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日本浪漫歌壇 夏 水無月 令和五年六月十七日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会当日は晴天となったが、梅雨晴れといった感じではない。気温がぐんぐん上昇し、三十度を超えた。まるで夏である。三十度以上の日を真夏日と呼ぶが、三十五度以上の猛暑日になるのもそう遠いことではないのではないか。まだ六月である。この調子で暑くなれば夏本番には猛暑日すら超えて次の段階にまで行きそうである。猛暑日の上をいく四十度以上の日のことを、日本気象協会が「酷暑日」と命名した。比較的最近のことである。「猛暑」の次が「酷暑」という言葉の選択は、あまりに妥当過ぎて物足りなく感じているのは筆者だけだろうか。四十度超えという異常さが伝わるようにもっと特徴ある「派手」な言葉にできなかったのか。命に関わるような暑さを表す言葉に「お祭り騒ぎ的な要素」は不謹慎ということなのだろうか。
 歌会は六月十七日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  年月としつきの経つのは早く亡き夫の
     十三回忌法要子らと 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。内容がよく理解できる歌である。作者がどのようなお気持ちで詠まれたのかを考えると、ご主人が生前はどのような方でご夫婦の生活はどのようなものだったのかを想像してしまう。「子らと」とあることで、どのような父親だったのだろうと想像はさらに広がってゆく。「年月の経つのは早い」という言葉が現実に引き戻す。三宅さんのお話では、嘉山さんの旦那様は三浦短歌会のメンバーで、亡くなる数日前まで短歌を詠まれておられたとのことである。旦那様は奥様のこの歌をどのように評価されるのだろうか。
  高層ビル住まいし友をおとづれば
     ビル風うなり我をこばみぬ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。幼なじみが高層ビルに引っ越され、そのお宅を訪れたときのことを詠まれた。高いビルの周辺で突然強い風が吹くいわゆる「ビル風」は、誰もが経験したことがあるだろう。歌に表現されているようにまさに「うなる」勢いである。そのメカニズムを知らない者にとってはどこか不思議なものでもある。そのビル風が自分の訪問を拒んでいるようだと見る視点が秀逸である。古くからのご友人は作者の到着を今かと待っているだろうが、ビルが象徴する都会の新しく「最先端」の暮らしは、あたかも作者を寄せ付けないようにしているかの如くで、ユーモアすら感じられる。
 
  処方されし薬の効きて亡き父に
     飲ませたかりし小さき一粒 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。科学技術の進歩により、昔は不可能であったことも現在は可能になっている場合がある。そのようなことは様々な分野にあるだろうが、とくに医学においては顕著だろう。実際にご自身の具合が悪くなった時に処方された薬を飲むと効き目があった。それで、よかったとか助かったとか思うのではなく、現在作者が飲んで効いた薬は、昔の父親の病気にも効いただろうと思う気持ちが読者の心を打つ。あの時にこの薬があればという気持ち。しかもそれはたった一粒の小さな薬なのである。
  しんとした耳にジンジン事も無し
     誰か言ひつる宇宙の呼吸と 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。耳鳴りが聞こえるようになった時に、以前本で読んだ耳鳴りについての内容を思い出した。そのおかげで耳鳴りを心配する気持ちが少し和らいだとのこと。嶋田さんによると本には「耳鳴りの音は宇宙の呼吸である」と書かれていたそうである。確かにその言葉は印象に残る。一度聞いたら忘れないだろう。「宇宙の呼吸」とは何なのか実際には意味はよくわからない。言葉のマジックとでも言うのだろうか、言葉の響きや雰囲気から素晴らしい確かなもののように感じてしまう。病は気からではないが、「宇宙の呼吸」という言葉で安心感が得られる。不思議である。
 
