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日本浪漫歌壇 夏 文月 令和五年七月二十二日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 日本の福岡で水泳の世界大会が行われている。水泳では競泳に注目が集まることが多いが、飛込や水球など他にも競技はある。数日前に日本人選手が金メダルを取った競技がアーティスティックスイミングだった。テレビのニュースでアナウンサーが発したその聞き慣れない競技名に新競技かと思えば、何のことはないシンクロナイズドスイミングであった。二〇一八年に名称がアーティスティックスイミングに変更されたようである。デュエットやチームの息の合った一糸乱れぬ演技を見ると「シンクロナイズド」という言葉がまさに競技の特徴をよく表していてわかり易いと思うのは素人だからだろうか。略して「シンクロ」というのも呼びやすくてよかったのだが、現在は英語の頭文字のASだそうである。名称変更が競技にプラスとなるとよいと思うが、果たしてどうだろうか。
 歌会は七月二二日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  今時は暑中見舞いもスマホなり
     私まだまだ手書きで便り 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。最近はご友人からの暑中見舞いも音楽や動画が入った「デジタル」版がスマホから送られて来るようになったそうである。それはそれで楽しいが、嘉山さんは今でも昔ながらの手書きのハガキを送られている。ご自身を「アナログ」な人間とおっしゃる嘉山さんは、実際に自分で書かれた方が相手に気持ちが伝わるのではないかと思って手書きをしているとのことで、用事や連絡はメールで済ませることが多くなった現在では、受け取った方もきっと特別感を得られて、うれしい気持ちになることだろう。
  「人工骨入れているに夫逝きぬ」
     友の言葉に相づち打つのみ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。ご友人から退院して家に戻ったとの連絡があった。お家を訪ねてみると、今回は足の回復具合が思わしくなく再入院だったとのことで、人工骨を入れたなどその話は聞くに堪えないもので、とても気の毒であった。最後にご主人のことをうかがうと、大変な事実を知らされた。彼女が手術を受けるためにその期間はご主人には施設に入ってもらったとのことだったが、まさに手術を受けている最中に、ご主人が施設で亡くなったのである。それを聞いて加藤さんはかける言葉も見つからず、友人の言葉にただ相づちを打つことしかできなかったそうである。筆者は歌を一読した際に、ご主人が人工骨を入れる手術で亡くなったと勘違いしたが、そうでないとわかると、その事実の衝撃で作者と同様に言葉を失う思いがした。
 
  梅雨晴れの嬉しさかくせず夕空に
     二羽のとんびが追いつ追われつ 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。光景が目に浮かぶ。とんびは海岸に多く生息している印象があるが、なぜだろうか。餌の関係だろうか。翼を広げると驚くほど大きく、上空を風に乗って旋回している姿は、どこか優雅な感じさえする。そのようなとんびが二羽で楽しく遊んでいるような様子なのは、梅雨晴れだからだろう。雨が続き、しばらく存分に空を飛ぶことができなかったに違いない。青空でなく夕空とするところが素晴らしい。夕空の色味は温かみがあり、のどかな感じもして、自由に飛び回るとんびを見て、何だか心が癒やされる。
  炎昼の日差し照らせる停留所
     汗をぬぐひて待つ人の列 裕二
 
 筆者の歌。普通なら天気が良くなるとうれしいものだろうが、この歌のように毎日通勤で炎天下でバスを待つ生活をしていると、逆に曇りや小雨のような太陽の出ていない天気の方が喜ばしく思えてしまう。長雨や日照不足は農作物に影響が出て困るだろうが、晴天ばかりが続くのもまた考えものである。今年は暑さの厳しい夏になると予想されている。最近、緊急出動の救急車によく出くわすが、熱中症患者だろうか。暑さには十分気をつけたい。
 
  朝咲きて夕べに散りゆく沙羅双樹
     はかなかなし白き小花は 員子
 
 作者は羽床員子さん。あじさい寺に行った際に、青いあじさいがひしめく中にひっそりと咲く沙羅双樹の白い花を見つけられ、詠まれたとのこと。筆者は沙羅双樹と言えば、仏教の聖樹で、平家物語に花が出てくるとしか認識しておらず、日本の身近なところに花が咲いているとは思わなかった。夏に白い花を咲かすあのナツツバキが沙羅双樹とのことであった。
  葉月待つ麦酒旨しと友柄の
     一人没すと言の葉届く 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。暑い八月になったら冷えたビールをまた飲もうと友人と楽しみにしていたのに、その一人が亡くなったという葉書が届いた。やりきれない気持ちになるが、年をとると友人もだんだん亡くなってゆく。会長はかなり頻繁に故郷に戻られて、ご友人にも会われているそうである。「葉月」に「言の葉」が届くというさりげない表現の言葉のセンスが素晴らしい。葉が散る悲しいイメージすら内包している。考えてやろうとしても簡単にできる表現ではないだろう。
 
