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日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和五年一月二八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 数日前から日本列島はこの冬一番の寒気に包まれ、西日本や日本海側では雪が降り続いて交通にも影響が出ている。歌会の行われる三浦市は晴れて穏やかな天気で会場の目の前の諸磯港から見える相模湾の海の色は美しいコバルトブルーだった。少し先の消波ブロックには釣り人の姿もある。雲に隠れて富士山が見えなかったのが残念だった。
 歌会は一月二八日午後一時半より民宿でぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の六氏と河内裕二。三浦短歌会の加藤由良子、清水和子、加藤さんのご友人の田所晴美の三氏も詠草を寄せられた。
 
  押し詰まる都心のホテルの二十階
     昼の月見つ無心で泳ぐ 由良子
 
 作者は本日欠席の加藤由良子さん。昼間にホテルのプールで泳いでいるとガラス窓から月が見えた。その体験を詠まれた。情景描写が巧みで読者は自分もその場に居るような感覚になる。三十一文字の短い歌の中に多くの情報が盛り込まれ、その順番も効果的になるように工夫されている。ホテルの高層階にプールを思い浮かべる人はまずいない。最後にプールであることがわかった時の意外性やインパクトは大きく、さらにもう一味加わる。
 
  四十年わたしのそばにはコーヒーの木
     夜半に目覚めて共に息する 和子
 本日欠席の清水和子さんの歌。現在お住まいのホームに東京から引っ越してくる際にコーヒーの木を持ってこられた。暖かい地方の植物なのでお部屋の中で育てておられて、一人暮らしの清水さんにとっては一緒に暮らす家族のような存在なのだろう。ペットの動物では四十年の年月を共にすることはできない。長く生きられる植物ならではのことで、コーヒーの木というのもおしゃれな清水さんらしい。
 
  年始め奏でるリズムは軽やかに
     軒の干し柿かぜに踊りて 裕二
 
 筆者の歌。今年も正月には故郷に帰省した。実家には干し柿が吊り下げられていて、聞くと父親が作ったとのこと。正月はやはりおめでたい気分になる。今年が良い年になるように願いながら、元旦ぐらいは家族と楽しく過ごしたいという気持ちで詠んだ歌である。内容と同様に歌自体も軽やかな感じにした。
 
  二年ぶり娘と共に映画見る
     ひと時なれど気分転換 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。娘さんと一緒に映画を観に行くのが好きでよく映画館に出かけていたが、コロナ禍になって足が遠のいていたそうである。先日二年ぶりに映画を観に行かれ、その時の気持ちを詠まれた。上映されていたのは『すずめの戸締まり』というアニメ映画で、ご覧になって涙されたとのこと。歌の中で映画について言及するのも一つのアイデアだが、娘さんと出かけて気分がリフレッシュされたことを第一に伝えたいため、その点をストレートに表現されている。結句の「気分転換」があまりにストレート過ぎて何か別の言葉の方がよいのではないかと悩まれたそうだが、これはこれで潔ささえ感じてよいだろう。確かにありふれた言葉ではあるが、コロナ禍でありふれたことができなかった状況に対して、ありふれたことができるようになったのをありふれた言葉の使用で表現すると解釈すれば納得できるだろう。
  新春にひはるを寿ぐ賀状を断りて
     友よ咲く花いかに愛しも 成秋
 
 濱野成秋会長の歌。最近は年賀状に今回で最後にしたいと書いてくるものが届くようになった。「もう出しませんから」というのはすなわち「あなたも私に出してくださるな」というメッセージである。賀状を出す、出さないをどうしてそちらに決められなければならないのか。年賀状は単なるはがきの交換ではない。心の交流である。長く続けてきた人であればなおさらで、それを突然一方的に破棄するとはどういうことなのか。
 春に花が咲いてきれいだと思う気持ちがあるのならば、新春を寿ぎたい気持ちはわかるだろうという下句は言い得て妙で、たがか年賀状ではなく、それすら拒むのであれば本当に友人と言えるのか。出す側にも理由はあるのかもしれないが、受け取る自分の気持ちを考えてもらえなかったことが悲しい。大事なのは心なのである。
 
  遊女らの身投げせしとう八景原の
     彼方に風車が静かに回る 員子
 
 作者は羽床員子さん。八景原は三浦半島の先端にある断崖絶壁の場所で下は波の荒い磯になっている。三崎の遊女や自殺志願者が身を投げた場所として地元では有名である。現在は草などが生い茂って入れないようだが、そこを訪れたことのある嘉山さんによると落ちたら間違いなく助からない高さとのこと。この八景原の少し先に風力発電用の大きな風車が二基立っている。悲しい歴史と現在注目の再生可能エネルギーの象徴である風車が「八景原」という言葉で取り合わされる。死者と風車の取り合わせは、青森の恐山菩提寺を思い浮かばせる。日本三大霊山の一つ恐山にある菩提寺の境内には死者の供養のために風車(かざぐるま)が置かれていて風で回っている。
 