  押し寄せる電波に乗りて脳内に
     サプリメントの広告入り来る 員子
 
 作者は羽床員子さん。日常の身の回りにあふれる煩わしい広告もユニークな言葉使いで歌になる。ユーモアもある。例えば、押し寄せる波に乗って湾内に船が入って来るといったありふれた内容の歌を思い浮かべて比較してみたら、羽床さんの歌の面白さがよくわかるだろう。
  紫陽花の名前のひとつ「ダンスパーティー」
     知らぬ間にわが庭に咲く 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。色や形の違うあじさいを見かけるので、筆者も種類が複数あることはわかっていたが、みなさんによるとその数は相当なもので、歌にある「ダンスパーティー」も先日テレビで紹介されていたそうである。一般的なあじさいに比べれば珍しいだろう種類のあじさいが、ある日突然、知らない間に庭で咲くことなどあるのだろうか。作者が知らないだけで、ご家族の誰かが植えたりしたのではないのか。何か不思議な自然の神秘のような雰囲気も漂う。
 
  ひとり咲きひとり墜ちゆく寒椿
     五月の地べたに濡れて重なる 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。光景が目に浮かぶ。「ひとつ」ではなく「ひとり」という言葉が使われていることから想像されるが、人間が寒椿に喩えられている。作者によると歌のテーマは生と死である。どんな花でもいつかは散るが、椿の花の散り方は印象的である。椿は花が根元から丸ごと落ちる。寒椿の場合は花びらが落ちる。濡れて重なるのならやはり寒椿だが、落ちるところは「地べた」なのである。「地面」ではなく、よりネガティブな印象の「地べた」という語を選択したのは、誰でもそんな所には落ちたくないことを表すためである。
  変わりゆく街に響ける烏鳴からすなき
     高層ビルは雨に濡れをり 裕二
 
 筆者の作。最近街の中心部で古い建物が壊されて高層のビルが建てられている風景をよく目にする。関心がないからなのかもしれないが、ビルはどれも無機質で同じように見える。あるいは、たまたま目にする場所に同じような種類のビルが建っているだけなのかもしれない。また、街に集まってくるカラスはたいてい古い建物に止まっているが、これも偶然なのかもしれない。さらにその鳴き声は、次々とビルを建てている人間にあきれているように聞こえて仕方がない。この歌は目にした風景を詠んだつもり だったが、変わりゆく街に対する失望をカラスに代弁させたとも思えてきた。
 
 歌会用の歌を提出した後で少し後悔したのは、梅雨の時期なので今回は雨についての歌が多いのだろうと予想し、自分の作品も雨の日のことだった点であった。もう少し別の内容で詠めばよかったかとも思ったが、まさか「高層ビル」が他の作品とかぶるとは思ってもみなかった。しかし逆にそれほど高層ビルが身近なテーマであることが示されたとも言える。高い建物としては東京スカイツリーが有名だろう。名前が表すように高層の建物を都会の木に見立てれば、あるいは面白い作品ができるかもしれないと思った。
日本浪漫歌壇 春 皐月 令和五年五月二十七日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 今月八日より新型コロナウイルス感染症は季節性のインフルエンザと同じ位置づけとなった。確かに猛威を振るっていた時期と比べれば、感染者数は減少しただろうが、ウイルス自体が弱体化した訳ではない。いつまた感染が急拡大するとも限らないし、感染すれば重症化の危険性もゼロではない。先日、勤務先で家族がコロナウイルスに感染した人がいて話題となった。どうするべきか。ついこの前までは「濃厚接触者」と呼ばれ、しばらく人と接することがないようにしたが、今では「濃厚接触」という概念が存在しないから、考えること自体意味がないとのことだった。その変わり方に正直違和感を覚えたが、理屈ではその通りだろう。いずれにせよ、再び感染が拡大しないことを願っている。
歌会は五月二十七日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  ノートルダムは聖母マリアと聞かされし
     再建進むとテレビのニュースに 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。二十年ほど前にご主人とパリに行かれ、ノートルダム大聖堂を訪れた際にガイドから「ノートルダム」とは聖母マリアのことだと聞かされた。数年前にその大聖堂が火事になり,今は再建が行われている。ニュースで現在の大聖堂の様子を見て、昔の旅行のことや火事になった時のことを思い出され、歌にされた。
  孟夏の日風吹きよせての若葉
     見えなくなりしそれもまたよし 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。初夏に手のひらに乗せていた葉が風で遠くに飛ばされてしまった。実際の光景を詠まれたように思えるが、この歌は比喩であるとのこと。実はお子様のことを詠まれている。非常に仲の良い親子だったが、若葉が青葉に変わる初夏の頃に子供が遠くに行ってしまうような出来事が起こり、寂しくて仕方のない気持ちになった。しかし自分もかつて母親と同じような事があり、親離れ、子離れはいつか起こるもので、それはそれでよいことなのだと思ってその出来事を受け入れようとされた。
 「掌の若葉」とは、自分の手のひらの中にいて思うままになっていた子供のことで、突然親の元から巣立って行ったという内容の歌であったのだ。比喩を用いず、子離れするのが難しいことをストレートに表現すれば、詩的でなくなるだけでなく、その事実を知られることが少し恥ずかしく思われたのかもしれない。
 
