投稿

日本浪漫歌壇 秋 霜月 令和四年十一月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 ロシアによるウクライナ侵攻で始まった戦争は、およそ九か月が経った現在も終わる気配がない。数日前にはついに隣国ポーランドの村にミサイルが着弾して死者が出た。NATO加盟国への攻撃と見なされれば、集団的自衛権が発動され大変な事態となり得るが、結局、ウクライナ軍がロシアのミサイルを迎撃したものと判断されて事なきを得た。このような緊張状態がいつまで続くのだろうか。一日も早く終結してほしい。
 歌会は十一月十九日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。
 
  ではなく孫よりたまに電話くる
     用はないけど「安否確認」 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。この歌に詠まれたように、地震や雷などがあると娘さんではなくお孫さんが心配して電話を掛けてくるとのことで、祖母を気にかけているお孫さんの優しさが伝わってくる。離れて暮らしているからこそ、年齢が離れているからこそ、心の距離は近くなるのかもしれない。心温まる歌である。
 
  まなかいににじ色号より見る生家
     幼い頃の私が居そう 由良子
 
 加藤由良子さんの歌。「みさき白秋まつり」の一環として先月、北原白秋ゆかりの地を三崎港から船で巡る「港から巡る白秋文學コース」が開催され、加藤さんも参加された。加藤さんの生家は海沿いにあり、毎日海を見て暮らしていたが、海から生家を見るのは初めてで、懐かしい家の玄関が見えた時には、幼い日の自分が出てくるような錯覚に陥ったとのこと。思い出の詰まったその家は、もはや幼い頃の自分の一部なのだろう。誰にとっても生まれ育った場所は特別である。この歌の「にじ色号」という語をかりに船名だと思わず、海から生家を見ていると解釈しなかったとしても、読者がそれぞれの生家を思い浮かべたときに、この歌には命が宿る。
  二つ三つとヨット数える日曜日
     老いの心も何か弾みて 和子
 
 作者は清水和子さん。お住まいから見える海には、日曜日に休日を楽しんでいる人たちのヨットが行き交う。清水さんはもうお仕事もされておらず、日曜日も他の日と変わらないが、ヨットを見ると気持ちが弾んでくるそうで、コロナ禍でずっとヨットの数が少なかったが、ここに来て制限が少し緩和され、数が増えてきて嬉しく思っている。「一艘二艘」や「一艇二艇」ではなく「二つ三つ」と数えていることが、束の間であれコロナの緊張感から解放されてリラックスしている様子を表している。穏やかな一日になりそうな歌である。
 
  父母ちちははよ千代もと祈る心もて
     未だ帰らぬ吾身責め病む 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。大学入学で上京し帰郷せずに現在に至るご自身のお気持ちを詠まれた歌である。たとえ故郷を離れて暮らした年月の方が長くなろうとも、未だ心はどこか故郷にある。両親がそこにおられればなおさらで、再び一緒に暮らせたらどんなによいか。それが叶わないなら、いつまでも生きていてほしい。同じ思いを詠んだ歌は『古今和歌集』と『伊勢物語』の「さらぬ別れ」にもある。
 
  世の中にさらぬ別れのなくもがな
     千代もといのる人の子のため 業平
 
  じいさまの鼻歌流るる施術室
     我目を閉じて共に歌わん 弘子
 嶋田弘子さんの歌。ぎっくり腰をされて接骨院に通われたときに実際に体験されたことを詠まれた。その接骨院では施術中に患者さんの好みの音楽を流してくれる。ある年輩の男性が来られると「赤城の子守唄」のような古い歌がいつもかけられる。カーテンで仕切られていてその姿は見えないが、鼻歌が聞こえてくる。嶋田さんも流れてくる歌を歌うことができるのは、彼女のお父様が昔よく歌っていて覚えてしまったからである。カーテンの向こうの男性とお父様の姿が重なる。男性は父と同年代なのだろう。どこにお住まいで、どのような毎日を過ごされているのかと想像されたとのこと。
 歌が人の心をつなぐことを示した作品で、「じいさまの鼻歌」という言葉使いが秀逸である。この一言が作品の味わいを決定づけている。
 
