短歌詠草 令和二年二月十七日
             東京府中 河内裕二
 
近所の公園の光景もどこか生きづらい世の中に見えてくる。
梅雨時の南風を黒南風といふとか。
黒南風くろはえに蓮より落ちる水玉に
     揺られし水面鯉が顔出す  
 
 
暗闇に立つ一本の老木に思いを寄せて
五月さつきやみ空き家の庭の老木は
     過去見つむるや朽ち果つるまで  
 
 
濡羽色の鴉は死と再生のシンボルとされている。
路地裏に震えしこゑでなく鴉
     黒き瞳に空映りたり  
花の香りは昔の記憶を呼び戻す。
ジャスミンのかほり残して去りしきみ
     春にはわれを想ふならむや  
 
 
コロナ禍で使用禁止中のグランドを見つめ
雨上がり土の匂ひのグランドに
     若かりしわれ握りめし喰ふ  
 令和二年三月十八日
      東京府中 河内裕二
 
令和二年三月、山形の庄内に暮らす親友を訪ねた。その際に遊佐の吹
浦や鶴岡の羽黒山を巡る。吹浦西浜海岸の岩礁には二十二体の磨崖仏
があり、説明によれば、地元海善寺住職寛海が日本海で亡くなった漁
師の供養と海上安全を願って造仏し、明治四年に自らも守り仏となる
ため海に身を投じたといわれる。岩礁に立つと石仏の視線が一斉に自
分に向けられている。卑俗な自分を恥ながら静かに手を合わせた。遊
佐には出羽富士とも呼ばれる東北第二の高さを誇る鳥海山があり、そ
の雄大で秀麗な姿には神々しささえ感じられる。鶴岡の羽黒山には羽
黒山、月山、湯殿山の三山の神が合祀されており、三神合祭殿で三神
に拝礼した。信仰の地を巡り自分の未熟さを痛感する旅となった。庄
内では四首の歌を詠んだ。
 
波しぶく吹浦ふくらの磯の磨崖仏目前のわれに何思ふらむ
出羽富士の白き頂眺むれば貧しき心露わとなりぬ  
勇壮な出羽三山の神々よわれに与へよ生きる力を  
山あいの湯壺に浸かり貪欲を洗い落として友と語らふ  
庄内に住む友人とは彼が庄内に就職する前に東京で知り合った。私は
愛知県の知多半島にある田舎町の出身で、アメリカ文学を学ぶために
上京し、武蔵野の府中に住んでもう四半世紀が経つ。すでに故郷より
この町で暮らした年月の方が長くなっている。私はこの町が好きだ。
ただ時々ここが自分の居場所ではないと感じることもある。かといっ
て家族に会うために故郷に戻ってもそこが自分の居場所だとも思えな
い。東京では移り住んだ「よそ者」、故郷では「逃亡者」。何とも中
途半端で不安定だが、アメリカに移民した一世たちもこんな気持ちだっ
たのだろうか。今は故郷を想いながら、不安、孤独、迷い、いらだち、
虚しさを日々感じてこの町で生きている。この府中での生活を詠んだ
歌。以下はそれである。
 
とめどなく冷たき闇が絡みつく病むは世間かわが魂か  
荒天に風にあおられ河川敷水に流さむ弱き自分を  
わが命何を恐れる今更に線香花火玉膨らみて  
街灯の明かり滲んだ並木道暗闇空に蝙蝠の群れ  
自宅から駅に向かう途中にある交差点の片隅にいつも花が一輪置かれ
ている。ここで亡くなった方への献花なのだろう。ある時、仕事帰り
に雨も降っていたので急いで自宅に向かっていると、街灯に反射する
光が目に入った。見ると交差点の隅に献花の山ができていた。命日だっ
たのだろう。私も道路を渡って花の前に立ち静かに手を合わせた。亡
くなった方の性別も年齢も知らないが、これだけたくさんの花が供え
られているのだから、多くの人に愛された方だったのだろう。なぜそ
んな人が。私もこの道を通るのだから私がこうなっていても不思議で
はない。神様が私を選ばなかったのは何故か。降り出した雨は亡くなっ
た方の涙のように思えた。きっと花を持ってこられた人たちに会いた
いのだろう。せめてこの花は散らないでほしい。この方の分まで生き
なければいけないと思った。
 
