新星浪漫詩人
 
  高鳥奈緒の世界
 
               日本浪漫学会会長 濱野成秋
 
  壱。城跡を歩く
 
 この子は、苦悩の子だ、細切なものを膨らませ、いつ何時破裂するか。
 労わらねば、励ませなければ。
 そんな危惧を持って自作詩の発表を勧めた。間もなく届いた恋愛詩。君の恋愛相手は誰? いいの、ここまで書いて? そんな筆者の心配を余所に、この子は書く、書く。
 挫折してはまた挫折して。
 奈緒は告白する。
 でも、自暴自棄の心情を書かずにはおれない。永らえて見たって、この先、どう生きるか。見えない世界に向かうしかないじゃないの。とは筆者にさえ言わないし、打ち明け話はいつも半ばで終わりだが。
 底にたゆたう何か。
 多分、いま進行中の恋愛も苦悩の方が多いのではあるまいか。不可解な奈緒の話には不可解な家族も出没する。伝統音大を出たサキソフォンの名手と作曲を勧めた。バラード風の。なのにそのサックス奏者とは、コミュニケーション、うまくいかないと、ためらう。
 筆者の、頑固なまでに整った学術芸術人生とは真逆の魅力が高取奈緒にはある。彼女は富豪の娘で、愛車は真っ赤なフェアレディ。今日は江の島まで来たわ。
 むろん恋人と。
 ご勝手になさいませ。
 おうちは渋谷南平台…とすれば納得がいく。
 いまどき執事がいる。料理長がいる。むろんメイドさんのスカートは19世紀ヴィクトリア朝のフレアが附けている。
 湘南の海辺を走る。運転は危なっかしくて。昨日は箱根まで行ってきたの。
 ああ、そう…と筆者は次の詩を受け取る。近くまで来たら、連絡していい? でも助手席には乗らないよ。いいのよ、いいの。逸らす目が哀しい。
 筆者は聞きながら、漫然と母のことを想い出していた。
 若い頃の母もこんなだったのでは?
 山城で名高い高取城。荒れ城で、瓦の散乱が著しい。そんな昭和初期、母は近くにある御殿医の石何某の中庭にある薬局で薬剤師をしていた。
 うら若き身で、厳しい修行の日々で。
 その合間を抜け出して若き母は高取城の廃墟に登る。
 相手は二高文科に通う青年だったとか。
 高取の街では噂に。富豪の薬事商の息子と薬剤師の愛染かつら。しかしその燃える恋も、折から大阪から見合いにわざわざ高取城の麓まで来た青年実業家との見合いで消えた。
 筆者の父である。軍需工場の社長さんやて。後妻やけれど、大金持ちや。あんた、橿原神宮でお神楽、舞いやった、その姿を見初めたんやて。
 と、旧家の医院の御寮(ごりょん)さん。
 早速庭の灯篭のわきで写真を撮らせ、初恋の相手を知るか知らぬか。そ知らぬ風で、箪笥ひと竿、嫁入り道具ひと揃え、かんざし、おべべ、白足袋に扇子。何もかも揃えてくれはったんや、もう、お父ちゃんとこへ行くしかなかったんやね、と母。
 高鳥奈緒も同じ道を…
 歌の好きな母は、本当は宝塚志望であったとか。
 歌曲が大好きで。これが最後の逢う瀬と高取の城跡へ。
 筆者がまだ小学生のころ、母は一人っ子の筆者に、そっとうちあけたのだった。大学生になり、高校教師をしていた頃、母を車に乗せて高取の城跡まで行った。
ここや、ここで暮らしてたんや。
 母が指さすところは、単に畑だった。この場所に家老の役宅があり、維新で家老が引っ越して行ってしまった空き家に行く当てのない藩校の儒学者たちの家族が間借り住まいをしていたという。藩校教授と崇められても、時が移ろうと、哀れなものだった。
 『三田文学』の事務所でこの話をしたら、ぜひエッセイにしたらどうだと勧められた。「光のえんすい」というタイトルで世に出た。高取城から帰路、暗がりに向けてヘッドライトを灯すと、円錐状に前方の風物がくっきり現れる。そこだけが現実で、その外側は目にも止まらず流れ去る。過去などはそんな風に朽ち果てるものなのだ。
 高取藩の藩校教授の孫娘として、維新後に貧乏していても儒学者の誇りを持って育ったであろう母にも、秘めたる恋の逢う瀬があったのだ。母と一緒に、割れ瓦の散乱する城跡で診た光景は今も鮮烈に筆者の脳裏に遺っている。が、母は他界して早や40年。筆者の肉体もやがて潰え果てるであろう。絶え果てれば、光のえんすいの光景も母のロマンも消滅してしまう。
 上空には高々と鳥が舞う…
 高鳥奈緒は我が母のことなど、知る由もない。増してや 古都奈良にある高取城での思春期の男女の出会いなど、知る由もない。
 だが、今日も空高く鳥が舞う。
 それは詩人高鳥奈緒の玉の緒とわが母の青春時代をつなぐ心の玉の緒を知るかのように。
  弐。大内裏の恋
 
