日本浪漫歌壇 春 弥生 令和六年三月十六日
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
インターネットで「今日は何の日」といった記念日を紹介するサイトを見ると、三月十六日は「国立公園指定記念日」となっている。一九三四年の三月十六日に日本で初めて国立公園が指定されたためである。場所は瀬戸内海、雲仙、霧島の三箇所である。それ以来、いくつもの場所が国立公園に指定され、現在では全国に三十四箇所もある。国立公園は国が管理するが、都道府県が管理する国定公園というのもあり、そちらは現在五十八箇所が指定されている。世界で初めて国立公園に指定されたのはアメリカのイエローストーンで一八七二年のことである。貴重な自然が国立公園として守られるのはよいことだが、裏を返せばそうしないと守られないということで、そう考えると寂しい気分になる。歌会を開催している三浦の自然もいつまでも残ってほしい。
歌会は三月十六日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の七氏と河内裕二であった。
申告を済ませ厳寒を戻りくれば
河津桜のほころびており 由良子
作者は加藤由良子さん。寒い中、確定申告を済ませて帰ってくるとお家の近くで河津桜が咲いていたという申告日のひとときを詠まれた歌である。それまで申告のことで頭がいっぱいで桜が咲いていることに気持ちが及ばなかったが、申告を済ませてようやく周りを見る余裕が出で気がついた。毎年申告を行う人でも申告時にはなぜか緊張感があり、済ませると安堵の気持ちになる。申告を行った人には共感できる歌であろう。
空高くピーヒョロロと鳴くトビ数羽
旋回しては急降下する 光枝
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
インターネットで「今日は何の日」といった記念日を紹介するサイトを見ると、三月十六日は「国立公園指定記念日」となっている。一九三四年の三月十六日に日本で初めて国立公園が指定されたためである。場所は瀬戸内海、雲仙、霧島の三箇所である。それ以来、いくつもの場所が国立公園に指定され、現在では全国に三十四箇所もある。国立公園は国が管理するが、都道府県が管理する国定公園というのもあり、そちらは現在五十八箇所が指定されている。世界で初めて国立公園に指定されたのはアメリカのイエローストーンで一八七二年のことである。貴重な自然が国立公園として守られるのはよいことだが、裏を返せばそうしないと守られないということで、そう考えると寂しい気分になる。歌会を開催している三浦の自然もいつまでも残ってほしい。
歌会は三月十六日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の七氏と河内裕二であった。
申告を済ませ厳寒を戻りくれば
河津桜のほころびており 由良子
作者は加藤由良子さん。寒い中、確定申告を済ませて帰ってくるとお家の近くで河津桜が咲いていたという申告日のひとときを詠まれた歌である。それまで申告のことで頭がいっぱいで桜が咲いていることに気持ちが及ばなかったが、申告を済ませてようやく周りを見る余裕が出で気がついた。毎年申告を行う人でも申告時にはなぜか緊張感があり、済ませると安堵の気持ちになる。申告を行った人には共感できる歌であろう。
空高くピーヒョロロと鳴くトビ数羽
旋回しては急降下する 光枝
作者は嘉山光枝さん。三浦ではトビが多く飛んでいる。空高くを飛んでいると感じないが降りてきて近くで見るとその大きさに驚いてしまう。筆者は日常的にトビを見ることもなく、ピーヒョロロと鳴くとは知らなかった。嘉山さんのご自宅の近くではトビがよく急降下する。その辺りには野生のリスやウサギがいるので、それらを狙って降りてくるのではないかとのことであった。トビのダイナミックな動きを感じさせる歌である。