雨もよに帰路を急ぎし十字路の静かに光る花な散りそね  
独り身は気楽でよいが、家には話し相手もいないし時々寂しくなるこ
ともある。そんなときには友人と食事をしたり、賑やかなところへ出
かけたりする。寂しさと違って孤独は厄介だ。家族といても友人とい
ても孤独感は消えるものではない。人間は本質的に孤独だと思うが、
一体どうすればよいのだろう。
 
多摩川の岸にたたずむ水鳥がわれに語りし君も独りか  
痛むひざかばひて登る石段にやおらころころ一粒の豆  
紅の梅の林に目もくれず帰宅する君スマホ片手に  
友撮りし写真のわれは楽しげとひとりアパートおでんつつきて  
 
私は海の近くで育った。海といえば夏の印象が強い。この頃は近所の
多摩川を散歩するぐらいで海に行くことも少なくなったが、冬の海を
眺めれば、思い出すのは恋人と過ごしたあの日のこと。
うたかたの君の笑顔と笑ひ声ひとりたたずむ厳冬の海  
冬の海山で育った君の手を引きて裸足で波に駆け出す  
交通や通信の発達で、最近は距離による物理的な隔絶はなくなり、そ
の気になればいつでも故郷に戻ることも連絡もできる。結局、故郷は
思う気持ちが重要であって、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思
ふものそして悲しくうたふもの」で始まる有名な「小景異情」の詩の
ように、上京した者は自分の居場所を求めて故郷と東京と思いが揺れ
動き続けるのだろう。私の場合は日常でふと意識が西へ向くと、いつ
も故郷を思い出す。西を向いた時に詠んだ歌を。
いざ行かむバス待つわれも西の地に夕焼け空に飛び立つ鳥と  
旅立ちに母にもらいしアンブレラ使うことなし眺めるばかりで  
夕闇の窓に映りしわれを見てむかしの父に見えた衝撃  
雨降るか天気予報で確認しなぜか目が行く故郷の天気  
 
幸いに私は東京でよき師やよき友に出会うことができた。両親も未だ
健在で、私もあと数年で五十路を迎える。孔子は四十にして惑わずと
言うが、未だに迷いばかりで、果たして五十にして天命を知ることが
できるのだろうか。日本には長い歴史とその中で育まれてきた豊かな
文化があり、先人から多くを学ぶことができる。私は最近になって短
歌の素晴らしさや楽しさを知った。わが師は文学とは生きることだと
仰る。私は生きるために歌を詠んでゆきたい。
 令和二年二月二十六日掲載(No.1926)
        濱野成秋
 
終戦の想い出(これはホームページ冒頭の一首のプロトタイプ)
いくさ敗れ父母哭き稚児の稲田里いま他人よそびとの我勝ちに住み
 
秋となり
稲束を潜り潜りて田螺たにしとり野井戸近きに母駆けつけて
 
冬となり
戦ひの過ぎにし朝の貧しけれ市にて交わす息凍りたる
 
栄養失調にて吾は幼時きわめて虚弱にて
われ七つ九つ十五も黄泉想ひいま八十路にてなほ先暗し
 
同年齢に他界した父の心知りたく思はれ
父君ちちぎみの遺せしノオト読みたしと書棚さぐれど指空しけり
 
戦跡後年父他界の年齢に達し三浦半島に住まいして近隣を訪ね
キャベツ畑巡り下りて洞穴の基地入り口にくさむらむら
箱根口の茶屋にてお茶事あり。青葉若葉の陽春なれど
わかの陽黒文字折りたる吾指に落つる病葉行く末語るや
箱根口嫩葉に集ふ同人の作る歓び尽きぬ語らひ
 
☆本日の締めとして本歌取りを追加いたします。
 
本歌(茂吉『白き山』より)
最上川みづ寒けれや岸べなる浅淀にしてはやの子も見ず
 
本歌取り(成秋)
最上川岸辺に凍る稚魚のかげ追へる吾身の行方しれずも
 
推薦歌
☆本学会はむやみにカタカナをつかうなどして奇をてらうを歓ばず、常に作者の真心の発露を歓ぶがゆえに、左記の歌を参考とされて作歌されたい。
 
ぬば玉のふくる夜床に目ざむればをなごきちがひの歌ふがきこゆ  茂吉
 
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる  茂吉
秀句二題
 
山路来てなにやらゆかしすみれ草  芭蕉
山路来て独りごというてゐた  山頭火
 
☆この二句を味読されて後に私の雛型エッセイ「山路来て二題」を読まれて参考にしてください。
 
助言・作歌について
本万葉集は時代色を大事にします。次に親子の心の結びつき、次に生死に対して真剣に取り組む姿勢を良しとします。そこに季節や自然の移り変わりの情景が描かれていればなおのこと結構に思います。成秋
令和二年二月、JR横浜駅西口キリンシティにて集い会う
宵闇のグラス弾ける春今宵ロウマンの風友と語らふ  港区白金 紅竹みずほ
 
