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日本浪漫歌壇 秋 霜月 令和三年十一月二七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 毎年十二月になると清水寺でその年を表す漢字が発表されるが、アメリカでは辞書大手のメリアム・ウェブスターが、十一月中に英語の「今年の言葉」を発表する。今年は「ワクチン」であった。言われてみれば納得である。昨年がパンデミック(感染症の世界的大流行)だったので、二年連続で新型コロナ関係の言葉が選ばれた。それほどコロナが世界に与えた影響は大きい。短歌でもコロナを題材とする作品は多い。来年こそは明るい言葉が選ばれることを願いたい。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、十一月二七日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。新メンバーとして岩間節雄氏、滿美子氏のご夫妻が参加された。三浦短歌会の櫻井艶子氏も詠草を寄せられた。
 
  サッカーのボール背負いて登り坂
     脱兎のごとき少年の秋 由良子
 
 加藤由良子さんの作。十一月三日、文化の日の晴れ渡った午後に、サッカーボールを背負って急な坂道を元気に駆け上がっていく小学生を偶然目にされた。坂道の上から差した秋の日を浴びて脱兎のごとく駆けていく姿に、前途ある少年をうらやましく思われたそうで、その時の情景を詠まれた歌である。
 少年の若々しさを独特な表現を用いて伝えている。全体として情報がうまくまとまりバランスが保たれる言葉と語順が選ばれているのが見事である。
  小六の孫より電話声弾み
     修学旅行「行けるんだよ」 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。新型コロナの影響で、学校行事はみな延期や中止になっていて、修学旅行も実施が危ぶまれたが、行けることになり、その喜びを伝える電話がお孫さんからかかってきた。「小六」なので初めての修学旅行、しかも半ば諦めていただけに喜びもひとしおであるのが、歌から伝わってくる。お孫さんの弾む声が聞こえてくるようで、誰もが「本当によかったね」と言ってあげたくなる。読んで優しい気持ちになれる歌である。
 
  秋空やセピアの記憶たゆとうて
     ラインダンスの靴音くつおと高く 艶子
 
 本日は欠席の櫻井艶子さんの歌。加藤さんのお話では、櫻井さんは実際に昔ラインダンスをされていたとのことなので、そのことを思い出されて詠ったのだろうか。ラインダンスの躍動感を出すために、上句はどこか抽象的で静かなイメージにし、下句が具体的で動的なイメージになっているため強い印象と余韻が残る。
 
  父母ちちはは御影みえいこわし若きまま
     今宵は何処いづくと目が問ひ給ふ 成秋
 濱野会長の作。この歌のユーモアに会場が明るい雰囲気となった。御影のご両親の目線が作者に今夜はどこに行くのかと言っているという歌だが、「怖し」という言葉が効果的である。御影のご両親が現在のご自身より若いという事実と遊びに行くことを見抜いているような印象により、亡くなってもまだご両親の影響力は健在であるかのような不思議な空気感が漂う。この歌から伝わってくるのは、作者はいつもご両親のことを思い、亡くなられたご両親はいつも作者のことを見守られている家族愛である。
 
  病床の父我を見たまなざしは
     確かにあれは眼施と云うなり 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。入院されていたお父様のことを詠まれた歌。嶋田さんは入院中のお父様を毎日訪問されていた。ある時、気管切開をして話すことのできないお父様が、帰宅する嶋田さんをとても優しいまなざしで見られたことがあり、嶋田さんにはその目が「ありがとう」と言っている気がした。お父様のそのようなまなざしを見るのが初めてだったのでずっと覚えておられ、後に仏教の本を読まれた際に、「無財の七施」の一つである眼施を知り、あのお父様のまなざしは眼施であったと思われたそうである。三宅さんのご説明では、仏教には「無財の七施」といわれる七つの施しがあり、その一つ目が眼施で、優しい眼差しで人と接することである。
  
  いはれなに回り道せり黄昏の
     われ迎へてや銀杏散り敷く 裕二
 筆者の作。たまたま回り道をすると、銀杏の葉が落ちて道が黄金色の絨毯を敷き詰めたようになっていた。その美しい光景を見て詠んだ歌であるが、自分の人生も重ね合わせた。「謂れなに」は理由もなくという意味であるが、ややわかりにくいというご意見があった。
  
  東名の高速道路は工事中
     海老名SAすでに渋滞 尚道
  
 作者は三宅尚道さん。ラジオの道路情報で高速道路の工事情報が繰り返されていたが、用事で出かけてみたら渋滞していたという歌である。作者の三宅さんによると、短歌には深い意味が込められた作品もあるが、とくに意味のない歌があってもよいのではないと思って詠まれたとのこと。
  
  ボタン穴一つ一つを見つめつつ
     姉が手編みしカーデガン着る 和子
 
 清水和子さんの歌。編み物が好きだったお姉さまが編んでくれたカーディガンは、ボタンの穴も一つひとつ丁寧に作ってあり、それを見ると姉さまの心に触れる気がして、ずっと見つめてしまうと清水さんは仰る。お姉さまのことを思って詠まれた心に響く歌である。
  石蕗の花咲き始め故郷の
     野路のみちを想ふ祖母と歩みし 良江
  
