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日本浪漫歌壇 春 皐月 令和四年五月二十一日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会の開催された五月二十一日は二十四節気では小満と呼ばれる。『大辞泉』によると「草木が茂って天地に満ち始める」という意味である。雨が降ったり止んだりの天気になったが、午後一時半より三浦勤労市民センターに九名が集まった。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。三浦短歌会の櫻井艶子氏も詠草を寄せられた。
 
  花終へて赤く色づくさくらんぼ
     鳥ついばめば種散乱す 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。ここでいう「さくらんぼ」とは山桜とか吉野桜の実のことで、今の時期はその実を鳥が食べて種を落としていくため、洗濯物を干すのに注意されているそうである。世の中は変わっても自然の営みは変わらず、時が来れば花は咲くし、鳥も飛び交う。そんなお気持ちで詠まれたとのことである。
 
  フロントに花びら四、五片はりついて
     病院帰りのわれを迎へり 由良子
 加藤由良子さんの作。耳が痛くなり心配になって病院に行って診てもらうと、とくに何でもなかった。医師によると、耳掃除をしすぎるとよくないとのこと。ホッとして帰ってきたら車のフロントガラスに桜の花びらが張り付いていた。もしかすると行きにも付いていたのかもしれないが、気にする余裕はなく、帰ってきてはじめて気がついた。その花びらに心が癒やされたとのことで、安堵されたお気持ちを詠まれた。
 
  春よ春 おごれる心はちれて
     上京せしは十八の春 艶子
 
 本日欠席の櫻井艶子さんの作品。櫻井さんは松竹歌劇団(SKD)のメンバーだったそうなので、オーディションに合格して上京された時のことを詠まれたのだろうか。「驕れる心」とあるが、加藤さんは「三浦のような田舎からSKDのメンバーに選ばれて花の東京に行くのはすごいことで、当然自信に溢れ、選ばれし者という気持ちになったのだろう」と仰る。今振り返ると当時のご自身は何故に驕っていたと思われたのだろうか。ご本人にうかがえないのが残念である。「春」が三度も使われて、当時の喜びに満ちた様子が伝わってくる。
 
  喪中なる我も明るきマニキュアを
     つけて歩めば足取り軽し 員子
 作者は羽床員子さん。旦那様を亡くされて半年が経った。暗く沈む心を明るくもっていこうと明るいマニキュアをし、明るい色の服を着たりされているそうで、歌の内容にみなさんも共感された。
 
  初孫の初給料のお誘いは
     大好物のあんかけうどん 弘子
 
 嶋田弘子さんの歌。一読しただけで作者のうれしさが伝わってくる。子供が初任給で親に何かをするというのはよく聞くが、孫となれば喜びもひとしおであろう。嶋田さんは行きつけのお店のあんかけうどんが大好きで、そのことをお孫さんは覚えておられて、初任給が出た際に行こうと誘ってくれたとのこと。高価で気取ったものではなく庶民的な「あんかけうどん」というのが微笑ましいと仰ったのは清水さん。作者だけでなく読者も幸せに包まれる歌である。
 
  いほは仮寝の宿よと天の声
     されどふすまはやはらかぬくきぞ 成秋
  
作者は濱野成秋会長。「天の声」とはもうひとりの自分の声であり、いま毎日寝ている温かい布団は仮住まいに過ぎず、いずれ長い眠りにつくのは冷たい場所だとささやく。このような気持ちになるのは、体が弱かったために子供の頃からいつも死を意識していたことやご両親を案じながら自分の生きる場所を求めて故郷を後にしたことがあるからであり、心地よく暮らす現在の地にあっても「汝が庵は仮寝の宿」と思えてくるとのこと。文学の道を歩む者の心は、安住することのない永遠の旅人のようなものなのかもしれない。
  見つめたるわれの視線を感じてや
     雲に隠れし春の夜の月 裕二
 
 筆者の歌。仕事の帰りなどに夜空を見上げると晴れた日には星や月が見える。星は変わらないが、月は見るたびに「表情」を変える。悲しそうなときもあれば、力強く見えるときもある。先日気持ちが沈んでいたときに見上げた月は優しげで美しかったが、しばらく見ていると雲に隠れてしまった。まるで見つめられて恥ずかしくなったかのようであった。その夜の月を思い出して詠んだ歌である。
 参加者から百人一首の紫式部の歌にどこか似ているというご指摘があった。言われてみれば、たしかにその下句「雲隠れにし夜半の月かな」と似てなくもないが、筆者はただ単純に「雲に隠れた月」を描写しただけで、とくに意識したものではなかった。
  
  杜若池端かきつばたいけはたに立つ人影の
     業平に似て憂いを誘う 滿美子
 
 岩間滿美子さんの作品。根津美術館で開催された特別展「燕子花図屏風の茶会」に行かれて経験されたことを詠まれた。かきつばたの咲く頃になると、『伊勢物語』の主人公とされる在原業平のことを思われるとのことで、有名な尾形光琳の燕子花図屏風を観た後に、美術館の庭園を散策すると、池のほとりに実際にかきつばたが咲いていた。そこにひとりの男性が立っていた。その光景が三河の国の八橋で美しく咲くかきつばたを見て「かきつばた」の歌を詠んだ業平を想像させた。
 