  武士もののふの聖地となりし衣の城
     勝鬨の声空に響かむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。「衣の城」とは衣笠城のこと。実際には戦いに敗れて落城し勝鬨はあがらなかったが、一族を逃がしてひとり城に残り討たれた当主義明の心の中では、きっと勝鬨の声が響いていたに違いない。あるいは三浦の魂の宿る衣笠城址に立てば、岩間さんには勝鬨の声が聞こえてくるのだろうか。いずれにしても衣笠城と『吾妻鏡』で伝えられるような義明の最期は、三浦一族にとっては永遠の誇りである。
 どこか幻想的な雰囲気を持ち、歴史のロマンを伝える歌であり、使われている言葉のバランスは、優れた彫刻のように美しい。
 
  一分間の壁立ち三年継続し
     狭窄症の再発の無し 員子
 
 作者は羽床員子さん。狭窄症で二か月ほど入院された時に、リハビリのつもりで壁立ちをやり始め、病気が治った現在も続けられている。頭の体操になるかもと思われて、最近では一分間を数えるのに「ワン、ツー」と英語を使われているそうである。健康第一。健康を維持するには日々の努力が必要なことは誰もがわかっているが、実際にはなかなかできない。「再発の無し」という自信のこもった結句に、読者は自分も何かせねばと思うだろう。
  あだし世によせる嘆きは絶えねども
     堪えて待ちたし夜が明けるのを 裕二
 
 筆者の作。少し前に悲しい事故があった。ようやく世界的にコロナ感染防止のための制限が少し緩和され始め迎えたハロウィーンの日に、韓国の繁華街で密集した若者が転倒して圧死する事故が起こった。犠牲者は百五十六人。ただハロウィーンを楽しもうと街を訪れただけなのに、将来のある若者が一度にこれほど亡くなったのを見ると、なんとはかない世なのだろうと思ってしまう。それでも希望を捨てずに生きてゆくしかない。「世」と「夜」、「絶え」と「堪え」を掛詞にすることで作品に和歌の雰囲気を出した。
  
  暑き日々終はりていきなり真冬なり
     今年の秋刀魚まだ食べてない
 
 作者は三宅尚道さん。ユーモアのある歌である。まだ食べていない理由がどうしてなのか気になってしまう。最近秋刀魚はあまり取れないようだが、上句にあるような気候変動が影響しているのだろうか。安くて美味しい庶民の魚というのはもう過去のことになってしまったのか。秋といえば秋刀魚。もし「秋刀魚」ではなくて「松茸」だったら、この歌も親しみがなくなってしまう。
 
 歌会を終えて、三浦市民ホールに移動する。三浦市文化祭の催しの一つである「三浦市文化展」を見学する。私たちの作品も含めた短歌を始め、俳句、書道、絵画、写真など多くの作品が展示されていた。どの作品からも作者の思いが強く伝わってくるのは、それぞれが真剣に作品と向き合った証拠だろう。中には完成度の高さに驚嘆するものもあった。良い刺激を受け、短いながらも充実した時間となった。
日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和四年十月十五日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 これまで全く気にしたことがなく、十月の祝日といえば「体育の日」だと思っていたら、いつの間にか「スポーツの日」になっていた。驚いて十一月三日をカレンダーで見ると「文化の日」はそのままで、「カルチャーの日」にはなっていなくてほっとした。そもそも祝日が英語の名称というのはどうなのだろう。調べてみると、二〇二三年から「国民体育大会」は「国民スポーツ大会」に名称が変更され、略称も「国スポ」になる。明らかに「体育」という言葉が避けられている。時代錯誤ということなのだろうか。今後この言葉が使われるのはおそらく学校においてだけである。
 歌会は十月十五日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。
 
  お互いに檄を飛ばして電話切る
     残り少なし貴重な時を 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。先日友人から電話があった。話題はいつものように体調のことなり、最後は「頑張ろうね」と言って電話を切る。下句は心情がストレートに表現されている。切った瞬間に再び自分の日常に戻る電話という設定もこの心情を表すのには効果的である。「貴重な時」という言葉は、状況は異なっても万人に当てはまる。この言葉を使うことで誰もが共感できる歌にしている。
 
  塩強め娘の漬けし梅干しを
     めばなつかし昔の味す 光枝
 嘉山光枝さんの作品。娘さんが毎年梅干しを漬けていて、その塩味の強い梅干しを食べると、嘉山さんのお母様の漬けた同じく塩味の強かった梅干しを思い出されるとのこと。嘉山さんにとっては、市販の砂糖や蜂蜜の加わった甘いタイプではなく、今でも昔ながらの塩強めなのが梅干しなのである。一粒の梅干しに、家族の歴史や思い出を詠み込まれた。
 