 作者は玉榮良江さん。美しい情景の浮かぶ歌である。四句「野路を想ふ」と結句「祖母と歩みし」の順序が議論になったが、連想された順に並べることで、読者が作者の気持ちにより近づける作品となっている。一緒に歩いたのが祖母であることが温かい気持ちにさせる。
 
  城跡しろあとをもとほりけばたましぐれ
     黒きはだか吾に問ひかけ 滿美子
 
 岩間滿美子さんの歌。作者の岩間さんは衣笠城のすぐ近くにお住いになっている。あるとき城跡を歩いていると雨が振り始めた。衣笠の戦のことをご存知の作者には、その雨は亡くなった人の御魂が時雨のごとく降っているかのようで、見上げれば葉が散って黒くなった枝が自らに問いかけてくるという岩間さんならではの感覚で詠まれた素晴らしい歌である。
 歌会を終えてカフェ・キーに移動する。お茶をいただきながらしばし歓談し、お店を出るころには外はすっかり暗くなっていた。
 今回も皆さんの作品に触れ、短歌の奥深さを再認識した。それぞれ生活の中の一瞬を切り取ってもこれほどまでに個性が出るものかと思った。自分とは違う視点や発想にはいつも驚かされるが、知らない言葉や使ったことのない言葉が使われていると印象に残る。岩間さんの「魂しぐれ」や「黒き裸枝」などは言葉として新鮮だった。「魂しぐれ」は造語であると聞いて、前回の歌会で出てきた井上陽水の「少年時代」の歌詞を思い出した。曲の始まりの歌詞の一節に「風あざみ」とあり、植物に詳しくない筆者はどんなアザミなのか調べてみると、「風あざみ」など存在せず、井上陽水の造語であることがわかり驚いた。言葉が醸し出すイメージや響きが曲の雰囲気そのものである。造語表現は非常に高度な技法であるが、成功すればその新鮮な言葉が歌をこの上なく豊かなものにしてくれる。今回の歌会も大変勉強になった。
日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和三年十月十六日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 「読書の秋」という言葉がある。言葉の由来とされる韓愈の漢詩の一節「灯火親しむべし」は「秋の夜は灯りをともして読書するのにするのにふさわしい」といった意味で、『大歳時記』によると江戸時代の俳人により引用され使われ始めたとのことである。なるほど火を灯した明かりの下で読書するのに、夏の暑さは堪えただろう。暑さが一段落し、夜も長くなる秋が本を読むのに最適としたのも納得である。歌を詠むのも同様で、涼しくなった秋が集中できてよい。十月も中旬となり歌会当日は過ごしやすい秋の日となった。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、十月十六日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、櫻井艶子、嶋田弘子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  コロナ解けわずかに残れる中学の
     クラス会あり久しい便り 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。コロナ禍の現在は内容が非常によく理解できる歌。クラス会で級友に会える喜びと参加できる人が少なくなった寂しさの混在する気持ちを詠んだ味わいのある一首である。
  人世ひとよ老ひかぼそきかひなで野分け戸を
     閉めていかづちしっぽり想ひて 成秋
 
 濱野会長の作。台風が来るので自分の老いさらばえた腕で雨戸を閉めると外で雷がなっている。その状況に会長はお母様が三味線を習ってきて歌っていた俗謡を思い出されたそうで、雷さんが戸を閉めてふたりしっぽりという歌詞があり、下句はそこからとのこと。調べてみると「新土佐節」という座敷歌で次のような歌詞である。
 
  雷さんは粋な方だよ 戸を閉めさせて
  二人 しっぽり 濡らした 通り雨よ
  そうだ そうだ まったくだよ
 
 歌からだけでは読み取れないが、濱野会長のお母様への思いも込められた一首である。
 
  きぬかつぎ茹でて塩つけ食すれば
     旬の小芋はやっぱり旨し 光枝
 嘉山光枝さんの歌。きぬかつぎとは里芋を皮のまま茹でたもので、この時期に里芋の小芋が旬で美味しいと詠まれている。嘉山さんは食にまつわる歌を多く詠まれるとのことだが、食文化という言葉があるように、食は民族や地域を特徴づけるものであり、何をどのように調理してどのような作法で食べるのかはまさに歴史や文化そのものである。
 
  秋めいた風の音 聞くラジオより
     「少年時代」たびたび流る 尚道
 
 「少年時代」は一九九〇年にリリースされた井上陽水のヒット曲である。この曲を知らないと歌の意味するところがわかりにくいのではと言うのは作者の三宅尚道さん。「夏が過ぎ風あざみ」という歌詞で始まる「少年時代」は、歌詞から判断すると、過ぎ去ってしまった夏の思い出に浸る「私」のことを歌っているが、この曲は秋になるとラジオ等でよくかかるそうで、これを聞くと秋になったと実感されるのだろう。さらに古今和歌集に収められている藤原敏行朝臣の次の一首も念頭に詠まれたとのこと。
  
  秋来ぬと目にはさやかに見えねども
     風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行朝臣
  
 紅葉や月などを見て秋を感じることが多いが、三宅さんは風の音やラジオから聞こえてくる曲を聞いて秋を感じている。作者の豊かな感受性を表す一首である。
  夕暮れに月下美人を褒められて
     娘と思うか落ちつかぬ夜 和子
  