  初穫りはシシトウ十こナス三つ
     夏の福分け夕餉を飾る 弘子
 
 嶋田弘子さんの作品。書かれているとおりで、家庭菜園で育てた夏野菜の初取りを夕食で美味しくいただいたことを詠んだ歌である。「福分け」と言うと、どなたかからいただいたものを他の人にもお分けするイメージだが、「夏の」という言葉を付けることで、人ではなくさらに大きな「自然」からいただいたという自然の恵みに対する感謝だったり、作者の謙虚なお気持ちだったりが、たった三文字で表現されている。太陽、土、水、シシトウにナス。菜園の情景がカラーで浮かんでくるところも素晴らしい。
  真夏日の昼はソーメン菜園の
     茄子と青紫蘇加えて食べる 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。手の込んだ料理もよいが、暑い夏にはこのようなさっぱりした昼食が一番である。自分で作った野菜なら旬で取れたて、安全性も間違いない。思わず歌にも詠みたくなるだろう。
 
 「そうめん」や「ひやむぎ」といえば夏が来たという感じになる。どちらもいわゆる「夏の風物詩」である。夏の風物詩といって思い浮かべるものは、そうめんや花火のような大定番のものもあるが、実は人によって少しずつ異なるのではないだろうか。筆者は海水浴や高校野球などをすぐ思い浮かべてしまうが、生まれ育った環境に蛍は全くおらず、動物園のような場所でしか見たことがなかったので、「夏の風物詩」で蛍狩りを思い浮かべることはなく、夏の生き物といえばカブトムシやクワガタである。これらも街の外れの雑木林や里山に行かなければ、見つからなかったが、子供の頃には夢中になって探した。現在では、私の故郷もそのような場所もなくなっている。誰もが共感できるような夏の歌を詠むことも、特に自然を題材にすると、だんだん難しくなるのではないだろうか。

濱野成秋近作浪漫短歌(令和三~五年)
 
