三浦短歌会との合同歌会 令和三年十一月二七日
       記録と詞書 日本浪漫学会 河内裕二
 
 毎年十二月になると清水寺でその年を表す漢字が発表されるが、アメリカでは辞書大手のメリアム・ウェブスターが、十一月中に英語の「今年の言葉」を発表する。今年は「ワクチン」であった。言われてみれば納得である。昨年がパンデミック(感染症の世界的大流行)だったので、二年連続で新型コロナ関係の言葉が選ばれた。それほどコロナが世界に与えた影響は大きい。短歌でもコロナを題材とする作品は多い。来年こそは明るい言葉が選ばれることを願いたい。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、十一月二七日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。新メンバーとして岩間節雄氏、滿美子氏のご夫妻が参加された。三浦短歌会の櫻井艶子氏も詠草を寄せられた。
 
  サッカーのボール背負いて登り坂
     脱兎のごとき少年の秋 由良子
 
 加藤由良子さんの作。十一月三日、文化の日の晴れ渡った午後に、サッカーボールを背負って急な坂道を元気に駆け上がっていく小学生を偶然目にされた。坂道の上から差した秋の日を浴びて脱兎のごとく駆けていく姿に、前途ある少年をうらやましく思われたそうで、その時の情景を詠まれた歌である。
 少年の若々しさを独特な表現を用いて伝えている。全体として情報がうまくまとまりバランスが保たれる言葉と語順が選ばれているのが見事である。
  小六の孫より電話声弾み
     修学旅行「行けるんだよ」 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。新型コロナの影響で、学校行事はみな延期や中止になっていて、修学旅行も実施が危ぶまれたが、行けることになり、その喜びを伝える電話がお孫さんからかかってきた。「小六」なので初めての修学旅行、しかも半ば諦めていただけに喜びもひとしおであるのが、歌から伝わってくる。お孫さんの弾む声が聞こえてくるようで、誰もが「本当によかったね」と言ってあげたくなる。読んで優しい気持ちになれる歌である。
 
  秋空やセピアの記憶たゆとうて
     ラインダンスの靴音くつおと高く 艶子
 
 本日は欠席の櫻井艶子さんの歌。加藤さんのお話では、櫻井さんは実際に昔ラインダンスをされていたとのことなので、そのことを思い出されて詠ったのだろうか。ラインダンスの躍動感を出すために、上句はどこか抽象的で静かなイメージにし、下句が具体的で動的なイメージになっているため強い印象と余韻が残る。
 
  父母ちちはは御影みえいこわし若きまま
     今宵は何処いづくと目が問ひ給ふ 成秋
 濱野会長の作。この歌のユーモアに会場が明るい雰囲気となった。御影のご両親の目線が作者に今夜はどこに行くのかと言っているという歌だが、「怖し」という言葉が効果的である。御影のご両親が現在のご自身より若いという事実と遊びに行くことを見抜いているような印象により、亡くなってもまだご両親の影響力は健在であるかのような不思議な空気感が漂う。この歌から伝わってくるのは、作者はいつもご両親のことを思い、亡くなられたご両親はいつも作者のことを見守られている家族愛である。
 
  病床の父我を見たまなざしは
     確かにあれは眼施と云うなり 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。入院されていたお父様のことを詠まれた歌。嶋田さんは入院中のお父様を毎日訪問されていた。ある時、気管切開をして話すことのできないお父様が、帰宅する嶋田さんをとても優しいまなざしで見られたことがあり、嶋田さんにはその目が「ありがとう」と言っている気がした。お父様のそのようなまなざしを見るのが初めてだったのでずっと覚えておられ、後に仏教の本を読まれた際に、「無財の七施」の一つである眼施を知り、あのお父様のまなざしは眼施であったと思われたそうである。三宅さんのご説明では、仏教には「無財の七施」といわれる七つの施しがあり、その一つ目が眼施で、優しい眼差しで人と接することである。
  
  いはれなに回り道せり黄昏の
     われ迎へてや銀杏散り敷く 裕二
 筆者の作。たまたま回り道をすると、銀杏の葉が落ちて道が黄金色の絨毯を敷き詰めたようになっていた。その美しい光景を見て詠んだ歌であるが、自分の人生も重ね合わせた。「謂れなに」は理由もなくという意味であるが、ややわかりにくいというご意見があった。
  
  東名の高速道路は工事中
     海老名SAすでに渋滞 尚道
  
 作者は三宅尚道さん。ラジオの道路情報で高速道路の工事情報が繰り返されていたが、用事で出かけてみたら渋滞していたという歌である。作者の三宅さんによると、短歌には深い意味が込められた作品もあるが、とくに意味のない歌があってもよいのではないと思って詠まれたとのこと。
  
  ボタン穴一つ一つを見つめつつ
     姉が手編みしカーデガン着る 和子
 
 清水和子さんの歌。編み物が好きだったお姉さまが編んでくれたカーディガンは、ボタンの穴も一つひとつ丁寧に作ってあり、それを見ると姉さまの心に触れる気がして、ずっと見つめてしまうと清水さんは仰る。お姉さまのことを思って詠まれた心に響く歌である。
  石蕗の花咲き始め故郷の
     野路のみちを想ふ祖母と歩みし 良江
  
 作者は玉榮良江さん。美しい情景の浮かぶ歌である。四句「野路を想ふ」と結句「祖母と歩みし」の順序が議論になったが、連想された順に並べることで、読者が作者の気持ちにより近づける作品となっている。一緒に歩いたのが祖母であることが温かい気持ちにさせる。
 
  城跡しろあとをもとほりけばたましぐれ
     黒きはだか吾に問ひかけ 滿美子
 
 岩間滿美子さんの歌。作者の岩間さんは衣笠城のすぐ近くにお住いになっている。あるとき城跡を歩いていると雨が振り始めた。衣笠の戦のことをご存知の作者には、その雨は亡くなった人の御魂が時雨のごとく降っているかのようで、見上げれば葉が散って黒くなった枝が自らに問いかけてくるという岩間さんならではの感覚で詠まれた素晴らしい歌である。
 歌会を終えてカフェ・キーに移動する。お茶をいただきながらしばし歓談し、お店を出るころには外はすっかり暗くなっていた。
 今回も皆さんの作品に触れ、短歌の奥深さを再認識した。それぞれ生活の中の一瞬を切り取ってもこれほどまでに個性が出るものかと思った。自分とは違う視点や発想にはいつも驚かされるが、知らない言葉や使ったことのない言葉が使われていると印象に残る。岩間さんの「魂しぐれ」や「黒き裸枝」などは言葉として新鮮だった。「魂しぐれ」は造語であると聞いて、前回の歌会で出てきた井上陽水の「少年時代」の歌詞を思い出した。曲の始まりの歌詞の一節に「風あざみ」とあり、植物に詳しくない筆者はどんなアザミなのか調べてみると、「風あざみ」など存在せず、井上陽水の造語であることがわかり驚いた。言葉が醸し出すイメージや響きが曲の雰囲気そのものである。造語表現は非常に高度な技法であるが、成功すればその新鮮な言葉が歌をこの上なく豊かなものにしてくれる。今回の歌会も大変勉強になった。