三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会 令和四年四月十六日
       記録と詞書 日本浪漫学会 河内裕二
 
 春に三日の晴れなしと言われるが、歌会当日は前日の雨も上がり晴天となった。四月十六日午後一時半より三浦勤労市民センターで三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会が開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子、櫻井艶子の二氏も詠草を寄せられた。
 
  星のふる観覧車で吹く早春賦
     オカリナ聴きし友も逝きたり 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。以前オカリナに夢中になった時期があり、いつでも持ち歩いて時間があるとオカリナを吹いていたとのこと。ある時ご友人とご一緒に出かけられ、帰りが遅くなった際に、ご記憶ではお台場だそうだが、観覧車の中で皆さんとの思い出に早春賦を吹いた。そのオカリナを聴いてくれたご友人ももう二人も亡くなってしまい、加藤さん自身も今ではオカリナを吹くこともなくなってしまったそうである。
 
  一人旅初体験の孫待てば
     駅降り立ちて手をふり笑顔 光枝
 嘉山光枝さんの作。お孫さんが春休みに遊びに来られたことを詠まれた歌。いつもご両親の車で来られていたお孫さんが、初めて一人で電車を乗り継いでやって来るため、嘉山さんは心配してドキドキされたが、お孫さんは車中で風景の動画撮影を楽しまれ、まったく平気だったとのことである。上句から嘉山さんの、下句からはお孫さんの気持ちや様子が伝わってくる。
 
  芳春の喜びさへも消し去りぬ
     異国の街に砲弾の雨 裕二
 
 筆者の歌。「芳春」とは花ざかりの春のこと。ロシア軍による侵攻でウクライナの街が破壊され、多くの犠牲者が出ている。歌を詠むに当たって、まずウクライナのことを考えたが、過去から現在に至るまで戦争が起きればいつでも同じく悲惨な状況になるという思いから固有名詞は使わなかった。
 
  在りし日にそっと作りし品々よ
     何処いずこに消ゆるこの身の後は 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。嶋田さんはものを作るのがお好きで、縫い物をしたり木像を作ったりいろいろされている。「そっと」という言葉によって、誰に見せるのでもなく丁寧に一生懸命心を込めて作っていることを表現される。自分が作ったものや大切にしているものも、他人にとっては何てことのないものであり、自分が亡くなったらそれらはどうなってしまうのだろうかと思われ、どこか寂しい気持ちで詠まれた歌である。
 母の時代に戻りて
  の便り受くるも苦界ぞ包みたる
     つぼみの梅が枝咲かせと乞うや 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。「香の便り」とは色里から来た香水のにおいのする手紙で、夫が居ないときにそれを受けて開けた妻も色里ではないがやはり苦界である。「梅が枝」は梶原源太景時の長男景季かげすえの側女が遊女として名乗った源氏名で、彼女が体を売ったお金で景季が戦に出るための鎧などの武具を揃えたという話がある。下句は、貢いで支えているのは他でもない私だと梅が枝が正妻に対して主張していると読める。濱野会長によれば、このような痴話喧嘩は戦中や戦後には何度もあり、先生のお母様も辛い経験をされたとのことで、詞書きにあるように、この歌はお母様の気持ちになって詠まれたものである。
 
  立つ瀬なき我が身の上の苦しきに
     春の宵なる月を眺むる 滿美子
  
 岩間滿美子さんの作品。ご自身を見つめられた歌であろう。上句の苦しい状況に対し、下句の美しい春宵の情景。「春宵一刻値千金」という言葉もあるように、春の宵は趣があって素晴らしい。初句の「立つ瀬」という言葉で意識や視線が足元の下方に向くが、結句「月を眺むる」では一気に上を向く。おそらく心の動きも表しているであろう。
 
  「いん」の字を「かず」と読む人増えしかも
     大河ドラマの比企能員見て 員子
 作者は羽床員子さん。ご自身のお名前を「かずこ」と読んでもらえたことがなく、高校の歴史の授業で武将の比企能員の名前を初めて見たときに、自分の名前があると思われたそうである。現在放送されている大河ドラマに比企能員が登場し、とてもうれしくなって詠まれたとのことである。
  
  シベリアに送られ戻りし人の短歌うた
     再び読めりロシアの戦争 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。三宅さんのご両親の世代はみな戦争体験者で、お知り合いには実際にシベリアで抑留された方もおられる。その世代にはシベリア抑留体験を歌にされた人たちがおられ、その歌を読むとロシアの行動は昔も今も変わらない気がしたとのことである。
 
  安定剤心も体も支配して
     ほんとの自分はどこにいるのと 和子
 
 作者は本日欠席の清水和子さん。三宅さんによれば、清水さんのこの歌は、目を手術され、術後に安定剤の薬を飲まれたときの状態を詠まれたものとのこと。
 
  春浅く夕日輝き波寄せて
     鴎鳴くなよ、過ぎし日うつつ 艶子
 本日欠席の櫻井艶子さんの作品。結句「過ぎし日うつつ」は「過ぎ去った日が現実となる」といった意味でしょうか。そうだとすると、夕日が沈む美しい海の風景と結句がどのようにつながるのか。ご本人に伺えないのが残念である。
 
 短歌は五七五七七の五句三十一音で構成されるが、短歌の調べが保たれていれば、字余りや字足らずでもとくに問題はない。筆者は思い浮かんだ言葉が字余りや字足らずの場合は、別の言葉に置き換えて何とか定型に収めるようにしている。定型であれば、少なくとも音の調子は整う。歌会で拝読する皆さんの歌の中には時に字余りの歌もあるが、どれも自然な調子で違和感がない。内容も含めて全体でバランスがとれているからだろう。ぜひ見習いたい。
 ところで、逆に大きな字余りや字足らずによって定型では出せない効果を狙った「破調」と呼ばれる短歌もある。斎藤茂吉に次のような歌がある。いつかこのような破調の歌にも挑戦してみたい。
 
  夜をこめて鴉いまだも啼かざるに
     暗黑に鰥鰥くわんくわんとして國をおもふ 茂吉