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 令和二年二月二十六日掲載(No.1926)
        濱野成秋
 
終戦の想い出(これはホームページ冒頭の一首のプロトタイプ)
いくさ敗れ父母哭き稚児の稲田里いま他人よそびとの我勝ちに住み
 
秋となり
稲束を潜り潜りて田螺たにしとり野井戸近きに母駆けつけて
 
冬となり
戦ひの過ぎにし朝の貧しけれ市にて交わす息凍りたる
 
栄養失調にて吾は幼時きわめて虚弱にて
われ七つ九つ十五も黄泉想ひいま八十路にてなほ先暗し
 
同年齢に他界した父の心知りたく思はれ
父君ちちぎみの遺せしノオト読みたしと書棚さぐれど指空しけり
 
戦跡後年父他界の年齢に達し三浦半島に住まいして近隣を訪ね
キャベツ畑巡り下りて洞穴の基地入り口にくさむらむら
箱根口の茶屋にてお茶事あり。青葉若葉の陽春なれど
わかの陽黒文字折りたる吾指に落つる病葉行く末語るや
箱根口嫩葉に集ふ同人の作る歓び尽きぬ語らひ
 
☆本日の締めとして本歌取りを追加いたします。
 
本歌(茂吉『白き山』より)
最上川みづ寒けれや岸べなる浅淀にしてはやの子も見ず
 
本歌取り(成秋)
最上川岸辺に凍る稚魚のかげ追へる吾身の行方しれずも
 
推薦歌
☆本学会はむやみにカタカナをつかうなどして奇をてらうを歓ばず、常に作者の真心の発露を歓ぶがゆえに、左記の歌を参考とされて作歌されたい。
 
ぬば玉のふくる夜床に目ざむればをなごきちがひの歌ふがきこゆ  茂吉
 
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる  茂吉
秀句二題
 
山路来てなにやらゆかしすみれ草  芭蕉
山路来て独りごというてゐた  山頭火
 
☆この二句を味読されて後に私の雛型エッセイ「山路来て二題」を読まれて参考にしてください。
 
助言・作歌について
本万葉集は時代色を大事にします。次に親子の心の結びつき、次に生死に対して真剣に取り組む姿勢を良しとします。そこに季節や自然の移り変わりの情景が描かれていればなおのこと結構に思います。成秋

2020.2.26

“山路来て”二題

会長 濱野成秋

2013年の頃か、私は京都外大で若者相手に俳句を二つ黒板に書いた。日本文化を紹介するアウトバウンド教育の一環である。

山路来てなにやらゆかしすみれ草 芭蕉

山路来て独りごというてゐた 山頭火

松尾芭蕉は江戸元禄期に活躍し、こんにちも俳聖として名高いので、君たちも高校時代に国語の時間に学んだはず。この句を知っている人は?

手を挙げさせると、25人クラスで、ほぼ全員が手を挙げた。

では山頭火を知ってる人? 手を挙げたのは8人。ほかにどんな句があるかい、言える人? だれも手が上がらない。

じゃあ、この山頭火ってどんな人か、もうちょっとでも知ってる人は?

何人かいた。入試の参考書に出てくるから覚えた程度である。そこで山頭火は山口県防府の人で造り酒屋の息子、早稲田を出て家業が順調なら家の跡継ぎをして裕福に暮らせたはず。だけど酒の醸造で失敗して腐らせ大きな借金を抱え、おまけに父親の乱行がたたって母親が家の井戸に入水自殺するという、たいへんな不幸に見舞われた。以来、家を出奔、乞食僧となって行脚、こんな、五七五もろくに揃わない俳句ばかりをつくって、生きるか死ぬるか、瀬戸際を歩いた人だ、と説明した。

さてそこで、君らに訊こう、この二句のどっちがいいかい? どっちに感動するかい?

手を挙げさせた。評価は? 半々ぐらい? ナナサンで芭蕉に? いやその反対?

読者諸君なら、どっちの方が感動的ですかね?

意外だった。京都外大の学生25名は全員、山頭火の句の方がはるかに感動的だというのだ。いや意外でないのかも。現在、山頭火の句碑は郷里近郊で90近くあり、全国では500基もある。日本人の感性にもっとも合うのは権威ぶらない山頭火だといわれる。

若者は正直だ。好ましい。俳聖だから立派だ、シェイクスピアだから立派だ、師匠の作だから優れている、などとはいわない。いい加減な大人はシェイクスピアがなぜ良いのか分からないが、それは多分、自分自身に理解力や感性が乏しいせいなのだと片付ける。それがいけない。われら令和オンライン万葉集の同人は感性で生きよう。山頭火の一句に、風の中おのれを責めつつ歩く、というのがあるが、筆者は幼少より毎日実行している。