  大漁か群れ飛ぶとんび窓辺まで
     大きな影が食卓を舞う 和子
 
 作者は清水和子さん。海の近くにお住まいの清水さんが実際に体験されたことを詠まれた。映像作品のような動きのある見事な歌である。かなり特殊な光景にもかかわらず、あたかも自分が目の前で見たような気になる。細かい説明は不要である。
 
  古戦場赤く染めたる夕焼けに
     負けじと咲けり曼珠沙華の花 裕二
 
 筆者の作。筆者の住んでいる地域は、鎌倉時代後期(一三三三年)に鎌倉幕府軍と新田義貞率いる反幕府軍が戦った古戦場である。この戦いで勝利した義貞は鎌倉に軍を進め、やがて幕府を倒す。駅前には新田義貞の像があってその顔は鎌倉の方角を向いている。普段古戦場なのを意識して生活している人はいないだろうが、先日筆者は曼珠沙華があちこちで咲き、さらに辺りが夕日で赤く染まるのを見た際に、赤色が血を連想させ、ここが古戦場であったことを強く意識した。どちらも見事な赤で、まるで色彩を争っているかのような気がしたのである。
 
  「デストロイ」と名付けし孫の作品は
     ミサイル握る巨大な拳 員子
 作者は羽床員子さん。お孫さんが作った像が県から賞を受けた。驚いたことにお孫さんは女性である。実際の作品の写真を見せていただくと、なるほど賞に輝くにふさわしい立派な芸術作品である。英語の「デストロイ」をタイトルに付けるところや作品モチーフから作者はある程度の年齢だと想像できる。高校生とのことで、作品を見れば納得である。
 
  腸削る手術の日取り傍らに
     青い蜜柑をむさぼり喰らふ 成秋
 
 濱野成秋会長の作。手術は百パーセント成功するとは限らないし、術後の経過もどうなるのかわからない。手術を受けるかと思うと、どこかやけになるような気持ちになり、食べるにはまだ早い青い蜜柑をむさぼり喰らう。そのように読むだけではこの歌の本質を掴んではいないだろう。人間にとって食べることはまさに生きることである。むさぼり喰らうのは、生に執着するからであり、絶対に生きるという強い表明である。歌を詠まれた時には、手術を受けるつもりだったが、その後お気持ちが変わられたとのこと。
 
  鴨遊ぶ川面に映る赤柿や
     穏やかなりし歳月語らむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。秋の情景を描いた日本画のような歌であるが、作者によれば、実際に日本画を描くように秋のものを寄せて詠まれたとのことである。つまり本作は自然を描写した写実的な歌ではなく象徴的な歌である。鴨が遊ぶのも赤柿もすべて下句の内容の象徴になっている。とくに赤柿は単に秋を示しているのではない。柿といって思い出す言葉は、「桃栗三年柿八年」であり、柿はとくに実を付けるまでに長い年月がかかる。柿がなっているのはすなわち、穏やかな歳月が長く続いていることを表す。作者はウクライナの戦争に言及した。そのことも合わせて、本作は秋の情景を詠んだのではなく、争いのない穏やかな世界を願う作者の気持ちを詠んだものだと筆者は解釈した。
  家猫の二匹が眠る縁側に
     秋の日を浴びゴロゴロゴロ ゴ 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。穏やかな歌である。何気ない言葉が続いて、結句でインパクトのある言葉が登場。ゴロゴロと寝ている様子を表す言葉かと思いきや、それだけではなく猫が喉を鳴らす音も同時に表現しているとのことで、さらに最後が「ゴロ」ではなく「ゴ」となっているのは、途中で猫が寝てしまって最後まで音を鳴らさなかったのを表している。何とも手が込んでいる。一匹だと寂しさを感じてしまうかもしれないが、二匹いることで和やかな雰囲気を出している。このあたりの工夫も見事である。
  
  足柄は親子三人みたりを包みをり
     過ぎゆく四十年よそとせ祝福ありや 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。「親子三人」とは嶋田さんご夫婦と長女のことである。長女が生まれた時に親子三人で旅行した。その後は他にお子さんが生まれて、この三人だけで行くことはなくなったが、数年前に四十年ぶりにまた三人で旅行ができた。懐かしくとても幸せな気持ちになった。それで、今年もまた三人で同じ場所に行った。楽しいだろうと思って行ったが、娘さんが悩みを抱えていて楽しむ余裕がなく、そのような状況だったので、嶋田さんは結句に「祝福ありや」とご自身の気持ちを込められた。「三人」「四十年」と使う二つの数字を「三」「四」と並べることで自然なリズムを出しているのは流石である。
 