 
時経れば百年なりとも親しきに父母兄みな逝くそを如何にせむ
 
お水取り越えねば春は来ぬといふ母の冬里思へば幾歳
 
春は惜しみまかる師の影時移り桜吹雪の日和も疎まし
 
この世をば散りて去りたるさくらばな実をば結ばめ春は来ずとも
 
田の里に住ひし父母の影遠くいま帰る身に降る蟬しぐれ
 
衣笠の寓居手放す日も近し十歳ととせの哀歌も幻と化す
 
くちびるや歯牙にまとひし言の葉を秋風に舞ふ瞳に告げをり
 
人世ひとよ老ひかぼそきかひなで野分け戸を閉めていかづちしっぽり想ひて
 
父母ちちはは御影みえいこわし若きまま今宵は何処いづくと目が問ひ給ふ
 
古里に帰りて思ふは繰り言ぞ時世ときよの渦に浮きつ沈みつ
 
古里の盆の太鼓は哀しけれ路ゆく人のみな変わり居て
 
憶良おくら遺言いごんよ税よとめくるめき昔の人もかくて逝くかや
 
北条のたけ女子おなごを想はせて梅花流るる鎌倉の春
 
母の時代に戻りて
の便り受くるも苦界ぞ包みたるつぼみの梅が枝咲かせと乞うや
 
いほは仮寝の宿よと天の声されどふすまはやはらかぬくきぞ
 
螢火の小川の岸に立つ父母の着物も帯もいづこに去るや
 
書く人に残日かぞへと責める身に炎天かたぶき降る里しぐれ
 
百年ももとせの遠きに生くる歌人うたびとも友の衰へ嘆ける夏の日
 
腸削る手術の日取り傍らに青い蜜柑をむさぼり喰らふ
 
父母ちちははよ千代もと祈る心もて未だ帰らぬ吾身責め病む
 
新春にひはるを寿ぐ賀状を断りて友よ咲く花いかに愛しも
 
黄泉の日はけふかあすかで春となり娘の慶事でしばし沙汰止み
 
いにし世を知らぬ存ぜぬ子らたちにすさむ思ひを語るも空し
 
メリケンのボールいくさの歓声に古武士の戦場いくさば遠のくが如
 
ふだ入れは学歴いつはる乱れ籠天空黄砂も人為ぞ若葉よ
 
ひとり咲きひとり墜ちゆく寒椿五月の地べたに濡れて重なる
 
葉月待つ麦酒旨しと友柄の一人没すと言の葉届く
 
熱帯の蚊を貰ひしか極寒の汗だく寝返り兵士のまぼろし
 
ヸオロンヴィオロンのひたぶるに恋ふ若き日はいずこに去りしと駅に降り立つ
 
けふもまた御魂みたま消へしと言ふ友の声霜枯れて寒夜しんしん
日本浪漫歌壇 夏 水無月 令和五年六月十七日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会当日は晴天となったが、梅雨晴れといった感じではない。気温がぐんぐん上昇し、三十度を超えた。まるで夏である。三十度以上の日を真夏日と呼ぶが、三十五度以上の猛暑日になるのもそう遠いことではないのではないか。まだ六月である。この調子で暑くなれば夏本番には猛暑日すら超えて次の段階にまで行きそうである。猛暑日の上をいく四十度以上の日のことを、日本気象協会が「酷暑日」と命名した。比較的最近のことである。「猛暑」の次が「酷暑」という言葉の選択は、あまりに妥当過ぎて物足りなく感じているのは筆者だけだろうか。四十度超えという異常さが伝わるようにもっと特徴ある「派手」な言葉にできなかったのか。命に関わるような暑さを表す言葉に「お祭り騒ぎ的な要素」は不謹慎ということなのだろうか。
 歌会は六月十七日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  年月としつきの経つのは早く亡き夫の
     十三回忌法要子らと 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。内容がよく理解できる歌である。作者がどのようなお気持ちで詠まれたのかを考えると、ご主人が生前はどのような方でご夫婦の生活はどのようなものだったのかを想像してしまう。「子らと」とあることで、どのような父親だったのだろうと想像はさらに広がってゆく。「年月の経つのは早い」という言葉が現実に引き戻す。三宅さんのお話では、嘉山さんの旦那様は三浦短歌会のメンバーで、亡くなる数日前まで短歌を詠まれておられたとのことである。旦那様は奥様のこの歌をどのように評価されるのだろうか。
  高層ビル住まいし友をおとづれば
     ビル風うなり我をこばみぬ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。幼なじみが高層ビルに引っ越され、そのお宅を訪れたときのことを詠まれた。高いビルの周辺で突然強い風が吹くいわゆる「ビル風」は、誰もが経験したことがあるだろう。歌に表現されているようにまさに「うなる」勢いである。そのメカニズムを知らない者にとってはどこか不思議なものでもある。そのビル風が自分の訪問を拒んでいるようだと見る視点が秀逸である。古くからのご友人は作者の到着を今かと待っているだろうが、ビルが象徴する都会の新しく「最先端」の暮らしは、あたかも作者を寄せ付けないようにしているかの如くで、ユーモアすら感じられる。
 
  処方されし薬の効きて亡き父に
     飲ませたかりし小さき一粒 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。科学技術の進歩により、昔は不可能であったことも現在は可能になっている場合がある。そのようなことは様々な分野にあるだろうが、とくに医学においては顕著だろう。実際にご自身の具合が悪くなった時に処方された薬を飲むと効き目があった。それで、よかったとか助かったとか思うのではなく、現在作者が飲んで効いた薬は、昔の父親の病気にも効いただろうと思う気持ちが読者の心を打つ。あの時にこの薬があればという気持ち。しかもそれはたった一粒の小さな薬なのである。
  しんとした耳にジンジン事も無し
     誰か言ひつる宇宙の呼吸と 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。耳鳴りが聞こえるようになった時に、以前本で読んだ耳鳴りについての内容を思い出した。そのおかげで耳鳴りを心配する気持ちが少し和らいだとのこと。嶋田さんによると本には「耳鳴りの音は宇宙の呼吸である」と書かれていたそうである。確かにその言葉は印象に残る。一度聞いたら忘れないだろう。「宇宙の呼吸」とは何なのか実際には意味はよくわからない。言葉のマジックとでも言うのだろうか、言葉の響きや雰囲気から素晴らしい確かなもののように感じてしまう。病は気からではないが、「宇宙の呼吸」という言葉で安心感が得られる。不思議である。
 
