことだが、年の初めに今年をどう磨いていこうかと思っていると地震が起こって何人もの人が亡くなる。「画竜」は竜の目に瞳を入れて仕上げる「画竜点睛」のことで、自分が思う竜を描こうとしていたが、地震でそれどころではなくなってしまったという意味の歌である。「荒玉」は「あらたまの年の初め」を連想させ、「竜」は今年の干支であり「今年」を表している。たいへん見事な歌である。
幼き日植えた千両一株が
今や庭中朱く染めたり 裕二
筆者の作。正月に実家に帰省すると毎年庭には千両が赤い実を付けている。地震のあった次の日の朝に庭を見ると千両の実の赤色が広がっていた。筆者が小さい頃に植えられた一本が長い年月をかけて庭中に増えていった。鳥が実を食べて種を落とすのである。赤い実の千両は縁起物とされ、お正月飾りに使われたりもする。一つがこれだけ増えた。地震で大変な思いをしている人たちにもこの千両のように幸せが増えていってほしいという気持ちで詠んだ。
歌会を終えて楽しみにしていた新年会が始まる。美味しい料理をいただきながら、しばし歓談。濱野先生の短歌ではないが、今年はどのような年になるのだろうと思いながら今回は歌会に参加した。歌会で皆様にお目にかかり、皆様の笑顔と楽しいお話をうかがって、きっと今年は良い年になると思えるようになった。羽床さんのおっしゃった和顔施の大切さは、全くその通りである。月並みだが、災害などが起こるたびに何気ない日常がいかに貴重であるのかを再認識させられる。