  農婦より採れたばかりの貰い物
     朝露のつく春キャベツ二個 光枝
 
 嘉山光枝さんの歌。三浦の春キャベツは有名で、歌の情景が目に浮かぶ。嘉山さんのお宅の周りには畑がたくさんあり、農家の方は朝早くから作業をされているので、たまたま朝に会ったりすると収穫した野菜をくれたりするそうである。「採れたばかり」で「朝露」のついた春キャベツ。みずみずしくて美味しいことをこれ以上うまく表現することができるだろうか。
  愛されし料理レシピのしみ見れば
     幼なき子らのざわめきがする 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。清水さんは初句を「愛されし」か「好評な」か迷われたようだが、「愛されし」の方がよいと思う。「愛されし料理」とは子供が好きだった料理という意味であるが、子供が愛してくれたと親が「愛」という言葉を使って表現することで、子供に対する親の愛情も同時に感じることができるし、さらに「愛されし」「レシピ」「しみ」と「し」が連続することで音としての響きやリズムがよい。
 料理のレシピ、すなわちその家庭の味というのは家族にとって特別なものである。子供たちが好きだった料理は何だったのかを想像してみるのも楽しい。
 
  自刃せし三浦一族守りたる
     旗立て巌に霊気漂う 員子
 
 作者は羽床員子さん。先月の歌会の会場になった岩間邸を訪れた際に、庭先の旗立岩を見て三浦一族の歴史に思いを馳せて詠まれた歌。歌会はよく晴れた昼間に行われたので、「霊気」が漂うような感じでもなかったが、羽床さんには何か感じるものがあったのかもしれない。
  ひさびさに狸来たりぬ子を連れて
     毛は抜け落ちて体ハゲハゲ 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。この歌の通りだったそうである。食べるものがなくて栄養状態が悪いのか痛々しい姿である。昔は山だったところが今では畑となり、動物たちの居場所もなくなって畑や人家に現れる。畑を荒らして困るために駆除されることもあるが、対象となるのはアライグマのような外来種だけとのこと。残っている里山も保全管理を行わずに放置していれば荒廃して動物は住めなくなる。狸を写生しただけのように見えて、実は人間の行動を批判している歌ともいえる。
 
  ふだ入れは学歴いつはる乱れ籠
     天空黄砂も人為ぞ若葉よ 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。議員選挙があってトップ当選した候補者は学歴を偽っている。しかし議会はそれを糾弾しようとしない。情けない話である。「乱れ籠」や「天空」のような言葉のイメージと歌が示す内容のギャップにより、作者の怒りや悲しみ、やるせない思いがさらに強調される。短歌にしてでも言わずにはいられなかったと作者の気持ちを解釈した。
  空青し海また青し夏の日に
     火球の奪ひしあまたの命 裕二
 
 筆者の作。一週間ほど前に広島でG7サミットが開催された。世界が注目する中で原爆投下による惨状や終わらない被爆者の苦しみなどが世界中に伝えられて、核廃絶に対する意識が少しでも高まればよいと期待したが、ウクライナのゼレンスキー大統領の電撃訪問で報道の焦点が変わってしまった。戦争中の大統領を危険な中でわざわざ日本に呼んだ理由がわからない。サミットはただのショーで、ショーを盛り上げるためにはサプライズが必要だった。そんなふうにしか思えず、しらけた気分になる。各国首脳は原爆資料館を訪れて何を思ったのだろうか。原爆について多くの言葉はいらないだろう。失われた命は戻らない。それにつきる。
 
