三崎港にて「三崎白秋会」に招かれて詠む
             日本浪漫学会会長 濱野成秋
 
 日ノ本の世は安倍首相の暗殺事件とそれに続く国葬。世界はウクライナ戦争にて日本も危うし。されど三浦半島の突端三崎港では歌人北原白秋を忍んで地元白秋会の招きで船遊びにくわわりたる。これぞ巣寂しき人生の厚恩なり。
 現地の海は波穏やかにして、船上、三浦短歌会会長三宅尚道氏の見事な白秋披露に白秋の浪漫はよみがえり、帰りの道々歌作自ずと興る。
 
  三崎にて六首を詠ず
 
 三崎港に到着。私の車にて。運転は河内裕二副会長、同乗者は三浦氏淵源の岩間満美子と私。到着は夕暮れちかくにしてまずこれを詠める。
 
  はぐれ来て暮れ行く三崎の主はいずこ
     憂えと伴に今帰り来よ
 
 折しも桟橋から船が出る。
 
  陽の入りを船に乗りゐて待つほどに
     三崎の波は穏やかに満つ
 
 船上は歌人ほか、白秋作詞「城ヶ島の雨」を歌ってくれる地元コーラスグループの先生生徒のみなさまで賑わう。
  白秋の三崎の浜は賑わひて
     柳川語るは吾一人かも
 
 三宅翁の銘講釈続き、時の過ぎるも忘れて帰航すれば、早乙女の浴衣姿。
 
  波止場よりくるめき躍る白波の
     浴衣乙女に憂ひ目語らむ
 
 会うは別れの始めとか。ご準備御礼して車上の人となる。
 
  海今朝も揺れるしらなみ狂おしく
     薄暮となりて三崎を離る
 
 思えば今日も幻か。欧州戦争はいかにむごきか。やがて我が国もまた乱れるか。
 懊悩絶えることなく、車を走らせる。
 
  三崎からの潮の遠鳴り後にして
     暗がりの中 車走らす
 
 以上六首は即興短歌にて、車中では河内、岩間ご両人も秀逸の即興詩人にて。「オンライン万葉集」への掲載は船に同乗された諸氏もまた作歌されんを期待して。 
   2022.10.3 佳き日に感謝して
三崎にて白秋を偲びて詠みし歌
             日本浪漫学会副会長 河内裕二
 
 コロナ禍で中止を余儀なくされていた白秋を偲ぶ催しが、令和四年十月二日に十分な感染予防対策を行った上で数年ぶりに開催された。白秋の作品の舞台となった場所を詳しい解説とともに船で巡る貴重な体験ができた。主催された三崎白秋会および関係者の皆様に心より感謝申し上げたい。
 
  三崎にて詠みし六首
 
 城ヶ島大橋のたもとの浜に白秋の歌碑が立つ。三宅尚道先生のご説明では、建立は昭和二四年で、今の場所に移ったのが昭和三五年。碑に刻まれた「城ヶ島の雨」の一節は白秋の直筆である。
 船の帆のような形をした歌碑を海から眺めて詠む。
 
  白秋の詩魂息づく港町
     海守り居る帆のごとき詩碑
 
 船で三崎の湾を巡る。海は穏やか。船上には穏やかな表情をした白秋の写真もある。古代中国の思想では人生を青春、朱夏、白秋、玄冬の四つの季節に分けた。秋の日に人生も思いながら詠む。
 
  朱夏過ぎて寄せる波風静まりて
     白秋むかへ海に出でゆく
 
 地元合唱連盟の有志の皆様による「城ヶ島の雨」の合唱。しばし聴き入る。
  秋晴れの空を遊べる鳥たちも
     船追ひ聴きし献歌の調べ
 
 船は港の入り口に立つ紅白の灯台の間を抜けて外海に出る。海は変わらず穏やか。
 
  艶めいた紅き灯台後にして
     いざ繰り出さむ相模の海に
 
 太陽が沈むには少し時間が早かったが、夕日に照らされた海は黄金色に輝いて厳かであった。なぜか故郷の海を思いだした。これほど美しくなくても心に広がるのはやはり故郷の海である。
 
  沖に出で秋のゆふべに旅人は
     光れる波にふるさとを思ふ
 
 楽しい時間は早く過ぎる。船着き場に戻ると人もまばらで店も閉まっている。祭りの後の寂しさ。旅を終えて皆が帰路につく。
 
  夕闇の三崎去りゆく人びとを
     もだし見つむる二匹のかもめ
 
 三崎を愛した白秋が実際に三崎で過ごしたのは十か月程度である。長さではないのだろう。様々なことがあってたどり着いた三崎で、傷ついた白秋の心は三崎の風景と人びとに癒やされた。
 百年余り経った今でも白秋が変わらずに三崎の人びとに愛されているのは、彼の詩や短歌が人びとの心の中で生き続けているからである。文学の持つ力を再認識した。
   令和四年十月三日
三崎の白秋に思いを馳せて
             日本浪漫学会 岩間滿美子
 
 穏やかに晴れ渡る秋の日に、白秋祭の船上から望む大空の下、美しい合唱を聞かせてもらった幸せを歌う。
 
  遥かなる雲居の果てに白き秋
     悠々として歌い遊ぶにや
 
 夕陽が海に反映してできた一直線の帯はまるで、天照大神が白秋祭に遊びに来る道のように神々しかったので。
 
  わたつみに光の道を造られて
     天照もや白秋を訪ぬ
 
 申し分のない秋晴れの日に、夕日を受けて船の上から白秋の碑に手合わせて詠む。
 
  秋の日に眠る如くの静寂しじま
     白秋の碑に夕陽ゆうひを副える
 
 三崎の人たちの白秋を思う心が、永々と白秋を偲ぶ祭をまもってきたことに敬意を評して歌う。
 
  海のごと心寛きの三崎びと
     白秋の宴今がたけなわ
 
 不遇の白秋が、他ではない城ヶ島の地を訪れてくれたのだから、せめて白秋を記念する日に我々も城ヶ島を訪れよう。
  白秋の憂い去らざる城ヶ島
     せめて晴れたる秋の日訪ぬ
 
 船を降りて来ると華やいだ乙女の一群が、今を美しさの盛りと、さんざめきながら、通り過ぎて行った眩しさを歌う。
 
  秋の日に見えし程よりねび勝る
     乙女らの行く三崎の浜に
 
   令和四年十月三日