投稿

作詞 橘かほり 作曲 ジュン葉山 2024.7.4

 
1.雨は降る降る 日暮れの浜辺
  灯火ひとつ 濡れて泣く
  あなたがくれた さくら貝
  テラスに置くと すすり泣く
  すがってくるの 私のむねに
 
2.岐れて二人 いつの日か
  還ると言うの 耳もとで
  そんなの嘘ね 吐息で判る
  かわいい子たち 生きがいね
  空っぽ貝が わたしなの
 
3.二度とないのね 激しい宵は
  移ろい変わる 浜辺の砂丘
  もとほり歩く なぎさ橋
  もう来ないで 来ないで 来ないでいいの
  濡れてさよなら なぎさ橋

作詞 橘かほり 作曲 ジュン葉山 2024.7.15

 
1.日暮れに紅い灯 点々と
  滲むホームの 窓明かり
  ママン 待ってて 御免ね遅くて
  もつれた髪を 振り乱し
  奔る娘は まだ悪い子なの?
 
2.モノレールに駆け込み ガタゴト動く
  観音様が 追いかける   
  そんなの厭よ 赦して逃して
  幼いころから ママンに迷惑
  それを見届ける気 かんのんさまは
 
3.いのち召されても 来ない気か?
  もう手遅れだよ しょうがない奴め
  兄や妹の眼が語る とどうだ
  ママンのお目目が ぱっちり開く
  涙で笑って このわたしに
 
(repeat)
  元気になるわと おつむを撫でる
  あなたのお顔は かんのんさまみたい
  まだまだ生きるわ あなたがいるもの

歌謡『赤い靴のタンゴ』に見る
  女の半生涯  橘かほり
 
  壱.誰が履かせた 赤い靴よ
    涙知らない 乙女なのに
    履いた夜から 切なく芽生えた 恋の こころ
    窓の月さえ 嘆きを誘う

 
 この歌が出た昭和25年はようやく食えるか飢え死にか、瀬戸際にピりを打った、朝鮮動乱の特需景気のさ中であった。巷は軍国復活キャバレーが氾濫していた。だから高級すぎるタンゴ調で、悩ましく、おぞましく。ピカピカの赤い靴など、高嶺の花。
 歌はまだ男を知らないうぶな少女が、「どうだい、いい靴だろう、履いてみんか?」と悪の誘いにかかる。「何も知らない乙女」を「涙しらない」と書いて胸ときめかす。昭和30年代に出た『赤線地帯』という映画では、赤い靴ならぬ親子丼の旨さに驚嘆した貧農出の子がその道に染まる誘惑の第一歩の描写がある。月を見ても自分の境遇との落差に涙する純真ぶり。進駐軍のダンスホールにぴったりで。
 
  弐.なぜに燃え立つ 赤い靴よ
    君を想うて 踊るタンゴ
    旅は果てなく 山越え 野超えて 踊るタンゴ
    春はミモザの花も匂う
 当時やたらと出来たダンスホールにキャバレー。オールナイトでダンサーは客を取る。クリスマス期には郊外電車までオールナイト。赤い靴の乙女も求められるままベースからベースに。軍国キャバレーからキャバレーへ。また一年、春となりました、で。
 
  参.運命さだめかなしい 赤い靴よ
    道はふた筋 君は一人
    飾り紐さえ 涙で千切れて さらば さらば
    遠い汽笛に 散りゆく花よ

 
 靴ほど悲しい宿命を背負った身繕い道具はない。どんなに好かれ愛されても、いずれはボロ靴になり、見棄てられる運命に。
 この赤い靴も愛された挙句にぼろぼろ。何と、国内にいる恋人を振り捨て海外に。つまり進駐軍と結婚して船に乗る。憧れのハワイ航路かもしれぬ。ダンサーの仕事にさらば、さらば。赤い靴は出航と共に海に捨てられ、波の間に間に視え隠れ。沈んでいく。
 作詞者は西条八十。君は早稲田は仏文の教授である。アルチュール・ランボーの研究家だよね。だのに、よくもまあ、女の半生涯をこんな短い詩の中に描き込んだものだ。当時の世相も、それに流される女の情念も一緒くたに描く君は怪物である。
  とっ捕まえたら離さない
 
                橘かほり
【壱】
ここは保土ヶ谷 戸塚まえ
あなたが決めた 隠れ家よ
鎌倉族には 目立たない
逗子に通う子も 気にしない
だったらいいわ と言ったきみ
だったらどうして ほっとくの
あなたとわたしの 愛の巣を
 
【弐】
なによ泣きべそ 言いわけね
息子が受験 仕方ない
話題にしないで しあわせを
砕けて散るの 願うのか
幸せ大事に 抱く気なの
そんなの厭かい 嫌いかい?
わたし泣きたい いじわるしたい
 
【参】
戸塚前なら いいわねと
言ったわたしが 馬鹿だった
せっせと カクテル アリガトウ
キュラソー マティーニ ハイボール
戸塚前だから 離さない?
そうよ保土ヶ谷 程がよい
でもなそろそろ 退け時か
 
【リピート】
とっ捕まえたら 離さない
俺も覚悟を決めなくちゃ
いいえこのまま このままでいいの
(顔を見合わせて、小声で)
僕の幸せ 嫌いだろ?
いいわあなたが いいのなら
(正面向いて、大きく)
夢があるから 好きだから

                  ©July 20, 2024日本浪漫学会