  初春に良しと思ひしことあれど
     尚求めては思ひ煩ふ 滿美子
 作者は岩間滿美子さん。ご自身のお気持ちを詠まれた。人の煩悩には限りがない。誰もが納得であるが、筆者はこの歌をあまりネガティブな内容とは捉えなかった。たとえば欲望にしても、それなくしては向上心も生まれないだろう。この歌が詠めることは、作者は自己を客観的に見ることができ、自制ができるのを示している。内容、言葉使い、どれを取っても歌として完成されている。
  
  寒中といえどいくらか暖かし
     取り残したる里芋を掘る 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。写生句である。三宅さんの畑は土があまり良くないために野菜の育ちが悪く、イモでもジャガイモならまだ育つが、里芋は育ちが悪い。里芋は収穫時期を過ぎても収穫せずに放置しておいたそうで、それを最近気温が少し暖かくなったので掘ってみたとのこと。
 この歌に出てくる野菜は里芋である。お正月の煮物に里芋は欠かせない。実際に掘ったのがそうであったにしても、一月の歌会の歌に里芋以上にふさわしいものはないことを作者はわかっている。それをさりげなくやるところがさすがである。
  
  二人から始めたかけっこ五十年
     今十五人よーいどんそれ! 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。一見ジョギングの愛好家仲間の話かと思うが、五十年とは長すぎてどういう状況なのか想像するのが難しい。実はご家族のことを詠まれている。お正月に体育館を借り切ってご家族で運動をされた。その時にみんなでリレーをし、その人数をかぞえると十五人であった。この十五人のご家族は、最初は嶋田さんご夫婦の二人から始まった。来年でご結婚して五十年を迎えるそうで、説明をうかがって納得した。
 「かけっこ」「よーいどんそれ!」のような言葉使いが、小さなお孫さんまで含めてみんなで元気よく走っている様子を生き生きと伝える。幸せがあふれる歌である。
  鯵を焼く昨日も今日も鯵を焼く
     友の笑顔に一味そえて 晴美
 
 田所晴美さんの作。作者の田所さんは加藤由良子さんのご友人で、歌にある「友」とは加藤さんのこと。加藤さんから送られてきた三崎の鯵の干物を田所さんが毎日召し上がっている歌だが、上句はややコミカル、下句でお二人の素晴らしい友情が示され、心温まる歌となる。軽快な言葉のリズムもお二人の関係を表していて、これまでも、これからもこのよい関係が続くこと暗示している。
 
 歌会を終え、別室に移動。楽しみにしていた新年会が始まる。地元の食材を活かしてすべて手作りされる料理には毎回感動する。メニューは昨年とほぼ同じであるが、それがまたよい。一年経つとさすがに味の記憶は少し薄れていて、食べる毎に「そうこの味」と記憶が甦ってくる。これも楽しみの一つである。美味しい食事と楽しい会話で充実した時を過ごし、お腹も心も満たされて宴を終えた。
 でくち荘を後にして、羽床さんのお店「羽床総本店」の加工場と店舗を訪れて、説明をうかがいながら見学させていただく。こだわりの材料を使って手仕事で丁寧に魚の味噌漬けと粕漬けを作られている。大正十二年の創業で百年続く老舗である。
 何かを受け継いでいくことは大変である。思えば私たちを結びつけてくれた短歌は、『万葉集』が七世紀から八世紀の編なので約千三百年も続いていることになる。
日本浪漫歌壇 冬 如月 令和四年二月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会の行われた二月十九日頃から二十四節気では雨水となる。降る雪が雨へと変わり、積もった雪や張った氷が溶け始めることを意味している。雨水では時に春の気配を感じられる日も出てくるが、まだ寒い日が多く実感としては依然冬である。歌会当日も肌寒く夕刻には冷たい雨となり気温が下がった。半月ほど経てば二十四節気の中でもよく知られる啓蟄となる。その頃には春が近づいていることも実感できるだろう。
 
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、二月十九日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嶋田弘子、玉榮良江、新メンバーの羽床員子の五氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長、岩間滿美子氏と河内裕二。三浦短歌会の嘉山光枝、清水和子の二氏と加藤さんのご友人の田所晴美氏も詠草を寄せられた。
 
  寒風に凛と向かいて行く人に
     吾も倣いて歩幅を正す 由良子
 
 加藤由良子さんの作。ある日の早朝、とても寒いのに年輩の方が凜として歩くお姿をご覧になり、加藤さんもそれに倣って歩かれた。実際の体験を詠まれたそうで、お元気な加藤さんらしい内容の歌である。「歩く」という単純な言葉ではなく、「寒風に向かいて行く」や「歩幅を正す」のようなイメージの広がる表現を用いて臨場感を出されているところがお見事である。
  あと少し布団にもぐる寒い朝
     時計見ながらあと少しだけ 光枝
 