 「かきつばた」の歌とは、句頭に「かきつばた」を置いた業平の次の望郷の歌である。
  唐衣きつつなれにしつましあれば
     はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ 業平
 
  誰も来ぬ一日なれど裏山に
     来たる狸を猫に教はる 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。実際のことを詠まれたのだとすれば、狸は夜行性なので、誰の訪問もなく一日が終わろうとしていたところに狸がやって来たのだろう。狸は日本の昔話や民話では人を化かす動物として登場する。近年は、農作物を荒らす招かれざる客としてあまり歓迎されていないようであるが、筆者などは見かけるのが実物の狸ではなく、信楽焼のたぬきの置物ばかりなので、狸に対して勝手にひょうきんでプラスなイメージを抱いてしまう。猫は警戒心から狸の登場を嫌がったのかもしれないが、作者は狸であっても来てくれたことにどこかうれしい気持ちになったのではないか。
 
  ビートルズ流して飛ばした第三京浜
     あの頃のわたし何着てたっけ 和子
 
 作者は清水和子さん。最近目の具合が悪くて手術をされたりして、あまりよいこともなく歌が考えられなかったときに、なぜかふっと浮かんできたとのこと。どうしてこの歌なのかわからないが、ただ、若いときのことはよく思い出されるそうで、それが年をとることなのでしょうと清水さんは仰った。
 流れていた曲も周りの風景もはっきり覚えているのに、自分のことだけは覚えていない。ご自身はお洋服がお好きなのに、なぜかその時着ていた服も思い出せない。歌謡曲の歌詞になりそうな上句は筆者でも思いつきそうであるが、下句は清水さんならではの表現でとても出てこないと思った。
 
 今回の歌会では三宅さんの仰った「感情表現を直接書かずに感情を伝えるのが短歌である」という言葉が印象に残った。というのも、筆者が短歌を始めたばかりでなかなか歌が詠めなかった頃に、濱野会長も同じことを仰ったからである。その時は、つまり論文ではなく小説を書くということかと思い、文学研究者の筆者は少々気が重くなったが、先人の歌を読んだり、歌会に参加して勉強させていただいたりしているうちに、少しずつコツがつかめてきた気がしている。しかしながら清水さんのように、歌が自然に浮かんでくるようになるには、まだまだ作歌が必要である。
日本浪漫歌壇 春 卯月 令和四年四月十六日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 春に三日の晴れなしと言われるが、歌会当日は前日の雨も上がり晴天となった。四月十六日午後一時半より三浦勤労市民センターで三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会が開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子、櫻井艶子の二氏も詠草を寄せられた。
 
  星のふる観覧車で吹く早春賦
     オカリナ聴きし友も逝きたり 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。以前オカリナに夢中になった時期があり、いつでも持ち歩いて時間があるとオカリナを吹いていたとのこと。ある時ご友人とご一緒に出かけられ、帰りが遅くなった際に、ご記憶ではお台場だそうだが、観覧車の中で皆さんとの思い出に早春賦を吹いた。そのオカリナを聴いてくれたご友人ももう二人も亡くなってしまい、加藤さん自身も今ではオカリナを吹くこともなくなってしまったそうである。
 
  一人旅初体験の孫待てば
     駅降り立ちて手をふり笑顔 光枝
 嘉山光枝さんの作。お孫さんが春休みに遊びに来られたことを詠まれた歌。いつもご両親の車で来られていたお孫さんが、初めて一人で電車を乗り継いでやって来るため、嘉山さんは心配してドキドキされたが、お孫さんは車中で風景の動画撮影を楽しまれ、まったく平気だったとのことである。上句から嘉山さんの、下句からはお孫さんの気持ちや様子が伝わってくる。
 
  芳春の喜びさへも消し去りぬ
     異国の街に砲弾の雨 裕二
 
 筆者の歌。「芳春」とは花ざかりの春のこと。ロシア軍による侵攻でウクライナの街が破壊され、多くの犠牲者が出ている。歌を詠むに当たって、まずウクライナのことを考えたが、過去から現在に至るまで戦争が起きればいつでも同じく悲惨な状況になるという思いから固有名詞は使わなかった。
 
  在りし日にそっと作りし品々よ
     何処いずこに消ゆるこの身の後は 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。嶋田さんはものを作るのがお好きで、縫い物をしたり木像を作ったりいろいろされている。「そっと」という言葉によって、誰に見せるのでもなく丁寧に一生懸命心を込めて作っていることを表現される。自分が作ったものや大切にしているものも、他人にとっては何てことのないものであり、自分が亡くなったらそれらはどうなってしまうのだろうかと思われ、どこか寂しい気持ちで詠まれた歌である。
 母の時代に戻りて
  の便り受くるも苦界ぞ包みたる
     つぼみの梅が枝咲かせと乞うや 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。「香の便り」とは色里から来た香水のにおいのする手紙で、夫が居ないときにそれを受けて開けた妻も色里ではないがやはり苦界である。「梅が枝」は梶原源太景時の長男景季かげすえの側女が遊女として名乗った源氏名で、彼女が体を売ったお金で景季が戦に出るための鎧などの武具を揃えたという話がある。下句は、貢いで支えているのは他でもない私だと梅が枝が正妻に対して主張していると読める。濱野会長によれば、このような痴話喧嘩は戦中や戦後には何度もあり、先生のお母様も辛い経験をされたとのことで、詞書きにあるように、この歌はお母様の気持ちになって詠まれたものである。
 