  押し寄せる電波に乗りて脳内に
     サプリメントの広告入り来る 員子
 
 作者は羽床員子さん。日常の身の回りにあふれる煩わしい広告もユニークな言葉使いで歌になる。ユーモアもある。例えば、押し寄せる波に乗って湾内に船が入って来るといったありふれた内容の歌を思い浮かべて比較してみたら、羽床さんの歌の面白さがよくわかるだろう。
  紫陽花の名前のひとつ「ダンスパーティー」
     知らぬ間にわが庭に咲く 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。色や形の違うあじさいを見かけるので、筆者も種類が複数あることはわかっていたが、みなさんによるとその数は相当なもので、歌にある「ダンスパーティー」も先日テレビで紹介されていたそうである。一般的なあじさいに比べれば珍しいだろう種類のあじさいが、ある日突然、知らない間に庭で咲くことなどあるのだろうか。作者が知らないだけで、ご家族の誰かが植えたりしたのではないのか。何か不思議な自然の神秘のような雰囲気も漂う。
 
  ひとり咲きひとり墜ちゆく寒椿
     五月の地べたに濡れて重なる 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。光景が目に浮かぶ。「ひとつ」ではなく「ひとり」という言葉が使われていることから想像されるが、人間が寒椿に喩えられている。作者によると歌のテーマは生と死である。どんな花でもいつかは散るが、椿の花の散り方は印象的である。椿は花が根元から丸ごと落ちる。寒椿の場合は花びらが落ちる。濡れて重なるのならやはり寒椿だが、落ちるところは「地べた」なのである。「地面」ではなく、よりネガティブな印象の「地べた」という語を選択したのは、誰でもそんな所には落ちたくないことを表すためである。
  変わりゆく街に響ける烏鳴からすなき
     高層ビルは雨に濡れをり 裕二
 
 筆者の作。最近街の中心部で古い建物が壊されて高層のビルが建てられている風景をよく目にする。関心がないからなのかもしれないが、ビルはどれも無機質で同じように見える。あるいは、たまたま目にする場所に同じような種類のビルが建っているだけなのかもしれない。また、街に集まってくるカラスはたいてい古い建物に止まっているが、これも偶然なのかもしれない。さらにその鳴き声は、次々とビルを建てている人間にあきれているように聞こえて仕方がない。この歌は目にした風景を詠んだつもり だったが、変わりゆく街に対する失望をカラスに代弁させたとも思えてきた。
 
 歌会用の歌を提出した後で少し後悔したのは、梅雨の時期なので今回は雨についての歌が多いのだろうと予想し、自分の作品も雨の日のことだった点であった。もう少し別の内容で詠めばよかったかとも思ったが、まさか「高層ビル」が他の作品とかぶるとは思ってもみなかった。しかし逆にそれほど高層ビルが身近なテーマであることが示されたとも言える。高い建物としては東京スカイツリーが有名だろう。名前が表すように高層の建物を都会の木に見立てれば、あるいは面白い作品ができるかもしれないと思った。
日本浪漫歌壇 春 皐月 令和五年五月二十七日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 今月八日より新型コロナウイルス感染症は季節性のインフルエンザと同じ位置づけとなった。確かに猛威を振るっていた時期と比べれば、感染者数は減少しただろうが、ウイルス自体が弱体化した訳ではない。いつまた感染が急拡大するとも限らないし、感染すれば重症化の危険性もゼロではない。先日、勤務先で家族がコロナウイルスに感染した人がいて話題となった。どうするべきか。ついこの前までは「濃厚接触者」と呼ばれ、しばらく人と接することがないようにしたが、今では「濃厚接触」という概念が存在しないから、考えること自体意味がないとのことだった。その変わり方に正直違和感を覚えたが、理屈ではその通りだろう。いずれにせよ、再び感染が拡大しないことを願っている。
歌会は五月二十七日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  ノートルダムは聖母マリアと聞かされし
     再建進むとテレビのニュースに 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。二十年ほど前にご主人とパリに行かれ、ノートルダム大聖堂を訪れた際にガイドから「ノートルダム」とは聖母マリアのことだと聞かされた。数年前にその大聖堂が火事になり,今は再建が行われている。ニュースで現在の大聖堂の様子を見て、昔の旅行のことや火事になった時のことを思い出され、歌にされた。
  孟夏の日風吹きよせての若葉
     見えなくなりしそれもまたよし 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。初夏に手のひらに乗せていた葉が風で遠くに飛ばされてしまった。実際の光景を詠まれたように思えるが、この歌は比喩であるとのこと。実はお子様のことを詠まれている。非常に仲の良い親子だったが、若葉が青葉に変わる初夏の頃に子供が遠くに行ってしまうような出来事が起こり、寂しくて仕方のない気持ちになった。しかし自分もかつて母親と同じような事があり、親離れ、子離れはいつか起こるもので、それはそれでよいことなのだと思ってその出来事を受け入れようとされた。
 「掌の若葉」とは、自分の手のひらの中にいて思うままになっていた子供のことで、突然親の元から巣立って行ったという内容の歌であったのだ。比喩を用いず、子離れするのが難しいことをストレートに表現すれば、詩的でなくなるだけでなく、その事実を知られることが少し恥ずかしく思われたのかもしれない。
 
