日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和五年一月二八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 数日前から日本列島はこの冬一番の寒気に包まれ、西日本や日本海側では雪が降り続いて交通にも影響が出ている。歌会の行われる三浦市は晴れて穏やかな天気で会場の目の前の諸磯港から見える相模湾の海の色は美しいコバルトブルーだった。少し先の消波ブロックには釣り人の姿もある。雲に隠れて富士山が見えなかったのが残念だった。
 歌会は一月二八日午後一時半より民宿でぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の六氏と河内裕二。三浦短歌会の加藤由良子、清水和子、加藤さんのご友人の田所晴美の三氏も詠草を寄せられた。
 
  押し詰まる都心のホテルの二十階
     昼の月見つ無心で泳ぐ 由良子
 
 作者は本日欠席の加藤由良子さん。昼間にホテルのプールで泳いでいるとガラス窓から月が見えた。その体験を詠まれた。情景描写が巧みで読者は自分もその場に居るような感覚になる。三十一文字の短い歌の中に多くの情報が盛り込まれ、その順番も効果的になるように工夫されている。ホテルの高層階にプールを思い浮かべる人はまずいない。最後にプールであることがわかった時の意外性やインパクトは大きく、さらにもう一味加わる。
 
  四十年わたしのそばにはコーヒーの木
     夜半に目覚めて共に息する 和子
 本日欠席の清水和子さんの歌。現在お住まいのホームに東京から引っ越してくる際にコーヒーの木を持ってこられた。暖かい地方の植物なのでお部屋の中で育てておられて、一人暮らしの清水さんにとっては一緒に暮らす家族のような存在なのだろう。ペットの動物では四十年の年月を共にすることはできない。長く生きられる植物ならではのことで、コーヒーの木というのもおしゃれな清水さんらしい。
 
  年始め奏でるリズムは軽やかに
     軒の干し柿かぜに踊りて 裕二
 
 筆者の歌。今年も正月には故郷に帰省した。実家には干し柿が吊り下げられていて、聞くと父親が作ったとのこと。正月はやはりおめでたい気分になる。今年が良い年になるように願いながら、元旦ぐらいは家族と楽しく過ごしたいという気持ちで詠んだ歌である。内容と同様に歌自体も軽やかな感じにした。
 
  二年ぶり娘と共に映画見る
     ひと時なれど気分転換 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。娘さんと一緒に映画を観に行くのが好きでよく映画館に出かけていたが、コロナ禍になって足が遠のいていたそうである。先日二年ぶりに映画を観に行かれ、その時の気持ちを詠まれた。上映されていたのは『すずめの戸締まり』というアニメ映画で、ご覧になって涙されたとのこと。歌の中で映画について言及するのも一つのアイデアだが、娘さんと出かけて気分がリフレッシュされたことを第一に伝えたいため、その点をストレートに表現されている。結句の「気分転換」があまりにストレート過ぎて何か別の言葉の方がよいのではないかと悩まれたそうだが、これはこれで潔ささえ感じてよいだろう。確かにありふれた言葉ではあるが、コロナ禍でありふれたことができなかった状況に対して、ありふれたことができるようになったのをありふれた言葉の使用で表現すると解釈すれば納得できるだろう。
  新春にひはるを寿ぐ賀状を断りて
     友よ咲く花いかに愛しも 成秋
 
 濱野成秋会長の歌。最近は年賀状に今回で最後にしたいと書いてくるものが届くようになった。「もう出しませんから」というのはすなわち「あなたも私に出してくださるな」というメッセージである。賀状を出す、出さないをどうしてそちらに決められなければならないのか。年賀状は単なるはがきの交換ではない。心の交流である。長く続けてきた人であればなおさらで、それを突然一方的に破棄するとはどういうことなのか。
 春に花が咲いてきれいだと思う気持ちがあるのならば、新春を寿ぎたい気持ちはわかるだろうという下句は言い得て妙で、たがか年賀状ではなく、それすら拒むのであれば本当に友人と言えるのか。出す側にも理由はあるのかもしれないが、受け取る自分の気持ちを考えてもらえなかったことが悲しい。大事なのは心なのである。
 