 今回の歌会で印象に残った一つは、三宅さんの「オノマトペ」を使った表現である。日本語にはオノマトペが多い気がするが、効果的に使えば、説明調にならないイメージ豊かな詩的表現となる。しかし言葉を選ぶのが難しい。ありふれたものだったり、合っていなければ逆効果となる。「ゴロゴロ」はありふれている。そこから独自の表現を作り出された三宅さんの挑戦には脱帽である。
日本浪漫歌壇 秋 長月 令和四年九月十七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 大型の台風の接近によりいささか落ち着かない日となった。日本では年間二十五回前後の台風の発生があるが、今回は十四号。この先もまだ台風への警戒が必要である。備えはできても、結局のところ静かに通り過ぎるのを待つしかない。台風が来れば、家屋の破壊や農作物の被害など残す爪痕に心が痛むが、通り過ぎた後に広がる晴れ渡った秋の天気は、すがすがしい。今回の台風で大きな被害の出ないことを願う。
 歌会は九月十七日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、、嶋田弘子、清水和子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の六氏と河内裕二。三浦短歌会の羽床員子、嘉山光枝の二氏も詠草を寄せられた。
 
  夕暮れにつくつく法師鳴きはじめ
     夜は虫の音秋はすぐそこ 光枝
 
 作者は本日欠席の嘉山光枝さん。夏になると蝉が鳴き始めるが、種類によって鳴く時期は少し異なる。ニイニイゼミは他の蝉より早い時期に鳴き、歌にあるつくつく法師は他より遅く晩夏から初秋ごろに鳴く。つくつく法師の独特な鳴き方は耳に残る。夜にはバトンを受け継いだかのように虫たちが鳴く。毎年変わらない自然の営みであるが、作者が表現するように私たちは五感で感じることで変化を実感する。カレンダーの日付ではそうはいかない。
 
  夢もなし「歩け歩け」と医師の声
     「もう夕食か」万歩計持つ 和子
 清水和子さんの作品。明るい前向きな歌とも取れるが、作者によればその逆で悲観的な気持ちを詠まれた歌である。「夢もなし」とは、「夢も見ないほど熟睡」ではなく「将来の夢もない」という意味で、歩かないと寝たきりになると医師に脅されるように言われ、一生懸命に歩いているとお腹もすかないのに夕食の時間となり、食堂に行かなければならないのなら、せめてその距離を万歩計に刻んでおく。本作にはやりきれない気持ちが表されているが、もう一人の自分の存在が重要である。自らを客観視し歌にする自分は、人生を完全に悲観してはいない。だから歌が詠める。
 
  百年ももとせの遠きに生くる歌人うたびと
     友の衰へ嘆ける夏の日 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。体に堪える夏の暑さは、歳を取って体が衰えたことを痛感させる。夏の暑い日に久しぶりに会った友は、老けて衰えたように見えた。実体験をされたのだろうか。作者は島木赤彦の歌集『太虚集』(大正一三年)にある次の歌に共感され詠まれた。
 
  夏の日は暮れても暑し肌ぬぎつ
     もの言ふ友の衰へにける 赤彦
 
  晴れた朝吾子らの位置をゼンリーで
     見届け楽しむコーヒーの香り 弘子
 
 嶋田弘子さんの歌。「ゼンリー」とはスマートフォンのアプリの名前で、そのアプリに登録したスマホは位置情報を知ることができる。お子さんたちとグループ登録している作者は、彼らが現在どこにいるのかを確認し、何をしているのかを想像する。お子さんのことをずっと心配されていた日々もこのアプリで終わり、今では安心してコーヒーを楽しむことができる。「晴れた朝」とあるので、家にいるお子さんたちを確認し、朝食を食べてこれからどこかに出かける姿でも想像されているのであろうか。
  秋勝り萩の花咲く庭に降り
     静謐の中友を言祝ぐ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。知り合いにおめでたいことがあった。すっかり秋の様相になった庭に出た際に、その方のことを思ってお祝いの言葉をつぶやくと、草花が聞いてくれたような気がした。庭に咲く花も友を祝っているかのようであり、「静謐の中」という句があることで、つぶやかれたお祝いの言葉だけが広がってゆく。生きにくい世の中においては人の幸せを喜ぶことは、実はそんなに簡単なことでもない。ネットで問題になっている誹謗中傷の類いはそれを示すだろう。上句で表される庭の花の美しさは、下句の友の幸せを願う美しい気持ちに向かう助走であり、結句に集約される。
 「ことほぐ」には、「寿ぐ」と「言祝ぐ」の二つの漢字表記がある。「寿ぐ」は結婚のお祝いのイメージが強いので、「言祝ぐ」にされた。
 