 本日は欠席の清水和子さんの作品。月下美人の花は夕方に咲いて一晩で散ってしまう。この歌は、育てている月下美人の花が咲いたことを歌ったのか、それとも何かの例えだろうか。「娘」の解釈が参加者の間で議論になった。「娘」というのは月下美人のことで作者は月下美人を娘のように思っているという解釈と「娘」とは作者自身のことで月下美人を褒めてくれた人がまさか自分をそんなふうに思うのかと何となく落ち着かないという解釈である。どちらの解釈が正解なのかではなく、想像をかきたてて様々に解釈できることがこの歌の魅力である。
  
  晩秋の道に落ちたるどんぐりの
     行く末われに重なりて見ゆ 裕二
 
 筆者の作。秋も深まりどんぐりが道に落ちて転がっている光景を目にして詠んだ歌。土の地面に落ちればやがて芽を出すのだろうが、ほとんどが舗装された道路に落ちて通行する人や車に踏まれている。わずかに道の隅でひっそり難を逃れるものや道の真ん中でも無傷のままの強運を持つものもいて、どこか人の世を見ているような感じがした。
 歌に非常に寂しさが出ていて、参加者の中で一番若い筆者が詠んだことに皆様は少し驚かれた。整った歌であるというご意見をいただいた。
  コロナ禍の新しいままの靴履いて
     半歩踏み出す青天だから 弘子
  
 作者は嶋田弘子さん。母の日に娘さんから靴をもらったのに、コロナ禍でどこにも行けずに長く下駄箱に入れたままになっていた。緊急事態宣言が解除になり、台風一過で晴天になった日に、ようやくその靴を履いて出かけようという気持ちになったが、コロナが収束したわけではない。不安は消えず、まだ一歩は出られない。コロナ前のようにはいかない気持ちを「半歩」という言葉に込められた。
 コロナ禍でどこにも出られないことを新しい靴で表現するのが秀逸であるという意見が出た。
 
  台風に打たれて濡れしゴーヤーの
     実は残りをりふとらぬままに 良江
 
 家庭菜園をされている玉榮良江さんの作。日照不足と雨が降り続いたことで育てていたゴーヤのできが悪く、その状況を写生した歌である。ゴーヤの収穫期は七月から九月頃までだが、最後の収穫が残念な結果となったのだろうか。ゴーヤはその苦さのためか野生動物に食べられることもなく天候がよければ立派な実が収穫できる。実が痩せて軽いために台風に見舞われても落ちずに残っているのが切ない。ゴーヤを他の野菜にしてしまってはこの哀愁は出ないだろう。
  雨風に秋の訪れ聞きし日は
     夫のぬくもりおぼろなつかし 艶子
 
 作者は櫻井艶子さん。ご主人が亡くなって三年が経過し、最近はよく思い出されるそうで、秋が来て寂しい気持ちになったときにご主人の優しさを思い出されて詠まれた歌である。十年ほど前にご主人を亡くされた嘉山さんは、亡くなって三年ほどは思い出が濃く詰まっていて、それからだんだん薄れていくとご自身の経験を語られ、この歌がよく理解できると仰った。「おぼろ」は春の季語なので秋の歌に使うことを櫻井さんは気にされたが、短歌なので問題はないということに。
 
 今回の歌会では、三十一音の定形で情景と心情を表現する難しさを改めて実感した。しかしその制約ゆえに言葉や内容が集約され深みが出る。氷山のイメージが浮かぶ。氷山の一角から隠れている大きな部分を想像する。表層を理解するだけでは核心には到達できない。歌から広がっていく世界に包まれ、作者の思いに共鳴する。千三百年も続いてきた短歌の定型がそれを可能にしている。よい作品に触れ、本日も充実した一日であった。
日本浪漫歌壇 夏 文月 令和三年七月十七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会前日に気象庁が関東甲信地方の梅雨明けを発表した。今年は梅雨入りが平年より一週間ほど遅かったが、明けるのは三日ほど早かった。歌会当日は気持ちの良い晴天となり、先月よりも駅や電車には人が多かった。最近よく耳にするようになった言葉に「人流」がある。「人の流れ」という語は普通に使われていたが、「人流」はコロナ禍になって初めて聞いた。流れを表す意味で「電流」「水流」「物流」などはよく聞いても「人流」は聞いたことがなかった。国語辞典を引いてみても「人流」だけ載っていない。「流」という漢字には「流れ」以外にも多くの意味がある。例えば「女流」のように類という意味もあるし、「流行」のような伝わり広がるという意味もある。最近よく使われる造語「韓流」は韓国の流行という意味である。「流派」や「流暢」の「流」もまたそれぞれ別の意味である。これまで「人の流れ」は使われても「人流」が使われなかったのは、この「流」の多義のためで、それがコロナ禍によって人の移動が注意点としてあまりに強調され、「人」と「流」の組み合わせで「流れ」以外の意味など想像もされなくなったために「人流」が突然使われ始めたのではないか。そうだとすれば、コロナは言葉にも影響を与えている。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、七月十七日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、桜井艶子、嶋田弘子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏と日本浪漫学会の濱野成秋会長も詠草を寄せられた。
  夫逝きて十年となり独り居も
     「なれましたよと」と花を供へる 光枝
 
