投稿

日本浪漫歌壇 春 皐月 令和六年五月十八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 数字を語呂合わせにするのはよくあることで、本日五月十八日は、「五」と「十」と「八」で「ことば」となり、日本記念日協会は五月十八日を「ことばの日」としている。同協会によると、「ことばの日」としたのは、「ことば」を大切に使い、「ことば」によって人と人とが通じ合えることに感謝し、「ことば」で暮らしをより豊かにすることが目的とのことである。歌会を行うのにこれ以上ふさわしい日はないであろう。
 歌会は五月十八日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の嶋田弘子氏も詠草を寄せられた。
 
  春野菜いく種も並ぶ無人店
     新じゃがを買い今日の夕餉に 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。無人販売で自動販売機などを使わずにお客自身が商品代金を置いてゆく場合、不正が行われないことを前提としているが、残念なことに実際には売上合計が少ないことがほとんどだそうである。それでも無人店で販売するのは、商品を安く提供したいからで、それは買う方にとってもありがたい。嘉山さんもよく利用するとのこと。新鮮な野菜が安く買えて、それを美味しくいただく。一部の心ない人のためにそれができなくならないか心配しながらこの歌を詠まれた。
 
  スーパーでママの買い物待つパパの
     幼はパパの股くぐり遊ぶ 由良子
 作者は加藤由良子さん。実際にスーパーで見かけた家族について詠まれた歌である。混み合った店内で母親が買い物をするあいだ父親と子供が持っている。子供はまだよちよち歩きでとても可愛く微笑ましい光景だったそうである。「スーパー」「ママ」「パパ」とカタカナ語の響きが良いリズムを奏でていて単調な調子になるのを避けている。
 
  なぜなぜと動かぬ体に腹を立て
     九十五年の感謝忘れて 和子
 
 清水和子さんの歌。年をとれば誰でも体の動きは悪くなる。それを嘆くのではなく怒るところに作者のエネルギーが感じられ、まだまだお元気なのが伝わってくる。しかも下句で怒った自分を客観視する冷静さも示され、体だけでなく心もお元気である。清水さんでなければ詠めない歌である。
 
  朝夕べ野栗鼠は来たりわが庭の
     夏柑食す五月の御馳走 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。三浦にはリスがたくさんいて、人にも慣れていて家の庭などにも平気でやって来るそうである。作者は実際に庭の夏柑を食べられたが、わざわざ食べに来るのだからあの酸っぱい夏柑もリスにはごちそうなのだろう。しかも頻繁にやって来る。リスはその体型や動きが可愛らしく見えて得をする。食べられても何だか許したくなってしまうのではないだろうか。歌からは怒りは全く感じられない。リスにどこか癒やされているようでもある。
 
  なりふりも構はず急ぐ若者の
     睨みつけたる赤信号機 裕二
 筆者の作。朝の通勤・通学時間帯に歩道を全力で走っている若者を見かけた。制服姿なので高校生である。寝坊でもしたのか、遅刻を免れるために必死なのだろう。自分も高校生の時には同じような悪あがきを何度もくり返したので気持ちがよく分かる。そんな一刻を争う時に信号が赤になると怒りが込み上げてくる。さらに行く先々でも赤信号となるとやがて怒りが絶望に変わる。真剣な高校生には申し訳ないが、昔の自分を思い出して、懐かしく可笑しい気分になった。
 
  飛鳥川子等と遊びし日々もとめ
     歩めど叫べど天空深し 成秋
 
 濱野成秋会長の作。明日香村は風致地区なので今でも田んぼなどが残っていて美しい風景が広がっている。作者はおばのお墓もあり、明日香村を訪ねた。子供の頃に飛鳥川で遊んだことがあるが、その時に一緒に遊んだ子たちはどうなったのかなどと思って、今その場所を歩いてみても、彼らの名前を叫んでみても当然誰もいない。思い出だけが自分の中に残る。歴史的なものが多く残る場所で、詠まれていることが味わいを深めている。さらに結句「天空深し」で時間的だけでなく空間的にも広がってゆく。
 
  年老いた我を見つめる娘居り
     娘のくるを見つけた我居て 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。母親、自分、娘に渡って重なる歌で、それぞれが同様の経験をしていると思えば、「我」と「娘」は自分と娘であり、また母親と自分でもある。
みな年をとるが、母が老けるのを見る娘は寂しい気持ちで、娘が老けたのを見る母親は複雑な気持ちだろう。自分と娘のことであれば話は単純だか、そこに自分もかつて娘だったという視点を持ち込むことで時間軸を変えて、自分の母親をも含めるのが作者の非凡なところである。
  白樺の新芽の葉先の雨粒が
     真珠となりて朝日に耀う 員子
 