国鉄からJRへ。この異郷の街ヨコハマにて集ひて
夕暮れのビルの二階でのむ麦酒ばくしゅ行方定めむ春ゐたりなば  東京府中 河内裕二
 
萌黄立つ京の街四条の酒舖楽庵にて朋友成秋と杯傾けし日を想ひ
ひさかたの都の春を楽しまん友と庵で肴喰ひつ  古都から 福田京一
 
この集いを聞き及んで伊豆から詠める
殿を伊豆の山なる神の虹しろ薔薇手折りて捧ぐ集いに  伊豆山系 三井茂子
 
ポート横浜はあくまで異郷の地なれば
啓蟄を歓びとせむこの命他国の駅舎であおる独酒  葉山 濱野成秋
 
 令和二年二月十五日、この歌の群れを編集しをる折に鈴木孝夫先生より架電あり。亜米利加合衆国の成り立ちにつき語り合ふ。読者の方々もこぞって応募をされたし。

Cruel Today 残酷な今日

by Seishu Hamano 濱野成秋

Dear Today, dear my mirror, dear a short-stayed mirror man,
Thou will soon vanish far away from your beloved ancestors,
Away from your nearest friend yesterday,
Away from all the memorial kitchenette trifles, but coming here
Together with exclusively monstrous incidents,
Together with never-ending trains of troubles and nuisances.
Say Sorry for your sin corrupting past painstaking days!
Otherwise nobody would look back past days with love.

親愛なる今日の日よ、親愛なる僕の鏡よ、この短期逗留の鏡男よ、
汝は愛すべき先祖を消し去ってしまったね、
昨日という最大の友からも離れ、
記憶にとどめるべき生活レベルの面倒を全部しり目に
解決ままならぬ厄介だけをいっぱい引き連れて来やがる。
苦労だらけの日々をぶっ壊しておいて、ごめんなさいもないのか!
詫びてもらわねば誰も昔の面影を愛しまないだろが。

Shed tears, thou a killer, an arrogant murderer,
Thou have come down from the innocent, vacant-headed sky,
Come down deep into the obscure, shady, conscious widow, and
Murmured, “Never lose hope!”
What if thou ask yourself how many yesterdays you killed for your
dictatorship?

涙をこぼさんか、この殺し屋よ、横柄な殺人鬼よ、
汝は無邪気な、空っぽ頭の空から降り来た、
つかみどころのない、暗澹たる意識の寡婦の胸深く降り来りて
「けっして望みを失くすな!」とぶつくさ。
自分の支配欲のために一体何回昨日たちを抹殺したか。
いっぺん自分自身に訊いてみたらどうなんだ。

How many times did ancestors challenge you in the past time cave?
Swords decayed, words broken, left in the mud of repentance
Rejoice wouldn’t exist today but,
Out of repentance comes rejoice,
Said today, my chimaera today.

先祖たちが過去の洞穴に居ていったい何回お前に挑戦したね、
刀折れ言葉も尽きて残ったのは悔いの泥沼、
歓喜は今日には存在せぬがしかし
後悔の後には歓喜が到来する、
と、今日が言いよる、このキマイラめが。

Today is a memory, or a memory man
A bundle of dismay and hopeless inquiry,
Dried, shrank, rotten, with half-attained aspiration, but
Tomorrow, thou strange hoodlum, come with me,
Thou the grand child of yesterday?  Say, “Yes.”

今日は一つの思い出だ、いや一人のメモリーマンか
失意と望み無き問い掛けの一束だ、
干上がって縮こまり腐っていく半出来の野望だ、しかし
明日よ、この見知らぬならず者め、俺といっしょに来るんだ、
汝は昨日の孫だろ? 「そうだ」と答えろ。

(December 23, 2019)