「目黒川音頭」と「目黒川恋歌」  作詩 濱野成秋   2024.3.21
 
     序
 
 音頭は元来、世俗がむき出しで成った歌謡である。
 卑猥な風俗、隠さない心根さえも恥じらいも厭わずぶつけてこそ、本心で愛する音頭となると考える。本音をぶつけて何が悪いという開き直りには、苦労の毎日、失敗だらけの人生がむき出しの庶民には愛すべき笑いと哀しみの歌になっている。
 最近筆者は戦中戦後にかけて学者歌人として著名な川田順が昭和六年に出した満州訪問記とでもいうか、短歌集『かささぎ』を読みつ、自らも歌う掌編を書いた。少々硬直気味の心境が持続し、その直後の筆に成る。だから、「わたしゃ真室川の梅の花。あなたはこの町の鶯よ…と始まる「真室川音頭」に視る卑俗な「からみ」が色濃く滲む。
 川田の作風とはいかに異質か。冒頭にこうあり。
 
  大君おほぎみの遠の使つかひ寧楽人ならびと
     いはひて行きしあらきこの海
 
 筆者は抵抗を感じるも、素直に触発された風で、、
 
  奈良人の超えへし灘海なだみに乗り出でる
     おのが小袖に跳ねる荒波
 
 と詠む。恥ずるべくもない。千年の古代から数百年の近世に、寸時に跳んで、江戸期の、怪談めいた情話に浸るを愛でて俗謡を書くと次のように成った。
「目黒川音頭」   濱野成秋作詩
 
 目黒川には江戸期の、歌舞伎でも評判を取った鶴屋南北作の「白井権八と花魁こむらさき」の切ない情話が絡んで消えない。今人はこれを微塵も知らぬ。もったいないし赦せない。絶えた死霊に憑りつかれしは己が独りか、やるせない。筆者はゆえに、この情話に拘泥り、筆が進む。
 
☆壱番
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
咲いた咲いたよ 目黒の桜
逢うて嬉しや 人波小波
川のおもてに 頬くっつけて
いとし 恋しやお初の出逢い
交わす小指も夢ごこち
目黒音頭も夢心地、夢心地
ソレ!
目黒よいとこ 一度はおいで
誰に気兼ねも要るものか
ソレ!
目黒よいとこ 一度はおいで
可愛小袖に半幅帯で
ソレ!
 
 
大江戸恋しや 一度はおいで
此処は元禄 花見酒 花見酒
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
 
☆弐番
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
西の祇園は東の目黒
誰そ彼ぼんぼり 夜更けは錦
三味と太鼓に浮かれて酔うて
奴さん尻端折しりばしょ
きりりと締めて
粋な目くばせ
にっこり笑顔
ソレ
踊り明かそう
目黒の岸辺
恋の未練も尽きぬまで
ソレ!
 
 
踊り明かそう
目黒の出遭い
ソレ!
愛し恋しの
目黒川、目黒川
 
 
「目黒川恋歌」  作詩 濱野成秋
 
☆壱番
チントン、チレンツ、ツウンシャン
花は大江戸 目黒のさくら
小紫こむらさき待つ 愛しき街よ
川辺の春雨 寄り添う二人
腕に縋って しなだれ濡れて
けふもそぞろに 春雨しとど
濡れて渇ひて 渇ひてぬれて
雄蕊雌しべも 花魁おひらん橋も
春はめぐろよ ヤーレ 恋の街
チテチテ ツルーン、シャン
 
 
☆弐番
チントン、チレンツ、ツウンシャン
花は散りめ 葉桜愛い愛い
逢うて嬉しや 目黒の岸辺
月は木の間を ちらちらと
ほろ酔い 頬寄せ 今日もまた
おぼろ月夜の 逢う瀬の宿よ
でもなによそれ
ささの機嫌の 爪弾きみたい
権八のごと 手切れにするの
チテチテ ツルーン、シャン
チテチテ ツルーン、シャン
 
☆参番
女・遭へて嬉しや 三年ぶりね
男・目黒の川風 こごちよい
女・あらま独り身 お気の毒
女・私を探して毎日ここへ?
男・まるで権八 小紫こむらさき
女・そんなのいやよ 幸せ欲しい
女・目黒の川は幸せの
男・小笹舟おざさぶねを流す川
 
 
☆繰り返し
巡る弥生は 楽しみばかり
雄蕊雌しべも 花魁おひらん橋も
目黒に巡るよ 目黒に巡るよ
ヤーレ 恋の街
 
 
☆本作は2024.03.21に書き起こし同月28日に日本浪漫学会会員たちと回覧し目黒川花見の席にて披露発表に及んだ。当日の立会人は作曲家山川英毅(慶大哲学科よりボストン「バークリー音楽院」卒業)、同学会会員で大正大学英文学科卒業の閨秀詩人高鳥奈緒、まとめ役を同学会副会長河内裕二尚美大学准教授に依頼した。作詩は中央公論社や研究社での出版歴の多い警鐘作家濱野成秋。学生時代、目黒に居住し昔日の想い出とみに多し。制作時点で濱野成秋は日本浪漫学会の初代会長である。