日本浪漫歌壇 秋 長月 令和五年九月十六日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 今年は関東大震災発生から百年目にあたる。地震が起こった九月一日は現在、防災の日に定められている。大震災と名付けられた大規模な地震災害には他に阪神淡路大震災、東日本大震災があるが、死者行方不明数がそれぞれ約六千五百人、約一万八千人に対して、関東大震災は約十万五千人とその人的被害は驚くべき規模である。さらに震災直後には流言やデマが広がり朝鮮出身者が各地で虐殺される事件も起こった。地方から来た行商団がその方言の理解できない村人に朝鮮人と疑われ殺される事件まで起きている。この事件を題材にした映画『福田村事件』が九月一日から上映されている。無政府主義者の大杉栄が憲兵により虐殺されたのもこの震災直後の混乱時である。あれから百年、ネットやSNSでフェイクニュースが拡散されている現在にあっては、関東大震災は遠い昔のことなどとはとても思えない。
 歌会は九月十六日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の加藤由良子、嘉山光枝、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の五氏と河内裕二。三浦短歌会の三宅尚道会長、嶋田弘子氏も詠草を寄せられた。
 
  女子アナの高校野球歓声の
     球もろともに青空に消ゆ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。自動車を運転中にラジオから流れてきた高校野球の実況が女性アナウンサーによるもので、さらにとても上手な実況だったので驚いたとのこと。下句を読むとその爽やかな声が聞こえてきそうであるが、高く上がった打球に力のこもった実況。夏の甲子園での光景が鮮やかに浮かんでくる。今年はコロナによる制限もなくなり、スタンドでも熱のこもった応援が行われただろう。ラジオからその熱狂も伝わってきたに違いない。ちなみに女性の高校野球実況は珍しいが、初めてではない。数年前の第百回大会で女性アナウンサーが実況を担当することになりニュースになったのを筆者は覚えている。
  油蝉ミンミン蝉と法師蝉
     暑い日中ひなかの三部合唱 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。上句に三種の蝉が並ぶ。セミによって鳴き始める時期は違う。歌では早い順に並んでいるが、この並びは言葉のリズムで考えるとベストだろう。さらに言えば、アブラゼミより前にクマゼミやヒグラシがいるが、いずれも四音なのでそれらで始めてもアブラゼミで始めるようなよいリズムにはならない。セミについて知っていれば、読者は鳴き始める順番になっていることに気づく。順番を思いながら読み進めると、結句で驚きの「三部合唱」と来る。ここで今年の夏が異例だった記憶が甦る。信じられないほど早期から暑くなり、暑い日が長く続いた。セミも調子が狂ったのである。その異常さは、本来美しくなるはずの三部合唱が、セミが行えば、とても美しい調べを奏でるとは想像できない。恐ろしい不協和音になるのではないか。どの句を見ても言葉選びが秀逸である。
 
  友達のやさしいことばに囲まれて
     プレー見ている木陰のベンチ 和子
 
 清水和子さんの歌。お住まいのホームにある診察所に入院にされた際に部屋から公園が見えた。ある時こっそり部屋を抜け出してその公園に行ってみたとのことで、すると公園にいたホームのみなさんが清水さんの訪問を歓迎してくれた。外は暑かったので木陰のベンチに座らせてくれて優しい声を掛けてくれた。すぐに戻らなければならなくてそこに居たのは短い時間であったが、その時の嬉しさが忘れられずにこの歌に詠まれた。落ち着いた温かい雰囲気の歌で、病み上がりでの外出だったとうかがえば、なるほどさらに味わいが増す。プレーという言葉から何をプレーしているのかを想像するのも楽しい。著者はテニスだろうかと思ったが、それだとやや激しい印象が歌と合わない気がした。ご覧になったのはグランドゴルフとのことであった。
  高校の野球の試合は延長戦
     タイ・ブレークのバントで決まる 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。タイブレークとはランナーを一、二塁において試合を始めることで、九回で決着がつかなかった場合に延長戦で行われる。目的は早く決着をつけて試合時間をできるだけ短くすることである。選手の負担軽減のためである。延長戦で記憶に残っているのは、二〇〇六年の第八八回大会決勝戦で駒大苫小牧の田中将大と早稲田実業の斎藤佑樹が投げ合った試合である。延長十五回でも決着がつかず、翌日再試合となりさらに九回が行われた。見ているこちらが投手の肩や肘が心配になるほどであった。タイブレーク制度は甲子園では二〇十八年年から導入されたが、延長になっても十二回まではそのまま行い、それで決着がつかない場合に十三回からタイブレークにしていた。それが今年から延長に入る十回からに前倒しされる形となったようである。後のない延長戦でタイブレークが行われれば、先頭打者はまずバントで、普通に打つことはまずあり得ない。そのバントが決まれば勝てる可能性がかなり大きくなる。
 この歌は負ければ終わりの高校野球で、タイブレーク勝利の鍵がバントであると、延長即タイブレークに変更された試合の「本質」を冷静に述べている。九回まで死力を尽くして互角に戦ってきた選手たちが、延長戦では果敢に挑戦して打ち勝つよりも、とにかく慎重に手堅くバントでミスを避けて勝つ。作者はそれでよいのかと問いかけているようでもある。安心や安全を選んで挑戦をしない姿勢は延長戦の野球だけに限られないだろう。
 