  いつになくこころ弾めり昼下がり
     彩なす秋桜はなと風に吹かれむ 裕二
 
 筆者の作。秋桜を見た人から話を聞いた。ある晴れた日の午後のこと、公園に咲くきれいな秋桜を前にして心が弾む。秋の風に吹かれながら、しばらく花を見つめる。見た人の気持ちになって詠んだ歌である。
 
  中秋の名月橋の上にあり
     在位七〇年エリザベス女王逝く 由良子
  
作者は加藤由良子さん。先日亡くなった英国女王を詠まれた。日本的な風景を想像させる上句から下句は世界的な出来事に展開する。美しい中秋の名月のイメージが、気品あるエリザベス女王と重なる。「橋」という言葉も象徴的である。長きにわたり英国と世界の架け橋となった女王は世界の人々に愛された。そんな女王を思って下句を読むと、このような大きな出来事があっても中秋の名月は変わらずに美しく輝いているとまた上句に思いが戻る。素晴らしい歌である。
  おほよそは歓迎されぬ我なれど
     裏山の蚊の歓迎止まぬ 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。この歌は諧謔を含む狂歌である。思わず笑ってしまうのは、誰もが蚊によく刺される人とそうでない人がいるのは知っているが、それがなぜなのかはよくわからないからである。血を吸うのは産卵前のメスだけで、しばらく痒いだけであれば、気づかぬうちに刺されてしまった自分の「負け」を認めて諦めの気持ちでいられるが、蚊はマラリヤやデング熱を始めとする多くの伝染病を媒介し、毎年世界中で多くの人が亡くなっている。場所によっては笑えない歌である。
  
  散歩する亡夫の姿見つけたり
     一年前のグーグルアースに 員子
 
 作者は本日欠席の羽床員子さん。グーグルのストリートビューに、自宅近所を散歩する生前の旦那様の姿が映っていた。そのことにとても感動されて詠まれた。「見つけたり」という言葉から作者の喜びが伝わってくる。撮影時に散歩されていたのも、画像を発見されたのも偶然であるが、作者の変わらぬ愛が偶然を引き寄せたのだと思わせる歌である。
 
 今回歌会で取り上げられた「ゼンリー」や「グーグルアース」のような先端技術が家族の絆を強め、愛を育むことに筆者が意外な気持ちになったのは、実際にそれらを使っていないからだろうか。ネットは効率や利便性を追求するが、その方向性が何となく家族とは結びつかない気がする。思い込みだろうか。結局、家族の問題が解決できるのであればそれでよい。時代は変わったのである。
日本浪漫歌壇 夏 水無月 令和四年六月十八日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会に向かう電車は混み合っていた。新型コロナウイルスの感染者数はもう一ヶ月以上も前週の同じ曜日より減少を続けているので、多くの人が休日に観光地に出かけているのだろう。鎌倉駅でほとんどの乗客が降りていった。思い出してみると、昨年もこの時期には感染者数が減少し、それまで出されていた緊急事態宣言が解除された。しかし七月末にまた急増し、再び緊急事態宣言が発令された。今年はどうなるのか。感染の波が繰り返されないことを願う。歌会は六月十八日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、櫻井艶子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の九氏と河内裕二。
 
  戻らねば我が物顔のどくだみが
     君の小径を占拠するかも 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。ご友人でご自宅の庭にある花の小径を大切にされていた方が、急に引っ越さなければならなくなり、嶋田さんがそこを管理することになった。しばらくして行ってみると、その小径はどくだみで埋め尽くされていた。人が居なくなると、たちまちこのようになってしまう。戻りたくても戻れないご友人の心情や、さらにフクシマや現在戦争中のウクライナの人たちのことも考えてしまったとのこと。事情があるのだから仕方がない。でも、早くしないと「どくだみ」に乗っ取られてしまうよ。そんなお気持ちから「占拠」という言葉を使われたそうである。
 