 作者は羽床員子さん。光景が目に浮かぶ。四句はもともと「ひとつぶ降りて」という句を考えられたが、「真珠となりて」に変更された。この変更がなければ、美しい言葉は並ぶものの説明文になっていた。「真珠となりて」を入れたことで説明文になるのを回避し、趣のある詩となった。
 
 短歌は身近なことを詠うことが多い。三浦の歌会では野菜などの食べ物が歌によく出てくる。周りには畑も多く、家庭菜園をしている方もおられるので、そうなるのだろう。今回も嘉山さんと三宅さんの歌には出てきている。考えてみると、筆者には食べ物に触れた歌が極端に少ない。おそらくあってもわずか二、三首だろう。人間にとって最重要で理解や共感を生みやすい食べ物をうまく活用すれば、歌の幅が広がるのではないか。そう思った。
日本浪漫歌壇 春 卯月 令和六年四月二十日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 今年は三月下旬に寒の戻りがあり、桜の開花が平年より遅くなった。日本では入学式に桜というイメージがあるが、温暖化の影響なのか近年は開花が早まる傾向にあり、ここ何年も満開の桜の下で入学式を迎えたことはなかった。そもそも四月入学は世界では日本ぐらいのもので、会計年度が四月から始まるのでそれに合わせたためである。ただ、満開の桜ほど入学を祝う雰囲気にふさわしいものもなく、今年は久しぶりにイメージ通りの入学式になり喜ばしい気持ちになった。今後温暖化が進み、桜の開花がさらに早くなっていけば、いずれは桜が卒業を祝うものになるのかもしれない。
 歌会は四月二十日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の七氏と河内裕二であった。
 
  「良くぞケッパッタ!」の声援とんで
     六十才差の尊富士まぶし 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。大相撲春場所で百十年ぶりに新入幕力士で優勝を飾った尊富士の相撲から目が離せず、見られないときには録画までして每日欠かさずに見たとのことである。尊富士の出身地である青森の方言で「がんばった」を「けっぱった」と言うらしく、最終日の場内で一際大きく「よくぞけっぱった」という声援がとんだ。作者には孫よりも若い力士の活躍が眩しかったそうである。尊富士というしこ名もよい。来場所も楽しみである。
  ピカピカの一年生等帰り道
     話しに夢中歩み進まぬ 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。光景が目に浮かんでくる。「ピカピカの一年生」とは小学一年生向けの雑誌のキャッチフレーズでもあったと思うが、これほど入学したばかりの小学生をうまく表現できる言葉もない。新入学で学校では緊張感もあるだろうが、帰り道にはそれから解放されて仲の良い友人と楽しく話しながら家に戻る。時代を超えて見られる光景だろう。しかし最近は少子化で子供の数も少なくなったので、多くの地域ではクラス数も減っていて、新一年生もみなよく知った者同士という感じなのではないだろうか。いったいどんな話をしているのかなどと考えてみても楽しい歌である。
 
  電車来て乗る私にあたたかき
     手を差しくれし忘る日はなし 和子
 
 清水和子さんの歌。電車に乗るときに前に並んでいた人が振り返って手を差し出してくれたことがあった。その手の温もりが忘れられないという歌である。電車とホIムには隙間や段差があり、年配の方は乗り込むときに緊張する。手を貸してくれるというささやかな気配りは、自分も大事にされているのだという気持ちにさせてくれる。最近では、お年寄りに席を譲ったり、困っている人に手を差し伸べたりするのが当たり前ではなくなってきているのかもしれない。電車やバスに乗っても周りを見ている人はあまりいない。ほとんどがスマホの画面をのぞき込んで「自分だけの世界」に入っている。人の優しさを感じるのが難しい世の中になってきているようで残念である。
  たれが我を分かろうか我にしか
     分からぬこの我教えて我よ 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。「我」という言葉が繰り返され、どこか鬼気迫る感じすらする歌である。自分は何なのか自分自身に問いかけるも、その答えは見つからない。しかし問いかけずにはいられない。筆者はこの歌を読んで、デカルトの「コギト・エルゴスム」(われ思う、ゆえにわれあり)を思った。すべてを疑っても、疑っている私という存在を疑うことはできない。つまり自分とは何かと考えること自体が、自分が存在することを示している。作者はデカルトを意識してこの歌を詠まれたのだろうか。三宅さんは釈迦の「天上天下唯我独尊」を思われたそうである。
 