  悲しみを昇華し闇にも光りあて
     魂揺さぶるみすゞの詩集 員子
 
 羽床員子さんの作。この歌は羽床さんによる金子みすゞのひとつの人物解釈であろう。二十六歳という若さで自殺したことを思えば、心の闇や深い悲しみを抱えていたと想像はできるが、実際どうであったのかはわからない。書かれた詩から読者それぞれがみすゞの人物像を作り上げてゆく。筆者は「大漁」や「私と小鳥と鈴と」のような有名な詩の印象から、彼女の詩に優しさや穏やかさを感じて共感を覚えるが、「魂揺さぶる」というどこか激しさを含む言葉が歌では使われていて興味深い。悲しみを静かに収めていく「消化」ではなく、精力的に詩にまで高めていく「昇華」であると強調しているようでもある。
  熱帯の蚊を貰ひしか極寒の
     汗だく寝返り兵士のまぼろし 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。実体験を歌にされた。最近は日本にもマラリア蚊がいるようで、その蚊に刺され、マラリアの症状である発熱を悪寒に見舞われ、苦しまれたとのことである。無事に回復されて本当によかったが、それがマラリアだろうと気づけたのは、戦時中にマラリアに罹った人の体験談を読んでいたからで、そこに書かれていた症状とまったく同じだったのである。
 歌では初句の「熱帯の蚊」ですぐにマラリアのことだとわかり「兵士」という言葉で戦時中南方にいた日本兵ことだろうと予想するも「まぼろし」で作者のことだ知らされ、驚かされる。兵士であれば亡くなっていた。戦争中の戦地の悲惨さと現在に生きる喜びが暗に表される。
 
  藤村の椰子の実ひとつ見つけたり
     父の残した荷物の中より 弘子
 
 嶋田弘子さんの作品。亡きお父様の荷物を整理していたら椰子の実が見つかり、島崎藤村の「椰子の実」が頭に浮かんだとのことで、故郷を離れて漂流する椰子の実の詩は、南方の兵隊の間でよく歌われていたと言われるので、お父様もきっと戦友と歌っていただろうと思われたそうである。お父様のブーゲンビル島再訪に同行した際に、島の至る所に椰子の木があるのを見たとおっしゃるので、お父様が持っていたのは島の椰子の実なのだろう。「藤村の」とひと言書くことで、藤村の詩を自らの歌に取り込む形にして、その世界観やメッセージを使って内容を「強化」して彩りを加える。そのひと言によって雄弁な歌にしている。
  武蔵野の台地に集ふ旅人は
     故郷おもひて夜空見上げる 裕二
 
 筆者の作。東京多摩地区から北は埼玉の川越あたりまで武蔵野台地と呼ばれる台地が広がっている。筆者は現在多摩地区の府中に暮らしており、市内に江戸幕府が整備した五街道の一つである甲州街道が通っている。府中は武蔵国の国府や総社があったので、むかしは多くの旅人が街を行き交っただろう。そんなことを想像しながら、現在の府中に暮らす私や私の友人などの地方出身者のことをむかしと重ね合わせるようにして歌を詠んだ。友人と話した時に彼の故郷は星がきれいだと聞いた。私も時々夜空を見上げる。むかしの旅人も現在の「旅人」である地方出身者も故郷を思う時には自然に空を見上げるのではないか。智恵子の「あどけない話」のように東京にはほんとの空が無いかもしれないが。
 
 今回の歌会で詠まれた歌のうち二つが作中に他の「作品名」を入れている。「みすゞの詩集」と「藤村の椰子の実」である。前者は具体的ではないものの、多くの人が金子みすゞの詩に共通認識のようなものを持っているので、作品名を入れたのと同様の効果がある程度まで得られる。
 文学作品が他の作品を取り込んだり関連付けたりすることをインターテクスチャリティ(間テクスト性)と言う。短歌でわかりやすい例は本歌取りであるが、そこまで徹底したものでなくても、今回の二つの作品はインターテクスチャーを行っている。三十一文字しかない短歌で多くのことを表現するためにはこのインターテクスチャリティは有効である。他の作品の「力」を借りることができる。しかし逆に三十一文字、しかも作品に言及すればさらに少ない文字数でオリジナリティを表現しなければならず、上手くやらなければ、取り込んだ作品の色に染まってしまう。今回の二作品はどちらも成功している。