 奈良の都も今は昔。その桜が京の内裏に匂いぬる日も鎌倉の世に至りて、奈緒ならぬ恋多き式子内親王の時代となる。恋の想いは変わらない。忍ぶことの辛さをこらえきれず、
 
  玉の緒よ 絶へねばたへね 永らへば
    忍ぶることの 弱りもぞする
 
 と詠む。新古今の時代でこの才女が愛したのは定家といわれるが、定家は和歌の大家。玉の緒とはむろん「命」のこと。この恋は辛い、いっそ死んでしまえば、かくも苦しい耐え忍ぶこともあるまいに。という思いは、当時の宮廷を取り巻く仕来りに圧し潰されそうだからだ。人目の惨さ、讒訴の罰の恐怖。偏見の数々に純愛を通すこともままならぬ。
 親王の想いは後世、九条武子や白蓮にも通じるが、現代浪漫歌人の高鳥奈緒の世界でもある。
 「忍れど色に出でにけり我が恋は」も同じくに、中世にいたると近松の冥土の飛脚となり、それを経て紅葉の金色夜叉に受け継がれ、今日まで営々と。さながら白蛇伝の如く日本の女性に纏いつくのである。
 その先端に、高鳥奈緒の歌があると思えば、どなたも納得されるであろう。振り切れないしがらみに、思いやりの深い奈緒はその思いを断ち切れない。
 筆者は戦前のスローバラードの巨星淡谷のり子の別れや雨の歌と重なり出てならないから、ぜひ淡谷さんのような歌にしてしまえと示唆した。おもえば自分がってな、悪い奴である。ひばりちゃんのステージ復帰第一弾として出た「みだれ髪」の作詞者星野哲郎は死に臨むほんの数年間、筆者の人生語りのお相手であったが、かれもまた高鳥奈緒のごとく、断崖の虚空に舞う鳥のような存在であった。
  憎や恋しや 塩屋の岬
  投げて届かぬ 想いの糸が
  胸にからんで 涙をしぼる
 
 高鳥奈緒の心の糸も昨日の夜更けにふつりと切れたと、電話の糸から漏れ受け給う。さりとて、筆者は如何ともしがたい。まさか沖の瀬をゆく底引き網にもつれてかかるのでは…。
 高鳥奈緒の詩情は最果ての断崖の、怒涛に打たれて途切れ途切れに舞う心の糸である。明治大正の風土になぞらえれば、勝ち気で抗議的な晶子というより、いつも勝者の陰て負けて泣いて小浜の小藩の洋館に身を寄せて、独り海に涙する山川登美子の生まれ変わりであろう。
 八代亜紀やテレサテン、秋元順子と続く女性歌手のこの種の怨念は高鳥奈緒の胸のなかで沸々と煮え滾る。
 
  参。高鳥奈緒の誕生
 
 かくて高鳥奈緒は現代の浪漫文壇に彗星の如く誕生した。
 その情念の凄さ、絡まりの恐ろしさは文章家の河内裕二の心をもとらえる。
 だが思うに、彼女は初の誕生ではない。
 筆者は短編「父の宿」で奈緒を一度登場させている。
 もう20年も前のことになるが。
 伊豆は松崎にその宿は実在する。
 元は庄屋の建物で、天保時代の建物は知る人ぞ知る。
 この「父の宿」という作品の成り立ちは、主人公の父がそのむかし、愛する女性とお忍びで伊豆松崎に宿をとった夜のことを打ち明けられる、老いたる父の、秘めたる人生の一ページで。その、たった一夜のことが気になって、主人公もまた同じ部屋で愛する女性と一夜を共にするのだが、図らずもその夜更け、たまたたま投宿した見知らぬ夫婦の破綻の果ての愁嘆場に遭遇する。
 それを目撃する奈緒の心境が現実の詩人の心そのものとは言わないが、このフィクションにみる、縺れた愛のタブルイメージは高鳥奈緒の詩の世界と重なってならない。筆舌に尽くし難いとはこのことで。
 何のゆかりもないもう一つの夫婦が破局を迎える、その渦の中に惹き込まれた男女は明け方、高鳥奈緒の詩の内奥のごとく、暗黒の淵に点々と灯火の映ずる水の面に没していく妻の姿を己の姿に重ね合わせるのである。
 我が国の浪漫詩は第一次浪漫主義文学の嚆矢「みだれ髪」から始まって、鳳晶子、登美子、昌子の若さと解放と重圧とが交互に個人を責め悩ませた日本型浪漫時代の迸りに端を発する。彼らが年齢を重ね、与謝野鉄幹が政界に走るなど、珍事が起きて自滅の兆しさえあったが、われわれの学会においては、ともすればリアリズムが託つ無感覚で感性の乏しい現実主義に文学の牙城を明け渡した感があるが、それはリアリストの思い上がりでしかないと言いたい。
 文学は浪漫をおいて、他にない。
 情念を抑えたロジックの重さは文学ではない。
 高鳥奈緒の詩を見よ。
 絶えかけて久しい、熱い人間の情念の燃え盛るさまに君の胸を焦がしてくれ給え。
 翔ぶのよ、夜空を   高鳥奈緒
 
 いつから想像の翼を落としたの?
 あなたが幼い頃、背中に持っていた想像という翼
 大人になったら想像の翼はもういらないの?
 大人だからなおのこと、想像の翼で自由にはばたけるのに
 もっともっと自在な自分になれるはず
 あなたの背につけて想像の世界に翔びたいのよ、わたしは…
 Fly, fly, fly…
 Away over the rainbow…
 沢山の誤解、ほんの些細なことで傷つきひっそりと飛ぶわたし
 水溜りに雨の波紋
 湖にさざなみ
 心は翼の先端よ、ほら、ほら、湖のきらめきを浴びて
 心無い言葉いちいち反応して翼が揺れる
 でも立て直せるんよ、少し離れて自分を
 心の避難所は永遠のネバーランド。 (June 28, 2023)