近作詠草9 令和元年八月二十五日 (No.1934)
             濱野成秋
 
我と長年過ごせし某氏の御心を思いやり
産土うぶすなを厭ひ越し来て早や五十路いそじここぞはべらふ煮魚を喰ふ
 
その目に師となる吾身を思ひやりて某氏は詠めるか
が墓は何処いずこと問ひたる師の肩に寂しき影の移ろふ哀し
 
逗子の旧家を手放す心を謳う
浪子去り強きおのこも語り草星霜担ぎし生家もやがては
 
脳血栓間近か頭痛はじまる
襲い来る頭痛の潮や騒がしく
     今しも死ぬるを告げる便りか
 
浪漫の会よ、果たして汝は永き命や?
この会は吾の励みと凝る耳に忍び囁く放念の声

他人ひとの心に分け入るとは不遜も甚だしきか
他人の世をいじるは不遜と言ひたきか
     ふみ書くわが指キーから離れ
 
じんじんと頭痛は続く
じんじんと頭痛は吾身に迫り寄る
     ネット原稿投げてぞ逝かめと
 
身辺を片付けること至難に思へ
わが生に脈絡つけむとペン執るも
     行方知らぬは父母の物たち
 
今日の朝こそ心機一転よ
投げ出せばさぞ楽かれと思ひつつ
     朝日に負けじと跳び起きてみる
 
今晶子のお孫さんの心情を思いやり
祖父母こそ勝手気儘と棄てたるも
     利晶の杜に行く友厭いとへず

敢えて再び与謝野晶子孫女へ献じる我が歌を入れる
こころ屈折したるを歓ばず
     希わくば生きよ超えゐてまほし
 
古里大阪に墓参し法善寺の不動尊に打ち水。赤提灯「さち」さんで
法善寺水かけ不動に手を合はせ
     幸とは何ぞや旅立つ間近で
 
観心寺にて管主永島龍弘和尚と語らふ
なにゆえに観心寺は恋しきや
     父母と通ひし水彩の紅葉
 
永島和尚に感謝。また同行された原嘉彌、大浦実夫、紅竹みずほ、
河内裕二の四氏にも心から感謝。まことに佳き日にてこれを幸せと
言ひたし。
 
                     (No.1934は以上)