  立つ瀬なき我が身の上の苦しきに
     春の宵なる月を眺むる 滿美子
  
 岩間滿美子さんの作品。ご自身を見つめられた歌であろう。上句の苦しい状況に対し、下句の美しい春宵の情景。「春宵一刻値千金」という言葉もあるように、春の宵は趣があって素晴らしい。初句の「立つ瀬」という言葉で意識や視線が足元の下方に向くが、結句「月を眺むる」では一気に上を向く。おそらく心の動きも表しているであろう。
 
  「いん」の字を「かず」と読む人増えしかも
     大河ドラマの比企能員見て 員子
 作者は羽床員子さん。ご自身のお名前を「かずこ」と読んでもらえたことがなく、高校の歴史の授業で武将の比企能員の名前を初めて見たときに、自分の名前があると思われたそうである。現在放送されている大河ドラマに比企能員が登場し、とてもうれしくなって詠まれたとのことである。
  
  シベリアに送られ戻りし人の短歌うた
     再び読めりロシアの戦争 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。三宅さんのご両親の世代はみな戦争体験者で、お知り合いには実際にシベリアで抑留された方もおられる。その世代にはシベリア抑留体験を歌にされた人たちがおられ、その歌を読むとロシアの行動は昔も今も変わらない気がしたとのことである。
 
  安定剤心も体も支配して
     ほんとの自分はどこにいるのと 和子
 
 作者は本日欠席の清水和子さん。三宅さんによれば、清水さんのこの歌は、目を手術され、術後に安定剤の薬を飲まれたときの状態を詠まれたものとのこと。
 
  春浅く夕日輝き波寄せて
     鴎鳴くなよ、過ぎし日うつつ 艶子
 本日欠席の櫻井艶子さんの作品。結句「過ぎし日うつつ」は「過ぎ去った日が現実となる」といった意味でしょうか。そうだとすると、夕日が沈む美しい海の風景と結句がどのようにつながるのか。ご本人に伺えないのが残念である。
 
 短歌は五七五七七の五句三十一音で構成されるが、短歌の調べが保たれていれば、字余りや字足らずでもとくに問題はない。筆者は思い浮かんだ言葉が字余りや字足らずの場合は、別の言葉に置き換えて何とか定型に収めるようにしている。定型であれば、少なくとも音の調子は整う。歌会で拝読する皆さんの歌の中には時に字余りの歌もあるが、どれも自然な調子で違和感がない。内容も含めて全体でバランスがとれているからだろう。ぜひ見習いたい。
 ところで、逆に大きな字余りや字足らずによって定型では出せない効果を狙った「破調」と呼ばれる短歌もある。斎藤茂吉に次のような歌がある。いつかこのような破調の歌にも挑戦してみたい。
 
  夜をこめて鴉いまだも啼かざるに
     暗黑に鰥鰥くわんくわんとして國をおもふ 茂吉
日本浪漫歌壇 春 弥生 令和四年三月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 春の訪れを感じられる三月十九日、午後一時半より三浦勤労市民センターで三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会が開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、櫻井艶子、嶋田弘子、清水和子、羽床員子の七氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長、岩間滿美子氏と河内裕二。三浦短歌会の玉榮良江氏も詠草を寄せられた。
 
  早咲きの桜まつりの取り止めも
     人出は多く桜満開 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。河津桜のまつりが新型コロナウイルスの影響で昨年に続き今年も中止された。まつりが中止になっても桜は咲き、桜が咲けば人は集まる。嘉山さんが行かれたときにも人はたくさんいて、人をかき分けるようにして歩かれたそうである。
 
  高齢の姉の誘いで梅見の会
     思い出話し亡き兄若し 由良子
 
 加藤由良子さんの作。お姉様のお宅の庭に亡くなったお兄様が若いときに植えた梅の木があり、その花を見ながらお兄様の思い出話をされた時の歌。加藤さんは三十一文字に自分の思いを込めるのは難しいと仰ったが、下句から思いは十分伝わってくる。
  北条のたけ女子おなごを想はせて
     梅花流るる鎌倉の春 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。この歌の「春」は時期を表すのではなく「春景色」という意味である。鎌倉は囲い女の街で、春になると男は若い女を求めて別宅に行き、妻は鬼になって怒る。濱野会長は江戸小唄「春風がそよそよと」に言及された。
 