 作者は本日欠席の嘉山光枝さん。この歌の気持ちを理解できない人はいないだろう。「今の家は気密性や断熱性が高く昔の家のように隙間風が入ってくるようなこともないので、昔ほどはそう思わなくなったのでは」とは濱野会長。「あと少し」のリフレインがよいというのが皆さんのご意見であった。筆者などは、「あと少し」で二度寝してしまい「大惨事」となる恐怖を想像して背筋が寒くなった。
 
  おくら遺言いごんよ税よとめくるめき
     昔の人もかくて逝くかや 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。山上憶良は遣唐使として最新の学問を修め帰国するも役人としては出世できず、昇進ではあるが伯耆や筑前の国守に任命され地方に飛ばされた。そこで詠まれた歌からは、その報われない気持ちが切々と伝わってきて、憶良が思っていたようなことを今ご自身が思っているのではないかという気がして、先人に向かって呼びかけられたとのこと。半分自虐的、諧謔的に書いたと仰ったが、まさに「貧窮問答歌」の現代版である。
 
 「憶良」をルビのように「おくらら」と読むことについて質問があった。これはリズムを作るためで「憶良等」や「憶良ら」にしてしまえば「憶良のような」という違う意味になってしまうのでというご回答であった。「ら」を入れることで初句と二句のリズムが格段によくなるのは音読すれば明らかである。
  厚い手で生くるを紡ぐラカンパネラ
     フジコへミング御年九十 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。昨年実際にフジコへミングのコンサートを観に行かれた。嶋田さんはその時のことをこう語られた。九十歳のフジコさんは舞台に杖をつきながら現れたが、ピアノを弾き始めると別人のようで、テレビなどで伝え聞いている彼女の波乱の人生を思いながら演奏を聴いていると涙が出るほどに感激した。力強くピアノを弾く分厚い手がとても印象に残った。
 
 筆者はある新聞記事を読んだ。男性の漁師の方の話である。彼はテレビでフジコへミングがラカンパネラを演奏するのを観て深く感動し、自分も弾いてみたいと五十代でピアノを始める。楽譜も読めず楽器の経験もなかった彼が、この超難曲を何年も猛練習し、ついにフジコ本人の前で演奏したそうである。フジコのラカンパネラには人の心を動かす特別な何かがあるのだろう。「ラカンパネラ」はイタリア語で「鐘」を意味する。
 
  春立てど凍てつく風の吹きたれば
     天地つつまむ夢幻のきぬに 裕二
  
 筆者の作。春が来たのに冷たい風が吹いているので、夢や幻で世界を包んでしまおうというのが文字通りの意味である。とくに具体的なことは書いていないので、読者がそれぞれに解釈していただければよい。筆者は年が明けても暗いことが続く世の中を思って詠んだが、毎日寒い日が続いているから暖かい春の日を楽しく想像しているとしてもよいし、ファンタジックな世界を想像してもよい。
  百々もも伝ふ衣笠城の井のはた
     佇み向かひて父祖の聲聴く 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。ご自身のルーツである三浦氏のご先祖を思って詠まれた歌である。初句の「百々伝ふ」は、謀反の罪を着せられ自害させられた大津皇子の辞世の歌からとのこと。
  
  ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を
     今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子
 
 「ももづたふ」は磐余にかかる枕詞である。岩間さんは衣笠城が長い歴史を持つことを表現したくてこの語を使ったそうである。「衣笠城の井」とは「不動井戸」と呼ばれる井戸で、言い伝えでは行基が杖で岩を打ち、水を湧かせたとされる。
 
 池の鴨を見ながら自分は死んでゆくのだろうと思う大津皇子の「死」の歌に対して、城の井戸を見ながらこれからはご先祖のことを考えて生きてゆこうと決意する岩間さんの「生」の歌。どちらの歌も心に響く。
 
  バイク音響かせて来る新聞に
     立春の朝少し風あり 尚道
 三宅尚道さんの作。どこにでもある日常の光景だが、コロナ禍の現在、早朝に毎日きちんと新聞が届いたり、季節がいつものように移り変わったりという何でもないことがとても大切であると誰もが痛感している。バイクの音、新聞のインクの匂い、立春の朝の気温、吹いている風と、身体の感覚に訴える語が並んでいる。読むと感覚が刺激されるようで生きていることを再認識させられる歌である。
  