 嘉山光枝さんの作。ご主人が亡くなって今月で十年になる。ひとりの不安や寂しさはあるが、現在は自由な時間をいただいたと思うようにしている。ただ、自由を感じているとはいえ、夫婦はやはり喧嘩をしているうちが華であると嘉山さんは仰る。わかりやすく表現されていて嘉山さんのお気持ちがよく伝わってくるというのが皆さんの共通する感想だった。パートナーを亡くされた方にはとくに共感できる歌であろう。
 
  梅雨はしり仙台秋保あきうあざやかな
     みどりと藤とあたたかき人と 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。五月に秋保温泉に旅した時の一首。秋保温泉までは仙台からバスで四十分ほど。新緑を眺めながら向かっていると、その緑に天然の藤が美しい彩りを添えていた。秋保温泉の美しい風景とさらに地元の人たちの温かさに感動されたとのことで、梅雨前のぐずついた天気を吹き飛ばすような爽やかな歌である。
 
  早朝のバスの人々会話なく
     マスクを付けて皆前を見る 尚道
 作者は三宅尚道さん。まったくその通りだと皆さんが仰った。何気ない日常の光景が詠まれているが、「マスクを付けて」とあれば、現在のコロナ禍では読み手は様々に想像をめぐらせる。不要不急の外出の自粛が求められる中、乗客は早朝にどこへ向かっているのか。仕事だろうか、買い物だろうか、ワクチン接種だろうか。会話がないのはひとりで出かけているからか、感染予防のためか、同調圧力のためか。いつまでこの生活が続くのだろう。三宅さんは結句「皆前を見る」に、社会の閉塞状況の中でも前を見てゆこうという思いを込めたと仰った。
 
  産土の宮に飛びかうつがい鳥
     おいかけおいこしいずこへか消ゆ 弘子
 
 作者の嶋田弘子さんのお話では、実際には鳥ではなく蝶だったそうだが、ご自身が目にした光景を詠まれたとのこと。ご主人の手術前に神社に寄ってお願いをした際に、二匹の蝶が追いかけ合うように飛んでいて、しばらくするとどこかに消えていった。その蝶を見て、何だかご夫婦の人生と重なるように感じてこの歌を詠まれた。映像が目に浮かんでくるというのが皆さん共通のご意見であった。
  
  衣笠の寓居手放す日も近し
     十歳ととせの哀歌も幻と化す 成秋
 濱野会長の作。衣笠にある別邸を手放されるお気持ちを詠まれた歌。家とともにそこで過ごした思い出も失われてしまうような気持ちになってしまう。家だけでなく長く愛用した物や形見など過去を思い出させる物であればみなそうであろう。自分の人生の一部が欠けてしまうように感じて悲しくなる。しんみりした調子で心に余韻が残る秀歌である。濱野会長は俳句も一句詠まれた。
  
  薔薇一輪咲いて衣笠売りて去る 成秋
 
  夫婦じアない夫婦以上のカップルの
     声弾みおり朝の食卓 和子
 
 作者は清水和子さん。ホームにお住まいの清水さんが朝の食堂の光景を詠まれた歌。ホームには、伴侶を亡くされひとりで入居されている方で、ここで知り合ってカップルになられた方がいらっしゃるそうで、「夫婦じアない夫婦以上のカップル」とはその方がテレビのドキュメンタリー番組の取材の際に自ら語った言葉とのこと。筆者は高齢の方が暮らすホームにどこか静かで暗い印象を持っていたが、明るくはつらつとした入居者の姿を描く清水さんの歌を拝読し、ホームのイメージが変わった。
 
  蓮華はすはなの薄紅白く移ろひて
     待ちたるのみや散りて枯るるを 裕二
 筆者の作。家の近所の公園に咲く蓮の花を見て詠んだ一首。蓮の花は早朝に開き、夜には閉じるが、わずか四日で散ってしまう。花の美しい紅色は一日ごとに薄くなり、四日目にはほぼ白色になる。紅色の花に混じって咲く白色の花は午後には散る。自然の摂理とはいえ、どうにも切ない。
 
  夫忍び保安林保護呼びかけむ
     故里の海永遠とわあおさを 艶子
 
 作者は桜井艶子さん。櫻井さんのご主人は生前よく寄付をされていた。若い世代の助けになればと地元の高校の保安林にも助成され、その森が三浦の海さらに世界の海を守ってくれることを祈っておられた。保安林を守るために高校では生徒のクラブ活動の一つにしようとするが、活動費不足が問題となっている。現在、櫻井さんは保安林の整備のための資金を集める募金活動に協力されておられ、お話を伺って歌の意味がよく理解できた。
 
  鶯の声がしきりに響く朝
     まねして口笛吹きて返せり 良江
 作者は玉榮良江さん。自然豊かな三浦では鶯の鳴き声がよく聞こえてくる。この歌の状況がよくわかると皆さん仰る。美しい鶯の鳴き声を聞けば、真似して口笛を吹いてみようと誰もが一度は思うのではないだろうか。玉榮さんのお話では、実際に真似をしたら、鶯が近くまで来たそうで、その時初めて鶯を間近でご覧になり、色は茶色だとは聞いていたが本当にその通りだったとのこと。岩手県の民謡「南部茶屋節」に「声はすれども姿は見えぬ藪に鶯声ばかり」という一節がある。英語では鶯はジャパニーズ・ブッシュ・ウォーブラーと言い、ブッシュ・ウォーブラーとは「藪でさえずる鳥」といった意味である。鶯は警戒心が強くめったに姿を見せないというが、それを呼び寄せる玉榮さんの口笛の腕前には驚きである。
 