  お祭りも海も花火もみな中止
     夏のたのしみなき三年目 光枝
 嘉山光枝さんの歌。三崎のことを詠まれたが、日本全国で皆が同じ経験をしているだろう。夏の風物詩とも言える「祭り」「海」「花火」の三つは、もう三年も中止になっている。毎年夏に感染者が増えている事実を考えると、この先もできないのではないかとさえ思えてくる。中止が続けば、それが常態化して再開が難しくはならないだろうか。厳しい夏の暑さに耐えられるのも楽しいことがあってこそ。味気ない夏はいつまで続くのだろうか。
 
  螢火の小川の岸に立つ父母の
     着物も帯もいづこに去るや 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。かつては蛍も身近で見られ、歌のように家族で蛍狩りというのも珍しくなかっただろう。濱野会長は蛍狩りでご両親がお召しになっていた着物を今でもはっきり覚えておられるが、それらはどこへ行ってしまったのだろうかと思われ、この歌を詠まれた。結局残るのは記憶の中にだけと仰った。場所が「小川の岸」になっているのは、下駄履きで来たお父様が、渡った小川の先で蛇を踏まれたという思い出があるからとのこと。お話をうかがって漱石の俳句「蛍狩われを小川に落としけり」を思い出した。
 
  胆管癌三十三年目で完治したと
     でんわの老友声トーン高し 由良子
 
 加藤由良子さんの作品。高校来のご友人より電話があり、病院に行ったら「癌は完治したのでもう通院しなくてもよい」と医師に言われたとのことだった。不安の日々から解放されたかのように、それを伝える彼女の声はトーンが高く歌うようで、本当に良かったと思われて、彼女の報告を歌にされたそうである。三十三年とは相当長い期間であるが、「三」は「みつ」の語呂合わせで「満たされる」や「願いがかなう」という意味になり縁起がよい数字であるとどこかで聞いた。三十三年、偶然だろうか。
  現人うつせみはいつか散りぬる宿命さがなれど
     千紫万紅けふも咲きたり 裕二
 
 筆者の作。「現人」とは字の通り「現在生きている人」という意味である。この世に生きている身体を表す「現し身」としなかったのは、肉体は滅んでも魂は残るというようなニュアンスを加えたくなかったからである。この歌は、人は等しくいつかは死ぬがその人生は様々であると述べたもので、武者小路実篤の言葉「人見るもよし、人見ざるもよし、されど我は咲くなり」ではないが、人生を「花」に喩えたものである。
 
  二年経ち又脊が伸びたか若き人
     吾優先席に埋もれてゆく 和子
 
 作者は清水和子さん。新型コロナウイルス拡大のために長く遠くに出かけられなかったが、約二年ぶりに電車に乗ると、誰もが以前より気持ちに余裕がなくなっていると感じられた。そのような世の中で若者はさらに大きくなるが、自分はどうすることもできずにただ埋もれてゆくしかないのかと思われた。その悲しみを詠まれた歌である。
 
  糖尿の祖母への土産は「白い恋人」
     一日一個の制限つきで 員子
  
 作者は羽床員子さん。「祖母」とはご自身のことで実体験を詠まれたとのことである。甘い物はもちろん塩分や水分も糖尿では制限しなくてはならず大変であると仰るのは、亡くなった旦那様が糖尿病を患っておられた嘉山さん。北海道土産であれば、他に甘くない物もありそうだが、一日一個としてまでも祖母に大定番の「白い恋人」をあげたかったお孫さんの気持ちは何とも微笑ましい。とても楽しい旅行だったのでしょう。きっとその楽しさもあげたかったのである。
  新蛍にいぼたる独り飛びたる夏の宵
     虚空に向かい心預ける 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。幻想的な光を放ちながら一匹の蛍がゆっくりと宙を舞う光景が浮かぶ上句に、作者が独り何もない空を見て心を預けようという気持ちの下句。どこか儚く寂しさを漂わせる一匹の蛍に自らを重ね合わせる。蛍のように自分も輝きたいと願いながら消せない寂しさを抱えて生きてゆこうという作者の思いが読み取れる。心に余韻を残す歌である。
  