  裏山の枇杷の花咲き近付きて
     マスク外して香り吸い込む 良江
 
 作者は玉榮良江さん。ご近所に枇杷の木があって花が咲くと散歩の際にその香りを楽しまれるとのこと。枇杷の花について『大辞林』には「初冬、枝頂に白色の小花を多数つける」とある。冬には咲く花も少ないので咲いていれば目を引くだろう。斎藤茂吉も枇杷の花の歌を詠んでいる。
 
  枇杷の花冬木のなかににほへるを
     この世のものと今こそは見め 茂吉
 
 茂吉もやはり「香り」である。残念ながら筆者はその香りを知らないが、枇杷はバラ科なのできっとよい香りなのだろう。
 
  初めてのビデオ通話に映りたる
     老婆の我にギョッと驚く 員子
 今回からご参加の羽床員子さんの歌。スマホを新しくしたのでビデオ通話をやってみたいと思って娘さんに頼んでやってもらうと、画面に映った自分の顔にびっくり。「わたし、いつもこんなにひどい顔しているの」と言うと「そうよ」と娘さんから間髪入れずに返ってきたと笑いながら仰る羽床さん。皆さん多かれ少なかれ同様の経験をされていて共感された。
 
 テレビ電話のような昔はなかった新しいものを使い始めるということで、自分もまだ若いような気分になりワクワクしながら試みると自分の顔にギョッとする。そんな光景は何だか落語のようである。誰にとっても嫌な「老い」であるが、羽床さんの歌を読むと明るい気持ちになる。
 
  雪山でふざけて買ったサングラス
     手術のあとの眼覆へり 和子
 
 作者は本日欠席の清水和子さん。白内障の手術をされたそうなので、歌のように昔購入されたサングラスを使われているのでしょうか。眩しいというのは、手術によって水晶体がクリアになったからで、ますます活動的でお元気になられた清水さんにお目にかかれるのが待ち遠しいです。
 
  真の友どんな時にも頼もしく
     アドバイスありやさしさもあり 晴美
 田所晴美さんの作。おっしゃるとおりです。作者にはこの歌のような素晴らしいお友達がおられ、その方のことを思い浮かべて詠まれたのでしょう。ただ抽象的な語が多いために全体としてのメッセージが曖昧です。どんな時なのか、どのように頼もしいのか、どんなアドバイスなのか、どのようなやさしさなのか、どれか一つだけでもより具体的な表現があれば読者はイメージを膨らませやすいですが、もしかするとそこがポイントではなく「あなたには真の友がいますか」と問うているのかもしれません。
 
 歌会終了後、濱野会長と岩間さんと共に衣笠仲通り商店街で開催されている企画展「三浦一族」に行った。三浦一族の歴史やゆかりの木像や場所などを説明するパネル展示であった。実物や実際の場所を訪れるのは、数も多くて時間がかかる。写真ではあるが、一度に見られるのはありがたい。展示も見やすく工夫されていた。
 
 企画展は商店街の一角で行われていたため、会場まで商店街を歩いたが、昭和の香りのする本格的なアーケード商店街で、とても懐かしい気分になった。といっても、筆者の生まれ育った知多半島の小さな田舎町にはアーケード商店街などなく、このような立派なアーケード商店街となれば名古屋まで出ることになるので、決して身近だったわけではない。にもかかわらず懐かしく感じるのは、実際の商店街の記憶ではなく、こういうものが作られた昭和に自分も生きていたという記憶からであろう。いずれにせよ、昭和だろうが令和だろうが本日のような雨の日にはその本領を発揮する。展示にあった平安や鎌倉時代のものは間違いなく今後も残るが、昭和のものは果たしてどれだけ残るのだろうか。
日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和四年一月二九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 一月は一年で一番寒い月である。気象庁によれば、昨年の一月の東京の平均気温は五・四度だが、今冬は全国的に例年より気温が低くなると予測されている。寒さの苦手な筆者は天気予報で最高気温が一ケタになっているのを見るだけでも身震いしてしまうが、北海道は別格でそんな時には軒並みマイナスになっている。日本の最低気温の記録は、一九〇二年一月二五日に旭川で観測されたマイナス四一・〇度である。マイナス四〇度に達したのはこの一度きりである。子供の頃に見たテレビCMを思い出す。マイナス四〇度の極寒でもエンジンオイルが滑らかな状態であるのを見せるCMだったが、一度見たら忘れられない凍ったバナナで釘を打つシーンがあった。実際に日本でマイナス四〇度の世界があったとは驚きである。今年最初の歌会は、晴れて穏やかな陽気となり気温も一〇度を超えた。昼間だけでも暖かいとありがたい。
 
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、一月二九日の午後一時半より民宿でぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、嘉山光枝、玉榮良江の三氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と岩間節雄氏、滿美子氏のご夫妻、河内裕二が参加した。三浦短歌会の加藤由良子、嶋田弘子、清水和子、櫻井艶子の四氏と加藤さんのご友人の田所晴美氏も詠草を寄せられた。
  コンビニのバイクの横で仁王立ち
     飯食む若者吐く息白し 由良子
 
