令和二年三月十四日掲載(No.1926)
醍醐寺三宝院住職 斎藤明道
弟子 濱野成秋詞書
明道翁は我が人生の師とも言えるお方様。ご自分の悩みを隠さず
述べるをためらわず、生きる切なさを歌に託される。それは次の
御製にも診える。初期の歌にて、
悲しきは破れ障子の穴のぞくごとくいやしきわが心かも
後年、師は醍醐寺の教学部長に就任された。そのお立場で後進を
導くに、己が迷妄の歌をばためらいなく巻頭に入れられる。飾り
気なき御歌集『あれこれ』を若い僧に与え、君よ迷いを恥じるな。
我もまた等しき頃あり。隠さぬ御心の尊さが温かい。
世をひがむ心かなしも花吹雪わが煩悩の塵を拂えや
秀吉最後の花見で有名な醍醐寺の桜をかく捉える師の御心よ。
しかるに師は孤高に生きる強きも無きて告白して詠める。
わが涙こころの砂に沁みてけりその重たさを告げる人なく
またこうも詠みけり、明道翁もまた孤独に喘ぎて、
笑いえぬ時もあるなりそのままにすておいてくれ妻よ息子よ
煩悩の樹林に吠ゆる魍魎の姿は見えず生命さいなむ
父のみの父に供えし今朝の酒その霊前にのみてたのしも
醍醐寺三宝院住職 斎藤明道
弟子 濱野成秋詞書
明道翁は我が人生の師とも言えるお方様。ご自分の悩みを隠さず
述べるをためらわず、生きる切なさを歌に託される。それは次の
御製にも診える。初期の歌にて、
悲しきは破れ障子の穴のぞくごとくいやしきわが心かも
後年、師は醍醐寺の教学部長に就任された。そのお立場で後進を
導くに、己が迷妄の歌をばためらいなく巻頭に入れられる。飾り
気なき御歌集『あれこれ』を若い僧に与え、君よ迷いを恥じるな。
我もまた等しき頃あり。隠さぬ御心の尊さが温かい。
世をひがむ心かなしも花吹雪わが煩悩の塵を拂えや
秀吉最後の花見で有名な醍醐寺の桜をかく捉える師の御心よ。
しかるに師は孤高に生きる強きも無きて告白して詠める。
わが涙こころの砂に沁みてけりその重たさを告げる人なく
またこうも詠みけり、明道翁もまた孤独に喘ぎて、
笑いえぬ時もあるなりそのままにすておいてくれ妻よ息子よ
煩悩の樹林に吠ゆる魍魎の姿は見えず生命さいなむ
父のみの父に供えし今朝の酒その霊前にのみてたのしも
かすでに他界した父と酒酌み交すか。かく申す弟子の成秋とて
他界した父の心知りたく、
父君の遺せしノオト読みたしと書棚さぐれど指空しけり
八十路幼きに返るというは在家も出家も同じか。しこうして師は
死を恐れ我成秋もまた揺らぐ心を抑え難く。先ずは師の三作、
月明のもと彷徨す我が影のおそろしきかな獣のごとし
わが影の黒き恐怖が死をよぶ夜月は静かに心をさしぬ
あの星の一つ一つを打ち鳴らし天空にわれ消えなんと思ふ
次に成秋。朽ちるは肉體だけに留めよと思うだに虚しく、
来る生命明日にも来る筈この命希ひても子糠雨ふる
嫩葉の陽黒文字折りたる吾指に落つる病葉行く末語る
現身のわが歯朽ちをり山野辺の傾く雪棚黙々と歩く
わが師斎藤明道は歌人としては最高にして人生托鉢僧にして常に死を
見つめておられた。朽ちるは肉體だけにと希う吾もまた死の御心を受
けて未だ凡夫で過ごしおり自嘲して已まず。歌人斎藤明道翁は人の心
を愛するが故に人の過ちを責めず貶めず尽きぬ情愛を掛けて厭わず。
われもまたかくありなむ。