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日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和四年一月二九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 一月は一年で一番寒い月である。気象庁によれば、昨年の一月の東京の平均気温は五・四度だが、今冬は全国的に例年より気温が低くなると予測されている。寒さの苦手な筆者は天気予報で最高気温が一ケタになっているのを見るだけでも身震いしてしまうが、北海道は別格でそんな時には軒並みマイナスになっている。日本の最低気温の記録は、一九〇二年一月二五日に旭川で観測されたマイナス四一・〇度である。マイナス四〇度に達したのはこの一度きりである。子供の頃に見たテレビCMを思い出す。マイナス四〇度の極寒でもエンジンオイルが滑らかな状態であるのを見せるCMだったが、一度見たら忘れられない凍ったバナナで釘を打つシーンがあった。実際に日本でマイナス四〇度の世界があったとは驚きである。今年最初の歌会は、晴れて穏やかな陽気となり気温も一〇度を超えた。昼間だけでも暖かいとありがたい。
 
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、一月二九日の午後一時半より民宿でぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、嘉山光枝、玉榮良江の三氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と岩間節雄氏、滿美子氏のご夫妻、河内裕二が参加した。三浦短歌会の加藤由良子、嶋田弘子、清水和子、櫻井艶子の四氏と加藤さんのご友人の田所晴美氏も詠草を寄せられた。
  コンビニのバイクの横で仁王立ち
     飯食む若者吐く息白し 由良子
 
 作者は本日欠席の加藤由良子さん。コンビニの駐車場で腹ごしらえをする若者を描写した歌であるが、実際に寒い朝にコンビニで目にした光景を詠まれたとのこと。若いとは素晴らしいなと思われたそうである。
 
 コンビニに停めたバイクの横でおにぎりかパンかにかぶりつく元気な若者の姿がまず浮かび、さらに吐く息が白いことから寒い早朝だと想像させる。仲間とツーリング中にコンビニに立ち寄ったのだろうか。ツーリングを楽しむ元気な若者たちには、朝の寒さなどまったく問題にならない。青春である。この歌は、言葉の選び方と順序が秀逸で、映像作品を見ているような展開と情感を与える描写になっている。
 
  房総の山並み眺む人多き
     初日昇れば拍手し拝む 光枝
 
 嘉山光枝さんの作。嘉山さんは、房総半島の山々から昇る美しい朝日の見られる絶景の場所をご存じで、毎年そこに行って初日を拝まれる。知る人ぞ知る場所であったが、最近は知る人も徐々に増えて、元旦には人が集まるようになった。今年の元旦は晴天で雲もなくとてもきれいな初日が見え、以前ならば歓声が上がるところだが、今年はコロナで皆がマスクをしているため拍手が起こったそうである。今年最初の一月の歌会にふさわしい一首である。
  古里に帰りて思ふは繰り言ぞ
     時世ときよの渦に浮きつ沈みつ 成秋
 
 濱野会長の歌。ふるさとに帰ると過去のことを思い出し、ともすればあの時はこうすればよかったと繰り言になり、時世の移り変わりの中で様々なことがあったとしみじみ考えてしまうとのこと。ふるさとはすっかり都会化して変わり果ててしまい、今では懐かしいのはお墓だけ。自分も変わりふるさとも変わって、いったいどこに思い出のよすがを求めればよいのかわからないと寂しくおっしゃったのが印象的であった。三浦で生まれ育ち現在も暮らす嘉山さんは、ふるさとがあることがうらやましいとおっしゃる。濱野会長はもう一首ふるさとの歌を披露された。
 
  古里の盆の太鼓は哀しけれ
     路ゆく人のみな変わり居て 成秋
 
 ふるさとの河内音頭も昔は勢いがあったが、今では昔のように歌える人もいなくなり、遠くからプロを呼んでなんとか開催している有様だと濱野会長。ふるさとはいつまでも変わらないでほしいと思うのは上京者である筆者も同じである。
 