 作者は本日欠席の加藤由良子さん。コンビニの駐車場で腹ごしらえをする若者を描写した歌であるが、実際に寒い朝にコンビニで目にした光景を詠まれたとのこと。若いとは素晴らしいなと思われたそうである。
 
 コンビニに停めたバイクの横でおにぎりかパンかにかぶりつく元気な若者の姿がまず浮かび、さらに吐く息が白いことから寒い早朝だと想像させる。仲間とツーリング中にコンビニに立ち寄ったのだろうか。ツーリングを楽しむ元気な若者たちには、朝の寒さなどまったく問題にならない。青春である。この歌は、言葉の選び方と順序が秀逸で、映像作品を見ているような展開と情感を与える描写になっている。
 
  房総の山並み眺む人多き
     初日昇れば拍手し拝む 光枝
 
 嘉山光枝さんの作。嘉山さんは、房総半島の山々から昇る美しい朝日の見られる絶景の場所をご存じで、毎年そこに行って初日を拝まれる。知る人ぞ知る場所であったが、最近は知る人も徐々に増えて、元旦には人が集まるようになった。今年の元旦は晴天で雲もなくとてもきれいな初日が見え、以前ならば歓声が上がるところだが、今年はコロナで皆がマスクをしているため拍手が起こったそうである。今年最初の一月の歌会にふさわしい一首である。
  古里に帰りて思ふは繰り言ぞ
     時世ときよの渦に浮きつ沈みつ 成秋
 
 濱野会長の歌。ふるさとに帰ると過去のことを思い出し、ともすればあの時はこうすればよかったと繰り言になり、時世の移り変わりの中で様々なことがあったとしみじみ考えてしまうとのこと。ふるさとはすっかり都会化して変わり果ててしまい、今では懐かしいのはお墓だけ。自分も変わりふるさとも変わって、いったいどこに思い出のよすがを求めればよいのかわからないと寂しくおっしゃったのが印象的であった。三浦で生まれ育ち現在も暮らす嘉山さんは、ふるさとがあることがうらやましいとおっしゃる。濱野会長はもう一首ふるさとの歌を披露された。
 
  古里の盆の太鼓は哀しけれ
     路ゆく人のみな変わり居て 成秋
 
 ふるさとの河内音頭も昔は勢いがあったが、今では昔のように歌える人もいなくなり、遠くからプロを呼んでなんとか開催している有様だと濱野会長。ふるさとはいつまでも変わらないでほしいと思うのは上京者である筆者も同じである。
 
  太陽の電池に動くパンダたち
     冬日を受けて活動開始 尚道
 作者は三宅尚道さん。上野動物園のパンダが話題になっていたので、パンダを玩具に例えたのかと思ったら、実際にご自宅にあるパンダの人形について詠ったそうである。この歌では「パンダ」と「冬日」がキーワードだろう。犬や猫では面白くない。容姿も存在もユニークなパンダが数頭、冬の弱い日差しのためにパワー不足でゆっくりと動いたり止まったりする様子を思い浮かべればこそ、機械的な人形にコミカルながらもペーソスが生まれる。この効果も計算して描写されているのはさすがである。
  
  ふるさとの駅の静寂しじまに降り立たば
     名残の空に風花の舞ふ 裕二
  
 筆者の作。新型コロナの影響で愛知の実家に帰省できない日々が続いたが、大晦日に数年ぶりに戻ってお正月を実家で家族と過ごすことができた。愛知の南の方なのでめったに雪は降らないが、駅に着いた時に珍しく雪が舞っていた。「名残の空」とは大晦日の空を表す言葉で、翌日の元旦の空は「初空」とか「初御空」という。同じくふるさとを詠んだのにこの歌とは対照的で自分の歌は何とも屈折していると仰ったのは濱野会長である。
  
  「さあ打つぞ」旗をめざして心飛ぶ
     ボールはオレンジラッキーカラー 和子
 本日欠席の清水和子さんの歌でグランドゴルフについて詠まれている。清水さんは一年ほど前からグランドゴルフのサークルに参加され、週二回の練習をとても楽しみにされているとのこと。歌を拝読すると、元気にボールを追いかける清水さんのお姿が目に浮かんできて、観衆になったような気になり、思わず「清水さん、がんばって」と声をかけたくなる。当短歌会の最年長者が詠んだとは思えないような躍動感のある作品である。元気の出るビタミンカラーのオレンジがラッキーカラーというのも清水さんにぴったり。筆者はグランドゴルフを全く知らないが、三宅さんによるとゴルフの簡易版とのことなので、近所の公園で時々見かけるゲートボールのようなチームプレイではなく、個人で戦うのだろう。楽しそうだ。
 