 歌会で皆さんのお話をうかがい作品背景などを知ると、三十一文字で思いや感情をいかに表現したのかがわかり勉強になる。テーマ、リズム、イメージを効果的に作用させる言葉や語順を探すのは簡単ではない。一言変えるだけで歌が劇的に良くなることもあるが、その一言になかなか気づけない場合もある。歌人の皆さんと議論できる機会は大変貴重であり、細心の注意を払ってコロナ禍でも歌会を続けているのは立派だと思う。今回も有意義で充実した歌会となった。
日本浪漫歌壇 夏 水無月 令和三年六月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会の当日は雨だった。関東地方も数日前に梅雨入りが発表されていたので雨が降るのも仕方がない。雨が続くことで逆に六月になったことを実感する。梅は春の季語だが六月に雨が続くことを梅雨と書くのはなぜだろう。しかも梅雨と書いて「つゆ」と読む。気になったので辞典で調べてみた。花ではなく実に関係していた。梅の実が熟す時期に降る雨を中国の長江流域で「梅雨」と読んでいたのが江戸時代に日本に伝わったとされるようだ。しかし諸説あるとのこと。この時期の雨をもともと日本では五月雨と呼んでいた。梅雨の字を「つゆ」と呼ぶようになったことについても「梅の実が熟して潰れる『潰ゆ(つゆ)』からや「カビで物が損なわれる『費ゆ(つひゆ)』からなど諸説あって、要するにはっきりわからないのである。今年は例年より一週間ほど遅い梅雨入りとなったが、明けるのはいつになるのだろうか。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、六月十九日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子の四氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の桜井艶子、清水和子、玉榮良江、田所晴美の四氏も詠草を寄せられた。
 
  東海の益荒男成りしマスターズ
     亡き夫ならばいかに思ふや 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。ゴルフのメジャー大会である「マスターズ」で松山英樹選手が日本人として初優勝を果たした。亡き夫はゴルフが好きだった。もし彼が生きていてこの快挙を知ったとしたらどんなに喜んだであろう。ゴルフのニュースに亡くなった旦那様のことを思い出されながら詠まれた一首。
 最近では野球の大谷選手やテニスの大坂選手など世界の第一線で活躍する日本人アスリートも登場しているが、体型によるものなのか長い間スポーツ界では日本人が活躍できなかった。いわゆる「世界の壁」があった。加藤さんによれば、とりわけ男子ゴルフはこの「壁」が高く、これまで幾多の日本人トップ選手が挑戦しても誰もメジャー大会で勝つことはできず、マスターズ制覇は男子ゴルフ界にとって祈願だったとのこと。
 
  ワクチンの接種予約は成功も
     スマホ操作に奮闘五時間 光枝
 
 この歌を詠まれた嘉山光枝さんはワクチン接種の予約にとても苦労された。嘉山さんのお話では、予約電話は混み合って一切つながらないため、スマホによるネット予約を行ったが、操作法がわからなかったり不具合が出たりして完了するまでに五時間もかかったそうである。
 この歌においては、他でもない「五時間」というのが秀逸である。結句にキレを出すためには一音になる数字を選ぶことになるが、二、四、五、九とある中でさすがに九では長すぎる。次に長く、奇数の五が最善だろう。筆者の私感だが、偶数は奇数よりも安定感があり優しい印象を受ける。奇数の「五」という数字が「奮闘」という言葉と相まって、慣れない作業への不安や苛立ち感を上手く醸し出している。
  コンビニの防犯カメラに燕の巣
     親鳥ひたすら餌をはこびくる 尚道
 
 三宅尚道さんの作で実際に目にした光景を詠んだもの。誰もが一度はつばめの巣を見たことがあるだろうが、さすがに防犯カメラの上の巣はないだろう。「防犯カメラという人間が同じ種族の人間を疑って取り付けている装置にお構いなしにつばめが巣を作るのが、人間をあざ笑っているかのようでとても面白い」というのは濱野会長のお言葉。
 
  くちびるや歯牙にまとひし言の葉を
     秋風に舞ふ瞳に告げをり 成秋
 
 濱野成秋会長の作。この歌は次の松尾芭蕉の俳句の本歌取り。
  
  物いへば唇寒し秋の風 芭蕉
  
 濱野会長によると、芭蕉はこの句の詞書で、余計なことを言うと災いを招くので言葉を発するときは注意しなさいと説いたそうで、俳聖ともあろう人物が詩歌でごく当たり前の市井の道徳を説いていることにがっかりしたと仰る。自分をさらけ出してこそ文学であろうと。
 人間はときに他人を非難したくなるが、「まとひし」と表現したようにたいていその言葉を声に出すことはしない。では非難しないかと言えば、否である。目は口ほどに物を言うというように、口では言わず、目で告げて非難しているのである。そんな嫌らしい我が心を見てくださいという歌であるとのご説明。参加者の皆さんも確かに人間は目で物を言っているが、とくに日本人の場合はそれが強いのではないかとのご意見であった。
  
