近作詠草5 令和元年六月十七日 (No.1930)
         濱野成秋
 
 
春の砂塵に
砂あはれ雨粒ともに指の腹
     黄なるを厭はめ同胞はらからの身で
 
暗春の嵐に戸惑ひて
春草の俄かに降りくるあめ土の
     恵み湯猛き振りぞおかしき
 
北鎌倉駅にて小津安二郎監督を偲びて
北鎌のホーム伸び来てこの辺り
     小津のカメラを受けゐて生くる
 
下宿を探す上野は驟雨だった
おびただし架線鉄路に陸橋の
     響ける古家に侘びて眠らむ
土筆を採りたる土手は陽気に満ちて
當麻たいまいけ群れなす土筆つくし粉吹きぬ
     幼きわが手の甲は青みて
 
かぼちゃの花を見ると想い出す
丈六の畑に咲ける南京なんきん
     黄なる花びら眺めをる稚児
 
冷えるも構わず石に腰掛けるおさな日
縁側の靴脱ぎ石に腰掛けし
     幼き吾は唯母を待つ
 
共に戦ひし社屋の前にて
狂へるか姿かたちを変へたるを
     出版社と呼ぶぞ哀しき
 
自転車と幼子を見るたび想い出す
自転車の荷台にしつらへし子の座椅子
     共に倒れて頭を打たせり
(参考)
 
人の子も己も果ててぞ象(かたち)なす
     いま永らへるは尽きるに等し   成秋
 
 
 この世に弱き肉體を伴って現れた身なれば、いつ壊れるか案じて育つ。
そんな子供は長じて短歌も短編も書くくせに、みな愛おしくて仕方がない。
 だから無為に時を過ごすを潔しとしないが、さりとて過ぎ行く一秒一秒を
大事にしているかというと、さにあらず。
 自分はまだ遺言状を書き上げていない。
 辞世の歌を考えたこともない。
 まだまだ先まで生くるを考え俗臭を解脱するに未だ充足感にない。
 開き直っている自分が情けない。
 が、この心境、誰しも同じでは?
 
 
                     (No.1930は以上)