  沖縄の海岸に住むアヒルの子
     ラインにて観る名前はガーコ 良江
  
 作者は玉榮良江さん。玉榮さんは沖縄のご出身。ご実家の前の海岸にアヒルが住み着いていて、一羽だったのがいつの間にか三羽に増えたそうである。アヒルは池や川などの淡水域に生息するイメージがあるが、雑食なので海岸でも大丈夫なのだろう。アヒルの子の名前が「ガーコ」とはいかにもで、常套になりそうなものだが、アヒルの持つどこかコミカルでとぼけた感じが逆に出て効果的になっている。アヒルには「刷り込み」という初めて見た動くものを親だと思う性質がある。親アヒルの後をついて行くガーコの姿を想像したりすれば、なんとも微笑ましい気持ちになる。
  来し方を想い眺めるわが心
     清々せいぜいとした天に預ける 滿美子
 
 岩間滿美子さんの歌。元旦は素晴らしいお天気だった。年が明け、これまで自分がやってきたことを自ら認めようかどうかとあれこれ考えていると、これからはその清らかな天にすべてを預けて生きてゆけばよいのだと思われたそうである。目の前の青空のように、心にかかっていた雲が消えて晴れやかになられたのが伝わってくる。諦めではなく、心の迷いが解けてありのままを受け入れられそうなお気持ちになられたのだろう。しかし複雑なのは、作者がなにかそう自分に言い聞かせているようでもあり、到達された境地にどこか「揺れ」のようなものを感じてしまうのは筆者だけであろうか。
 
 石川啄木の『悲しき玩具』に次のような歌がある。
 
  年明けてゆるめる心!うつとりと
     来し方をすべて忘れしごとし 啄木
 
 来し方は人生の一部であり、消し去ることなどできない。岩間さんのようにそれを受け入れるという気持ちも、啄木のようにせめて正月ぐらいはそれを忘れてという気持ちもどちらも理解できる。誰もがその両方で揺れ動いているのではないだろうか。
  あの頃の「任せておけ」というガッツ
     いつのまにやら空の彼方か 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。今回は残念ながら欠席された。この歌は自分のことを詠まれたという解釈と、自分にそう言ってくれた人のことを詠まれたという解釈が出て、ご本人がおられれば伺えたのにとなった。どちらでも読者が自由に解釈すればよいと思うが、筆者は、嶋田さんが女性で「任せておけ」という台詞や「ガッツ」という言葉が男性的であることから後者であると考える。嶋田さんのご主人がご病気をされたと伺ったことがあるので、ご主人のことなのかもしれない。かつて元気でたくましかった夫が病気で気力も弱くなってしまい寂しく思われて詠まれたのだろうか。筆者は「空の彼方か」は嘆きだと解釈した。
 
  はらはらと初雪の降る嬉しさに
     八十路超えても幼子のごと 艶子
 
 本日欠席の櫻井艶子さんの作。雪国ではうんざりするだろうが、そうでない地域ではこの歌のように雪が降ると多くの人は何だか新鮮でうれしい気持ちになるのではないか。
 
 初句の「はらはら」という擬態語が議論になった。雪にまつわる擬態語としては「ちらちら」「はらはら」「しんしん」「こんこん」などが思いつく。濱野会長が斎藤茂吉の歌に言及された。
  現身のわが血脈のやや細り
     墓地にしんしんと雪つもる見ゆ 茂吉
 
 やがて自分も墓に入るだろうと思いながら雪がしんしんと降るのを見ている茂吉の歌は秀逸だが暗い。櫻井さんの歌は明るくて救いがあると濱野会長は仰る。並べてみるとよくわかるが、同じ雪でもやはり櫻井さんの歌は「はらはら」、茂吉の歌は「しんしん」でないとしっくりこない。「はらはら」にどこか違和感をもたれた方もおられたが、それはコロケーションのためかもしれない。「はらはら」の場合、「降る」よりも「舞う」という言葉と使われることが多い。
 
  コロナ禍に追い打ちかけるオミクロン
     備えし武具の盾にて守る 晴美
 
 田所晴美さんの作品。戦国の世の雰囲気を醸し出すような言葉の使用が工夫されていて個性的な歌である。「備えし武具の盾」とはワクチンのことか。「追い打ちかける」も戦にまつわる言葉で上句と下句がつながっている。小さすぎて電子顕微鏡を使わないと見ることはできないが、コロナウィルスの表面にはスパイクと呼ばれる無数の突起があり、なるほどあのトゲトゲの姿は甲冑のようにも見える。まさに戦か。視覚的イメージを膨らませて詠まれた歌なのかもしれない。
 歌会を終えて別室に移り新春の宴を催す。地の食材を活かしたでぐち荘さんのお料理にはいつも感動する。うかがったところでは出来合いのものは一つもなくすべて手作りされているとのこと。お漬物ひとつにしてもやさしい味がする。立派な活きあわびをバター焼きにしていただく。一匹まるごとの活きあわびなどなかなか食べられない。筆者は、あわびは刺身よりも焼きの方が柔らかい食感で好みである。極上の味。お刺身、なまこの酢の物、金目鯛入りの鍋、牡蠣、さざえの壺焼き、エビフライに茶碗蒸しなどどれも美味しい。シンプルなふろふき大根も絶品だった。品数も多く盛りだくさん。食べきれない場合には持ち帰るためのパックまでいただける心配りがうれしい。
 
