日本浪漫歌壇 夏 水無月 令和四年六月十八日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会に向かう電車は混み合っていた。新型コロナウイルスの感染者数はもう一ヶ月以上も前週の同じ曜日より減少を続けているので、多くの人が休日に観光地に出かけているのだろう。鎌倉駅でほとんどの乗客が降りていった。思い出してみると、昨年もこの時期には感染者数が減少し、それまで出されていた緊急事態宣言が解除された。しかし七月末にまた急増し、再び緊急事態宣言が発令された。今年はどうなるのか。感染の波が繰り返されないことを願う。歌会は六月十八日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、櫻井艶子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の九氏と河内裕二。
 
  戻らねば我が物顔のどくだみが
     君の小径を占拠するかも 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。ご友人でご自宅の庭にある花の小径を大切にされていた方が、急に引っ越さなければならなくなり、嶋田さんがそこを管理することになった。しばらくして行ってみると、その小径はどくだみで埋め尽くされていた。人が居なくなると、たちまちこのようになってしまう。戻りたくても戻れないご友人の心情や、さらにフクシマや現在戦争中のウクライナの人たちのことも考えてしまったとのこと。事情があるのだから仕方がない。でも、早くしないと「どくだみ」に乗っ取られてしまうよ。そんなお気持ちから「占拠」という言葉を使われたそうである。
 
  お祭りも海も花火もみな中止
     夏のたのしみなき三年目 光枝
 嘉山光枝さんの歌。三崎のことを詠まれたが、日本全国で皆が同じ経験をしているだろう。夏の風物詩とも言える「祭り」「海」「花火」の三つは、もう三年も中止になっている。毎年夏に感染者が増えている事実を考えると、この先もできないのではないかとさえ思えてくる。中止が続けば、それが常態化して再開が難しくはならないだろうか。厳しい夏の暑さに耐えられるのも楽しいことがあってこそ。味気ない夏はいつまで続くのだろうか。
 
  螢火の小川の岸に立つ父母の
     着物も帯もいづこに去るや 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。かつては蛍も身近で見られ、歌のように家族で蛍狩りというのも珍しくなかっただろう。濱野会長は蛍狩りでご両親がお召しになっていた着物を今でもはっきり覚えておられるが、それらはどこへ行ってしまったのだろうかと思われ、この歌を詠まれた。結局残るのは記憶の中にだけと仰った。場所が「小川の岸」になっているのは、下駄履きで来たお父様が、渡った小川の先で蛇を踏まれたという思い出があるからとのこと。お話をうかがって漱石の俳句「蛍狩われを小川に落としけり」を思い出した。
 
  胆管癌三十三年目で完治したと
     でんわの老友声トーン高し 由良子
 
 加藤由良子さんの作品。高校来のご友人より電話があり、病院に行ったら「癌は完治したのでもう通院しなくてもよい」と医師に言われたとのことだった。不安の日々から解放されたかのように、それを伝える彼女の声はトーンが高く歌うようで、本当に良かったと思われて、彼女の報告を歌にされたそうである。三十三年とは相当長い期間であるが、「三」は「みつ」の語呂合わせで「満たされる」や「願いがかなう」という意味になり縁起がよい数字であるとどこかで聞いた。三十三年、偶然だろうか。
  現人うつせみはいつか散りぬる宿命さがなれど
     千紫万紅けふも咲きたり 裕二
 
 筆者の作。「現人」とは字の通り「現在生きている人」という意味である。この世に生きている身体を表す「現し身」としなかったのは、肉体は滅んでも魂は残るというようなニュアンスを加えたくなかったからである。この歌は、人は等しくいつかは死ぬがその人生は様々であると述べたもので、武者小路実篤の言葉「人見るもよし、人見ざるもよし、されど我は咲くなり」ではないが、人生を「花」に喩えたものである。
 
  二年経ち又脊が伸びたか若き人
     吾優先席に埋もれてゆく 和子
 
 作者は清水和子さん。新型コロナウイルス拡大のために長く遠くに出かけられなかったが、約二年ぶりに電車に乗ると、誰もが以前より気持ちに余裕がなくなっていると感じられた。そのような世の中で若者はさらに大きくなるが、自分はどうすることもできずにただ埋もれてゆくしかないのかと思われた。その悲しみを詠まれた歌である。
 
  糖尿の祖母への土産は「白い恋人」
     一日一個の制限つきで 員子
  
 作者は羽床員子さん。「祖母」とはご自身のことで実体験を詠まれたとのことである。甘い物はもちろん塩分や水分も糖尿では制限しなくてはならず大変であると仰るのは、亡くなった旦那様が糖尿病を患っておられた嘉山さん。北海道土産であれば、他に甘くない物もありそうだが、一日一個としてまでも祖母に大定番の「白い恋人」をあげたかったお孫さんの気持ちは何とも微笑ましい。とても楽しい旅行だったのでしょう。きっとその楽しさもあげたかったのである。
  新蛍にいぼたる独り飛びたる夏の宵
     虚空に向かい心預ける 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。幻想的な光を放ちながら一匹の蛍がゆっくりと宙を舞う光景が浮かぶ上句に、作者が独り何もない空を見て心を預けようという気持ちの下句。どこか儚く寂しさを漂わせる一匹の蛍に自らを重ね合わせる。蛍のように自分も輝きたいと願いながら消せない寂しさを抱えて生きてゆこうという作者の思いが読み取れる。心に余韻を残す歌である。
  
  裏山の枇杷は豊作 忘れてた
     「揺籃ゆりかごのうた」声出して歌う 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。枇杷の実がたくさんなっているのを見て、枇杷は何かの歌に出てくるのではないかと考えたら、童謡「揺籃のうた」の二番の歌詞に「枇杷の実」があったのを思い出した。それで歌を思い出すために声に出して歌ってみたとのことである。調べてみると「揺籃のうた」を作詞したのは北原白秋である。
 
  恋しくて傘にかくれて泣きました
     疎開なるもの御存知ですか 艶子
 
 櫻井艶子さんの作品。櫻井さんは七歳の時に二、三ヶ月間お姉様とお二人で親戚の家に疎開されたご経験がある。今も雨が降るとその時のことを思い出されるそうで、歌にある恋しがっている人はご両親である。実際に終戦となり、お父様が疎開先のお二人を迎えに来られた時には、足音を聞いただけでお父様だとわかったそうである。
 櫻井さんによれば、「疎開」を知らない若い世代の人たちに話しかけるつもりで、今回ご自身では初めて短歌で口語表現を用いられた。その手法は見事に成功している。この歌の下句は問いかける形になっているので、それを聞く若者の存在が示される。そのため、上句と下句は戦時中の若者と現在の若者という対照をなすが、疎開経験を持ち出すことで両者の間に七十年以上の時間の隔たりを作り、「疎開」について問うことでそれを埋めて両者をつなぐ。素晴らしい歌である。
 
 今回の歌会では「字空け」について考えさせられた。三宅さんの歌は字空けのない形になれば、三句「忘れてた」が前の二句につながるのか後の四句につながるのか分からない。意味的にはどちらも可能であるが、どちらになるかで意味は変わる。上句としてまとめて二句につなげ「枇杷は豊作忘れてた」とするのが普通であろう。しかし作者は四句の「揺籃のうた」を「忘れていた」という意味で詠んでいる。字空けがなければそのように読み取るのは難しい。字空けは意味を左右するほど重要な役割を果たすが、それだけではない。そこで溜めが生まれるのでリズムを作り出したり、場面や内容を転換したり、漢字が続く場合などには視覚的に見やすくすることも可能である。筆者はまだ用いたことはないが、使い方によっては効果的である。