  利休梅小道の庭に咲き満ちて
     白無垢姿の花嫁のごと 員子
 
 作者は羽床員子さん。知り合いの方の庭に咲いている梅があまりにきれいだったので、何という梅なのか尋ねたら「利休梅」という名前だった。梅の花は桜と違ってどこかかわいらしいところがある。その白い花を白無垢姿の花嫁に例えられたのは納得である。
 
  桜散りて花見を想う常日頃
     時の罪人つみびといとひて久し 成秋
 
 濱野成秋会長の作。花見を想っても桜はもう散っている。何かをやろうとしても時はめまぐるしく進んで行き、何もできずに一日が終わってしまう。決してわれわれを待ってはくれない。時は罪人でいとわしいと作者は昔から思っている。「時の罪人」という表現は独特だが、誰もが時間の過ぎるのは早いと感じているもので、強く共感できる歌になっている。
  身命は何故なにゆえさよう儚きや
     思ひ嘆けば月はかたぶき 裕二
 
 筆者の作。「身命」は「しんみょぅ」もしくは「しんめい」と読み意味は文字通り「身体と生命」である。人の命はいつ終わるのか分からない。若くして亡くなった人のことを聞くと気の毒な気持ちになるとともに自分はまだ大丈夫という思い込みなど全く無意味であることを思い知らされる。突然の病で亡くなるかもしれないし、健康に気をつけていても事故で命を奪われるかもしれない。今日眠ったら二度と目覚めないかもしれない。自分もいつかは亡くなるのだというような悠長な気持ちではいられなくなり、明日亡くなったらどうなるのか。そんなことを考えていたら夜が明けてきた。
 
  四月にてはや夏日なり眠られず
     猫の如くに廊下に眠る 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。犬や猫は汗を分泌する汗腺がないので暑さにはたしかに弱いだろう。作者が猫のように廊下で寝ている姿を想像すると笑える。飼い主が寝ているところに猫も来て寝ていたらさらに面白い。まだ四月。夏になってさらに暑くなったときにはどうするのか心配になる。
 
 今回の加藤さんの歌にはしこ名ではあるが、人物の名前が登場する。歴史上や伝説上の人物であればまだしも、現存する人物の名前を作品に入れることには、筆者はどこか抵抗感がある。しかし具体的な名前があげられても、人物を讃えて、想像をかき立てるような歌のできることが加藤さんの作品でわかった。人名の含まれる歌にも今後は挑戦してみたいと思った。
日本浪漫歌壇 春 弥生 令和六年三月十六日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 インターネットで「今日は何の日」といった記念日を紹介するサイトを見ると、三月十六日は「国立公園指定記念日」となっている。一九三四年の三月十六日に日本で初めて国立公園が指定されたためである。場所は瀬戸内海、雲仙、霧島の三箇所である。それ以来、いくつもの場所が国立公園に指定され、現在では全国に三十四箇所もある。国立公園は国が管理するが、都道府県が管理する国定公園というのもあり、そちらは現在五十八箇所が指定されている。世界で初めて国立公園に指定されたのはアメリカのイエローストーンで一八七二年のことである。貴重な自然が国立公園として守られるのはよいことだが、裏を返せばそうしないと守られないということで、そう考えると寂しい気分になる。歌会を開催している三浦の自然もいつまでも残ってほしい。
 歌会は三月十六日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の七氏と河内裕二であった。
 
  申告を済ませ厳寒を戻りくれば
     河津桜のほころびており 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。寒い中、確定申告を済ませて帰ってくるとお家の近くで河津桜が咲いていたという申告日のひとときを詠まれた歌である。それまで申告のことで頭がいっぱいで桜が咲いていることに気持ちが及ばなかったが、申告を済ませてようやく周りを見る余裕が出で気がついた。毎年申告を行う人でも申告時にはなぜか緊張感があり、済ませると安堵の気持ちになる。申告を行った人には共感できる歌であろう。
 
