三浦短歌会 一月歌会詠草 令和三年一月三十日  濱野成秋
 
 短歌の結社としてはもう古い方に属するだろう。今年で七十四年になる三浦短歌会。神奈川県の三浦半島を城ケ島に向かったところにある。
 正月三十日、宗匠の三宅尚道氏の車で料理屋旅館「でぐち荘」に向かう。随行は日本浪漫学会の副会長代理河内裕二氏。詠草を寄せられた三浦短歌会の会員は嘉山光枝、加藤由良子、三宅尚道、桜井艶子、三宅良江、嶋田弘子、清水和子の各会員に日本浪漫学会から河内裕二と濱野成秋が加わる。
 今は昨年春先より猛威を揮うコロナ感染症の最中で集会が出来にくい。だが意を決して集まった歌人たちは意気軒高である。
 
  初日の出畑道に立ちて手を合わせ
     コロナ感染終息願ふ   光江
 
  久々に息子は帰省せりなにげなく
     吹く口笛に時は戻りぬ  由良子
 
  短歌会七十四年経過して
     三浦の短歌二集歩ませ  尚道
 
  時経れば百年なりとも親しきに
     父母兄みな逝くそを如何にせむ 成秋
  息詰めて来光の時唯待ちぬ
     去りしあの時われのみぞ知る 艶子
 
  駅ホームの点字ブロックに人立ちて
     障害者への場所と知らさる 良江
 
 秋である。写生歌である。朗々と読み上げる。樹木と色と動物と。その動きの中で枯葉が舞う。英語に driftというのがあり、これは漂い落ちる感であって、dropでも fallでも scatterでもない。それを「舞い散る」と詠んだところが近似してゆかしい。
 
  あいみょんを聞きつつ深夜外に出る
     秋季ただよいブルームーン高し 由良子
 
  感染者五千人超え続いても
     八時になれば朝ドラ始まる 弘子
 
  今日も又何とはなしに日は暮れて
     ふくらむお餅を眺めて待ちぬ 和子
 
  厳冬の心に咲きし寒椿
     花弁ちりばむ春待つ君に 裕二
 右の歌で特に皆が心を寄せたのは「エデンの園」というホームに住んで今年九十一歳の清水和子会員の歌。本日は足止め欠席。ホームでは与えられぬ餅を密かに焼いて頃合いになるのを待っているご本人は、ほんとうに待っているのは何? 訪れる身内? それともやり甲斐のある何か? いや業平のいう、昨日けふとは思はざりしをの…? とは誰も口には出さねど、他人ごとではないとはこのことで。
 
  その名さへ忘られし頃飄然ひょうぜん
     ふるさとに来て咳せし男 啄木
 
 啄木はコロナウイルスで死んだわけではない。だが、肺を患い心細い足取りで飄然と故郷に姿を見せては咳をする男。ここなら死に場所にしてよいとする心情は今も昔も変わりはない。
 終わって持参せし河内裕二副会長代理の五首を披露して勉強会。
歌会の後は別室にて新年会。地魚に鮑に本場のマグロに。天下の三崎港の御膝元である。終わって海辺。対岸に富士の霊峰。いましも暮れゆく夕凪の彼方を酔眼にて望みをり。未だ脈打つことのせつなさを噛み締めて。