コンコードへの感傷旅行
 
                    福田京一
 
アメリカ・ルネッサンスの故郷
 
 十九世紀中頃、マサチューセッツ州のボストンから約三十三キロ離れた片田舎の町コンコードにアメリカを代表する小説家、詩人、思想家が現れた。たとえば、ラルフ・W・エマソン、ナサニエル・ホーソン、ヘンリー・D・ソロー、ルイザ・M・オルコットなどは特に有名である。それまで、アメリカには物質文明はあるが、その国の文化を象徴する文学がないと英国人はアメリカを見下していた。ところが、エマソンが一八三六年に『自然論』を発表してより、ヨーロッパの影響から脱するアメリカ独自の文学が出始めた。
 自由、民主主義、人間中心の宗教観など大自然のなかで育まれた若々しい感受性が新しい文学を創造したのであった。彼らが共通して抱いていた不安は、産業革命以降の近代文明が人の個性を育てるのではなく、技術の発展や物質的な豊かさのみを追求して人間の幸福と尊厳を阻害していることであった。健全な民主主義社会を実現するためには市民が信頼に足る、個性豊かな、自立した人間にならなければ、個々人のエゴと物欲を満足させることを目的にするような野蛮な社会になることを恐れたのである。
そうならないために自己を一段高いところに高める自己省察を勧めた。彼らの精神的特質を一言で表現すれば、ニューイングランドの宗教的風土のなかでロマン主義を実践したことであった。彼らは単に自己の可能性を信頼し、個性の発揮を肯定するだけではなく、変動する近代社会において社会の理想像を探求することにも向かった。
 わが日本においても文明開花により近代化の道を歩み始めた。劇的に変化する社会でいかに良く生きていくのか、有為の青年たちは試行錯誤の人生を生きていかざるを得なかった。このようななかで明治から大正期に北村透谷、有島武郎、武者小路実篤などエマソンから強い影響を受けた人たちが出てきたのは不思議なことではない。理想は現実に潰されることはあっても、理想の追求なくして未来は開けない。現下のアメリカ、いや世界を見れば、十八世紀以来の近代主義が追ってきた「理想」がなんと野蛮なものであったか明らかではないか。ロマンとは遠い未来を見つめるだけではなく、忘れ去られた過去にも眼を向ける眼差しを指す。
 
 アメリカのルネッサンスの故郷ともいわれるコンコードを筆者は在米中に何度か訪れ、その美しい風景に触れ、また史跡や作家たちの屋敷を見て回り、アメリカのエートスの一端を共有したいと思った。その時の記憶をもとにつれづれなるままに次のようなエッセイを書き留めた。
 
コンコードの自然を前にして
 
 静かな冬の昼下がり、コンコードの橋に立つ。青空を照らす残雪に眩いばかりの陽光のなかに佇むと、河の流れは記憶のなかに重く沈んだ時の翳りさえ運び去り、ただ清澄な冬の景色があるだけ。雪が溶けて岸まで溢れてはいるが、コンコード河の水は敢えて人に語るべきものを持ち合わせていないかのように黙して流れる。
だから、枯れた森のなかを流れるこの河の静けさに向かう人は自らもただ静かに見詰めればよい。あるいはふと我に帰って、心の過去を語る眼差しをかわらぬ自然の営みにさしむければよいのだ。この場所でかつて起こったことを読みとることなどおそらく徒労なのだ。悲しかろうとも邂逅などめったにないものと心しておくべきようだ。
 この河で昔、ホーソンやソローやチャニングが一緒に船遊びしたことも、エマソンがこの岸辺を散策したことも決して私の過去に関わりのあることではない。知識は空想の輪を広げはするが、構図をあらかじめ定めてしまう。恐ろしい。同じ時に、同じ場所でこの風景を見ることが不可能であるなら、まして異なる過去を各人が背負っているなら、彼らの心との接点を見つけることはむずかしい。できることは、たぶん太陽と雪と森と水が織りなす一枚の絵のなかに身をおき、自らも冷たい大気をそっと吸ってみることだろう。ああ人の心とは、記憶とは、と嘆いてみても詮ないことだ。
 
 この風景のなかに眠れる河はその胸に夢の絵を抱いている。果たして絵と実物とどちらが本当の真実なのだろうか。私たちの粗忽な感覚に触れられるものなのか。それとも川面に神々しく映しだされたものなのか。きっと実体のない映像の方が魂にずっと近い関係にあるに違いない。(ホーソン)
 
 森の中の樹木は、この苔はきっと彼らを見つめていたはずだという感傷は事実をみる眼を曇らせるだけだ。日々彼らに楽しみ、あるいは驚き、あるいは慰めを、また時には不安をもあたえたはずのこの美しいコンコードを信用してはならない。罠はいたるところにかくされている。彼らとて空想という純粋な虚構のなかにしか真実を語れないことを知っていたのだ。あの膨大な量の文学や日記がそれを証明しているではないか。
 
自然と芸術
 
 我々の本当の生活は夢のなかで醒めている時にある。(ソロー)
 
 確かにアメリカのフィレンツェとなった小さな町はずれのこの河も樹木も雪もこの土地の住人を裏切ったことはなかったはず。それは幸いであった。それにしても、なぜ恵み深い自然の意志に逆らって自己をあれほど主張せざるをえなかったのか、と思う。
 