  スーパーの入口にある貼り紙に
     「トンビに注意」今日は梅雨入り 良江
 
 作者は本日欠席の玉榮良江さん。ご本人に伺うこと出来なかったので、歌の内容についてはわからないが、実際に張り紙がされていたのをご覧になったのだろう。三浦ではとんびはよく見かけるそうだが、さすがにスーパーという場所との組み合わせは意表を突くもので、強く印象に残ったために歌に詠まれたのではないか。
 
  夕空に生気みなぎる点描画
     騎虎の勢ひむくどりの群れ 裕二
 
 筆者の作。毎年この時期になると住んでいる街の駅前にむくどりの群れがやって来る。その数たるや驚くほどで、鳴き声も大きくて人の話し声も聞こえないほどである。何かの拍子に一斉に飛び立つと右に左に旋回し、その光景は巨大な点描画が動いているかのようでその迫力に圧倒される。実際にむくどりの群れをご覧になったことのある嘉山さんより「まさにこの歌のようだった」というお言葉をいただいた。
  小雨降るブーゲンビルに鎮魂す
     万葉の歌父と捧げん 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。筆者は太平洋戦争の激戦地としてガダルカナル島という名は何度も聞いたことがあるが、同じソロモン諸島のブーゲンビル島については初めて聞いた。嶋田さんのお父様は戦争中にこのブーゲンビル島におられたので、戦後は島を訪れることなく亡くなられたが、きっと訪れたかったのでは。そう思われた嶋田さんは今から十二年ほど前にお父様の魂と一緒に行くつもりで、ブーゲンビル島に慰霊の旅をされた。本作はその旅の歌である。「万葉の歌」とは『万葉集』にある大伴家持の歌から詩が採られた『海行かば』のことだろう。
 
  九時に寝る忙しき頃の夢を見て
     五時四〇分 今日も日曜 和子
 
 清水和子さんの詠まれた歌であるが、ご本人が本日は欠席されていて内容について詳しく伺うことはできなかった。五時四十分というかなり細かい時間に何か特別な意味があるのだろうか。忙しくしていた頃には夜は九時に寝て翌朝早く起きていた。今は早く起きる必要がないのにその頃の夢をみて五時四十分に目が覚めてしまったという実体験を詠った歌だろうか。
 
  木漏れ陽の光鋭く空を裂く
     心ふるえる白内障オペ 艶子
 本日欠席の桜井艶子さんの作品。白内障の手術をしたことのある三宅さんはこの歌の「光鋭く」の部分などがよくわかると仰る。友人の加藤さんのお話では、桜井さんが手術を受けたのはこの歌会の前日とのことなので、歌は手術前に詠まれたことになる。「木漏れ陽」や「空」というあまり手術とイメージの重ならない言葉に「鋭く」や「裂く」のような言葉を組み合わせて下句の手術とイメージを繋げ、全体がうまくまとまるように工夫されている。
 
  クラス会年重ねたる老の身を
     忘れ乙女にもどるひと時 晴美
 
 加藤さんのご友人の田所晴美さんの歌。田所さんは千葉にお住いで、三浦で行われる歌会に参加することは難しいため投稿でのご参加となった。クラス会では皆が当時に戻ってしまうのは、クラス会に出席すれば誰もが経験することではないだろうか。クラス会での楽しい笑い声が聞こえてきそうな誰もが共感できる素晴らしい一首である。
 
 今回も皆さんの歌から多くを学ぶことができた。とくにお父様と戦争・平和への思いが込められた嶋田さんの歌を拝読して、平和であることが当たり前のように生きてきた筆者やさらに若い世代は戦争の記憶を風化させてはいけないと思った。戦没者追悼式で現在の上皇と天皇が「おことば」で毎回「過去を顧み、反省し、再び戦争が繰り返されないことを願う」と述べられていることを思い出した。本日も充実した歌会であった。
日本浪漫歌壇 春 卯月 令和三年四月十七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 四月二十日頃のことを二十四節気で「穀雨」と言う。穀物を潤す春雨が降ることから名づけられた。この時期に降る雨について調べてみると、穀物を潤す雨で「穀雨」と同義の「瑞雨」、草木を潤す「甘雨」、菜の花が咲く頃に降る「菜種梅雨」、春の長雨の「春霖」、花の育成を促す「催花雨」、卯月に降る長雨の「卯の花腐し」など多くの名前がある。
 歌会当日はあいにくの雨だったが、三浦は畑が多く野菜の栽培が盛んである。植物にとっては恵みの雨になっただろう。四月十七日は午後一時半より三浦短歌会の皆様と日本浪漫学会が合同で歌会を行った。会場は三浦勤労市民センター。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の桜井艶子氏も詠草を寄せられた。
 