  裏山の枇杷は豊作 忘れてた
     「揺籃ゆりかごのうた」声出して歌う 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。枇杷の実がたくさんなっているのを見て、枇杷は何かの歌に出てくるのではないかと考えたら、童謡「揺籃のうた」の二番の歌詞に「枇杷の実」があったのを思い出した。それで歌を思い出すために声に出して歌ってみたとのことである。調べてみると「揺籃のうた」を作詞したのは北原白秋である。
 
  恋しくて傘にかくれて泣きました
     疎開なるもの御存知ですか 艶子
 
 櫻井艶子さんの作品。櫻井さんは七歳の時に二、三ヶ月間お姉様とお二人で親戚の家に疎開されたご経験がある。今も雨が降るとその時のことを思い出されるそうで、歌にある恋しがっている人はご両親である。実際に終戦となり、お父様が疎開先のお二人を迎えに来られた時には、足音を聞いただけでお父様だとわかったそうである。
 櫻井さんによれば、「疎開」を知らない若い世代の人たちに話しかけるつもりで、今回ご自身では初めて短歌で口語表現を用いられた。その手法は見事に成功している。この歌の下句は問いかける形になっているので、それを聞く若者の存在が示される。そのため、上句と下句は戦時中の若者と現在の若者という対照をなすが、疎開経験を持ち出すことで両者の間に七十年以上の時間の隔たりを作り、「疎開」について問うことでそれを埋めて両者をつなぐ。素晴らしい歌である。
 
 今回の歌会では「字空け」について考えさせられた。三宅さんの歌は字空けのない形になれば、三句「忘れてた」が前の二句につながるのか後の四句につながるのか分からない。意味的にはどちらも可能であるが、どちらになるかで意味は変わる。上句としてまとめて二句につなげ「枇杷は豊作忘れてた」とするのが普通であろう。しかし作者は四句の「揺籃のうた」を「忘れていた」という意味で詠んでいる。字空けがなければそのように読み取るのは難しい。字空けは意味を左右するほど重要な役割を果たすが、それだけではない。そこで溜めが生まれるのでリズムを作り出したり、場面や内容を転換したり、漢字が続く場合などには視覚的に見やすくすることも可能である。筆者はまだ用いたことはないが、使い方によっては効果的である。
日本浪漫歌壇 夏 文月 令和四年七月十六日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 七月中旬といえば平年では梅雨明けの時期であるが、今年は観測史上最速の六月二十七日に梅雨明けとなった。異例はそれだけでなく、梅雨が明けると最高気温が三十五度を超える猛暑日が続いた。七月に入ってようやく気温は一段下の真夏日まで下がったものの、三十度超えでは依然として暑い。幸いこの数日は雨天のためか三十度を下回る夏日が続いている。これほど最高気温を気にするようになったのは、外出時にマスクを着用するからである。身体に熱がこもれば熱中症になる。
 歌会は七月十六日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  新聞はどこから読むのと聞く友に
     テレビ欄だと即答をする 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。ご友人との会話で新聞が話題となり、普通は一面から順に呼んでいくと思うが、ご自身は後ろから読んで最後に一面に行くと言って驚かれた。小説なども同様に結末を最初に読むことがあると伺ったが、推理小説には、ミステリーとサスペンスがある。最後まで犯人やトリックのわからないのが「ミステリー」で、すでに読者にはわかっている犯人を主人公が追い詰めていくのが「サスペンス」である。嘉山さんは『刑事コロンボ』がお好きなので、要するにサスペンス派ということである。
 
  子供のころ自転車屋さんあった場所
     今は軽自動車三台並ぶ 由良子
 加藤由良子さんの作品。子供の頃に近所にあった自転車屋さんはすでに無くなり今はその場所が駐車場になっている。その光景を見て昔あった自転車屋さんとその二階で生活していた店主のご家族を思い出された。近くには八百屋もあったがそれも無くなった。みんなよい人たちばかりだった。今はいなくなってしまった人たちのことを思い出されて詠まれた歌である。
 
  書く人に残日かぞへと責める身に
     炎天傾かたぶき降る里しぐれ 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。一族についての歴史書を書き始められた方に、あるとき濱野会長がアドバイスをされた。その調子で書いていると、この先の残りの人生を考えて、完成できないと自戒の念も込めて助言された。しかしすぐにその発言を後悔された。下句にそのお気持ちが表現されている。「降る里」は「古里」と掛詞で「炎天」とあるのでお盆を連想させる。先祖のお墓参りもしていない自分が、先祖の歴史を一所懸命に書いている方に無神経な助言をして、お天道様がお怒りになった。素晴らしい表現である。
 