  太陽の電池に動くパンダたち
     冬日を受けて活動開始 尚道
 作者は三宅尚道さん。上野動物園のパンダが話題になっていたので、パンダを玩具に例えたのかと思ったら、実際にご自宅にあるパンダの人形について詠ったそうである。この歌では「パンダ」と「冬日」がキーワードだろう。犬や猫では面白くない。容姿も存在もユニークなパンダが数頭、冬の弱い日差しのためにパワー不足でゆっくりと動いたり止まったりする様子を思い浮かべればこそ、機械的な人形にコミカルながらもペーソスが生まれる。この効果も計算して描写されているのはさすがである。
  
  ふるさとの駅の静寂しじまに降り立たば
     名残の空に風花の舞ふ 裕二
  
 筆者の作。新型コロナの影響で愛知の実家に帰省できない日々が続いたが、大晦日に数年ぶりに戻ってお正月を実家で家族と過ごすことができた。愛知の南の方なのでめったに雪は降らないが、駅に着いた時に珍しく雪が舞っていた。「名残の空」とは大晦日の空を表す言葉で、翌日の元旦の空は「初空」とか「初御空」という。同じくふるさとを詠んだのにこの歌とは対照的で自分の歌は何とも屈折していると仰ったのは濱野会長である。
  
  「さあ打つぞ」旗をめざして心飛ぶ
     ボールはオレンジラッキーカラー 和子
 本日欠席の清水和子さんの歌でグランドゴルフについて詠まれている。清水さんは一年ほど前からグランドゴルフのサークルに参加され、週二回の練習をとても楽しみにされているとのこと。歌を拝読すると、元気にボールを追いかける清水さんのお姿が目に浮かんできて、観衆になったような気になり、思わず「清水さん、がんばって」と声をかけたくなる。当短歌会の最年長者が詠んだとは思えないような躍動感のある作品である。元気の出るビタミンカラーのオレンジがラッキーカラーというのも清水さんにぴったり。筆者はグランドゴルフを全く知らないが、三宅さんによるとゴルフの簡易版とのことなので、近所の公園で時々見かけるゲートボールのようなチームプレイではなく、個人で戦うのだろう。楽しそうだ。
 
  沖縄の海岸に住むアヒルの子
     ラインにて観る名前はガーコ 良江
  
 作者は玉榮良江さん。玉榮さんは沖縄のご出身。ご実家の前の海岸にアヒルが住み着いていて、一羽だったのがいつの間にか三羽に増えたそうである。アヒルは池や川などの淡水域に生息するイメージがあるが、雑食なので海岸でも大丈夫なのだろう。アヒルの子の名前が「ガーコ」とはいかにもで、常套になりそうなものだが、アヒルの持つどこかコミカルでとぼけた感じが逆に出て効果的になっている。アヒルには「刷り込み」という初めて見た動くものを親だと思う性質がある。親アヒルの後をついて行くガーコの姿を想像したりすれば、なんとも微笑ましい気持ちになる。
  来し方を想い眺めるわが心
     清々せいぜいとした天に預ける 滿美子
 
 岩間滿美子さんの歌。元旦は素晴らしいお天気だった。年が明け、これまで自分がやってきたことを自ら認めようかどうかとあれこれ考えていると、これからはその清らかな天にすべてを預けて生きてゆけばよいのだと思われたそうである。目の前の青空のように、心にかかっていた雲が消えて晴れやかになられたのが伝わってくる。諦めではなく、心の迷いが解けてありのままを受け入れられそうなお気持ちになられたのだろう。しかし複雑なのは、作者がなにかそう自分に言い聞かせているようでもあり、到達された境地にどこか「揺れ」のようなものを感じてしまうのは筆者だけであろうか。
 