  春風がそよそよと 福は内へと この宿へ
  鬼は外へと 梅が香 添ゆる
  雨か 雪か ままよ ままよ
  今夜も明日の晩も 居続けしょ 生姜酒
 
 この小唄のような情景を思い浮かべて詠まれた歌だとすれば、男は頼朝で女は愛妾の亀の前、鬼は政子である。政子は怒って亀の前を襲撃させる事件まで起こしている。この歌はただ春を詠んだのではなく、鎌倉の歴史を詠んだ一首である。
 
  枕辺に『三浦うた紀行』最期まで
     置きて逝きしと身内に聞けり 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。笹本朝子さんへの悼歌である。笹本さんは三浦短歌会に初期から参加されていた方で、昨年亡くなられた。三浦短歌会は昭和二二年に始まり七十五年の歴史がある。『三浦うた紀行』は三宅さんの歌集である。
  「いいことない?」「何もないのがいいことよ!」
     青日の談斯く沁みる今 弘子
  
 嶋田弘子さんの作品。「青日」とは若い日のことで、若い時に退屈して交わした何気ない会話が、今では本当にその通りだと思えるという歌である。「斯く沁みる」の「斯く」は「本当にこのように」という実感を表現されたとのこと。
 
  みちのくの海傾かたぶきてたおれける
     ひとのもとにも春は来るらむ 裕二
 
 筆者の作。二〇一一年三月十一日に起こった東日本大震災の犠牲者への鎮魂の歌。「海傾きて」とは津波のことで、鴨長明の『方丈記』に出てくる言葉である。
  
  春の野に若草色や心浮き
     何とは当ての無き身なれども 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。窓の外を見ると、きれいな若草色の春蘭が生えていて、それに心を奪われロマンチックな気持ちになった。春だからといって何かあるわけではないが、それでも心は浮き立つもので、そのようなお気持ちを詠まれたとのこと。
  亡き夫と約束したる「湯楽ゆらの里」
     親族うからと連れたち朝風呂に入る 員子
 
 羽床員子さんの歌。「湯楽の里」は横須賀にある温泉施設で、以前ご主人とお仕事でその前を通られたときに、一度入ってみたいと話していたそうである。その温泉に行かれたことを歌に詠まれた。
 
  戻らずにじっと海見る鳥一羽
     ああ、日が落ちる一緒に見ましょう 和子
 
 作者は清水和子さん。清水さんはお部屋から屋根に止まっている鳥をよくご覧になるが、たくさんの鳥がみな山側ではなく海側を見て止まっていて、さらに夕暮れになると必ず一羽だけが残っていることが不思議だそうである。鳥を見るのを日課のようにしていると鳥が友達のように思えてこの歌が生まれたとのこと。
 
  一ツずつ重荷下しつ黄昏の
     時を歩みて父母の影みゆ 艶子
 
 作者は櫻井艶子さん。ご主人を亡くされて四年目。本当なら主人の顔を思い浮かべなければいけないでしょうけど、と櫻井さんは笑いながら仰った。なぜか夫よりも両親のことを思うことがある。櫻井さんだけでなく、連れ合いを亡くされた皆様も同様だそうである。「血は水よりも濃し」だろうか。
  外出のままにならない家猫は
     くしゃみ激しき抱きて歩めば 良江
 
 作者は本日欠席の玉榮良江さん。家の中で飼っている猫を外に連れて行ったら、くしゃみをしたということでしょうか。くしゃみが激しいとなれば、犬や猫にも花粉症はあるようなので、花粉症かもしれない。
 
 今回の歌会では、嶋田さんや清水さんの歌のような会話表現を用いた手法について考えさせられた。どちらの歌も口語の持ち味が活かされている。筆者の場合、短歌は文語の方がしっくりくる。初めて俵万智の『サラダ記念日』の非常に口語的な歌を読んだ時には違和感を持った。現在ではさらに三十一文字すべてが会話になっているような歌も珍しくない。そのような極端に口語的な歌にはやはり抵抗がある。今回お二人の歌で、会話表現によって臨場感や情感が生まれ、作品世界が広がることを教えていただいた。口語でも使い方によっては厚みがでる。自分も挑戦してみたい気持ちになった。
日本浪漫歌壇 冬 如月 令和四年二月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会の行われた二月十九日頃から二十四節気では雨水となる。降る雪が雨へと変わり、積もった雪や張った氷が溶け始めることを意味している。雨水では時に春の気配を感じられる日も出てくるが、まだ寒い日が多く実感としては依然冬である。歌会当日も肌寒く夕刻には冷たい雨となり気温が下がった。半月ほど経てば二十四節気の中でもよく知られる啓蟄となる。その頃には春が近づいていることも実感できるだろう。
 
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、二月十九日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嶋田弘子、玉榮良江、新メンバーの羽床員子の五氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長、岩間滿美子氏と河内裕二。三浦短歌会の嘉山光枝、清水和子の二氏と加藤さんのご友人の田所晴美氏も詠草を寄せられた。
 
  寒風に凛と向かいて行く人に
     吾も倣いて歩幅を正す 由良子
 
 加藤由良子さんの作。ある日の早朝、とても寒いのに年輩の方が凜として歩くお姿をご覧になり、加藤さんもそれに倣って歩かれた。実際の体験を詠まれたそうで、お元気な加藤さんらしい内容の歌である。「歩く」という単純な言葉ではなく、「寒風に向かいて行く」や「歩幅を正す」のようなイメージの広がる表現を用いて臨場感を出されているところがお見事である。
  あと少し布団にもぐる寒い朝
     時計見ながらあと少しだけ 光枝
 