 歌を解釈する際に何に注目すればよいのか。歌を理解する手がかりはいろいろとある。今回の嶋田さんの歌でも、書かれている言葉から判断して、実際の光景を詠まれたと解釈してももちろん構わない。しかし今回、筆者は解釈するに当たって大切なことに気づかなかった。そのため作者の思いを読み取ることができなかった。歌をその歌単体でしか考えなかったのである。
 歌会はまず作者を伏せて読んで解釈するので、最初はそれでも仕方がない。しかし作者が判明すれば話は別である。筆者はこれまでに嶋田さんの歌を何首も読んできた。嶋田さんにはご家族のことを詠まれた歌が多い。この簡単な事実さえ思い出せたなら、今回の嶋田さんの歌がご家族、とくに自分の元を離れていくお子さんを詠んだ比喩だと解釈することも可能だっただろう。どんな手がかりも決して見逃さないという気持ちが足りなかった。
日本浪漫歌壇 春 卯月 令和五年四月八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 四月八日はお釈迦様が生まれた日とされ、寺院では誕生を祝う灌仏会という仏教行事が行われる。お釈迦様は生まれ落ちてすぐに七歩歩いて右手で空を左手で地を指して「天上天下唯我独尊」という言葉を発したとされることは筆者も知っている。しかしその誕生仏を花御堂に安置し、それに甘茶を掛けることにどのような意味があるのかは知らない。なぜ甘茶なのだろうか。甘茶は普段見かけないが、灌仏会以外で甘茶が淹れられることはあるのだろうか。四月八日は俳人高浜虚子の命日でもある。「虚子忌」や「椿寿忌」という言葉は春の季語になっている。
 歌会は四月八日午前十一時より横須賀市衣笠の岩間邸で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  ギシギシと悲鳴を上げる肩と膝
     我が老体に油差したし 員子
 
 作者は羽床員子さん。たとえ「ギシギシ」しても、機械ならグリスを塗れば再びスムーズに動くようになる。しかし人間はそうはいかない。関節に痛みを抱えている人にはこの歌の気持ちが痛いほどよくわかるだろう。ただ最近は肩や膝に直接塗って痛みをやわらげる塗り薬もあるとのことなので、薬を使用しながらさらに悪化しないように体を労っていつまでも人生を楽しみたいものである。
  寒もどりチュニジア産の鮪売られ
     夕暮れスーパー客足まばら 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。寒い日は買い物に行くのを控えてしまう人も多いだろう。スーパーの客足がまばらなのは珍しいことではない。目を引くのは「チュニジア産の鮪」である。養殖マグロの産地として地中海では、スペイン、クロアチア、イタリア、マルタ、トルコ、チュニジアなどがあるが、日本のスーパーではチュニジア産はこれまであまり見かけなかった気がする。そのチュニジア産のマグロが、マグロで有名な三崎で売られている意外性が面白い。
 
  絢爛な枝垂れ桜の足元に
     うつむきて咲く真白きすみれ 裕二
 
 筆者の作。桜が咲いていると絢爛な桜の花に注目してしまうが、春には他にも多くの花が咲いている。たまたま桜の木の下にすみれの花がひっそりと咲いていたのを見かけた。その光景を詠んだ写生の歌である。花を人と見立てれば、人の世を詠んでいるとも解釈できる。
 