 石川啄木の『悲しき玩具』に次のような歌がある。
 
  年明けてゆるめる心!うつとりと
     来し方をすべて忘れしごとし 啄木
 
 来し方は人生の一部であり、消し去ることなどできない。岩間さんのようにそれを受け入れるという気持ちも、啄木のようにせめて正月ぐらいはそれを忘れてという気持ちもどちらも理解できる。誰もがその両方で揺れ動いているのではないだろうか。
  あの頃の「任せておけ」というガッツ
     いつのまにやら空の彼方か 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。今回は残念ながら欠席された。この歌は自分のことを詠まれたという解釈と、自分にそう言ってくれた人のことを詠まれたという解釈が出て、ご本人がおられれば伺えたのにとなった。どちらでも読者が自由に解釈すればよいと思うが、筆者は、嶋田さんが女性で「任せておけ」という台詞や「ガッツ」という言葉が男性的であることから後者であると考える。嶋田さんのご主人がご病気をされたと伺ったことがあるので、ご主人のことなのかもしれない。かつて元気でたくましかった夫が病気で気力も弱くなってしまい寂しく思われて詠まれたのだろうか。筆者は「空の彼方か」は嘆きだと解釈した。
 
  はらはらと初雪の降る嬉しさに
     八十路超えても幼子のごと 艶子
 
 本日欠席の櫻井艶子さんの作。雪国ではうんざりするだろうが、そうでない地域ではこの歌のように雪が降ると多くの人は何だか新鮮でうれしい気持ちになるのではないか。
 
 初句の「はらはら」という擬態語が議論になった。雪にまつわる擬態語としては「ちらちら」「はらはら」「しんしん」「こんこん」などが思いつく。濱野会長が斎藤茂吉の歌に言及された。
  現身のわが血脈のやや細り
     墓地にしんしんと雪つもる見ゆ 茂吉
 
 やがて自分も墓に入るだろうと思いながら雪がしんしんと降るのを見ている茂吉の歌は秀逸だが暗い。櫻井さんの歌は明るくて救いがあると濱野会長は仰る。並べてみるとよくわかるが、同じ雪でもやはり櫻井さんの歌は「はらはら」、茂吉の歌は「しんしん」でないとしっくりこない。「はらはら」にどこか違和感をもたれた方もおられたが、それはコロケーションのためかもしれない。「はらはら」の場合、「降る」よりも「舞う」という言葉と使われることが多い。
 
  コロナ禍に追い打ちかけるオミクロン
     備えし武具の盾にて守る 晴美
 
 田所晴美さんの作品。戦国の世の雰囲気を醸し出すような言葉の使用が工夫されていて個性的な歌である。「備えし武具の盾」とはワクチンのことか。「追い打ちかける」も戦にまつわる言葉で上句と下句がつながっている。小さすぎて電子顕微鏡を使わないと見ることはできないが、コロナウィルスの表面にはスパイクと呼ばれる無数の突起があり、なるほどあのトゲトゲの姿は甲冑のようにも見える。まさに戦か。視覚的イメージを膨らませて詠まれた歌なのかもしれない。
 歌会を終えて別室に移り新春の宴を催す。地の食材を活かしたでぐち荘さんのお料理にはいつも感動する。うかがったところでは出来合いのものは一つもなくすべて手作りされているとのこと。お漬物ひとつにしてもやさしい味がする。立派な活きあわびをバター焼きにしていただく。一匹まるごとの活きあわびなどなかなか食べられない。筆者は、あわびは刺身よりも焼きの方が柔らかい食感で好みである。極上の味。お刺身、なまこの酢の物、金目鯛入りの鍋、牡蠣、さざえの壺焼き、エビフライに茶碗蒸しなどどれも美味しい。シンプルなふろふき大根も絶品だった。品数も多く盛りだくさん。食べきれない場合には持ち帰るためのパックまでいただける心配りがうれしい。
 
 お腹も心も満たされてでぐち荘を出ると、西の空は茜色に染まり夕日が沈みかけていた。小さい頃に聴いた童謡「夕日」では、夕日が沈む擬態語は「ぎんぎんぎらぎら」だった。たしかに海面に映る夕日などは波に揺れて反射してそんな感じだろうが、いつも海を見ているとは限らない。では、どんな擬態語がよいだろうか。残念ながらよい語が思いつかなかった。擬態語や擬音語もうまく使えば歌に彩りが加わり効果的なことを今回の歌会で学んだ。
 近作詠草3 令和元年六月一日 (No.1928)
         濱野成秋
 