 作者は本日欠席の嘉山光枝さん。この歌の気持ちを理解できない人はいないだろう。「今の家は気密性や断熱性が高く昔の家のように隙間風が入ってくるようなこともないので、昔ほどはそう思わなくなったのでは」とは濱野会長。「あと少し」のリフレインがよいというのが皆さんのご意見であった。筆者などは、「あと少し」で二度寝してしまい「大惨事」となる恐怖を想像して背筋が寒くなった。
 
  おくら遺言いごんよ税よとめくるめき
     昔の人もかくて逝くかや 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。山上憶良は遣唐使として最新の学問を修め帰国するも役人としては出世できず、昇進ではあるが伯耆や筑前の国守に任命され地方に飛ばされた。そこで詠まれた歌からは、その報われない気持ちが切々と伝わってきて、憶良が思っていたようなことを今ご自身が思っているのではないかという気がして、先人に向かって呼びかけられたとのこと。半分自虐的、諧謔的に書いたと仰ったが、まさに「貧窮問答歌」の現代版である。
 
 「憶良」をルビのように「おくらら」と読むことについて質問があった。これはリズムを作るためで「憶良等」や「憶良ら」にしてしまえば「憶良のような」という違う意味になってしまうのでというご回答であった。「ら」を入れることで初句と二句のリズムが格段によくなるのは音読すれば明らかである。
  厚い手で生くるを紡ぐラカンパネラ
     フジコへミング御年九十 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。昨年実際にフジコへミングのコンサートを観に行かれた。嶋田さんはその時のことをこう語られた。九十歳のフジコさんは舞台に杖をつきながら現れたが、ピアノを弾き始めると別人のようで、テレビなどで伝え聞いている彼女の波乱の人生を思いながら演奏を聴いていると涙が出るほどに感激した。力強くピアノを弾く分厚い手がとても印象に残った。
 
 筆者はある新聞記事を読んだ。男性の漁師の方の話である。彼はテレビでフジコへミングがラカンパネラを演奏するのを観て深く感動し、自分も弾いてみたいと五十代でピアノを始める。楽譜も読めず楽器の経験もなかった彼が、この超難曲を何年も猛練習し、ついにフジコ本人の前で演奏したそうである。フジコのラカンパネラには人の心を動かす特別な何かがあるのだろう。「ラカンパネラ」はイタリア語で「鐘」を意味する。
 
  春立てど凍てつく風の吹きたれば
     天地つつまむ夢幻のきぬに 裕二
  
 筆者の作。春が来たのに冷たい風が吹いているので、夢や幻で世界を包んでしまおうというのが文字通りの意味である。とくに具体的なことは書いていないので、読者がそれぞれに解釈していただければよい。筆者は年が明けても暗いことが続く世の中を思って詠んだが、毎日寒い日が続いているから暖かい春の日を楽しく想像しているとしてもよいし、ファンタジックな世界を想像してもよい。
  百々もも伝ふ衣笠城の井のはた
     佇み向かひて父祖の聲聴く 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。ご自身のルーツである三浦氏のご先祖を思って詠まれた歌である。初句の「百々伝ふ」は、謀反の罪を着せられ自害させられた大津皇子の辞世の歌からとのこと。
  
  ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を
     今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子
 
 「ももづたふ」は磐余にかかる枕詞である。岩間さんは衣笠城が長い歴史を持つことを表現したくてこの語を使ったそうである。「衣笠城の井」とは「不動井戸」と呼ばれる井戸で、言い伝えでは行基が杖で岩を打ち、水を湧かせたとされる。
 
 池の鴨を見ながら自分は死んでゆくのだろうと思う大津皇子の「死」の歌に対して、城の井戸を見ながらこれからはご先祖のことを考えて生きてゆこうと決意する岩間さんの「生」の歌。どちらの歌も心に響く。
 
  バイク音響かせて来る新聞に
     立春の朝少し風あり 尚道
 三宅尚道さんの作。どこにでもある日常の光景だが、コロナ禍の現在、早朝に毎日きちんと新聞が届いたり、季節がいつものように移り変わったりという何でもないことがとても大切であると誰もが痛感している。バイクの音、新聞のインクの匂い、立春の朝の気温、吹いている風と、身体の感覚に訴える語が並んでいる。読むと感覚が刺激されるようで生きていることを再認識させられる歌である。
  
  裏山の枇杷の花咲き近付きて
     マスク外して香り吸い込む 良江
 
 作者は玉榮良江さん。ご近所に枇杷の木があって花が咲くと散歩の際にその香りを楽しまれるとのこと。枇杷の花について『大辞林』には「初冬、枝頂に白色の小花を多数つける」とある。冬には咲く花も少ないので咲いていれば目を引くだろう。斎藤茂吉も枇杷の花の歌を詠んでいる。
 