  今年また結婚記念日亡きつま
     好物つくり仏壇に上ぐ 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。旦那様は晩年病気で入退院を繰り返し、食事制限のために好きなものが食べられなかった。亡くなった後に、嘉山さんは旦那様が入院中に大学ノートに書き記したメモを読まれたが、そこには、退院したら食べたいものが書かれていた。今はもう何でも食べられますよと伝えたいお気持ちで、毎年結婚記念日に旦那様の好きだったものを作り仏壇に供えられているそうである。
  まさぐりしポケットの鍵の温かき
     冷たきドアの前に立ちおり 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。ホームにお住まいとうかがったので、ご自身の部屋に戻られた場面だろうか。温かい鍵と冷たいドアの対比が印象的である。鍵の温かさは自分が生きていることを表すが、冷たいドアを開けて部屋に入ると、そのドアで外の世界と自分が隔離される。外の世界にいてポケットに入っていたので鍵は温かかった。部屋に入ってポケットから出されれば、やがてドアのように冷たくなる。この歌は作者の心的情景なのかもしれない。
 
  メリケンのボールいくさの歓声に
     古武士の戦場いくさば遠のくが如 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。三月二十二日に行われたワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦を旅先の島根県安来の地でテレビ観戦された。試合は三対二で日本がアメリカに見事勝利し、三大会ぶりに世界一に返り咲いた。最優秀選手には大谷翔平が選ばれた。大谷は投手と打者の二刀流でベーブルースと比較されることが多いが、ベーブルースは一九三四年に日本で行われた日米野球で来日し、十六試合で十三本のホームランを打つ活躍をしている。当時の日米の実力の差は大きく、日本は十六戦全敗で、しかも大敗で全く歯が立たなかった。唯一当時十七歳の沢村栄治が八回を投げて一失点に抑える好投を見せた。その頃の弱い日本チームから今ではアメリカを倒すまでになった。「メリケン」という言葉にその歴史が表現されている。
 下句の「古武士の戦場」とは、作者が試合観戦後に訪れた月山富田城のことで、ここにいた尼子は毛利に滅ぼされた。時空を越えた戦いを詠んだスケールの大きい歌である。
  一所ひとところ流るるままに過ごしをり
     君に苛立ち君に癒され 弘子
 
 嶋田弘子さん作で、旦那様に対するお気持ちを詠まれた。夫婦として長く一緒に暮らしいると相手に対して腹の立つことも多いが、逆もまたある。例えば大切にしている胡蝶蘭を愛おしそうに黙って眺めている姿などを見ると、花を見ながらこれまでの人生の喜びや悲しみや後悔や様々なことを考えているのが読み取れ、そのような「しっとりした」旦那様の一面でもって腹の立つ点をリセットしているそうである。日々の細かい生活の連続が夫婦の歴史となる。数学的には正しくないが、点が重なって線になるイメージである。
 
  山桜深山に咲ける姿には
     威を張るところなきぞ美し 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。旅に出て山桜を見た時に思ったことを詠まれた。桜と言えば街でよく見るソメイヨシノのような桜をまず思い浮かべるが、岩間さんは山の自然の中にぽっぽっと咲く山桜がお好きとのことである。わざわざ山に山桜を見に行く人は居ないだろうが、それでも毎年静かに花を咲かせて山を美しく飾る。自己主張せずに山に溶け込む。そんな謙虚なところに好感を持たれて歌を詠まれたのだろう。
 「美し」は読み方として「うつくし」「うるわし」のどちらも可能である。読み方によってやや意味や印象が変わるが、どちらに読むのかは読者に任せたいとのことである。
  シクラメン三年目にも花咲きて
     給ひし人を時々想ふ 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。シクラメンは夏越しなどをうまくやらないと花は咲かないと聞いたことがある。三回も花を咲させているのだから大事にされているのだろう。歌から判断するに、頂いた方は作者にとって大切な方だったが、この三年のうちに亡くなってしまい、シクラメンだけが枯れずに今も花を付けている。その花を見て故人のことを思い出している。来年も美しく咲くはずである。故人を想う気持ちが美しいからである。「内気」「遠慮」「はにかみ」といった花言葉もこの歌には合う。
 
