日本浪漫歌壇 秋 霜月 令和四年十一月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 ロシアによるウクライナ侵攻で始まった戦争は、およそ九か月が経った現在も終わる気配がない。数日前にはついに隣国ポーランドの村にミサイルが着弾して死者が出た。NATO加盟国への攻撃と見なされれば、集団的自衛権が発動され大変な事態となり得るが、結局、ウクライナ軍がロシアのミサイルを迎撃したものと判断されて事なきを得た。このような緊張状態がいつまで続くのだろうか。一日も早く終結してほしい。
 歌会は十一月十九日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。
 
  ではなく孫よりたまに電話くる
     用はないけど「安否確認」 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。この歌に詠まれたように、地震や雷などがあると娘さんではなくお孫さんが心配して電話を掛けてくるとのことで、祖母を気にかけているお孫さんの優しさが伝わってくる。離れて暮らしているからこそ、年齢が離れているからこそ、心の距離は近くなるのかもしれない。心温まる歌である。
 
  まなかいににじ色号より見る生家
     幼い頃の私が居そう 由良子
 
 加藤由良子さんの歌。「みさき白秋まつり」の一環として先月、北原白秋ゆかりの地を三崎港から船で巡る「港から巡る白秋文學コース」が開催され、加藤さんも参加された。加藤さんの生家は海沿いにあり、毎日海を見て暮らしていたが、海から生家を見るのは初めてで、懐かしい家の玄関が見えた時には、幼い日の自分が出てくるような錯覚に陥ったとのこと。思い出の詰まったその家は、もはや幼い頃の自分の一部なのだろう。誰にとっても生まれ育った場所は特別である。この歌の「にじ色号」という語をかりに船名だと思わず、海から生家を見ていると解釈しなかったとしても、読者がそれぞれの生家を思い浮かべたときに、この歌には命が宿る。
  二つ三つとヨット数える日曜日
     老いの心も何か弾みて 和子
 
 作者は清水和子さん。お住まいから見える海には、日曜日に休日を楽しんでいる人たちのヨットが行き交う。清水さんはもうお仕事もされておらず、日曜日も他の日と変わらないが、ヨットを見ると気持ちが弾んでくるそうで、コロナ禍でずっとヨットの数が少なかったが、ここに来て制限が少し緩和され、数が増えてきて嬉しく思っている。「一艘二艘」や「一艇二艇」ではなく「二つ三つ」と数えていることが、束の間であれコロナの緊張感から解放されてリラックスしている様子を表している。穏やかな一日になりそうな歌である。
 
  父母ちちははよ千代もと祈る心もて
     未だ帰らぬ吾身責め病む 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。大学入学で上京し帰郷せずに現在に至るご自身のお気持ちを詠まれた歌である。たとえ故郷を離れて暮らした年月の方が長くなろうとも、未だ心はどこか故郷にある。両親がそこにおられればなおさらで、再び一緒に暮らせたらどんなによいか。それが叶わないなら、いつまでも生きていてほしい。同じ思いを詠んだ歌は『古今和歌集』と『伊勢物語』の「さらぬ別れ」にもある。
 
  世の中にさらぬ別れのなくもがな
     千代もといのる人の子のため 業平
 
  じいさまの鼻歌流るる施術室
     我目を閉じて共に歌わん 弘子
 嶋田弘子さんの歌。ぎっくり腰をされて接骨院に通われたときに実際に体験されたことを詠まれた。その接骨院では施術中に患者さんの好みの音楽を流してくれる。ある年輩の男性が来られると「赤城の子守唄」のような古い歌がいつもかけられる。カーテンで仕切られていてその姿は見えないが、鼻歌が聞こえてくる。嶋田さんも流れてくる歌を歌うことができるのは、彼女のお父様が昔よく歌っていて覚えてしまったからである。カーテンの向こうの男性とお父様の姿が重なる。男性は父と同年代なのだろう。どこにお住まいで、どのような毎日を過ごされているのかと想像されたとのこと。
 歌が人の心をつなぐことを示した作品で、「じいさまの鼻歌」という言葉使いが秀逸である。この一言が作品の味わいを決定づけている。
 
  武士もののふの聖地となりし衣の城
     勝鬨の声空に響かむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。「衣の城」とは衣笠城のこと。実際には戦いに敗れて落城し勝鬨はあがらなかったが、一族を逃がしてひとり城に残り討たれた当主義明の心の中では、きっと勝鬨の声が響いていたに違いない。あるいは三浦の魂の宿る衣笠城址に立てば、岩間さんには勝鬨の声が聞こえてくるのだろうか。いずれにしても衣笠城と『吾妻鏡』で伝えられるような義明の最期は、三浦一族にとっては永遠の誇りである。
 どこか幻想的な雰囲気を持ち、歴史のロマンを伝える歌であり、使われている言葉のバランスは、優れた彫刻のように美しい。
 
  一分間の壁立ち三年継続し
     狭窄症の再発の無し 員子
 
 作者は羽床員子さん。狭窄症で二か月ほど入院された時に、リハビリのつもりで壁立ちをやり始め、病気が治った現在も続けられている。頭の体操になるかもと思われて、最近では一分間を数えるのに「ワン、ツー」と英語を使われているそうである。健康第一。健康を維持するには日々の努力が必要なことは誰もがわかっているが、実際にはなかなかできない。「再発の無し」という自信のこもった結句に、読者は自分も何かせねばと思うだろう。
  あだし世によせる嘆きは絶えねども
     堪えて待ちたし夜が明けるのを 裕二
 
 筆者の作。少し前に悲しい事故があった。ようやく世界的にコロナ感染防止のための制限が少し緩和され始め迎えたハロウィーンの日に、韓国の繁華街で密集した若者が転倒して圧死する事故が起こった。犠牲者は百五十六人。ただハロウィーンを楽しもうと街を訪れただけなのに、将来のある若者が一度にこれほど亡くなったのを見ると、なんとはかない世なのだろうと思ってしまう。それでも希望を捨てずに生きてゆくしかない。「世」と「夜」、「絶え」と「堪え」を掛詞にすることで作品に和歌の雰囲気を出した。
  
  暑き日々終はりていきなり真冬なり
     今年の秋刀魚まだ食べてない
 
 作者は三宅尚道さん。ユーモアのある歌である。まだ食べていない理由がどうしてなのか気になってしまう。最近秋刀魚はあまり取れないようだが、上句にあるような気候変動が影響しているのだろうか。安くて美味しい庶民の魚というのはもう過去のことになってしまったのか。秋といえば秋刀魚。もし「秋刀魚」ではなくて「松茸」だったら、この歌も親しみがなくなってしまう。
 
 歌会を終えて、三浦市民ホールに移動する。三浦市文化祭の催しの一つである「三浦市文化展」を見学する。私たちの作品も含めた短歌を始め、俳句、書道、絵画、写真など多くの作品が展示されていた。どの作品からも作者の思いが強く伝わってくるのは、それぞれが真剣に作品と向き合った証拠だろう。中には完成度の高さに驚嘆するものもあった。良い刺激を受け、短いながらも充実した時間となった。