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日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和八年一月十七日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 最近はお正月に門松をあまり見かけなくなったと感じるのは筆者だけであろうか。十二月には街のいたる所にクリスマスツリーが溢れているのに、正月の門松はそれほどには飾られていない。冬でも枯れずに緑の葉を保つ常緑樹は、「変わらぬもの」や「絶えぬもの」の象徴と見なされてきた。もみの木も松も同じ常緑樹である。とりわけ日本人にとって松は特別な木であり、神を迎える依代とされる。正月に門口に門松を立てるのはそのためである。筆者の住む東京都府中市には、約千九百年の歴史を持つ大國魂神社がある。ここには大国主神とご同神の大國魂大神が祀られているが、その境内には松の木は一本もない。伝承によれば、大国様と八幡様がこの地に来たときに、宿を探しに行った八幡様に大国様が待たされて待つのが嫌になり「松」を嫌うようになったという。この言い伝えから、府中の一部では正月の門松に松を使わない習慣が今も残っている。筆者も松の代わりに杉を用いた門松を見たことある。伝統や習慣が少しずつ姿を消していくのは、どこか寂しいものである。
 歌会は一月十七日午前一時半より諸磯のでぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、安田喜子、日本浪漫学会の濱野成秋会長とジュン葉山の八氏と河内裕二。さらに欠席の清水和子、平野ユキノリの二氏も詠草を寄せられた。
 
  船首へと笹松榊供へたり
     りょうの町の儀今も変はらず 喜子
 
 安田喜子さんの作。海へ出る船に供物を捧げるという行為を通して、受け継がれてきた信仰や習慣が生活と深く結びついている町の姿を静かに見つめる。その眼差しには、深い郷土愛が感じられる。船の大きさがどれくらいなのかはわからないが、もし一人乗りの小さな漁船であるなら、「漁」を「りょう」ではなく「いさり」とした方が、伝統が継承されてきた感じが出るのではないか。「笹松榊」など言葉運びが上手い作品である。

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日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和七年十月十八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 大阪・関西万博が十月十三日に閉幕した。百八十四日間で二千五百万人を超える人が来場した。開催中に万博を訪れた知人に聞くとかなりの混雑で人気パビリオンには全く入れなかったとのことだったので、筆者は訪問を諦めた。開幕前には建設の遅れや建設費高騰などいろいろと問題視された万博であったが、報道によると建設費とは別の運営費は黒字になったとのことである。公式キャラクターの「ミャクミャク」も当初は不評であったが、何が転機となったのか大人気となり、二〇二五年の流行語大賞のトップテンにも入った。万博はいわゆるお祭りで終わってみると何だか寂しい気持ちになる。次回の万博は二〇三〇年にサウジアラビアのリヤドで開催の予定で、その規模は今回の大阪万博の四倍とのこと。
 歌会は十月十八日午前一時半より三浦市勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、安田喜子、日本浪漫学会の濱野成秋会長とジュン葉山の八氏と河内裕二。さらに欠席の加藤由良子、平野ユキノリの二氏も詠草を寄せられた。
 
  朝夕は暑さ和らぎ風涼し
     今宵十五夜月は雲間に 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。季節感のある歌で情景も鮮やかに浮かび上がる。上句はやや説明的な感じがするが、「風涼し」いう体感は読者の肌にも感じられ、爽やかな気持ちになる。下句では時間が夜になり、空には満月が出ている。この満月が直接ではなく雲間に見える。雲を介在させることで風情と余韻が生まれている。
 
  卒寿なる姉を施設に訪れて
     春のうたなど次から次へ 由良子

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