 お腹も心も満たされてでぐち荘を出ると、西の空は茜色に染まり夕日が沈みかけていた。小さい頃に聴いた童謡「夕日」では、夕日が沈む擬態語は「ぎんぎんぎらぎら」だった。たしかに海面に映る夕日などは波に揺れて反射してそんな感じだろうが、いつも海を見ているとは限らない。では、どんな擬態語がよいだろうか。残念ながらよい語が思いつかなかった。擬態語や擬音語もうまく使えば歌に彩りが加わり効果的なことを今回の歌会で学んだ。
日本浪漫歌壇 夏 水無月 令和三年六月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会の当日は雨だった。関東地方も数日前に梅雨入りが発表されていたので雨が降るのも仕方がない。雨が続くことで逆に六月になったことを実感する。梅は春の季語だが六月に雨が続くことを梅雨と書くのはなぜだろう。しかも梅雨と書いて「つゆ」と読む。気になったので辞典で調べてみた。花ではなく実に関係していた。梅の実が熟す時期に降る雨を中国の長江流域で「梅雨」と読んでいたのが江戸時代に日本に伝わったとされるようだ。しかし諸説あるとのこと。この時期の雨をもともと日本では五月雨と呼んでいた。梅雨の字を「つゆ」と呼ぶようになったことについても「梅の実が熟して潰れる『潰ゆ(つゆ)』からや「カビで物が損なわれる『費ゆ(つひゆ)』からなど諸説あって、要するにはっきりわからないのである。今年は例年より一週間ほど遅い梅雨入りとなったが、明けるのはいつになるのだろうか。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、六月十九日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子の四氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の桜井艶子、清水和子、玉榮良江、田所晴美の四氏も詠草を寄せられた。
 
  東海の益荒男成りしマスターズ
     亡き夫ならばいかに思ふや 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。ゴルフのメジャー大会である「マスターズ」で松山英樹選手が日本人として初優勝を果たした。亡き夫はゴルフが好きだった。もし彼が生きていてこの快挙を知ったとしたらどんなに喜んだであろう。ゴルフのニュースに亡くなった旦那様のことを思い出されながら詠まれた一首。
 最近では野球の大谷選手やテニスの大坂選手など世界の第一線で活躍する日本人アスリートも登場しているが、体型によるものなのか長い間スポーツ界では日本人が活躍できなかった。いわゆる「世界の壁」があった。加藤さんによれば、とりわけ男子ゴルフはこの「壁」が高く、これまで幾多の日本人トップ選手が挑戦しても誰もメジャー大会で勝つことはできず、マスターズ制覇は男子ゴルフ界にとって祈願だったとのこと。
 
  ワクチンの接種予約は成功も
     スマホ操作に奮闘五時間 光枝
 
 この歌を詠まれた嘉山光枝さんはワクチン接種の予約にとても苦労された。嘉山さんのお話では、予約電話は混み合って一切つながらないため、スマホによるネット予約を行ったが、操作法がわからなかったり不具合が出たりして完了するまでに五時間もかかったそうである。
 この歌においては、他でもない「五時間」というのが秀逸である。結句にキレを出すためには一音になる数字を選ぶことになるが、二、四、五、九とある中でさすがに九では長すぎる。次に長く、奇数の五が最善だろう。筆者の私感だが、偶数は奇数よりも安定感があり優しい印象を受ける。奇数の「五」という数字が「奮闘」という言葉と相まって、慣れない作業への不安や苛立ち感を上手く醸し出している。
  コンビニの防犯カメラに燕の巣
     親鳥ひたすら餌をはこびくる 尚道
 
 三宅尚道さんの作で実際に目にした光景を詠んだもの。誰もが一度はつばめの巣を見たことがあるだろうが、さすがに防犯カメラの上の巣はないだろう。「防犯カメラという人間が同じ種族の人間を疑って取り付けている装置にお構いなしにつばめが巣を作るのが、人間をあざ笑っているかのようでとても面白い」というのは濱野会長のお言葉。
 