  遊女らの身投げせしとう八景原の
     彼方に風車が静かに回る 員子
 
 作者は羽床員子さん。八景原は三浦半島の先端にある断崖絶壁の場所で下は波の荒い磯になっている。三崎の遊女や自殺志願者が身を投げた場所として地元では有名である。現在は草などが生い茂って入れないようだが、そこを訪れたことのある嘉山さんによると落ちたら間違いなく助からない高さとのこと。この八景原の少し先に風力発電用の大きな風車が二基立っている。悲しい歴史と現在注目の再生可能エネルギーの象徴である風車が「八景原」という言葉で取り合わされる。死者と風車の取り合わせは、青森の恐山菩提寺を思い浮かばせる。日本三大霊山の一つ恐山にある菩提寺の境内には死者の供養のために風車(かざぐるま)が置かれていて風で回っている。
 
  初春に良しと思ひしことあれど
     尚求めては思ひ煩ふ 滿美子
 作者は岩間滿美子さん。ご自身のお気持ちを詠まれた。人の煩悩には限りがない。誰もが納得であるが、筆者はこの歌をあまりネガティブな内容とは捉えなかった。たとえば欲望にしても、それなくしては向上心も生まれないだろう。この歌が詠めることは、作者は自己を客観的に見ることができ、自制ができるのを示している。内容、言葉使い、どれを取っても歌として完成されている。
  
  寒中といえどいくらか暖かし
     取り残したる里芋を掘る 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。写生句である。三宅さんの畑は土があまり良くないために野菜の育ちが悪く、イモでもジャガイモならまだ育つが、里芋は育ちが悪い。里芋は収穫時期を過ぎても収穫せずに放置しておいたそうで、それを最近気温が少し暖かくなったので掘ってみたとのこと。
 この歌に出てくる野菜は里芋である。お正月の煮物に里芋は欠かせない。実際に掘ったのがそうであったにしても、一月の歌会の歌に里芋以上にふさわしいものはないことを作者はわかっている。それをさりげなくやるところがさすがである。
  
  二人から始めたかけっこ五十年
     今十五人よーいどんそれ! 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。一見ジョギングの愛好家仲間の話かと思うが、五十年とは長すぎてどういう状況なのか想像するのが難しい。実はご家族のことを詠まれている。お正月に体育館を借り切ってご家族で運動をされた。その時にみんなでリレーをし、その人数をかぞえると十五人であった。この十五人のご家族は、最初は嶋田さんご夫婦の二人から始まった。来年でご結婚して五十年を迎えるそうで、説明をうかがって納得した。
 「かけっこ」「よーいどんそれ!」のような言葉使いが、小さなお孫さんまで含めてみんなで元気よく走っている様子を生き生きと伝える。幸せがあふれる歌である。
  鯵を焼く昨日も今日も鯵を焼く
     友の笑顔に一味そえて 晴美
 
 田所晴美さんの作。作者の田所さんは加藤由良子さんのご友人で、歌にある「友」とは加藤さんのこと。加藤さんから送られてきた三崎の鯵の干物を田所さんが毎日召し上がっている歌だが、上句はややコミカル、下句でお二人の素晴らしい友情が示され、心温まる歌となる。軽快な言葉のリズムもお二人の関係を表していて、これまでも、これからもこのよい関係が続くこと暗示している。
 
 歌会を終え、別室に移動。楽しみにしていた新年会が始まる。地元の食材を活かしてすべて手作りされる料理には毎回感動する。メニューは昨年とほぼ同じであるが、それがまたよい。一年経つとさすがに味の記憶は少し薄れていて、食べる毎に「そうこの味」と記憶が甦ってくる。これも楽しみの一つである。美味しい食事と楽しい会話で充実した時を過ごし、お腹も心も満たされて宴を終えた。
 でくち荘を後にして、羽床さんのお店「羽床総本店」の加工場と店舗を訪れて、説明をうかがいながら見学させていただく。こだわりの材料を使って手仕事で丁寧に魚の味噌漬けと粕漬けを作られている。大正十二年の創業で百年続く老舗である。
 何かを受け継いでいくことは大変である。思えば私たちを結びつけてくれた短歌は、『万葉集』が七世紀から八世紀の編なので約千三百年も続いていることになる。