奈良県久米 石井秋野

「十五夜お月様ひとりぼち桜吹雪の花影に花嫁姿のお姉さま車にゆられてゆきました」

この歌を聞くたんびに明日香に嫁入りした姉さんのこと、想い出してならへんです。貧乏な布教使の家に八人兄弟で育った私には、朝の早いうちに起きて土間で炊事や洗い物をするお姉さまは不思議な人やった。うちのことは忘れたみたいに方々飛び回るお父ちゃん。身体の弱い母。長女の姉は小言の一つも言わず朝から晩まで働きどおし。弟たちの面倒を見たり縄を編んだり。遂に私は父に向って云ひました、「お父ちゃん、人様のことばかりやってんで自分のうちのこと考えてや」でも父は相変わらずや。二上山で山賊に襲われても、その人を入信させたり。あるとき父がにこにこしたはる。お姉さまを嫁入りさせる、あの子は働き者やな嫁にほしいと言ふてきよった…一人り片付いたがな。

お母ちゃんは寝たり起きたり…もう、やってかれへんのに何考えてはるんや…。

姉さまは私たちと別れを惜しんで五里も先の岡村の教会の家にお嫁入しはった。桜吹雪の花影を牛車にゆられて…この歌のとおりやったですよ。

「十五夜お月様見てたでしょ桜吹雪の花影に花嫁姿の姉様とお別れ惜しんで泣きました」

お嫁入入りの日、ほろ酔いで笑っているのは酒に弱いお父ちゃんだけやった。お客さん帰ったら、うち中涙を流してた。花嫁御寮って、みんな泣く。あたりまえや、と母。もう生き別れと同じやさかい…。「秋野さん、私の役目はあんたがするねんよ」あんたしかおれへんよ。という涙目のお姉さまの手が温かかった。

「十五夜お月様一人ぼち桜吹雪の花影に遠いお里のお姉さまわたしは一人になりました」

わたしにはその後、大阪の軍需会社を派手にやってはる家の後妻になる話が湧きました、大金持ちやそうやと乗り気の父。私は薬剤師の免状とって、高取の「石川はん」の薬局に努めて仕送りしていたけれど、弟や妹を食べさせられへん。後妻でもかめへん、内にもっとお金送れるようになる。けど橿原神宮のお神楽舞の楽しみも、もう終わりやな。

そう思って。大阪へ嫁入りしたら、なんと二階に赤子がいた。姑が嫁を放り出して、赤ちゃんだけ置いて行けと。その日から子育てやった。この子に罪はない。そう思うておしめの世話から社員さんの食事や洗濯…騙され結婚やったわけや。せやけど、子がなついた、それを姑が怒って私の目の前で「あの女の人、あんたのお母ちゃんとちゃうんやで」て、そんなん…言わはったら…どないしたらええねん。お姉さま、うち、どないしたらええねん。雪の日やった。岡村へ行こう思うたらトウキョで何や兵隊さんら首相官邸やら襲うて…二・二六事件で外出禁止やった。

夫は新町の芸者の家に入り浸りになった。姑が私をいじめて、いじめて。そんなん厭やったんやろ。こっちも勝手や。もうこんな家いやや。里へ帰った。

久米の家で風呂上りに鏡の前に立ったら乳首が紫色になってた。でけたんや、あんた、おなかに赤ちゃんが…帰りや、大阪に。無理しても帰りや。てて無し子産むんか。お母ちゃんに追い出されてまた大阪へ。「せやけど岡村へ行きたい」「なんでや?」「知らんの? お姉ちゃん、お乳が痛いて、あれ、乳癌かもしれん…うち、見たげるし」あかん、見舞いに行ってたりしたら離縁されてまうがな…とお母ちゃん。

歳が明けて、桜の咲くころ、男の子が生まれた。花影の下で赤ちゃん抱いて幸せやった。でもその年の12月、ハワイで大きな戦争が。大勝利や。夫は軍のなかで鋼鉄線を独占製造してたんか、軍需工場は大繁盛で儲けた儲けた。大将と呼ばれて祇園にまで遊びに行っこる。芸者はんとの間に子ができたとか。私にはこの子がいる。離れ座敷で我が子を抱きしめた。可愛い坊やと二人の暮らしや。せやけどいつ里へ帰れと言われるか…お姉さま、助けてや、助けてや。見舞いに行きなち、あかん、あんた上の子放り出すんか、この非常時に…翌年の春、花の咲くころ、電報が来た。「岡村のお姉さま危篤」それからすぐに、「死す」の電報が届いて…。

自分にはこの子がいるけど、私は独りになりました、という歌の締めくくりは、ほんま実感やったです。(日記から聞き語りを書き起こす)