  農婦より採れたばかりの貰い物
     朝露のつく春キャベツ二個 光枝
 
 嘉山光枝さんの歌。三浦の春キャベツは有名で、歌の情景が目に浮かぶ。嘉山さんのお宅の周りには畑がたくさんあり、農家の方は朝早くから作業をされているので、たまたま朝に会ったりすると収穫した野菜をくれたりするそうである。「採れたばかり」で「朝露」のついた春キャベツ。みずみずしくて美味しいことをこれ以上うまく表現することができるだろうか。
  愛されし料理レシピのしみ見れば
     幼なき子らのざわめきがする 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。清水さんは初句を「愛されし」か「好評な」か迷われたようだが、「愛されし」の方がよいと思う。「愛されし料理」とは子供が好きだった料理という意味であるが、子供が愛してくれたと親が「愛」という言葉を使って表現することで、子供に対する親の愛情も同時に感じることができるし、さらに「愛されし」「レシピ」「しみ」と「し」が連続することで音としての響きやリズムがよい。
 料理のレシピ、すなわちその家庭の味というのは家族にとって特別なものである。子供たちが好きだった料理は何だったのかを想像してみるのも楽しい。
 
  自刃せし三浦一族守りたる
     旗立て巌に霊気漂う 員子
 
 作者は羽床員子さん。先月の歌会の会場になった岩間邸を訪れた際に、庭先の旗立岩を見て三浦一族の歴史に思いを馳せて詠まれた歌。歌会はよく晴れた昼間に行われたので、「霊気」が漂うような感じでもなかったが、羽床さんには何か感じるものがあったのかもしれない。
  ひさびさに狸来たりぬ子を連れて
     毛は抜け落ちて体ハゲハゲ 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。この歌の通りだったそうである。食べるものがなくて栄養状態が悪いのか痛々しい姿である。昔は山だったところが今では畑となり、動物たちの居場所もなくなって畑や人家に現れる。畑を荒らして困るために駆除されることもあるが、対象となるのはアライグマのような外来種だけとのこと。残っている里山も保全管理を行わずに放置していれば荒廃して動物は住めなくなる。狸を写生しただけのように見えて、実は人間の行動を批判している歌ともいえる。
 
  ふだ入れは学歴いつはる乱れ籠
     天空黄砂も人為ぞ若葉よ 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。議員選挙があってトップ当選した候補者は学歴を偽っている。しかし議会はそれを糾弾しようとしない。情けない話である。「乱れ籠」や「天空」のような言葉のイメージと歌が示す内容のギャップにより、作者の怒りや悲しみ、やるせない思いがさらに強調される。短歌にしてでも言わずにはいられなかったと作者の気持ちを解釈した。
  空青し海また青し夏の日に
     火球の奪ひしあまたの命 裕二
 
 筆者の作。一週間ほど前に広島でG7サミットが開催された。世界が注目する中で原爆投下による惨状や終わらない被爆者の苦しみなどが世界中に伝えられて、核廃絶に対する意識が少しでも高まればよいと期待したが、ウクライナのゼレンスキー大統領の電撃訪問で報道の焦点が変わってしまった。戦争中の大統領を危険な中でわざわざ日本に呼んだ理由がわからない。サミットはただのショーで、ショーを盛り上げるためにはサプライズが必要だった。そんなふうにしか思えず、しらけた気分になる。各国首脳は原爆資料館を訪れて何を思ったのだろうか。原爆について多くの言葉はいらないだろう。失われた命は戻らない。それにつきる。
 