  くちびるや歯牙にまとひし言の葉を
     秋風に舞ふ瞳に告げをり 成秋
 
 濱野成秋会長の作。この歌は次の松尾芭蕉の俳句の本歌取り。
  
  物いへば唇寒し秋の風 芭蕉
  
 濱野会長によると、芭蕉はこの句の詞書で、余計なことを言うと災いを招くので言葉を発するときは注意しなさいと説いたそうで、俳聖ともあろう人物が詩歌でごく当たり前の市井の道徳を説いていることにがっかりしたと仰る。自分をさらけ出してこそ文学であろうと。
 人間はときに他人を非難したくなるが、「まとひし」と表現したようにたいていその言葉を声に出すことはしない。では非難しないかと言えば、否である。目は口ほどに物を言うというように、口では言わず、目で告げて非難しているのである。そんな嫌らしい我が心を見てくださいという歌であるとのご説明。参加者の皆さんも確かに人間は目で物を言っているが、とくに日本人の場合はそれが強いのではないかとのご意見であった。
  
  スーパーの入口にある貼り紙に
     「トンビに注意」今日は梅雨入り 良江
 
 作者は本日欠席の玉榮良江さん。ご本人に伺うこと出来なかったので、歌の内容についてはわからないが、実際に張り紙がされていたのをご覧になったのだろう。三浦ではとんびはよく見かけるそうだが、さすがにスーパーという場所との組み合わせは意表を突くもので、強く印象に残ったために歌に詠まれたのではないか。
 
  夕空に生気みなぎる点描画
     騎虎の勢ひむくどりの群れ 裕二
 
 筆者の作。毎年この時期になると住んでいる街の駅前にむくどりの群れがやって来る。その数たるや驚くほどで、鳴き声も大きくて人の話し声も聞こえないほどである。何かの拍子に一斉に飛び立つと右に左に旋回し、その光景は巨大な点描画が動いているかのようでその迫力に圧倒される。実際にむくどりの群れをご覧になったことのある嘉山さんより「まさにこの歌のようだった」というお言葉をいただいた。
  小雨降るブーゲンビルに鎮魂す
     万葉の歌父と捧げん 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。筆者は太平洋戦争の激戦地としてガダルカナル島という名は何度も聞いたことがあるが、同じソロモン諸島のブーゲンビル島については初めて聞いた。嶋田さんのお父様は戦争中にこのブーゲンビル島におられたので、戦後は島を訪れることなく亡くなられたが、きっと訪れたかったのでは。そう思われた嶋田さんは今から十二年ほど前にお父様の魂と一緒に行くつもりで、ブーゲンビル島に慰霊の旅をされた。本作はその旅の歌である。「万葉の歌」とは『万葉集』にある大伴家持の歌から詩が採られた『海行かば』のことだろう。
 
  九時に寝る忙しき頃の夢を見て
     五時四〇分 今日も日曜 和子
 
 清水和子さんの詠まれた歌であるが、ご本人が本日は欠席されていて内容について詳しく伺うことはできなかった。五時四十分というかなり細かい時間に何か特別な意味があるのだろうか。忙しくしていた頃には夜は九時に寝て翌朝早く起きていた。今は早く起きる必要がないのにその頃の夢をみて五時四十分に目が覚めてしまったという実体験を詠った歌だろうか。
 
  木漏れ陽の光鋭く空を裂く
     心ふるえる白内障オペ 艶子
 本日欠席の桜井艶子さんの作品。白内障の手術をしたことのある三宅さんはこの歌の「光鋭く」の部分などがよくわかると仰る。友人の加藤さんのお話では、桜井さんが手術を受けたのはこの歌会の前日とのことなので、歌は手術前に詠まれたことになる。「木漏れ陽」や「空」というあまり手術とイメージの重ならない言葉に「鋭く」や「裂く」のような言葉を組み合わせて下句の手術とイメージを繋げ、全体がうまくまとまるように工夫されている。
 
  クラス会年重ねたる老の身を
     忘れ乙女にもどるひと時 晴美
 
 加藤さんのご友人の田所晴美さんの歌。田所さんは千葉にお住いで、三浦で行われる歌会に参加することは難しいため投稿でのご参加となった。クラス会では皆が当時に戻ってしまうのは、クラス会に出席すれば誰もが経験することではないだろうか。クラス会での楽しい笑い声が聞こえてきそうな誰もが共感できる素晴らしい一首である。
 
 今回も皆さんの歌から多くを学ぶことができた。とくにお父様と戦争・平和への思いが込められた嶋田さんの歌を拝読して、平和であることが当たり前のように生きてきた筆者やさらに若い世代は戦争の記憶を風化させてはいけないと思った。戦没者追悼式で現在の上皇と天皇が「おことば」で毎回「過去を顧み、反省し、再び戦争が繰り返されないことを願う」と述べられていることを思い出した。本日も充実した歌会であった。