 短歌の披露と批評を終えた後、濱野会長によって自作の漢詩が披露された。「衣笠城旺盛歌」と題された漢詩で、今回の歌会が開催された岩間邸一帯の衣笠城址で吟じるにふさわしい衣笠城を讃える格調高い詩であった。
 歌会を終え、会場の岩間邸の和室で皆が持ち寄った昼食をいただく。打ち解けた雰囲気に会話も弾み、楽しい食事となり気分もお腹も満たされた。食後に岩間さんご夫妻が茶席を設けてくださり、皆でお茶を美味しく頂いた。点ててくださる亭主は、旦那様の岩間節雄さんでお点前はお見事。半東役の奥様滿美子さんの息もぴったりで皆気持ちよくお茶を楽しむことができた。その後は岩間邸に隣接する旗立岩を拝見し、さらに山を登って衣笠城址を散策して今回の衣笠の旅を終えた。充実した一日であった。岩間ご夫妻の素晴らしいおもてなしに心より感謝申し上げたい。
日本浪漫歌壇 春 弥生 令和五年三月十八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 東京の桜の開花発表は平年より十日ほど早い三月十四日であった。最高気温が二十度を超える日が数日続いたのが、早い開花に影響したのだろう。暖かい日が続き、すっかり春になった気分だったが、歌会当日には雨が降り、風は冷たかった。桜の花が長く楽しめると思えば、少々寒いのも我慢できる。入学式にまだ桜の花は見られるのだろうか。
 歌会は三月十八日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。
 
  包丁を毎日曜日研ぎくれし
     夫の心情十年後ととせご気づく 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。亡くなったご主人は、毎週日曜日の朝食後に何も言わずに包丁を研ぎ、終わるとご自分の部屋に戻って行かれた。その行動をずっと気にも留めなかったが、亡くなってから十年が過ぎて、ご夫婦での生活を振り返った時に、それはきっと旦那様の愛情だったのだと思われて歌に詠まれたそうである。
 
  ぬか床のきゅうりが苦い?宝物
     無くしてなるものかと手を入れる 弘子
 嶋田弘子さんの歌。お母様から受け継いだぬか床を現在も大切に使われている。嶋田さんにとってそれは宝物で、漬けた漬物をいつもご家族で美味しくいただいていたが、ある時きゅうりの味が苦くなった。このままではぬか床はダメになってしまう。「無くしてなるものか」という気持ちでできることはすべてやり必死に元のような状態にまで回復させた。かれこれ一か月もかかったとのこと。
 
  眼から鼻花粉は来たりくさめする
     年中行事の如く始まる 尚道
 
 作者は三宅尚道会さん。花粉症の方は共感できる歌である。まさに「年中行事」で、毎年同じ時期に苦しむことになる。三宅さんも花粉症になってもう二十年だそうで、それまで平気だった人もある日突然花粉症になると言われると、筆者のように花粉症でない者は不安な気持ちになる。花粉症の歌が詠めるとしても、この「年中行事」に参加するのは遠慮したい。
 
  在りし日の姿思ひて読むメール
     用件のみも言葉優しく 裕二
 
 筆者の歌。日々の仕事においては手紙ではなくメールでやり取りをすることがほとんどになった。過去のメールを確認することが必要になりキーワードで検索すると、探しているメール以外にも予期せぬメールが検索にかかることがある。先日も偶然に亡くなった方から生前にいただいたメールが出てきた。亡くなられてもう七年ほどになる。その方のことを思い出しながらメールの文面を読んでみると、用件のみを伝えるものであったが、言葉使いなどは生前にいつも優しくしてくださったその方のお人柄がにじみ出ていた。
  大阪は見所多しと息子より
     行く先々の写メール届く 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。大阪に転勤なった息子さんから送られてくる関西の様々な場所の写真を見ると、旅行気分になるそうである。楽しい気持ちを母親と共有したいと思う息子さんとその写真を楽しみにしている嘉山さん。心温まる歌である。
 
  思ふまま生きられぬとも年嵩ね
     なほ迫り来る波迎えなむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。ある程度の年齢になれば、この歌に共感する人は多いのではないだろうか。「迫り来る波」をよけるのか、それとも迎えるのか。これまでの人生の経験を活かして「波を迎えて」よりよい人生を送りたいというお気持ちで詠まれたのだろう。筆者もそうしたいものである。
 
