日本浪漫歌壇 春 皐月 令和六年五月十八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 数字を語呂合わせにするのはよくあることで、本日五月十八日は、「五」と「十」と「八」で「ことば」となり、日本記念日協会は五月十八日を「ことばの日」としている。同協会によると、「ことばの日」としたのは、「ことば」を大切に使い、「ことば」によって人と人とが通じ合えることに感謝し、「ことば」で暮らしをより豊かにすることが目的とのことである。歌会を行うのにこれ以上ふさわしい日はないであろう。
 歌会は五月十八日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の嶋田弘子氏も詠草を寄せられた。
 
  春野菜いく種も並ぶ無人店
     新じゃがを買い今日の夕餉に 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。無人販売で自動販売機などを使わずにお客自身が商品代金を置いてゆく場合、不正が行われないことを前提としているが、残念なことに実際には売上合計が少ないことがほとんどだそうである。それでも無人店で販売するのは、商品を安く提供したいからで、それは買う方にとってもありがたい。嘉山さんもよく利用するとのこと。新鮮な野菜が安く買えて、それを美味しくいただく。一部の心ない人のためにそれができなくならないか心配しながらこの歌を詠まれた。
 
  スーパーでママの買い物待つパパの
     幼はパパの股くぐり遊ぶ 由良子
 作者は加藤由良子さん。実際にスーパーで見かけた家族について詠まれた歌である。混み合った店内で母親が買い物をするあいだ父親と子供が持っている。子供はまだよちよち歩きでとても可愛く微笑ましい光景だったそうである。「スーパー」「ママ」「パパ」とカタカナ語の響きが良いリズムを奏でていて単調な調子になるのを避けている。
 
  なぜなぜと動かぬ体に腹を立て
     九十五年の感謝忘れて 和子
 
 清水和子さんの歌。年をとれば誰でも体の動きは悪くなる。それを嘆くのではなく怒るところに作者のエネルギーが感じられ、まだまだお元気なのが伝わってくる。しかも下句で怒った自分を客観視する冷静さも示され、体だけでなく心もお元気である。清水さんでなければ詠めない歌である。
 
  朝夕べ野栗鼠は来たりわが庭の
     夏柑食す五月の御馳走 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。三浦にはリスがたくさんいて、人にも慣れていて家の庭などにも平気でやって来るそうである。作者は実際に庭の夏柑を食べられたが、わざわざ食べに来るのだからあの酸っぱい夏柑もリスにはごちそうなのだろう。しかも頻繁にやって来る。リスはその体型や動きが可愛らしく見えて得をする。食べられても何だか許したくなってしまうのではないだろうか。歌からは怒りは全く感じられない。リスにどこか癒やされているようでもある。
 
  なりふりも構はず急ぐ若者の
     睨みつけたる赤信号機 裕二
 筆者の作。朝の通勤・通学時間帯に歩道を全力で走っている若者を見かけた。制服姿なので高校生である。寝坊でもしたのか、遅刻を免れるために必死なのだろう。自分も高校生の時には同じような悪あがきを何度もくり返したので気持ちがよく分かる。そんな一刻を争う時に信号が赤になると怒りが込み上げてくる。さらに行く先々でも赤信号となるとやがて怒りが絶望に変わる。真剣な高校生には申し訳ないが、昔の自分を思い出して、懐かしく可笑しい気分になった。
 
  飛鳥川子等と遊びし日々もとめ
     歩めど叫べど天空深し 成秋
 
 濱野成秋会長の作。明日香村は風致地区なので今でも田んぼなどが残っていて美しい風景が広がっている。作者はおばのお墓もあり、明日香村を訪ねた。子供の頃に飛鳥川で遊んだことがあるが、その時に一緒に遊んだ子たちはどうなったのかなどと思って、今その場所を歩いてみても、彼らの名前を叫んでみても当然誰もいない。思い出だけが自分の中に残る。歴史的なものが多く残る場所で、詠まれていることが味わいを深めている。さらに結句「天空深し」で時間的だけでなく空間的にも広がってゆく。
 
  年老いた我を見つめる娘居り
     娘のくるを見つけた我居て 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。母親、自分、娘に渡って重なる歌で、それぞれが同様の経験をしていると思えば、「我」と「娘」は自分と娘であり、また母親と自分でもある。
みな年をとるが、母が老けるのを見る娘は寂しい気持ちで、娘が老けたのを見る母親は複雑な気持ちだろう。自分と娘のことであれば話は単純だか、そこに自分もかつて娘だったという視点を持ち込むことで時間軸を変えて、自分の母親をも含めるのが作者の非凡なところである。
  白樺の新芽の葉先の雨粒が
     真珠となりて朝日に耀う 員子
 
 作者は羽床員子さん。光景が目に浮かぶ。四句はもともと「ひとつぶ降りて」という句を考えられたが、「真珠となりて」に変更された。この変更がなければ、美しい言葉は並ぶものの説明文になっていた。「真珠となりて」を入れたことで説明文になるのを回避し、趣のある詩となった。
 
 短歌は身近なことを詠うことが多い。三浦の歌会では野菜などの食べ物が歌によく出てくる。周りには畑も多く、家庭菜園をしている方もおられるので、そうなるのだろう。今回も嘉山さんと三宅さんの歌には出てきている。考えてみると、筆者には食べ物に触れた歌が極端に少ない。おそらくあってもわずか二、三首だろう。人間にとって最重要で理解や共感を生みやすい食べ物をうまく活用すれば、歌の幅が広がるのではないか。そう思った。