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English Poem

February 25, 2020
Seishu Hamano, Japan

Many of you are still rushing to desire,
Only me to the conclusion.
Anyday, anytime, it will pay the last visit
In the foreign, unknown town.
Conclusion is the last start to find timeless encounter,
To find in vain some fulfillment, content, easiness, with no agony,
Waiting until times have gone.
Uneasy, non-stimulating, hopeless end.
On the way we know
In the end we know
Conclusion is nothing but a waystation.

英詩

2020 2.25
濱野成秋

諸君はまだ欲望を追ってまっしぐら
僕だけが結論に急いでる。
結論はいつなんどきでも終息する
どっか見ず知らずの町で。
結論は時間制限なしの出会いの始まりで
豊満、満足、安楽を見つけようとして見つからず
待てど暮らせど
不安で刺激なしで希望なしの終わりだけ。
その中途でわかる
遂にわかる
結論なんて通過駅にすぎないと。

English Poem

February 25, 2020

When darkness comes, I was born,
When planes, the artifacts, singing flew deep over
My pillow with someone’s sigh.
When I approach to the darkness again,
In the distant, unknown town,
Unexpected wife and children surrounding me will
Utter maybe plane-like voice, and I will hear
My mother’s young, weary voice clearly saying
Its time you should go somewhere in the mist.

英詩

2020 2.25
濱野成秋

暗闇到来の日、僕は生まれた。
飛行機が、あの人工品が、爆音響かせ深く降りてきて
僕の枕に覆いかぶさり 誰かのため息も。
再度僕が暗がりに近づいたとき、
遠い、未知の町でのことだが、
予知もせぬ妻や子供たちに囲まれ
たぶん飛行機のような声を発するだろう、そのとき
僕は母の、若々しい声がはっきり言うのを聞く、
そろそろ霧の中へ発つ時よ。

English Poem

February 25, 2020
Seishu Hamano

Without energy no lover could find his or her beloved, but
Without the beloved I could not flame up any energy at all.
Everydayness should be on board of ship with energy, but
Even on board of the ship did I lose my energy for everyday work.
Life, filled with energy, might be bright like sunshine but
Someday in future, filled with dismay, energy lures me to do
Something naughty, and/or illicit, bound for chaotic ending,
Although many flowery buds are creeping out from the muddy life.

Energy is, in this way, a very uncontrollable, clever chimera, and,
It also lures me to waste everyday precious time, which
Smiles away like an arrow as if nothing had happened in my energetic life.

精力

精力なしでは、恋人なんか見つからない。
だが愛する人なくして精力なんか出るわけがない。
日日の暮らしは精力ある船の上…だが
その舟に乗っていたって、精力は日々の暮らしで擦りきれる。
気力満々、人生は輝ける太陽だ。けれど精力は俺を、
何かよろしくないことへと唆す。いつか近いうちに、俺は幻滅に陥って、自分の精力のせいで真っ逆さまに奈落に墜ちるかも。
せっかくいい芽が泥から這い出て花を咲かせるかというときに。

精力なんて、始末の悪い、御しがたい怪物だ。
貴重な時間を無駄にばかりさせよって。
光陰矢の如しで、時は俺の精力的な努力など
にやりと笑って消え果てるのだろう。

ⅡEnvoy(反歌)

I sent this poem to a good friend of mine, and Mr. Fukuda, an American literature man, composed the following “Envoy” or “response poem”, and sent it to me by e-mail, wasting his precious night life time.
福田先生にこの詩を、葉山の仙人から、として送ったら、返歌が届きました。夜とぎの大事な時間を無駄にして作詩なさったようで。

A Version of Energy by Another Hermit
When young, we do not need energy
Because youth is another name of energy.
When old, we need it
If we wish to do something good or bad.
In a word, youth is energy itself, but not vice versa.
However, life, even without energy, continues sadly long.
This is our question.

別ヴァージョンの精力:もう一人の仙人から
若い時には、エネルギーなんて無用だ
若さがエネルギーそのものだから。
ところが老いると、精力が入り用となる、
好いこと悪いこと、何かにつけてやりたいとなると。

若さが精力そのもので、それ以外の何物でもない。
しかしな、人生って奴は、精力がのうなっても、
泣きたくなるほど長びきよる。
(ハムレットも言っとるだろ)
生くべきか死ぬるべきか、それが問題だ。

福田京一

ⅢPostscript(追記)

When sending my poem, I attached a Haiku:
Winter has come,
Cold enough to me
With little energy.

詩を送るとき、僕は俳句を一つ添えました。
Haiku: エネルギー 枯渇してわかる 寒さかな

In this way, anyway, this year, too, thanks to your help and friendship, we are all healthy and happy. I wish all of you attending here and together with Mr. Fukuda and family will be happy next year, too!