  いにし世を知らぬ存ぜぬ子らたちに
     すさむ思ひを語るも空し 成秋
  
 濱野成秋会長の作。「慌む思ひ」とは戦時中や終戦直後の大変な時期のことで、子供たちに話そうとしても、そんなことは関係ないという態度を取られてしまう。作者にとって非常に重要な現実も彼らにとってはただの歴史に過ぎない。歴史は繰り返すと言うが、再び戦争が起こらないようにするには、戦争とはどういうものなのか知る必要がある。しかし聞く耳を持たないのではどうしようもない。空しいお気持ちを歌に詠まれた。
  手の切れしヴィトンのバッグが買い取られ
     八千円にてらとランチす 員子
 
 作者は羽床員子さん。「手の切れし」というのは、縁が切れたのではなく持ち手が切れたという意味。そのような状態のバッグでも八千円で買い取られるとは驚きである。修理して中古品で売るのだろうが、持ち手が切れるほど使い込まれたものでも欲しい人はいるのだろうか。
  
  トンネルを越えれば雪国白銀に
     今一度会いたし待つ人なけれど 和子
 
 作者は清水和子さん。川端康成の「雪国」を思わせる上句に、下句は百人一首にある「小倉山」で始まる藤原忠平の歌の下句「いまひとたびのみゆきまたなむ」を思わせる。どこか聞き覚えのある歌になっているが、光景が目に浮かんできて、映画の一シーンを見ているようである。待つ人はいないけど会いたいという気持ちも理解できるし、三月とはいえ北国の山間部ではまだ雪が残っている場所もあるだろうから、現実の光景と言ってもおかしくない作品だろう。
 
 春夏秋冬、日本の四季は素晴らしい。季語を入れなくてはいけない俳句とちがい短歌は季節感を全面的に表す必要はないが、それでも季節感は歌に彩りを添える重要な要素である。今回は三宅さんと清水さんの作品が季節の歌であった。自然を描写すれば自ずと季節が現れる。次回は四月。春を迎え、桜を詠む歌は何首よせられるのであろうか。
日本浪漫歌壇 冬 如月 令和五年二月二五日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 二月は異称で「きさらぎ」というが、漢字表記で「如月」を「きさらぎ」と読むのには無理がある。実は、漢字は中国の二月の異称「如月(じょげつ)」が由来で、日本語とは由来が異なっている。では日本語の「きさらぎ」の由来は何か。いくつかの説がある。『日本国語大辞典』では、寒さのために衣を重ねるところから(衣更着)、陽気が発達する時節であるから(気更来)、正月に来た春が更に春めくところから(来更来)など多くの説が示されている。『広辞苑』では、「生更ぎ」の意。草木の更生することをいう。着物をさらに重ね着る意とするのは誤り、としている。複数の辞典を見てみると、「衣更着」の説が有力とされているようである。
 歌会は二月二五日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。三浦短歌会の加藤由良子氏も詠草を寄せられた。
 
  久しぶり肩をたたかれ誰だっけ
     マスクはずして友は笑いし 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。コロナ禍で誰もがマスクを着用する中で同様の経験をした人もいるのではないか。頻繁に会う人であれば目だけでもわかる。ところがしばらく会っていないと、歌のように誰なのかわからなかったり、自分が思っている人と違うのではないかと不安になったりする。声が重要な手がかりとなるが、マスク越しではクリアに聞こえなかったりするので厄介である。友の笑顔も含めどこか楽しそうな光景が目に浮かぶ歌である。
 
  福はうち海南様へと御神酒 升
     用意し夫の帰り待ちおり 由良子
 本日欠席の加藤由良子さんの歌。「福はうち」とあるので節分だろう。「海南様」とは三崎にある海南神社のことで、九八二年に創建された歴史ある神社である。食の神も祀られていて、境内には包丁塚や包丁奉納殿もある。三崎で料亭をされていた加藤さんには特別な場所なのかもしれない。お供えした御神酒を家に持ち帰って升でいただくのが風習だそうで、亡くなった旦那様と過ごした節分を思い出されて詠まれたのだろう。
 
