近作詠草6 令和元年六月十九日 (No.1931)
         濱野成秋
 
 
父が着物姿で裏の畑。幼児の吾は
畑打つは父の着物ぞバケツ持て
     水やる稚児は吾の筈なる
 
空襲の焼け跡にゐた父が芋畑を作る
焼け跡に佇む父が植えしせな
     いま芋粥をすすりて判るも
 
花落つるとは実のならぬことにて
花落つる又落つる花成らぬ茄子なす
     父母の心をしゃくせぬ吾身か
 
歌会をつくること久しく思い
浪漫の歌人うたびとの会創らむと
     想ひの糸にからむる糸たち
蛍を虫籠に入れて一晩過ごせば
ほたるかご露さへ含めば明日の日も
     想ひも空し皆骸むくろにて
 
蚊帳を吊りて蛍を放てば
幾匹いくひきも蛍放ちて蚊帳のなか
     生きて残るは吾身ばかりか
 
少年の頃から手首も細くそのまま成人した吾は
か細きと友の笑へるわが手首
     ペン持てキー打ちチョークを握る
 
生家は柱に夕陽受けたり
土壁つちかべの柱に沿ひて夕陽差す
     たれおもひをり生家は今も
 
初夏の葉むらは郁々として
水煙の上がり立つ視ゆ糸嫩葉
     華やぐ陽盛り暮れると言ふに
吾は幼くして何という考えをしていたか
三和土たたき視ゆ農家の門戸もんこうと()ましと
     想ひし幼な日罪深かりし
 
農家から頂けた卵ありての生き永らえではなかったか
産み立ての卵あたたか今日けふこそは
     馳走となるらむ母の手にぎりて
 
(参考)
 
父は己が嘆きを語らぬ人であった。ゆえに他人の如くとも
父いずこ母と浸りし白浜の
     湯のはな匂ひ知らぬを恥ゐて
 
吾もまた父となりたる幾年いくとせ
     廻れる御代や紫陽花あじさいの咲く
 
                     (No.1931は以上)