 
早春に生きがひを求められ
まどろみの長きしとねの朝ぼらけ
     はだら雪視ゆうつつもの憂し  成秋
 
厳寒に迷ひ出でて
人知れず氷柱つらら立つ視ゆ天竺の
     仏の世より垂れる雫か  成秋
 
茂吉の病身を吾ことの如く思いを馳せ
歯科医より帰りし吾は夕まぐれ
     鬱々として雪の道ありく
                    (茂吉『白き山』より)
 
現身うつしみのわが歯朽ちをり山野辺の
     かたぶく雪棚黙々と
                    (成秋、本歌取り)
華宵の乙女らに誘われて歌ふ
うぐひすの声は哀しもくれたけ
     恋ゆる女子めごあり病める稚児あり  成秋
 
昔日の海女の家を訪ね歩きたるが
過ぎ去りし海辺の風や海女の家
     ここら哀しも足跡もなく     成秋
 
この生への執着を思い煩ひて
このいのちおぼろ入寂たへなむひととせ
     超へて伏す身の耐え難かりき   成秋
 
老ひても君を忘れじと茂吉は詠めり
おひびととなりてゆたけき君ゆゑに
     われは恋しよはるかなりとも  (茂吉)
 
老人おひびととなりてもはべらめ君の許
     乞ひ木枯こがれしや狂へるがゆへ (成秋本歌取り)
諸行無常と人は言ひたるが
いつの世も変はらぬものもなくもがな
     すり減るこころ朽ちる肉體にくたい   成秋
 
(参考)
 
今はゆかむさらばと云ひし夜の神の
     御裾みすそさはりてわが髪ぬれぬ   晶子
 
ひとまおきてをりをりもれし君がいき
     その夜しら梅だくと夢みし   晶子
 
 
                     (No.1928は以上)
 令和二年二月二十六日掲載(No.1926)
        濱野成秋
 
終戦の想い出(これはホームページ冒頭の一首のプロトタイプ)
いくさ敗れ父母哭き稚児の稲田里いま他人よそびとの我勝ちに住み
 
秋となり
稲束を潜り潜りて田螺たにしとり野井戸近きに母駆けつけて
 
冬となり
戦ひの過ぎにし朝の貧しけれ市にて交わす息凍りたる
 
栄養失調にて吾は幼時きわめて虚弱にて
われ七つ九つ十五も黄泉想ひいま八十路にてなほ先暗し
 
同年齢に他界した父の心知りたく思はれ
父君ちちぎみの遺せしノオト読みたしと書棚さぐれど指空しけり
 
戦跡後年父他界の年齢に達し三浦半島に住まいして近隣を訪ね
キャベツ畑巡り下りて洞穴の基地入り口にくさむらむら
箱根口の茶屋にてお茶事あり。青葉若葉の陽春なれど
わかの陽黒文字折りたる吾指に落つる病葉行く末語るや
箱根口嫩葉に集ふ同人の作る歓び尽きぬ語らひ
 
☆本日の締めとして本歌取りを追加いたします。
 
本歌(茂吉『白き山』より)
最上川みづ寒けれや岸べなる浅淀にしてはやの子も見ず
 
本歌取り(成秋)
最上川岸辺に凍る稚魚のかげ追へる吾身の行方しれずも
 
推薦歌
☆本学会はむやみにカタカナをつかうなどして奇をてらうを歓ばず、常に作者の真心の発露を歓ぶがゆえに、左記の歌を参考とされて作歌されたい。
 
ぬば玉のふくる夜床に目ざむればをなごきちがひの歌ふがきこゆ  茂吉
 
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる  茂吉
秀句二題
 
山路来てなにやらゆかしすみれ草  芭蕉
山路来て独りごというてゐた  山頭火
 
☆この二句を味読されて後に私の雛型エッセイ「山路来て二題」を読まれて参考にしてください。
 
助言・作歌について
本万葉集は時代色を大事にします。次に親子の心の結びつき、次に生死に対して真剣に取り組む姿勢を良しとします。そこに季節や自然の移り変わりの情景が描かれていればなおのこと結構に思います。成秋