 歌を解釈する際に何に注目すればよいのか。歌を理解する手がかりはいろいろとある。今回の嶋田さんの歌でも、書かれている言葉から判断して、実際の光景を詠まれたと解釈してももちろん構わない。しかし今回、筆者は解釈するに当たって大切なことに気づかなかった。そのため作者の思いを読み取ることができなかった。歌をその歌単体でしか考えなかったのである。
 歌会はまず作者を伏せて読んで解釈するので、最初はそれでも仕方がない。しかし作者が判明すれば話は別である。筆者はこれまでに嶋田さんの歌を何首も読んできた。嶋田さんにはご家族のことを詠まれた歌が多い。この簡単な事実さえ思い出せたなら、今回の嶋田さんの歌がご家族、とくに自分の元を離れていくお子さんを詠んだ比喩だと解釈することも可能だっただろう。どんな手がかりも決して見逃さないという気持ちが足りなかった。
日本浪漫歌壇 春 卯月 令和五年四月八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 四月八日はお釈迦様が生まれた日とされ、寺院では誕生を祝う灌仏会という仏教行事が行われる。お釈迦様は生まれ落ちてすぐに七歩歩いて右手で空を左手で地を指して「天上天下唯我独尊」という言葉を発したとされることは筆者も知っている。しかしその誕生仏を花御堂に安置し、それに甘茶を掛けることにどのような意味があるのかは知らない。なぜ甘茶なのだろうか。甘茶は普段見かけないが、灌仏会以外で甘茶が淹れられることはあるのだろうか。四月八日は俳人高浜虚子の命日でもある。「虚子忌」や「椿寿忌」という言葉は春の季語になっている。
 歌会は四月八日午前十一時より横須賀市衣笠の岩間邸で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  ギシギシと悲鳴を上げる肩と膝
     我が老体に油差したし 員子
 
 作者は羽床員子さん。たとえ「ギシギシ」しても、機械ならグリスを塗れば再びスムーズに動くようになる。しかし人間はそうはいかない。関節に痛みを抱えている人にはこの歌の気持ちが痛いほどよくわかるだろう。ただ最近は肩や膝に直接塗って痛みをやわらげる塗り薬もあるとのことなので、薬を使用しながらさらに悪化しないように体を労っていつまでも人生を楽しみたいものである。
  寒もどりチュニジア産の鮪売られ
     夕暮れスーパー客足まばら 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。寒い日は買い物に行くのを控えてしまう人も多いだろう。スーパーの客足がまばらなのは珍しいことではない。目を引くのは「チュニジア産の鮪」である。養殖マグロの産地として地中海では、スペイン、クロアチア、イタリア、マルタ、トルコ、チュニジアなどがあるが、日本のスーパーではチュニジア産はこれまであまり見かけなかった気がする。そのチュニジア産のマグロが、マグロで有名な三崎で売られている意外性が面白い。
 
  絢爛な枝垂れ桜の足元に
     うつむきて咲く真白きすみれ 裕二
 
 筆者の作。桜が咲いていると絢爛な桜の花に注目してしまうが、春には他にも多くの花が咲いている。たまたま桜の木の下にすみれの花がひっそりと咲いていたのを見かけた。その光景を詠んだ写生の歌である。花を人と見立てれば、人の世を詠んでいるとも解釈できる。
 
  今年また結婚記念日亡きつま
     好物つくり仏壇に上ぐ 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。旦那様は晩年病気で入退院を繰り返し、食事制限のために好きなものが食べられなかった。亡くなった後に、嘉山さんは旦那様が入院中に大学ノートに書き記したメモを読まれたが、そこには、退院したら食べたいものが書かれていた。今はもう何でも食べられますよと伝えたいお気持ちで、毎年結婚記念日に旦那様の好きだったものを作り仏壇に供えられているそうである。
  まさぐりしポケットの鍵の温かき
     冷たきドアの前に立ちおり 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。ホームにお住まいとうかがったので、ご自身の部屋に戻られた場面だろうか。温かい鍵と冷たいドアの対比が印象的である。鍵の温かさは自分が生きていることを表すが、冷たいドアを開けて部屋に入ると、そのドアで外の世界と自分が隔離される。外の世界にいてポケットに入っていたので鍵は温かかった。部屋に入ってポケットから出されれば、やがてドアのように冷たくなる。この歌は作者の心的情景なのかもしれない。
 