幼き日孫の好物は「鮭の皮」
思いてつつく朝食の膳 和子
清水和子さんの歌。「鮭の皮」を詠うのがとてもユニークである。魚の皮の好き嫌いは人によるだろうが、見かけはあまりよくないものの食べてみると意外と美味しかったりするのは誰もが経験しているだろう。魚の美味しさはよく「あぶらが乗っている」と表現される。皮の裏にあぶらが付いているので、魚好きには皮は「好物」になりうる。清水さんのお話では、小学生だったお孫さんは学校で好きな食べ物を聞かれ、「鮭の皮」と答えたそうである。下句のように、今でも朝食で鮭を食べるときにはいつもそのお孫さんを思い出される。孫を思う作者の温かい気持ちが伝わってくる。
健康維持肉にサプリに運動や
いい塩梅は難げなりしや 弘子
作者は嶋田弘子さん。一番大切なのは健康だと誰もがわかっている。でもそれをどうすれば維持できるのか。多くの人が「限定」という言葉に弱いのと同様に、「健康」という言葉にも弱い。巷には「健康維持」や「健康増進」をうたった製品や様々な健康法があふれている。いったい何が「正解」なのか誰もが知りたいと思うその心理を意識して、共感を生み出す歌にされている。この歌の巧みさは、作者が言いたい「何事もいい塩梅は難しい」ということを健康と絡めて述べることで読者を惹きつけて伝えることである。製品販売と同様の戦略である。
幼き日孫の好物は「鮭の皮」
思いてつつく朝食の膳 和子
清水和子さんの歌。「鮭の皮」を詠うのがとてもユニークである。魚の皮の好き嫌いは人によるだろうが、見かけはあまりよくないものの食べてみると意外と美味しかったりするのは誰もが経験しているだろう。魚の美味しさはよく「あぶらが乗っている」と表現される。皮の裏にあぶらが付いているので、魚好きには皮は「好物」になりうる。清水さんのお話では、小学生だったお孫さんは学校で好きな食べ物を聞かれ、「鮭の皮」と答えたそうである。下句のように、今でも朝食で鮭を食べるときにはいつもそのお孫さんを思い出される。孫を思う作者の温かい気持ちが伝わってくる。
健康維持肉にサプリに運動や
いい塩梅は難げなりしや 弘子
作者は嶋田弘子さん。一番大切なのは健康だと誰もがわかっている。でもそれをどうすれば維持できるのか。多くの人が「限定」という言葉に弱いのと同様に、「健康」という言葉にも弱い。巷には「健康維持」や「健康増進」をうたった製品や様々な健康法があふれている。いったい何が「正解」なのか誰もが知りたいと思うその心理を意識して、共感を生み出す歌にされている。この歌の巧みさは、作者が言いたい「何事もいい塩梅は難しい」ということを健康と絡めて述べることで読者を惹きつけて伝えることである。製品販売と同様の戦略である。
郵便の配達バイクは電動で
静かに来たり三月の朝 尚道
三宅尚道さんの歌。郵便配達や新聞配達のバイクといえば長らくカブであった。その姿形だけでなく、音も慣れ親しんだものになっている。歌にあるように最近は電動バイクに代わってきていて、形こそ似ているが、音はなくなりつつある。人によっては毎日ほぼ同じ時間帯にやって来るバイクの音が、時を告げる鐘のような役割を果たしている。注意したいのは、この歌は静かなバイクを詠むことで、実は昔ながらのバイクについて語っている点である。
浪漫の初夏とはなりぬ燕子花
昔の人にわが身袖振る 成秋
濱野成秋会長の作。「袖振る」で終わる歌というと額田王の歌が思い出される。野の番人ならぬ昔の人に袖を振る。咲くのは紫色のかきつばた。長い時間を飛び越えて昔がいまに甦った感覚になる歌である。「かきつばた」といえば在原業平の「かきつばた」の文字を詠み込んだ歌にも思いは向く。
学生が糸で描いた肖像画
線に込めしは祖父母への愛 裕二