  空高くピーヒョロロと鳴くトビ数羽
     旋回しては急降下する 光枝
 作者は嘉山光枝さん。三浦ではトビが多く飛んでいる。空高くを飛んでいると感じないが降りてきて近くで見るとその大きさに驚いてしまう。筆者は日常的にトビを見ることもなく、ピーヒョロロと鳴くとは知らなかった。嘉山さんのご自宅の近くではトビがよく急降下する。その辺りには野生のリスやウサギがいるので、それらを狙って降りてくるのではないかとのことであった。トビのダイナミックな動きを感じさせる歌である。
 
  幼き日孫の好物は「鮭の皮」
     思いてつつく朝食の膳 和子
 
 清水和子さんの歌。「鮭の皮」を詠うのがとてもユニークである。魚の皮の好き嫌いは人によるだろうが、見かけはあまりよくないものの食べてみると意外と美味しかったりするのは誰もが経験しているだろう。魚の美味しさはよく「あぶらが乗っている」と表現される。皮の裏にあぶらが付いているので、魚好きには皮は「好物」になりうる。清水さんのお話では、小学生だったお孫さんは学校で好きな食べ物を聞かれ、「鮭の皮」と答えたそうである。下句のように、今でも朝食で鮭を食べるときにはいつもそのお孫さんを思い出される。孫を思う作者の温かい気持ちが伝わってくる。
 
  健康維持肉にサプリに運動や
     いい塩梅はかたげなりしや 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。一番大切なのは健康だと誰もがわかっている。でもそれをどうすれば維持できるのか。多くの人が「限定」という言葉に弱いのと同様に、「健康」という言葉にも弱い。巷には「健康維持」や「健康増進」をうたった製品や様々な健康法があふれている。いったい何が「正解」なのか誰もが知りたいと思うその心理を意識して、共感を生み出す歌にされている。この歌の巧みさは、作者が言いたい「何事もいい塩梅は難しい」ということを健康と絡めて述べることで読者を惹きつけて伝えることである。製品販売と同様の戦略である。
  郵便の配達バイクは電動で
     静かに来たり三月の朝 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。郵便配達や新聞配達のバイクといえば長らくカブであった。その姿形だけでなく、音も慣れ親しんだものになっている。歌にあるように最近は電動バイクに代わってきていて、形こそ似ているが、音はなくなりつつある。人によっては毎日ほぼ同じ時間帯にやって来るバイクの音が、時を告げる鐘のような役割を果たしている。注意したいのは、この歌は静かなバイクを詠むことで、実は昔ながらのバイクについて語っている点である。
 
  浪漫の初夏とはなりぬ燕子花かきつばた
     昔の人にわが身袖振る 成秋
 
 濱野成秋会長の作。「袖振る」で終わる歌というと額田王の歌が思い出される。野の番人ならぬ昔の人に袖を振る。咲くのは紫色のかきつばた。長い時間を飛び越えて昔がいまに甦った感覚になる歌である。「かきつばた」といえば在原業平の「かきつばた」の文字を詠み込んだ歌にも思いは向く。
 
  学生が糸で描いた肖像画
     線に込めしは祖父母への愛 裕二
 
 筆者の作。勤務する学校の学生が卒業制作展で発表した作品について詠んだ歌である。その作品は一見すると色鉛筆で描かれた肖像画のようであるが、近くで見るとその細い線の一本一本が真っ直ぐ張った糸でできていた。六色の糸を重ねて、微妙な色合いを出している。筆者はそのような技法を使った作品を初めて見た。仕上がりを考えながら糸を一本ずつ張っていく。完成までに気が遠くなるような時間と労力がかかることは容易に想像できるが、その絵のモデルが祖父母なのが感動を呼ぶ。制作者は中国からの留学生で、祖父母に育てられ、彼らのことが大好きだという。愛する祖父母を思って糸を張っていく。糸で描かれたこの作品だけでなく、彼女の作品はいつも祖父母がモデルである。彼女の愛を歌で伝えたかった。
 
  カラフルなランドセル増え性別に
     こだわらぬ世の身近となりぬ 員子
 
 作者は羽床員子さん。筆者が小学生の頃はランドセルの色は赤と黒しかなかった。暗黙のうちに男の子は黒、女の子は赤と決まっていた。確かに最近は赤や黒以外の色をよく見かけるようになった。朝日新聞デジタルの記事によると、二〇〇一年にイオンが二十四色を売り出して多色化が進んだとのことで、現在は「ジェンダーレス」がトレンドだとか。この歌の通りである。ただ筆者が普段街ゆく小学生を見ている印象では、男の子は黒や青のような寒色系、女の子は赤やピンクのような暖色系のランドセルを持っていて、色のバリエーションは増えたが、なにか昔とあまり変わっていない気がする。嘉山さんの男の子のお孫さんは、親の好みで小さいときにはピンク色の服なども着ていたが、成長してくると青とか黒とかしか着なくなったそうである。社会通念は簡単には変わらなく、その影響は大きい。
 