  メリケンのボールいくさの歓声に
     古武士の戦場いくさば遠のくが如 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。三月二十二日に行われたワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦を旅先の島根県安来の地でテレビ観戦された。試合は三対二で日本がアメリカに見事勝利し、三大会ぶりに世界一に返り咲いた。最優秀選手には大谷翔平が選ばれた。大谷は投手と打者の二刀流でベーブルースと比較されることが多いが、ベーブルースは一九三四年に日本で行われた日米野球で来日し、十六試合で十三本のホームランを打つ活躍をしている。当時の日米の実力の差は大きく、日本は十六戦全敗で、しかも大敗で全く歯が立たなかった。唯一当時十七歳の沢村栄治が八回を投げて一失点に抑える好投を見せた。その頃の弱い日本チームから今ではアメリカを倒すまでになった。「メリケン」という言葉にその歴史が表現されている。
 下句の「古武士の戦場」とは、作者が試合観戦後に訪れた月山富田城のことで、ここにいた尼子は毛利に滅ぼされた。時空を越えた戦いを詠んだスケールの大きい歌である。
  一所ひとところ流るるままに過ごしをり
     君に苛立ち君に癒され 弘子
 
 嶋田弘子さん作で、旦那様に対するお気持ちを詠まれた。夫婦として長く一緒に暮らしいると相手に対して腹の立つことも多いが、逆もまたある。例えば大切にしている胡蝶蘭を愛おしそうに黙って眺めている姿などを見ると、花を見ながらこれまでの人生の喜びや悲しみや後悔や様々なことを考えているのが読み取れ、そのような「しっとりした」旦那様の一面でもって腹の立つ点をリセットしているそうである。日々の細かい生活の連続が夫婦の歴史となる。数学的には正しくないが、点が重なって線になるイメージである。
 
  山桜深山に咲ける姿には
     威を張るところなきぞ美し 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。旅に出て山桜を見た時に思ったことを詠まれた。桜と言えば街でよく見るソメイヨシノのような桜をまず思い浮かべるが、岩間さんは山の自然の中にぽっぽっと咲く山桜がお好きとのことである。わざわざ山に山桜を見に行く人は居ないだろうが、それでも毎年静かに花を咲かせて山を美しく飾る。自己主張せずに山に溶け込む。そんな謙虚なところに好感を持たれて歌を詠まれたのだろう。
 「美し」は読み方として「うつくし」「うるわし」のどちらも可能である。読み方によってやや意味や印象が変わるが、どちらに読むのかは読者に任せたいとのことである。
  シクラメン三年目にも花咲きて
     給ひし人を時々想ふ 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。シクラメンは夏越しなどをうまくやらないと花は咲かないと聞いたことがある。三回も花を咲させているのだから大事にされているのだろう。歌から判断するに、頂いた方は作者にとって大切な方だったが、この三年のうちに亡くなってしまい、シクラメンだけが枯れずに今も花を付けている。その花を見て故人のことを思い出している。来年も美しく咲くはずである。故人を想う気持ちが美しいからである。「内気」「遠慮」「はにかみ」といった花言葉もこの歌には合う。
 
 短歌の披露と批評を終えた後、濱野会長によって自作の漢詩が披露された。「衣笠城旺盛歌」と題された漢詩で、今回の歌会が開催された岩間邸一帯の衣笠城址で吟じるにふさわしい衣笠城を讃える格調高い詩であった。
 歌会を終え、会場の岩間邸の和室で皆が持ち寄った昼食をいただく。打ち解けた雰囲気に会話も弾み、楽しい食事となり気分もお腹も満たされた。食後に岩間さんご夫妻が茶席を設けてくださり、皆でお茶を美味しく頂いた。点ててくださる亭主は、旦那様の岩間節雄さんでお点前はお見事。半東役の奥様滿美子さんの息もぴったりで皆気持ちよくお茶を楽しむことができた。その後は岩間邸に隣接する旗立岩を拝見し、さらに山を登って衣笠城址を散策して今回の衣笠の旅を終えた。充実した一日であった。岩間ご夫妻の素晴らしいおもてなしに心より感謝申し上げたい。