令和二年二月、JR横浜駅西口キリンシティにて集い会う
宵闇のグラス弾ける春今宵ロウマンの風友と語らふ  港区白金 紅竹みずほ
 
国鉄からJRへ。この異郷の街ヨコハマにて集ひて
夕暮れのビルの二階でのむ麦酒ばくしゅ行方定めむ春ゐたりなば  東京府中 河内裕二
 
萌黄立つ京の街四条の酒舖楽庵にて朋友成秋と杯傾けし日を想ひ
ひさかたの都の春を楽しまん友と庵で肴喰ひつ  古都から 福田京一
 
この集いを聞き及んで伊豆から詠める
殿を伊豆の山なる神の虹しろ薔薇手折りて捧ぐ集いに  伊豆山系 三井茂子
 
ポート横浜はあくまで異郷の地なれば
啓蟄を歓びとせむこの命他国の駅舎であおる独酒  葉山 濱野成秋
 
 令和二年二月十五日、この歌の群れを編集しをる折に鈴木孝夫先生より架電あり。亜米利加合衆国の成り立ちにつき語り合ふ。読者の方々もこぞって応募をされたし。

奈良県久米 石井秋野

「十五夜お月様ひとりぼち桜吹雪の花影に花嫁姿のお姉さま車にゆられてゆきました」

この歌を聞くたんびに明日香に嫁入りした姉さんのこと、想い出してならへんです。貧乏な布教使の家に八人兄弟で育った私には、朝の早いうちに起きて土間で炊事や洗い物をするお姉さまは不思議な人やった。うちのことは忘れたみたいに方々飛び回るお父ちゃん。身体の弱い母。長女の姉は小言の一つも言わず朝から晩まで働きどおし。弟たちの面倒を見たり縄を編んだり。遂に私は父に向って云ひました、「お父ちゃん、人様のことばかりやってんで自分のうちのこと考えてや」でも父は相変わらずや。二上山で山賊に襲われても、その人を入信させたり。あるとき父がにこにこしたはる。お姉さまを嫁入りさせる、あの子は働き者やな嫁にほしいと言ふてきよった…一人り片付いたがな。

お母ちゃんは寝たり起きたり…もう、やってかれへんのに何考えてはるんや…。

姉さまは私たちと別れを惜しんで五里も先の岡村の教会の家にお嫁入しはった。桜吹雪の花影を牛車にゆられて…この歌のとおりやったですよ。

「十五夜お月様見てたでしょ桜吹雪の花影に花嫁姿の姉様とお別れ惜しんで泣きました」

お嫁入入りの日、ほろ酔いで笑っているのは酒に弱いお父ちゃんだけやった。お客さん帰ったら、うち中涙を流してた。花嫁御寮って、みんな泣く。あたりまえや、と母。もう生き別れと同じやさかい…。「秋野さん、私の役目はあんたがするねんよ」あんたしかおれへんよ。という涙目のお姉さまの手が温かかった。

「十五夜お月様一人ぼち桜吹雪の花影に遠いお里のお姉さまわたしは一人になりました」

わたしにはその後、大阪の軍需会社を派手にやってはる家の後妻になる話が湧きました、大金持ちやそうやと乗り気の父。私は薬剤師の免状とって、高取の「石川はん」の薬局に努めて仕送りしていたけれど、弟や妹を食べさせられへん。後妻でもかめへん、内にもっとお金送れるようになる。けど橿原神宮のお神楽舞の楽しみも、もう終わりやな。

そう思って。大阪へ嫁入りしたら、なんと二階に赤子がいた。姑が嫁を放り出して、赤ちゃんだけ置いて行けと。その日から子育てやった。この子に罪はない。そう思うておしめの世話から社員さんの食事や洗濯…騙され結婚やったわけや。せやけど、子がなついた、それを姑が怒って私の目の前で「あの女の人、あんたのお母ちゃんとちゃうんやで」て、そんなん…言わはったら…どないしたらええねん。お姉さま、うち、どないしたらええねん。雪の日やった。岡村へ行こう思うたらトウキョで何や兵隊さんら首相官邸やら襲うて…二・二六事件で外出禁止やった。

夫は新町の芸者の家に入り浸りになった。姑が私をいじめて、いじめて。そんなん厭やったんやろ。こっちも勝手や。もうこんな家いやや。里へ帰った。

久米の家で風呂上りに鏡の前に立ったら乳首が紫色になってた。でけたんや、あんた、おなかに赤ちゃんが…帰りや、大阪に。無理しても帰りや。てて無し子産むんか。お母ちゃんに追い出されてまた大阪へ。「せやけど岡村へ行きたい」「なんでや?」「知らんの? お姉ちゃん、お乳が痛いて、あれ、乳癌かもしれん…うち、見たげるし」あかん、見舞いに行ってたりしたら離縁されてまうがな…とお母ちゃん。

歳が明けて、桜の咲くころ、男の子が生まれた。花影の下で赤ちゃん抱いて幸せやった。でもその年の12月、ハワイで大きな戦争が。大勝利や。夫は軍のなかで鋼鉄線を独占製造してたんか、軍需工場は大繁盛で儲けた儲けた。大将と呼ばれて祇園にまで遊びに行っこる。芸者はんとの間に子ができたとか。私にはこの子がいる。離れ座敷で我が子を抱きしめた。可愛い坊やと二人の暮らしや。せやけどいつ里へ帰れと言われるか…お姉さま、助けてや、助けてや。見舞いに行きなち、あかん、あんた上の子放り出すんか、この非常時に…翌年の春、花の咲くころ、電報が来た。「岡村のお姉さま危篤」それからすぐに、「死す」の電報が届いて…。

自分にはこの子がいるけど、私は独りになりました、という歌の締めくくりは、ほんま実感やったです。(日記から聞き語りを書き起こす)