 今回の歌会では、時間的な広がりを持つ歌はやはり重みや安定感がでてくることがよくわかった。濱野先生の歌がそうである。逆に、現在の一瞬を切り取るような作品は鮮やかな印象を残す。嘉山さんの作品などはそうしてスピード感を出している。
 
 時間の幅を考えた上で歌を作れば、新しい印象の歌ができるかもしれない。筆者はこれまで時間という点をあまり考えずに歌を詠み、完成した歌を説明する段階になって初めて時間に注目していた。短歌は三十一文字で表現しなくてはならない。良い歌を詠むには、あらゆる工夫が必要となる。
日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和五年十月二十一日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 筆者の家の近くに市の郷土博物館がある。博物館内にはプラネタリウムもあるが、先月からプラネタリウムは改修工事のため閉館されている。再開されるのは来年七月の予定である。この時期に改修工事が行われたのは残念である。現在のようなドームに投影機で星の光を映す近代型プラネタリウムが世界で初めて公開されたのは一九二三年十月二一日である。ドイツのカールツァイス社が制作し、ドイツ博物館で関係者に公開された。そのプラネタリウム誕生からちょうど百年を迎えた時期にプラネタリウムが閉まっているのは何とも寂しい。街の歴史や文化の展示室とプラネタリウムが併設されているは、歴史と宇宙、どちらもロマンがあり、それを大切にしているからではないのか。日本はアメリカに次ぐ世界第二位のプラネタリウム設置数で、東京にも約二十箇所もある。別のプラネタリウムに行けばよいのだろうが、歩いて数分の「ご近所さん」には他にはない愛着がある。ここで観たかった。
 歌会は十月二一日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の七氏と河内裕二。
 
  彼岸過ぎ扇風機などしまい時
     暑さ和らぎ秋風の吹く 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。作者は毎年彼岸に夏の物を片付けるのを習慣にしておられて、歌では夏を代表する物として扇風機が取り上げられる。扇風機だとありきたりな感じがしてしまいそうだが、結句に「秋風が吹く」とあることで、風がこの歌のキーワードになり「扇風機」が不可欠な語となる。季節の変化や作者の気持ちの変化などを目に見えない「風」を使って上手く表現している。
  来年は着ることなしかと迷いつも
     好きなブラウスハミングに浮く 和子
 
 清水和子さんの歌。「ハミング」とは花王が販売している柔軟剤の商品名である。一九六六年に発売され現在も柔軟剤と言えばおそらく一番に名前があがるロングセラー商品。作者は来年にはもう自分は亡くなっていてこの世にはいないのではないかと思われることが時々あるそうで、今年もよく着たお気に入りのブラウスを洗う時にそのような気持ちになられた。ホームにお住まいで、洗濯もご自身でやらなくてもすべてやっていただけるのだが、大切なものは自分で手洗いされるとのことである。内容的には重い歌であるが、「ハミング」という商品名でありながら音楽用語でもある明るい印象の言葉によって読者の気持ちも少しだけ和らぐ。
 
  愛孫あいそんの中三女子はお年頃
     切れてイライラやがてメソメソ 弘子
 
 嶋田弘子さんの作品。中三の受験生でもあって歌に詠まれた本人にしてみれば大変なのだろうが、ユーモラスな表現に思わず笑ってしまう。読者がこの歌で楽しく笑えるのは、作者がお孫さんを愛おしく思うのが強く伝わってくるからである。言葉のリズムも素晴らしい。さらに最後は「メソメソ」と泣いて終わるが、お孫さんを想像して、そのあとにはきっと笑い声の「ゲラゲラ」か「ケラケラ」が来るのだろうと思えて楽しい気持ちになる。
  ゴーヤーは実をみのらせて気付かずに
     黄色くなりて秋空にあり 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。実際に畑で育てているゴーヤーについて詠まれた。成っていた実の一つに気づかずに熟してしまい黄色くなったとのこと。その実をどうされたのかはうかがわなかったが、たしか黄色くなった実も緑色より苦みは少ないが食べられるのではなかったか。結句「秋空にあり」の「空」という語に高さを感じるが、作者のお話では、ゴーヤーのつるが延びて木に登っていき、高いところで実が成っていたので気づかなかったそうで、それを聞いて納得した。
 