  ゆく春の橋の上なるおぼろ月
    黄砂のせいとつれないラジオ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。「おぼろ月」というと唱歌『朧月夜』を口ずさんでしまうのではないだろうか。『朧月夜』は作詞が高野辰之、作曲が岡野貞一で、このコンビは他にも『故郷』『春が来た』『春の小川』などの素晴らしい日本の歌を作っている。「白地に赤く日の丸染めて」で始まる『日の丸の旗』も彼らによるものである。
加藤さんも「菜の花畠に入り日薄れではないが」と先ず『朧月夜』に言及され、ご自身が夜空に浮かぶ月を見て今日はおぼろ月だとロマンチックな気分になっていたら、ラジオで十年ぶりに関東でも黄砂が確認されたというニュースがあり、飛来した黄砂のせいで月が霞んでいたと知り少々興ざめしたとのこと。たしかにどこか不毛なイメージのする乾燥した砂漠の砂で霞むのと霧や靄などの空気中の水分に包まれて霞むのとでは「おぼろ月」も気分的に異なるだろう。
 おぼろに霞んだ月の美しさに日本人はずっと魅せられてきた。『新古今和歌集』にも朧月夜の歌がある。
 
  照りもせず曇りも果てぬ春の夜の
     朧月夜にしくものぞなき 大江千里
 
 この柔らかな光の感じを好むからこそ日本家屋では障子が使われるのではないだろうか。谷崎潤一郎の随筆に『陰翳礼讃』というのがあるが、日本人はあまりギラギラ明るいのを好まない。陰影の中で映えるものを美しいと思うのである。
 
  満人の近くの店から漂へる
     食欲そそる中華の匂ひ 光枝
 
 作者の嘉山光枝さんのご自宅の近所には中華料理屋があり、お昼時に美味しそうな中華料理の匂いが時々風に乗ってやって来る。その何気ない日常を詠った一首。
 初句の「満人の」によって歌のイメージが膨らむ。お店をされているのは中国の方だそうだが、東北部の満州出身かどうかは不明とのこと。そこをあえて満州出身とすることで彼らに対して興味を抱かせる。満州というと満鉄や満州国さらに終戦後に命がけで日本に引き上げてきた引揚者のことなどが頭をよぎる。ある時はロマン、またある時は悪夢。日本人にとって「満州」は中国の他の地名にはない特別な意味合いを持っている。
 「雪の降る夜は楽しいペチカ」という歌詞で始まる作詞北原白秋、作曲山田耕筰の『ペチカ』という童謡がある。筆者はずっとロシアについての歌だと思っていた。ペチカとはロシアの暖炉のことだからである。しかしこの歌はもともと一九二四年に発行された『満州唱歌集』に収められた唱歌で、当時の満州を舞台にしている。歌を依頼された白秋と耕筰の二人は満州まで行って制作した。今回その事実を知った。
 
  病超へ遂げし娘の記録見て
     揺れる母御の心測れり 和子
 
 作者は清水和子さん。白血病を克服し日本選手権で優勝を果たした水泳選手の池江璃花子さんの話を聞いて詠まれた歌。池江さんご本人ではなく彼女のお母様の心境を歌われたのは、清水さんご自身がいつも母親としてお子さんのことを心配しているからで、お子さんが重い病気になった池江さんのお母様の気持ちを考えずにはいられなかったとのこと。
「今の若いお母さんは気持ちが強くて娘を絶対に勝たせてあげたいと思うかもしれないが、自分などは水泳が続けられなくてもオリンピックに出られなくても体を大事にしてただ元気でいてくれたらそれでよいと思ってしまう」と清水さんは仰る。食糧事情が悪く戦争もあって多くの人が亡くなった時代を生き抜いてきた清水さんの「ただ元気でいてくれたらよい」というお言葉には重みがある。たとえ清水さんの仰るように世代によって考え方に違いがあるにしても、わが子を想う親の気持ちは変わらないだろう。『万葉集』にも次のような歌がある。
  
  あの人もこの人も「いい人ね」って
     思える今日の元気な証拠しるし 弘子
 
 作者の嶋田弘子さんは、最近短歌は必ずしも古典的でなくてもよいのではないかと思われたそうで、俵万智や若い歌人の自由な歌からご自身も「五・七・五・七・七」の定型に縛られない歌をお詠みになったとのこと。他人を良く思えない時は、自分の調子があまり良くないと経験から感じておられて、そのご自身のバロメーターを歌にされた。誰でも自分のことを知るのは難しい。他人に対する気持ちから自分の状態を知る。たしかに自分の心に余裕がないと、人に対して優しくなれないものだ。
 
  銀も金も玉も何せむに
     まされる宝子にしかめやも 山上憶良
 山上憶良の「子等を思う歌」の一首である。
 
  この世をば散りて去りたるさくらばな
     実をば結ばめ春は来ずとも 成秋
 
 濱野成秋会長の歌。桜の花でご自身の気持ちを表現されている。一般的な桜であるソメイヨシノは、花は美しいが実を結ばない。桜の花のように自分も散ったら終わりなのだろうか。たとえ散ってしまって春が来なくとも実を結んで次の世代に残してほしいというお気持ちがある。ご自身のお仕事などを振り返ってみても、たいして実を結んでいない気がして、この歌が出てきたと仰る。参加者の皆さんもそれぞれ歩んでこられた道は違えど同じ気持ちであると共感された。
 『新古今和歌集』に後徳大寺左大臣の桜の歌が収められている。
 