筆者の作。勤務する学校の学生が卒業制作展で発表した作品について詠んだ歌である。その作品は一見すると色鉛筆で描かれた肖像画のようであるが、近くで見るとその細い線の一本一本が真っ直ぐ張った糸でできていた。六色の糸を重ねて、微妙な色合いを出している。筆者はそのような技法を使った作品を初めて見た。仕上がりを考えながら糸を一本ずつ張っていく。完成までに気が遠くなるような時間と労力がかかることは容易に想像できるが、その絵のモデルが祖父母なのが感動を呼ぶ。制作者は中国からの留学生で、祖父母に育てられ、彼らのことが大好きだという。愛する祖父母を思って糸を張っていく。糸で描かれたこの作品だけでなく、彼女の作品はいつも祖父母がモデルである。彼女の愛を歌で伝えたかった。
静かに来たり三月の朝 尚道
三宅尚道さんの歌。郵便配達や新聞配達のバイクといえば長らくカブであった。その姿形だけでなく、音も慣れ親しんだものになっている。歌にあるように最近は電動バイクに代わってきていて、形こそ似ているが、音はなくなりつつある。人によっては毎日ほぼ同じ時間帯にやって来るバイクの音が、時を告げる鐘のような役割を果たしている。注意したいのは、この歌は静かなバイクを詠むことで、実は昔ながらのバイクについて語っている点である。
浪漫の初夏とはなりぬ燕子花
昔の人にわが身袖振る 成秋
濱野成秋会長の作。「袖振る」で終わる歌というと額田王の歌が思い出される。野の番人ならぬ昔の人に袖を振る。咲くのは紫色のかきつばた。長い時間を飛び越えて昔がいまに甦った感覚になる歌である。「かきつばた」といえば在原業平の「かきつばた」の文字を詠み込んだ歌にも思いは向く。
学生が糸で描いた肖像画
線に込めしは祖父母への愛 裕二
筆者の作。勤務する学校の学生が卒業制作展で発表した作品について詠んだ歌である。その作品は一見すると色鉛筆で描かれた肖像画のようであるが、近くで見るとその細い線の一本一本が真っ直ぐ張った糸でできていた。六色の糸を重ねて、微妙な色合いを出している。筆者はそのような技法を使った作品を初めて見た。仕上がりを考えながら糸を一本ずつ張っていく。完成までに気が遠くなるような時間と労力がかかることは容易に想像できるが、その絵のモデルが祖父母なのが感動を呼ぶ。制作者は中国からの留学生で、祖父母に育てられ、彼らのことが大好きだという。愛する祖父母を思って糸を張っていく。糸で描かれたこの作品だけでなく、彼女の作品はいつも祖父母がモデルである。彼女の愛を歌で伝えたかった。
カラフルなランドセル増え性別に
こだわらぬ世の身近となりぬ 員子
作者は羽床員子さん。筆者が小学生の頃はランドセルの色は赤と黒しかなかった。暗黙のうちに男の子は黒、女の子は赤と決まっていた。確かに最近は赤や黒以外の色をよく見かけるようになった。朝日新聞デジタルの記事によると、二〇〇一年にイオンが二十四色を売り出して多色化が進んだとのことで、現在は「ジェンダーレス」がトレンドだとか。この歌の通りである。ただ筆者が普段街ゆく小学生を見ている印象では、男の子は黒や青のような寒色系、女の子は赤やピンクのような暖色系のランドセルを持っていて、色のバリエーションは増えたが、なにか昔とあまり変わっていない気がする。嘉山さんの男の子のお孫さんは、親の好みで小さいときにはピンク色の服なども着ていたが、成長してくると青とか黒とかしか着なくなったそうである。社会通念は簡単には変わらなく、その影響は大きい。
今回の歌会では、時間的な広がりを持つ歌はやはり重みや安定感がでてくることがよくわかった。濱野先生の歌がそうである。逆に、現在の一瞬を切り取るような作品は鮮やかな印象を残す。嘉山さんの作品などはそうしてスピード感を出している。
時間の幅を考えた上で歌を作れば、新しい印象の歌ができるかもしれない。筆者はこれまで時間という点をあまり考えずに歌を詠み、完成した歌を説明する段階になって初めて時間に注目していた。短歌は三十一文字で表現しなくてはならない。良い歌を詠むには、あらゆる工夫が必要となる。