  ヸオロンのひたぶるに恋ふ若き日は
     いずこに去りしと駅に降り立つ 成秋
 
 濱野成秋会長の歌。作者は秋になるとヴェルレーヌの「落葉」を思い出す。「ヸオロンのひたぶる」は上田敏訳の一節で、詩では「ヸオロンのためいきの」と続くが、どうしてもつい「ためいきの身にしみて」の部分を飛ばして「ひたぶるに」と続けてしまうので敢えてそのように詠ったとのことである。「恋ふ」なのでその方が味わいがある。文学青年だった作者はかつて電車に乗って大学に通っていた。それを毎年秋になると思い出し、その若き日はどこへ行ってしまったのかと、最近またその駅に降り立った時に思ったそうである。
  道の駅「おらほのめへ」とレシートに
     甘い煮豆のおこわを求む 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。旅の思い出の歌である。旅行で立ち寄った道の駅で買い物をしてもらったレシートに書かれていた「おらほのめへ」の文字。どういう意味なのか作者も歌会参加者も見当がつかない。調べてみると津軽弁で「私たちの店」という意味であった。地元の農家が生産した農産物を売る直売所の名前になっているのである。私のことを「おら」というので、「おらほの」が「私たちの」、「めへ」は「みせ」が訛ったものだろう。クイズと同じで答えを知ると納得できる。たしかに青森に行ったときのことですと作者の加藤さん。津軽の郷土料理に甘いお赤飯があるみたいなので、それを買われたのではないか。
 
  時たゝば街のなじみも消えゆけど
     移ろひぬるは世の常ならむ 裕二
 
 筆者の作。昔よく行った場所を十年ぐらいぶりに訪れると様子が変わっている。そんなことが最近続いた。大きなマンションが建っていたり、駐車場になっていたりして、前に何があったのかを思い出せない場所もあった。多い時には毎週のように行っていた食べ物屋も別の店に変わっていた。あの優しい大将はどこへ行ったのだろう。何でもいつかは変わるが、最近はコロナ禍によって変化のスピードが加速したのではないか。振り返って変わってよかったと思えることはどれくらいあるのだろうか。
  年を取りわからぬ言葉の増えゆけど
     答の詰まったスマホが手にある 員子
 
 作者は羽床員子さん。最近はわからないことはすぐにスマホで調べることができて便利だが、一度調べた内容を忘れてまた同じ事を調べることもある。それでもスマホで何とかなるのだからそれはそれでよしだろう。誰もが老いを経験する。それを悲観しない前向きな姿勢が伝わってくるのがこの歌のよさで、次々に新しい言葉が出てきても相手になるのは私ではなくスマホだからどうぞという作者の声が聞こえてきそうである。
 
 自分の知らない言葉や日常的に見ない言葉が歌の中に出てくると否が応でも気になって歌に引きつけられてしまう。今回の歌会では、加藤さんの「おらほのめへ」が強烈であった。見たことも聞いたこともない言葉で、地名のようには思えないし、前後の言葉から意味を予測することも不可能である。青森の方には申し訳ないが、「へのへのもへじ」のような文字遊びではないかとさえ思ってしまった。このような「正体不明」の言葉を使う手法は、いわば変化球で、読者は直球を待っているので思い切り空振りさせられる。しかしその球が見事であれば、空振りするのも気持ちがよいのである。
日本浪漫歌壇 秋 長月 令和五年九月十六日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 今年は関東大震災発生から百年目にあたる。地震が起こった九月一日は現在、防災の日に定められている。大震災と名付けられた大規模な地震災害には他に阪神淡路大震災、東日本大震災があるが、死者行方不明数がそれぞれ約六千五百人、約一万八千人に対して、関東大震災は約十万五千人とその人的被害は驚くべき規模である。さらに震災直後には流言やデマが広がり朝鮮出身者が各地で虐殺される事件も起こった。地方から来た行商団がその方言の理解できない村人に朝鮮人と疑われ殺される事件まで起きている。この事件を題材にした映画『福田村事件』が九月一日から上映されている。無政府主義者の大杉栄が憲兵により虐殺されたのもこの震災直後の混乱時である。あれから百年、ネットやSNSでフェイクニュースが拡散されている現在にあっては、関東大震災は遠い昔のことなどとはとても思えない。
 歌会は九月十六日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の加藤由良子、嘉山光枝、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の五氏と河内裕二。三浦短歌会の三宅尚道会長、嶋田弘子氏も詠草を寄せられた。
 
