歌謡『赤い靴のタンゴ』に見る
  女の半生涯  橘かほり
 
  壱.誰が履かせた 赤い靴よ
    涙知らない 乙女なのに
    履いた夜から 切なく芽生えた 恋の こころ
    窓の月さえ 嘆きを誘う

 
 この歌が出た昭和25年はようやく食えるか飢え死にか、瀬戸際にピりを打った、朝鮮動乱の特需景気のさ中であった。巷は軍国復活キャバレーが氾濫していた。だから高級すぎるタンゴ調で、悩ましく、おぞましく。ピカピカの赤い靴など、高嶺の花。
 歌はまだ男を知らないうぶな少女が、「どうだい、いい靴だろう、履いてみんか?」と悪の誘いにかかる。「何も知らない乙女」を「涙しらない」と書いて胸ときめかす。昭和30年代に出た『赤線地帯』という映画では、赤い靴ならぬ親子丼の旨さに驚嘆した貧農出の子がその道に染まる誘惑の第一歩の描写がある。月を見ても自分の境遇との落差に涙する純真ぶり。進駐軍のダンスホールにぴったりで。
 
  弐.なぜに燃え立つ 赤い靴よ
    君を想うて 踊るタンゴ
    旅は果てなく 山越え 野超えて 踊るタンゴ
    春はミモザの花も匂う
 当時やたらと出来たダンスホールにキャバレー。オールナイトでダンサーは客を取る。クリスマス期には郊外電車までオールナイト。赤い靴の乙女も求められるままベースからベースに。軍国キャバレーからキャバレーへ。また一年、春となりました、で。
 
  参.運命さだめかなしい 赤い靴よ
    道はふた筋 君は一人
    飾り紐さえ 涙で千切れて さらば さらば
    遠い汽笛に 散りゆく花よ

 
 靴ほど悲しい宿命を背負った身繕い道具はない。どんなに好かれてもいずれはボロボロになり、棄てられる運命にある……。
 この赤い靴も愛された挙句にぼろぼろ。何と、国内にいる恋人を振り捨てて、つまり進駐軍と結婚して船に乗る。憧れのハワイ航路かもしれぬ。ダンサーの仕事にさらば、さらば。赤い靴は出船と共に、捨てられて波の間に間にみえ隠れ…沈んでいく。
 作詞者は西条八十。君は早稲田は仏文の教授でアルチュール・ランボーの研究家だよね。だのに、よくもまあ、ここまで女の一生を見事に。こんな短い詩の中に、当時の世相も、それに流される女の半生涯も一緒くたに、物の見事に描けるものよ。