  枇杷の花冬木のなかににほへるを
     この世のものと今こそは見め 茂吉
 
 茂吉もやはり「香り」である。残念ながら筆者はその香りを知らないが、枇杷はバラ科なのできっとよい香りなのだろう。
 
  初めてのビデオ通話に映りたる
     老婆の我にギョッと驚く 員子
 今回からご参加の羽床員子さんの歌。スマホを新しくしたのでビデオ通話をやってみたいと思って娘さんに頼んでやってもらうと、画面に映った自分の顔にびっくり。「わたし、いつもこんなにひどい顔しているの」と言うと「そうよ」と娘さんから間髪入れずに返ってきたと笑いながら仰る羽床さん。皆さん多かれ少なかれ同様の経験をされていて共感された。
 
 テレビ電話のような昔はなかった新しいものを使い始めるということで、自分もまだ若いような気分になりワクワクしながら試みると自分の顔にギョッとする。そんな光景は何だか落語のようである。誰にとっても嫌な「老い」であるが、羽床さんの歌を読むと明るい気持ちになる。
 
  雪山でふざけて買ったサングラス
     手術のあとの眼覆へり 和子
 
 作者は本日欠席の清水和子さん。白内障の手術をされたそうなので、歌のように昔購入されたサングラスを使われているのでしょうか。眩しいというのは、手術によって水晶体がクリアになったからで、ますます活動的でお元気になられた清水さんにお目にかかれるのが待ち遠しいです。
 
  真の友どんな時にも頼もしく
     アドバイスありやさしさもあり 晴美
 田所晴美さんの作。おっしゃるとおりです。作者にはこの歌のような素晴らしいお友達がおられ、その方のことを思い浮かべて詠まれたのでしょう。ただ抽象的な語が多いために全体としてのメッセージが曖昧です。どんな時なのか、どのように頼もしいのか、どんなアドバイスなのか、どのようなやさしさなのか、どれか一つだけでもより具体的な表現があれば読者はイメージを膨らませやすいですが、もしかするとそこがポイントではなく「あなたには真の友がいますか」と問うているのかもしれません。
 
 歌会終了後、濱野会長と岩間さんと共に衣笠仲通り商店街で開催されている企画展「三浦一族」に行った。三浦一族の歴史やゆかりの木像や場所などを説明するパネル展示であった。実物や実際の場所を訪れるのは、数も多くて時間がかかる。写真ではあるが、一度に見られるのはありがたい。展示も見やすく工夫されていた。
 
 企画展は商店街の一角で行われていたため、会場まで商店街を歩いたが、昭和の香りのする本格的なアーケード商店街で、とても懐かしい気分になった。といっても、筆者の生まれ育った知多半島の小さな田舎町にはアーケード商店街などなく、このような立派なアーケード商店街となれば名古屋まで出ることになるので、決して身近だったわけではない。にもかかわらず懐かしく感じるのは、実際の商店街の記憶ではなく、こういうものが作られた昭和に自分も生きていたという記憶からであろう。いずれにせよ、昭和だろうが令和だろうが本日のような雨の日にはその本領を発揮する。展示にあった平安や鎌倉時代のものは間違いなく今後も残るが、昭和のものは果たしてどれだけ残るのだろうか。
日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和四年一月二九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 一月は一年で一番寒い月である。気象庁によれば、昨年の一月の東京の平均気温は五・四度だが、今冬は全国的に例年より気温が低くなると予測されている。寒さの苦手な筆者は天気予報で最高気温が一ケタになっているのを見るだけでも身震いしてしまうが、北海道は別格でそんな時には軒並みマイナスになっている。日本の最低気温の記録は、一九〇二年一月二五日に旭川で観測されたマイナス四一・〇度である。マイナス四〇度に達したのはこの一度きりである。子供の頃に見たテレビCMを思い出す。マイナス四〇度の極寒でもエンジンオイルが滑らかな状態であるのを見せるCMだったが、一度見たら忘れられない凍ったバナナで釘を打つシーンがあった。実際に日本でマイナス四〇度の世界があったとは驚きである。今年最初の歌会は、晴れて穏やかな陽気となり気温も一〇度を超えた。昼間だけでも暖かいとありがたい。
 
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、一月二九日の午後一時半より民宿でぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、嘉山光枝、玉榮良江の三氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と岩間節雄氏、滿美子氏のご夫妻、河内裕二が参加した。三浦短歌会の加藤由良子、嶋田弘子、清水和子、櫻井艶子の四氏と加藤さんのご友人の田所晴美氏も詠草を寄せられた。
  コンビニのバイクの横で仁王立ち
     飯食む若者吐く息白し 由良子
 
 作者は本日欠席の加藤由良子さん。コンビニの駐車場で腹ごしらえをする若者を描写した歌であるが、実際に寒い朝にコンビニで目にした光景を詠まれたとのこと。若いとは素晴らしいなと思われたそうである。
 