  女子アナの高校野球歓声の
     球もろともに青空に消ゆ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。自動車を運転中にラジオから流れてきた高校野球の実況が女性アナウンサーによるもので、さらにとても上手な実況だったので驚いたとのこと。下句を読むとその爽やかな声が聞こえてきそうであるが、高く上がった打球に力のこもった実況。夏の甲子園での光景が鮮やかに浮かんでくる。今年はコロナによる制限もなくなり、スタンドでも熱のこもった応援が行われただろう。ラジオからその熱狂も伝わってきたに違いない。ちなみに女性の高校野球実況は珍しいが、初めてではない。数年前の第百回大会で女性アナウンサーが実況を担当することになりニュースになったのを筆者は覚えている。
  油蝉ミンミン蝉と法師蝉
     暑い日中ひなかの三部合唱 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。上句に三種の蝉が並ぶ。セミによって鳴き始める時期は違う。歌では早い順に並んでいるが、この並びは言葉のリズムで考えるとベストだろう。さらに言えば、アブラゼミより前にクマゼミやヒグラシがいるが、いずれも四音なのでそれらで始めてもアブラゼミで始めるようなよいリズムにはならない。セミについて知っていれば、読者は鳴き始める順番になっていることに気づく。順番を思いながら読み進めると、結句で驚きの「三部合唱」と来る。ここで今年の夏が異例だった記憶が甦る。信じられないほど早期から暑くなり、暑い日が長く続いた。セミも調子が狂ったのである。その異常さは、本来美しくなるはずの三部合唱が、セミが行えば、とても美しい調べを奏でるとは想像できない。恐ろしい不協和音になるのではないか。どの句を見ても言葉選びが秀逸である。
 
  友達のやさしいことばに囲まれて
     プレー見ている木陰のベンチ 和子
 
 清水和子さんの歌。お住まいのホームにある診察所に入院にされた際に部屋から公園が見えた。ある時こっそり部屋を抜け出してその公園に行ってみたとのことで、すると公園にいたホームのみなさんが清水さんの訪問を歓迎してくれた。外は暑かったので木陰のベンチに座らせてくれて優しい声を掛けてくれた。すぐに戻らなければならなくてそこに居たのは短い時間であったが、その時の嬉しさが忘れられずにこの歌に詠まれた。落ち着いた温かい雰囲気の歌で、病み上がりでの外出だったとうかがえば、なるほどさらに味わいが増す。プレーという言葉から何をプレーしているのかを想像するのも楽しい。著者はテニスだろうかと思ったが、それだとやや激しい印象が歌と合わない気がした。ご覧になったのはグランドゴルフとのことであった。
  高校の野球の試合は延長戦
     タイ・ブレークのバントで決まる 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。タイブレークとはランナーを一、二塁において試合を始めることで、九回で決着がつかなかった場合に延長戦で行われる。目的は早く決着をつけて試合時間をできるだけ短くすることである。選手の負担軽減のためである。延長戦で記憶に残っているのは、二〇〇六年の第八八回大会決勝戦で駒大苫小牧の田中将大と早稲田実業の斎藤佑樹が投げ合った試合である。延長十五回でも決着がつかず、翌日再試合となりさらに九回が行われた。見ているこちらが投手の肩や肘が心配になるほどであった。タイブレーク制度は甲子園では二〇十八年年から導入されたが、延長になっても十二回まではそのまま行い、それで決着がつかない場合に十三回からタイブレークにしていた。それが今年から延長に入る十回からに前倒しされる形となったようである。後のない延長戦でタイブレークが行われれば、先頭打者はまずバントで、普通に打つことはまずあり得ない。そのバントが決まれば勝てる可能性がかなり大きくなる。
 この歌は負ければ終わりの高校野球で、タイブレーク勝利の鍵がバントであると、延長即タイブレークに変更された試合の「本質」を冷静に述べている。九回まで死力を尽くして互角に戦ってきた選手たちが、延長戦では果敢に挑戦して打ち勝つよりも、とにかく慎重に手堅くバントでミスを避けて勝つ。作者はそれでよいのかと問いかけているようでもある。安心や安全を選んで挑戦をしない姿勢は延長戦の野球だけに限られないだろう。
 