  列島が真赤に染まる天気予報
     梅雨は明けしもいまだ六月 員子
 
 羽床員子の作。今年の六月は異例だった。早々と梅雨が明け、六月とは思えない真夏のような暑い日が続いた。その厳しい暑さを天気予報で表現された。日差しで「真赤に染まる」のではなく、テレビの天気予報に映し出される色が真赤というのが面白い。
  御社みやしろの白木の門にやおら触れ
     病むおとおもふ薄月の夜 裕二
 
 筆者の作。弟の具合が最近よくないと聞いていたので、地元の神社の近くを夕方に通りかかった際にお参りしようと寄ってみた。ところがすでに拝殿に入る門が閉まっていて、仕方なく門前で拝礼した。「薄月夜」は俳句では秋の季語なので七月の歌会には相応しくないのではとも思ったが、短歌であるのと内容として季節感がとくに重要ではないことから、歌のイメージ合う「薄月の夜」とした。
 
  梅雨開けて常ならぬ世となりしとも
     なほ常なりし日々を楽しも 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。今の世情や心情をストレートに詠われた。どこか哲学的で深みのある歌である。岩間さんのお話では、少し前に行かれたご旅行で、ある方から「天の声」についての持論をうかがったそうで、その方の考えでは、神様は口をきかないので、人を使ってその声を伝えている。人が語るのを聞いてそれをありがたく思えば、その言葉は「天の声」であり、その「声」を拾って生きるとよい。本作は「天の声」は日常の中にあるとご自身に言い聞かせるように詠まれた歌なのかもしれない。
 
  さまざまな人は過ぎ行く空港に
     我も過ぎゆく那覇の夏空 尚道
  
 作者は三宅尚道さん。実際に那覇空港で多くの人が行き交うのを目にされて、歌のように思われた。本作は旅が人生の喩えであるかのようで、一読すると、「月日は百代の過客にして」で始まる松尾芭蕉の『奥の細道』の序文が思い浮かぶ。芭蕉が北に向かうのに対し、三宅さんは南の沖縄へ。結句の青く眩しい空のイメージがどこまでも広がってゆく。
  「足音で育つ」と云われる野菜哉
     長靴履いてサクサク豊作 弘子
 
嶋田弘子さんの歌。嶋田さんは家庭菜園を始めるときに農家の方から野菜は「足音で育つ」と教わった。半信半疑だったが、たしかによく通って育てた野菜はできがよい。実際に音が影響するのかはわからない。ただ今年も手をかけ、愛情をかけて育てるとよい野菜ができるのを実感された。インパクトのある言葉で始まる上句に対し、下句は言葉の響きとリズムがよく、野菜作りの楽しさが大いに伝わってくる。
  
  床並べ語り疲れて寝返れば
     娘の寝顔に幼な見えたり 和子
 
 作者は本日欠席の清水和子さん。久しぶりにふたりの娘さんとホテルに泊まり、三つの布団を並べてお休みになった最近のご経験を詠まれた。本当に楽しい時間を過ごされたのでしょう。子供はいつまでたっても子供で、寝顔を見て昔を思い出されたのでしょうか。よい親子関係であればこそ生まれてくる歌である。
 
 今回の歌会では掛詞について考えた。掛詞とは、同音異義を利用して情物と心情の二つを表す技法で、和歌ではよく用いられる。濱野会長が「降る里しぐれ」という結句で効果的に使用された。和歌では掛詞はほとんど仮名で表記されるが、現代の短歌においては仮名で表記すると全体のバランスを悪くし、不自然さが出てしまう場合もある。漢字で書いてもう一方の漢字を想像させるのが現実的である。
 筆者も今回の自作の結句を掛詞にしようとした。しかしうまくいかずに諦めた。具体的には、神社に行ったが閉まっていた不運を「運のない夜」とし、「運」を「付き」と言い換えて「付きのない夜」とする。それと掛けて「月なしの夜」とすれば掛詞になるのではと考えてみたが、全体として適切な言葉とは思えず、歌の内容や雰囲気から最終的に「薄月の夜」とした。もちろん「付き」という言葉は「ある」や「なし」とは言っても「薄い」とは言わないので「薄月の夜」は掛詞にはなっていない。それでも「あまり付いていない夜」というのが結句から強引ではあっても連想される気がして筆者は満足している。