『白亜館の幽霊』作者  濱野成秋
 
 
 ワイルドの『サロメ』は出版後百年を経ても読者の憑りつく魔物である。僕には2度にわたって憑りついた。最初は大学1年のころ、まだ僕が大阪から東京に出てきて間がない少年だった。血の滴り落ちる男の生首に接吻するサロメはサドの典型だった。グロの極致でもあった。三島好みの死への憧れというか、嗜虐愛の典型に見えた。
 その頃、僕はアイスキュロスの「アガネムノン」とか「エレクトラ」、エディプス王」に憑りつかれ、ソフォクレスやエウリピデスなど、ギリシャ悲劇の延長線上にこのユダヤ王エロデ一族を見据えて、家族の相克もここまで至る凄さに驚いたものだ。
 ところが今回は19世紀末にアメリカに生きた作者オスカー・ワイルドがなぜ世紀末にこれを書く気になったかに焦点が当たった。たまたま近々出版予定の私の長編『白亜館の幽霊』とも関連してくる。主人公が内在させる霊魂と真正面から取り組みながら、自分の出自が不確かで、見極められず悩む現代っ子の女性の彷徨いの姿を描き出した、その最中の精読だったから、解釈はおそろしく異なる。それに期せずして自分の描く主人公も出自については悩み、惑う。サロメのように。
 サロメは貴族の末裔だが、エロディアスと前夫との間に出来た子。母はエロデと結ばれるために、その兄であった夫を殺したらしい。
 
 この設定はシェークスピアの『ハムレット』に登場するハムレットの母ガートルードと同じ。素性が悪い。体内には穢れ汚れた血を流すユダヤ娘だと知る預言者ヨカナーンは、彼女を「バビロンの女」だと呼んで蔑み、彼女の行く末は滅亡の地ソドムだと預言する。
 そんなヨカナーンを呪いつ惹かれるサロメ。
 彼女もまたそんなヨカナーンの肌に惹かれて求愛する。
 他方、母親と結婚したエロデ王は素性の卑しい男で、今ではエロディアスよりもサロメに魅せられ踊れ踊れ、何でも褒美を取らせると迫る。
 これは近親相姦の罪である。
 こうなると、このエロデ王一族はとてつもなく罪な存在となり、それを知るヨカナーンが殺されて、その首を欲しいと言ってきかないサロメはその生首に抱擁する。
 私の作品にはヨカナーンは登場しないが、この預言者が囚われていたという水牢は現に衣笠城には存在する。つまり、筆者が言いたいのは、学生時代にワイルドを読んだせいかどうかは知らねど、登場人物が皆それぞれに業を背負って迷妄することだ。
 僕の主人公はサロメのように生首を欲しがらない。だが自分の中に流れる忌まわしい血を持て余している。
それはワイルド自身でもあり、私自身でもある。