  黄泉の日はけふかあすかで春となり
     娘の慶事でしばし沙汰止み 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。会長は病弱だったので、小さい頃は、明日にでも亡くなるのではないかとご両親に心配された。現在も今日亡くなるのか、それとも明日なのかといつもご自身で考えてしまい、気持ちが落ち込んでしまうそうだが、最近娘さんにおめでたいことがあり、さすがにこんな時には神様も命を取ったりはしないはずと思われた。何があったのかうかがうと、大学院に合格されたとのことで、学者である会長にとって娘さんが学問の道に進まれたことは特別な喜びであろう。
 
  青天に昨日も明日も手離して
     力を抜いて今を味わう 弘子
 
 嶋田弘子さんの歌。人生を達観されているような内容で、あれもこれもと様々なことが気になってしまう者を諭すような歌である。過去や未来に囚われれば、後悔や不安に苛まれる。作者の嶋田さんは、軟酥の法と呼ばれる瞑想法を実践されていて、それによって自分の中にあるものを出していくような、すべてのものを手放していくような感覚を体験される。「力を抜いて」とあるが、脱力によりとても楽な気持ちになり、今ここに生きていることだけを感じることができるそうである。晴れ渡った空という初句の言葉の選択も秀逸である。
  何気ないバッグに明るいスカーフを
     結わえて明日はどこへ行こうか 員子
 
 作者は羽床員子さん。前向きなお気持ちが伝わってくる歌である。歌のスカーフのように、読むと気分が明るくなる。本日も歌会の気分に合わせてスカーフを選ばれた。「明」の字が繰り返されることで、視覚的にも歌全体が明るいイメージに包まれる。
 
  きさらぎの草木に見ゆる我が夢の
     その根の内に春を待つらむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。「きさらぎの草木」とは冬枯れした草木のことだろう。枯れてしまっているように見えるが、実際には根は生きていて新しい芽や葉を出そうと春を待っている。ご自身のお気持ちを植物になぞらえて、とにかく生きることに執着する姿勢を宣言された歌だと解釈した。すべては生きていればこそ。よいことも悪いこともすべて受け止めて生き続ける。過去に大きな病気をされた岩間さんの現在の死生観を表された歌であろう。
 
  学生の作る映画の切なさに
     心ともなく涙こぼれつ 裕二
  
 筆者の作。勤め先で学生が制作した卒業作品の発表会が行われた。その中に女子学生の友情を描いた映像作品があった。まだまだ荒削りで、話の内容もよくあるメロドラマと言えるものであったが、それでも若者らしい真っ直ぐでひたむきな思いが伝わってくる作品で心を打たれた。友情であれ、愛であれ、人間関係こそが感動を生む。当たり前過ぎて忘れがちなことを改めて教えられた気がした。
  車椅子に引かれる妻のあと追いし
     夫の杖の音廊下に響く 和子
 
 作者は清水和子さん。実際にお住まいのホームでご覧になった光景を詠まれた。このようなお二人の姿を見て思うことは人それぞれだろうが、いずれにしても悲哀が漂う。夫婦でご健在とはいえ、「夫の杖の音」は、もの悲しく廊下に響いているようにしか想像できない。歳をとれば衰えていく。その事実を無視することは誰にもできない。老いは誰にとっても最重要な問題である。この歌を読んで、例えば事故に遭った若い夫婦の歌だと思う人はいないだろう。
  
  午後六時家猫ソラは目を合わす
     「何か忘れてないか」と迫る 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。飼い猫が餌を欲しがっている。ただそれだけの内容が見事に歌になる。三宅さんの表現力には脱帽である。
  
 歌会ではまず作者の名前を伏せて歌が披露されるが、その作者の歌を過去に何首も読んでいると、どなたの作品なのか想像できることが多い。ところが時にその想像は裏切られて驚かされることもある。このような歌も詠まれるのか。それぞれの歌人の新たな一面や豊かな表現力を知ることができるのも歌会の楽しみである。今回もそのような歌が何首かあった。楽しく勉強になる会になった。