 芸術は普通の意味で従順なものではなく、自然は野蛮なものでもない。人の手になる完璧な芸術作品は、良い意味で、野蛮であり、自然なものである。人は自然を一層自由に振まわせるためにのみそれを手馴づけるものだ。尤も成功する例はないかもしれないが。(ソロー)
 
 自然は人の友かもしれない。あるいは本当に神の御業かもしれない。だからこそ、その声に耳を傾けようとするのだろう。そして、人も応答して自己の存在を確かめようとするのだろう。しかし、限られた視角に現れる自然は、確かめられたとはいえ、今の今まで自己のすべて、自己の過去にほかならないのではないか。そっと差し出す精神の触手が、触れがたい現在の磁気に震えながら恍惚として永遠の世界に没入していく幻想をもちえたエマソンを、このコンコードにいながら遥か遠く想う。だが狂気と言って良いほどのあのような鮮烈な瞬間を夢み続けたものの強さを、この明るい静寂と重ね合わせることは更にむずかしい。そうだとすれば、見えないもの、聞こえないものを捉える感覚が私たちにもあったのではないか、とふと考えさせることが、彼らがコンコードに残した本当の碑であろう。そして、荘厳で壮大な建築物がここには欠けているからと言って落胆することもないのだ。
 
 毎年暖かくなると、小中学生が大勢来ると聞く。近くの小さな橋を渡ったところに、ミニットマンの像が立ち、その台座にエマソンの「ここにかつて銃を手にした農民が立ち / 世界中に銃声を轟かせた」という詩が刻まれた碑が立っている。ここを訪れる小さな愛国者たちとともに現今のものに囚われた人々がこのような小さな碑を見にくることは少々皮肉なことだ。現実のなかで醒めていなければならないのが私たちの油断ならない生活であるとすれば、一五〇年以上も前の醒めた夢想家たちは何処へ消えてしまったのか、と思わずにはいられない。恐らく彼らと同じ夢を夢みるとき出会えるかもしれないが、私たちの周囲には彼らが持っていたような鏡を自然に向かって差し出す人を見つけることはむずかしい。あるいは彼らと同じ方向に想像力はもう向かわなくなったのだろうか。
 
風景との対話
 
風景との対話はこのようにも拡がる。荒涼とした季節の夕闇のなか、川面に薄気味悪い枯れた大木とか、蛇が巻ついた小枝が朧げに映ったこともあったはずだと。自然の悪意をそこに読みとることは己の歪んだ精神をも認めさせることにもなっただろう。つまり夢は悪夢でもあったのではないか。たとえば、「現在と未来の状態について歪んだ観察」をしたのは「世界をあるがままに見させてくれる環境が私の周辺にはなかったから」と弁明するホーソンの言葉をそのまま信用することはできない。川面の鏡はそのまま彼の想像力の鏡であったから、波風立って歪んだ像はそれでも真実であったはず。静寂で平穏な日々の空想を好んだとは言え、彼らの鏡も時には曇って不透明になり、そこにぼんやり現れた像は自己の醜悪な精神の投影だと思ったのではないか。それは今も変わりない。時には歪んでみえる煤けた都会の佇まいは、私たちの鏡がいびつなのか、都会が元々歪んでいるからなのか決めがたい時の不安のように。
 
 花に変身した死者を抱く乙女 (ホーソン)
 
 生と死のアイロニーに極限の美をみたとき、あるいは死界に怪しい官能の世界を見たときがあったのは確かだ。だが長続きはしなかった。時代の風潮にもまして美しい自然の風景が彼らを離さなかったのだろう。悪魔の誘惑に身を任せて、地獄へ堕ちることも辞さなかったファウストの決意はかつてのコンコードの住人にはなかったようだ。それも自然の理のように思える。冬がどれほど厳しかろうと、ただこの風景を前にしては生の営みから身を遠ざけ、冥府への想いに精神を追いつめる狂気をもちえたとは考えにくい。彼らをこの場に踏みとどまらせる何かがあったのだろう。
 
 では何が。疑問は解けそうにない。長らくこの地に住んで、この辺りの空気を吸ってみれば、少しは感じとれるかもしれない。そう、瞑想と素朴さを美徳とした彼らの生き方を残されたものを通して思い巡らすことしか旅行者には許されていない。
 
 もし赤い殺人者が自分が殺すのだと考え
 また殺される者が殺されるのだと考えるなら
 私がすすみ 通りすぎ そして再び引返してくる
 微妙な道を 彼らはよく知らないのだ (エマソン)
 
 川面に映る世界が不安に揺れるとき、それでも彼方には静寂のなかに動かない秩序があると考えた彼らの想像力の源を確かめようと努めた。だが、なぜか遥か遠い世界のことのように感じられるのだ。
 風景があり、人がいた。そして自然を見る眼が変わり、人がいなくなった。今は風景だけがある。だが静かなコンコードの町に佇むと、彼らがいた残照が、なぜか遠い私の過去にどこか似て、記憶のなかにぼんやりと輝いている。
 
  (一九七六年、一九九二年、二〇〇二年の思い出をもとに、二〇二六年九月)