 コンビニに停めたバイクの横でおにぎりかパンかにかぶりつく元気な若者の姿がまず浮かび、さらに吐く息が白いことから寒い早朝だと想像させる。仲間とツーリング中にコンビニに立ち寄ったのだろうか。ツーリングを楽しむ元気な若者たちには、朝の寒さなどまったく問題にならない。青春である。この歌は、言葉の選び方と順序が秀逸で、映像作品を見ているような展開と情感を与える描写になっている。
 
  房総の山並み眺む人多き
     初日昇れば拍手し拝む 光枝
 
 嘉山光枝さんの作。嘉山さんは、房総半島の山々から昇る美しい朝日の見られる絶景の場所をご存じで、毎年そこに行って初日を拝まれる。知る人ぞ知る場所であったが、最近は知る人も徐々に増えて、元旦には人が集まるようになった。今年の元旦は晴天で雲もなくとてもきれいな初日が見え、以前ならば歓声が上がるところだが、今年はコロナで皆がマスクをしているため拍手が起こったそうである。今年最初の一月の歌会にふさわしい一首である。
  古里に帰りて思ふは繰り言ぞ
     時世ときよの渦に浮きつ沈みつ 成秋
 
 濱野会長の歌。ふるさとに帰ると過去のことを思い出し、ともすればあの時はこうすればよかったと繰り言になり、時世の移り変わりの中で様々なことがあったとしみじみ考えてしまうとのこと。ふるさとはすっかり都会化して変わり果ててしまい、今では懐かしいのはお墓だけ。自分も変わりふるさとも変わって、いったいどこに思い出のよすがを求めればよいのかわからないと寂しくおっしゃったのが印象的であった。三浦で生まれ育ち現在も暮らす嘉山さんは、ふるさとがあることがうらやましいとおっしゃる。濱野会長はもう一首ふるさとの歌を披露された。
 
  古里の盆の太鼓は哀しけれ
     路ゆく人のみな変わり居て 成秋
 
 ふるさとの河内音頭も昔は勢いがあったが、今では昔のように歌える人もいなくなり、遠くからプロを呼んでなんとか開催している有様だと濱野会長。ふるさとはいつまでも変わらないでほしいと思うのは上京者である筆者も同じである。
 
  太陽の電池に動くパンダたち
     冬日を受けて活動開始 尚道
 作者は三宅尚道さん。上野動物園のパンダが話題になっていたので、パンダを玩具に例えたのかと思ったら、実際にご自宅にあるパンダの人形について詠ったそうである。この歌では「パンダ」と「冬日」がキーワードだろう。犬や猫では面白くない。容姿も存在もユニークなパンダが数頭、冬の弱い日差しのためにパワー不足でゆっくりと動いたり止まったりする様子を思い浮かべればこそ、機械的な人形にコミカルながらもペーソスが生まれる。この効果も計算して描写されているのはさすがである。
  
  ふるさとの駅の静寂しじまに降り立たば
     名残の空に風花の舞ふ 裕二
  
 筆者の作。新型コロナの影響で愛知の実家に帰省できない日々が続いたが、大晦日に数年ぶりに戻ってお正月を実家で家族と過ごすことができた。愛知の南の方なのでめったに雪は降らないが、駅に着いた時に珍しく雪が舞っていた。「名残の空」とは大晦日の空を表す言葉で、翌日の元旦の空は「初空」とか「初御空」という。同じくふるさとを詠んだのにこの歌とは対照的で自分の歌は何とも屈折していると仰ったのは濱野会長である。
  
  「さあ打つぞ」旗をめざして心飛ぶ
     ボールはオレンジラッキーカラー 和子
 本日欠席の清水和子さんの歌でグランドゴルフについて詠まれている。清水さんは一年ほど前からグランドゴルフのサークルに参加され、週二回の練習をとても楽しみにされているとのこと。歌を拝読すると、元気にボールを追いかける清水さんのお姿が目に浮かんできて、観衆になったような気になり、思わず「清水さん、がんばって」と声をかけたくなる。当短歌会の最年長者が詠んだとは思えないような躍動感のある作品である。元気の出るビタミンカラーのオレンジがラッキーカラーというのも清水さんにぴったり。筆者はグランドゴルフを全く知らないが、三宅さんによるとゴルフの簡易版とのことなので、近所の公園で時々見かけるゲートボールのようなチームプレイではなく、個人で戦うのだろう。楽しそうだ。
 
  沖縄の海岸に住むアヒルの子
     ラインにて観る名前はガーコ 良江
  
 作者は玉榮良江さん。玉榮さんは沖縄のご出身。ご実家の前の海岸にアヒルが住み着いていて、一羽だったのがいつの間にか三羽に増えたそうである。アヒルは池や川などの淡水域に生息するイメージがあるが、雑食なので海岸でも大丈夫なのだろう。アヒルの子の名前が「ガーコ」とはいかにもで、常套になりそうなものだが、アヒルの持つどこかコミカルでとぼけた感じが逆に出て効果的になっている。アヒルには「刷り込み」という初めて見た動くものを親だと思う性質がある。親アヒルの後をついて行くガーコの姿を想像したりすれば、なんとも微笑ましい気持ちになる。
  来し方を想い眺めるわが心
     清々せいぜいとした天に預ける 滿美子
 
