日本浪漫歌壇 夏 文月 令和七年七月十二日
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
七月十二日と言えば、今から百年前の一九二五年、東京放送局(現NHK)が東京・愛宕山でラジオの本放送を開始した日である。すでに三月から別の場所で仮放送が行われていたが、七月に愛宕山に新局舎が完成し、本放送へと切り替わった。これはわが国における本格的な放送事業の幕開けであり、七月十二日は「ラジオ本放送の日」として記念日に制定されている。現在ラジオにはどれくらいのリスナーがいるのかはわからないが、筆者のように日常的にはほとんどラジオを聴かなくても、災害時の備えとして所有している人は少なくないだろう。そもそも日本のラジオ放送の開始が急がれた背景には一九二三年の関東大震災の経験があった。災害時には情報伝達が重要である。その手段としてラジオは有効であり、それは今もなお変わらない。
歌会は七月十二日午後午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、安田喜子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、ジュン葉山の九氏と河内裕二。
暑き日に亡夫の祥月墓参り
香花供え暫し手を合わせ 光枝
作者は嘉山光枝さん。ご主人が七月に亡くなっているので今月が祥月になる。少し遠いためになかなかお墓参りには行けないが、せめて祥月ぐらいはと暑い中お参りに行ったことを詠んだ歌である。ご主人は生前には歌会に熱心に参加していた。活動は六十代で亡くなるまで約四十年間にも及ぶ。現在は奥様の光枝さんが活動を続けている。叙述的な歌でやや説明的な印象を受けるが、亡き夫を偲ぶ素直な気持ちは伝わってくる。技巧的でない分かえって愛惜が強く感じられる。
前の席に礼儀正しき男達
帽子にペガサス自衛隊と云う 由良子
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
七月十二日と言えば、今から百年前の一九二五年、東京放送局(現NHK)が東京・愛宕山でラジオの本放送を開始した日である。すでに三月から別の場所で仮放送が行われていたが、七月に愛宕山に新局舎が完成し、本放送へと切り替わった。これはわが国における本格的な放送事業の幕開けであり、七月十二日は「ラジオ本放送の日」として記念日に制定されている。現在ラジオにはどれくらいのリスナーがいるのかはわからないが、筆者のように日常的にはほとんどラジオを聴かなくても、災害時の備えとして所有している人は少なくないだろう。そもそも日本のラジオ放送の開始が急がれた背景には一九二三年の関東大震災の経験があった。災害時には情報伝達が重要である。その手段としてラジオは有効であり、それは今もなお変わらない。
歌会は七月十二日午後午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、安田喜子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、ジュン葉山の九氏と河内裕二。
暑き日に亡夫の祥月墓参り
香花供え暫し手を合わせ 光枝
作者は嘉山光枝さん。ご主人が七月に亡くなっているので今月が祥月になる。少し遠いためになかなかお墓参りには行けないが、せめて祥月ぐらいはと暑い中お参りに行ったことを詠んだ歌である。ご主人は生前には歌会に熱心に参加していた。活動は六十代で亡くなるまで約四十年間にも及ぶ。現在は奥様の光枝さんが活動を続けている。叙述的な歌でやや説明的な印象を受けるが、亡き夫を偲ぶ素直な気持ちは伝わってくる。技巧的でない分かえって愛惜が強く感じられる。
前の席に礼儀正しき男達
帽子にペガサス自衛隊と云う 由良子