  悲しみを昇華し闇にも光りあて
     魂揺さぶるみすゞの詩集 員子
 
 羽床員子さんの作。この歌は羽床さんによる金子みすゞのひとつの人物解釈であろう。二十六歳という若さで自殺したことを思えば、心の闇や深い悲しみを抱えていたと想像はできるが、実際どうであったのかはわからない。書かれた詩から読者それぞれがみすゞの人物像を作り上げてゆく。筆者は「大漁」や「私と小鳥と鈴と」のような有名な詩の印象から、彼女の詩に優しさや穏やかさを感じて共感を覚えるが、「魂揺さぶる」というどこか激しさを含む言葉が歌では使われていて興味深い。悲しみを静かに収めていく「消化」ではなく、精力的に詩にまで高めていく「昇華」であると強調しているようでもある。
  熱帯の蚊を貰ひしか極寒の
     汗だく寝返り兵士のまぼろし 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。実体験を歌にされた。最近は日本にもマラリア蚊がいるようで、その蚊に刺され、マラリアの症状である発熱を悪寒に見舞われ、苦しまれたとのことである。無事に回復されて本当によかったが、それがマラリアだろうと気づけたのは、戦時中にマラリアに罹った人の体験談を読んでいたからで、そこに書かれていた症状とまったく同じだったのである。
 歌では初句の「熱帯の蚊」ですぐにマラリアのことだとわかり「兵士」という言葉で戦時中南方にいた日本兵ことだろうと予想するも「まぼろし」で作者のことだ知らされ、驚かされる。兵士であれば亡くなっていた。戦争中の戦地の悲惨さと現在に生きる喜びが暗に表される。
 
  藤村の椰子の実ひとつ見つけたり
     父の残した荷物の中より 弘子
 
 嶋田弘子さんの作品。亡きお父様の荷物を整理していたら椰子の実が見つかり、島崎藤村の「椰子の実」が頭に浮かんだとのことで、故郷を離れて漂流する椰子の実の詩は、南方の兵隊の間でよく歌われていたと言われるので、お父様もきっと戦友と歌っていただろうと思われたそうである。お父様のブーゲンビル島再訪に同行した際に、島の至る所に椰子の木があるのを見たとおっしゃるので、お父様が持っていたのは島の椰子の実なのだろう。「藤村の」とひと言書くことで、藤村の詩を自らの歌に取り込む形にして、その世界観やメッセージを使って内容を「強化」して彩りを加える。そのひと言によって雄弁な歌にしている。
  武蔵野の台地に集ふ旅人は
     故郷おもひて夜空見上げる 裕二
 
 筆者の作。東京多摩地区から北は埼玉の川越あたりまで武蔵野台地と呼ばれる台地が広がっている。筆者は現在多摩地区の府中に暮らしており、市内に江戸幕府が整備した五街道の一つである甲州街道が通っている。府中は武蔵国の国府や総社があったので、むかしは多くの旅人が街を行き交っただろう。そんなことを想像しながら、現在の府中に暮らす私や私の友人などの地方出身者のことをむかしと重ね合わせるようにして歌を詠んだ。友人と話した時に彼の故郷は星がきれいだと聞いた。私も時々夜空を見上げる。むかしの旅人も現在の「旅人」である地方出身者も故郷を思う時には自然に空を見上げるのではないか。智恵子の「あどけない話」のように東京にはほんとの空が無いかもしれないが。
 
 今回の歌会で詠まれた歌のうち二つが作中に他の「作品名」を入れている。「みすゞの詩集」と「藤村の椰子の実」である。前者は具体的ではないものの、多くの人が金子みすゞの詩に共通認識のようなものを持っているので、作品名を入れたのと同様の効果がある程度まで得られる。
 文学作品が他の作品を取り込んだり関連付けたりすることをインターテクスチャリティ(間テクスト性)と言う。短歌でわかりやすい例は本歌取りであるが、そこまで徹底したものでなくても、今回の二つの作品はインターテクスチャーを行っている。三十一文字しかない短歌で多くのことを表現するためにはこのインターテクスチャリティは有効である。他の作品の「力」を借りることができる。しかし逆に三十一文字、しかも作品に言及すればさらに少ない文字数でオリジナリティを表現しなければならず、上手くやらなければ、取り込んだ作品の色に染まってしまう。今回の二作品はどちらも成功している。