 岩間滿美子さんの歌。元旦は素晴らしいお天気だった。年が明け、これまで自分がやってきたことを自ら認めようかどうかとあれこれ考えていると、これからはその清らかな天にすべてを預けて生きてゆけばよいのだと思われたそうである。目の前の青空のように、心にかかっていた雲が消えて晴れやかになられたのが伝わってくる。諦めではなく、心の迷いが解けてありのままを受け入れられそうなお気持ちになられたのだろう。しかし複雑なのは、作者がなにかそう自分に言い聞かせているようでもあり、到達された境地にどこか「揺れ」のようなものを感じてしまうのは筆者だけであろうか。
 
 石川啄木の『悲しき玩具』に次のような歌がある。
 
  年明けてゆるめる心!うつとりと
     来し方をすべて忘れしごとし 啄木
 
 来し方は人生の一部であり、消し去ることなどできない。岩間さんのようにそれを受け入れるという気持ちも、啄木のようにせめて正月ぐらいはそれを忘れてという気持ちもどちらも理解できる。誰もがその両方で揺れ動いているのではないだろうか。
  あの頃の「任せておけ」というガッツ
     いつのまにやら空の彼方か 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。今回は残念ながら欠席された。この歌は自分のことを詠まれたという解釈と、自分にそう言ってくれた人のことを詠まれたという解釈が出て、ご本人がおられれば伺えたのにとなった。どちらでも読者が自由に解釈すればよいと思うが、筆者は、嶋田さんが女性で「任せておけ」という台詞や「ガッツ」という言葉が男性的であることから後者であると考える。嶋田さんのご主人がご病気をされたと伺ったことがあるので、ご主人のことなのかもしれない。かつて元気でたくましかった夫が病気で気力も弱くなってしまい寂しく思われて詠まれたのだろうか。筆者は「空の彼方か」は嘆きだと解釈した。
 
  はらはらと初雪の降る嬉しさに
     八十路超えても幼子のごと 艶子
 
 本日欠席の櫻井艶子さんの作。雪国ではうんざりするだろうが、そうでない地域ではこの歌のように雪が降ると多くの人は何だか新鮮でうれしい気持ちになるのではないか。
 
 初句の「はらはら」という擬態語が議論になった。雪にまつわる擬態語としては「ちらちら」「はらはら」「しんしん」「こんこん」などが思いつく。濱野会長が斎藤茂吉の歌に言及された。
  現身のわが血脈のやや細り
     墓地にしんしんと雪つもる見ゆ 茂吉
 
 やがて自分も墓に入るだろうと思いながら雪がしんしんと降るのを見ている茂吉の歌は秀逸だが暗い。櫻井さんの歌は明るくて救いがあると濱野会長は仰る。並べてみるとよくわかるが、同じ雪でもやはり櫻井さんの歌は「はらはら」、茂吉の歌は「しんしん」でないとしっくりこない。「はらはら」にどこか違和感をもたれた方もおられたが、それはコロケーションのためかもしれない。「はらはら」の場合、「降る」よりも「舞う」という言葉と使われることが多い。
 
  コロナ禍に追い打ちかけるオミクロン
     備えし武具の盾にて守る 晴美
 
 田所晴美さんの作品。戦国の世の雰囲気を醸し出すような言葉の使用が工夫されていて個性的な歌である。「備えし武具の盾」とはワクチンのことか。「追い打ちかける」も戦にまつわる言葉で上句と下句がつながっている。小さすぎて電子顕微鏡を使わないと見ることはできないが、コロナウィルスの表面にはスパイクと呼ばれる無数の突起があり、なるほどあのトゲトゲの姿は甲冑のようにも見える。まさに戦か。視覚的イメージを膨らませて詠まれた歌なのかもしれない。
 歌会を終えて別室に移り新春の宴を催す。地の食材を活かしたでぐち荘さんのお料理にはいつも感動する。うかがったところでは出来合いのものは一つもなくすべて手作りされているとのこと。お漬物ひとつにしてもやさしい味がする。立派な活きあわびをバター焼きにしていただく。一匹まるごとの活きあわびなどなかなか食べられない。筆者は、あわびは刺身よりも焼きの方が柔らかい食感で好みである。極上の味。お刺身、なまこの酢の物、金目鯛入りの鍋、牡蠣、さざえの壺焼き、エビフライに茶碗蒸しなどどれも美味しい。シンプルなふろふき大根も絶品だった。品数も多く盛りだくさん。食べきれない場合には持ち帰るためのパックまでいただける心配りがうれしい。
 
 お腹も心も満たされてでぐち荘を出ると、西の空は茜色に染まり夕日が沈みかけていた。小さい頃に聴いた童謡「夕日」では、夕日が沈む擬態語は「ぎんぎんぎらぎら」だった。たしかに海面に映る夕日などは波に揺れて反射してそんな感じだろうが、いつも海を見ているとは限らない。では、どんな擬態語がよいだろうか。残念ながらよい語が思いつかなかった。擬態語や擬音語もうまく使えば歌に彩りが加わり効果的なことを今回の歌会で学んだ。