濱野成秋の世論正論⑵
 
 残忍極まるショウビジネス   警鐘作家 濱野成秋
 
  ジャニー抹殺大反対論
 
  ジャニー喜多川の恩恵を忘れた者たちを叱る
 
 なるほどジャニー喜多川はとんでもない罪悪をしでかした。その内容は今更取沙汰するまでもない。肯定もしない。だが、ジャニーのショウ・ビジネスに尽くした才能の偉大さは凄い。彼が築いたスケールとレベルの高さは、皆が認めるところではないのか? だがそれをも黙殺して被害者の気持ちになるという根性っていうのは、トンチンカンの極みだ。幼稚とも考えられる。 
 ジャニーはショウの神髄を知り尽くしていた男だった。男の子のステージ演技が宝塚なみに脚光を浴び、若者たちが酔いしれた。それは颯爽としていたし、交差する光線や煙や大音響がどれだけ若者たちを酔わせるか、その神髄を知り抜いたジャニーの才能は大人のセンスで診ても、舌を巻く見事さ物凄さであった。
 ショウビジネス最大の天才は誰? と問われれば迷わず答える。
 ジャニー喜多川だ。あの不気味なまでに大胆な演出。まるで悪魔の到来。
 すごい。いいじゃないか、それくらいの演出は。
 その演出の見事さまで、なんで抹殺せねばならないのか。
 そういう発想が醜悪である。皮肉で嫌味で残忍で。極悪非道だとさえ言い得ると筆者は思うが、ちがうか? ジャニーを全部否定する、という真面目腐って言う残忍なお仕置き。過度な仕返しではないか? これを堂々とやった人間たちって、罰せられないのか?
 
 そんな疑問さえ湧く。
 筆者はショウ・ビジネスのグレートな存在まで消してしまえと憤るトンチンカンぶりを詫びろ、そういう奴らの顔も見たくない、とさえ言いたい。
 ジャニー世代とはなにか。
 「ジャニーギター」を知ってるか?
 「プレイザギター・プレイイアゲン、マイ・ジャニー~」のジャニーだ。
 あのセンチメンタルで、ジ~ンと聴かせる恋歌。
 あの男はこのイメージで出て来たんだ、戦後間もなくね、悌子やふじ子と同じ世代だ。あの掠れたような歌いっぷり。
 ジャニーって何? ジョンの愛称。ジョンはヨハネのこと。神聖なのである。ジャニーをとことん消し去ることで、あの事務所を引き受けた連中はジャニーさんの偉業を顧みず総て不正だと決めつける罪深い連中だと筆者は思う。性倒錯が過ぎた点は多々あったし、それを肯定する気は筆者とて全くない。だが社会も悪いね、生きている間は彼を利用していい思いをさせてもらった人も沢山いる。それを帳消しにして、死んだら好き勝手に悪しざまにいう。醜いよ、世論は。
 フロイト心理学から言えば、ジャニーの性倒錯は徹底してマルキ・ド・サドの加虐愛そのものだった。
 この性倒錯を三島由紀夫は自虐愛にして果てた。彼もあの筋骨隆々たる肉体美をさらけ出して死んだが、三島は俗悪ともいわれていない。文芸作品には『金閣寺』のような秀作もあるためか、博士論文に仕立てる者もいる。ジャニー喜多川も三島に負けず劣らず、彼自身の倒錯人生が芸術だった。だのに、これも解からず一方的に葬るとは。ジャニーズ世代って、何と単純かつ直情的だろうか。諸君、性倒錯者喜多川君の人生を悲しみ、彼の業績は業績として再評価しようではないか。