  はかなさをほかにもいはじ桜花
     咲きては散りぬあはれ世の中 後徳大寺左大臣
 
 世の儚さは桜の花の他には喩えようがないと言っているが、濱野会長の歌にも通ずるところがあるだろう。
 
  だんボール入りし柔らか春キャベツ
     家族総出の収穫すすむ 良江
 作者は玉榮良江さん。玉榮さんの作品はいつも鮮明に情景が浮かんでくる。描写が巧みだからだろう。三浦はキャベツ畑が多く、春にはこの歌のようなシーンがよく見られる。キャベツは夏にも収穫されるが、収穫のスピードが要求されるのか家族総出で行うのは春だと仰るのは嘉山さん。柔らかくて甘い春キャベツも採れたては鮮度がよく当然美味しいのだろう。
 
  相模湾一望にして春霞
     湯舟につかり友と語らむ 艶子
 
 今回はご欠席の櫻井艶子さんの作品。ご友人と熱海に行き楽しい時間を過ごして幸せを感じた時に詠んだとのことで、この作品も玉榮さんの作品と同様に情景がはっきり浮かんでくる。まるで絵画を見ているかのようで描写に無駄がない。友と語らふ声までが聞こえてきそうである。「相模湾」という具体的な場所を示す固有名詞の使用もこの歌では成功している。作品に現実感を与えるとともに、この辺りを知る者なら海には何が見えるのか。伊豆大島か伊豆半島か三浦半島かなどと想像できるのもまた楽しい。。
 
  花時に自粛求むる時の
     太子偲びて現在いまを生きゆく 裕二
 今年は聖徳太子の千四百回忌の年で、四月の初めに奈良の法隆寺で法要が行われた。百年に一度の節目だったが、新型コロナウイルス感染症の影響で感染防止対策を行って規模を縮小しての実施となった。その様子をニュースで見て筆者が詠んだ歌である。
 美しく桜が咲いても昨年に続き花見はできす、接触や蜜を避けるため人に会うこともままならない。この生活はいつまで続くのだろうか。日本のように人びとの自粛に任せてそれなりに行動が抑えられている国は珍しいと言われている。国民性と言えばそれまでだが、なぜそうなったのか。聖徳太子が作った十七条の憲法は第一条「和を以って貴しと為す」で始まる。日本人はその精神を現在まで受け継いできたのではないか。聖徳太子は当時猛威を奮った流行り病で亡くなったとされている。三宅さんのお調べになったところでは天然痘のようだ。太子はちょうど今の筆者の年齢で亡くなった。千四百年の時を越えて、今一度太子の教えに耳を傾け、コロナ禍を生き抜いてゆかねばならない。そんな気持ちでこの歌を詠んだ。
 
  夫とゆく揃いのマスクでコロナ禍を
     浮世さだむや総合病院 弘子
 
 上句を読んで仲の良いご夫婦が一緒にご旅行にでも出かけられるのかと思って下句に進むとお二人で通院されることがわかり一気に緊張が高まる。本作は先日夫に病気が見つかりご夫婦で病院に行かれたという嶋田弘子さんの歌。二人で通えるのは嬉しいが、その場所が病院でしかもコロナ禍。夫の病気とコロナの両方が心配になる。どうしたものか。その浮き世を定めてくれるのが大きな総合病院というまとめ方はお見事である。
  自衛隊訓練生はひたすらに
     パドル動かす春のうしほに 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。自衛隊武山駐屯地に陸上自衛隊高等工科学校があり親元を離れて全国から学生が集まってくる。今の時期は学校前の長井の湾でカヌーをやっている姿をよく見かけるそうで、学生は必死にパドルを漕いでカヌーを進めるが、腕力の違いが如実に現れると仰る。まだあどけなさが残る新入生も厳しい訓練を受けて卒業する頃には心身ともに逞しくなり立派な自衛官になって巣立ってゆく。在学中は給与が支給されるのだから規律や訓練は相当厳しいだろう。三宅さんの歌からもその厳しさが伝わってくる。
 「春の潮」という言葉から受ける温かい海でみんながのんびり遊んでいるような印象とそのような場所で「ひたすらにパドル動かす」と彼らが真面目に厳しい訓練に取り組んでいるという二つの言葉の組み合わせが秀逸であると仰るのは清水さん。たしかにその通りである。遊びたい盛りの若者たちが楽しくしている人たちを横目にストイックに訓練に打ち込むその姿が目に浮かんでくる。
 歌会を終えていつものようにカフェ・キーに移動する。お茶をいただきながらしばらく歓談する。
 今回の勉強では、五・七・五・七・七で各句を前後逆転させたり言葉を少し変えたりすることで短歌としてとても引き締まったように思う。その助言をされた濱野会長は後で申し訳なかったと言われたけれど、散文の調子から詩的な短歌に仕上がった感があり、皆さんに参考にしていただけた。筆者自身も皆さんの歌を読ませていただき、その歌をどのような思いで詠まれたのかを伺って、その思いを伝える表現を工夫するやり方を濱野会長の助言から学ぶことができて大変勉強になった。
 コーヒータイムを終え、お店を出るころには雨も小ぶりになっていた。港の向こうには城ヶ島が見える。今日はまさに「雨はふるふる」である。新型コロナウイルス収束の兆しは見えないが、これまで外出許可が下りずにご欠席されていた清水さんに初めてお目にかかることができた。今回も実りの多い大変充実した一日となった。