「寝屋」を巡る懊悩三題 
 
      日本浪漫学会会長 濱野成秋
 
1.「寝屋」は政治がらみの格闘の場か
 
 人間は眠るもの。動植物も似ており。
 休眠をもって勢力回復を目指す生物は多い。
 人間はしかし、「寝屋」の一時を悶々と過ごす動物である。
 
  嘆きつつ ひとり寝る夜の明くる間は
    いかに久しき ものとかは知る
             右大将道綱母
 
 歌人は言わずと知れた『蜻蛉日記』の作者である。拾遺集では恋歌の部類としている。通婚が当たり前の時代、娘の寝屋に男が通い、種を宿す。こんな風習が貴族社会に広まるには、参内を許された高位高官の子を宿せば、それで終生悔いはぐれがない実態に裏付けされている。互いに好きなれば事は上々となれば親も安堵するが、種だけ宿して正当に嫡子と認められねば、言い知れぬ生涯が到来する。この御仁は無事男子を出征し、見事に右大将まで出世させたのだから、それを誇らしげに自分の呼称としているわけである。
 そんな出世街道を背景にしながら、男を待つというのは、打算めいて頂けないが、そうでもせねば、貴族として家を維持できない仕組みにも、溜息が出る。
 夜更けて、約束の刻を過ぎても訪れない男の心変わりを慨嘆し、噂通り彼の男子には、ほかに恋人ができ、自分よりも先にその女を慰めてからこちらの寝屋に来るかと思えば、腹も立つ。だから『蜻蛉日記』には、待てど暮らせど来ぬ人が、やっと来たのに、木戸を開いてやらず、暫く焦らせてから、ようやく入れてやって…のくだりもある。菊一輪と歌を持て迎えたとあるが、本当か。
 この種の策略を講じる才女はあまり好かれない。そうと判っていても、やってしまう女だから、待ち惚けを食わされた男の足は益々遠のくと思われるが、そこまでは書いていない。
 結局寝所に招き入れて、目出度く身ごもったわけである。つまり「寝屋」とは、政治がらみの、政敵を視野に入れての妖艶な格闘技の場でもあったとも考えられる。恋のムードも萎え果てよう。紫式部の『源氏物語』もその目で読み解けば、浪漫の気持ちも半ば消えなんと見える。
 
2.「寝屋」は安らぎの場に在らず
 
 『よさこい節』に、
 ぼんさん
 かんざし
 買うを視た…
 という下りがある。
 坊主は丸頭だから、おつむにとんがった簪が刺されへんのに、買うたんか、と幼い頃に笑った覚えがある。が、むろん、そんな駄洒落で詠ったのではない。土佐の高知へ来てごらん、はりまや橋でお坊さんが恋人にプレゼントを買うてはる、粋な処でんがな、と都人や上方からの客人をもてなす商魂で歌にした。
 現に、女人禁制の高野山でなくとも、女人との交わりを禁ずる仏教僧が密かに廓に通い、妾を囲うなど、破戒を破戒とも思わぬ僧侶も多々居た。だから、
 
  夜もすがら もの思ふころは明けやらで
    寝屋のひまさへ つれなかりけり
                俊恵法師
 
 この歌も『千載集』で恋の部に入れられているように、寝所にいても昔の女人と過ごした夜を想い出し、なかなか眠れない、ということにもなる。
 高野山の石堂丸という不運な子の話がある。妻のほかに出来た妾との罪作りを詫びて出家した刈萱の、愛児石堂丸との切ない再会の話である。
 俊恵もまた世俗にいた頃、罪作りな日々を悶々と思い起こすのか。ならばなかなか眠れなかったであろう。刈萱の場合、ひと間おきて、障子に映ったシルエットを見て驚いた。正室と側室とが、仲良く談笑しているようで、二人の長い黒髪が何百もの蛇となって、相手に向かって牙を剥き出しにしている姿に見えたという。
 筆者の家にも同様のことが起こった。戦中戦後のことである。実母は、父が祇園の芸妓に産ませた子を連れて突如大阪の本宅に来たとき、母は「生まれた子には罪がない」と言って、雪ちゃんという可愛いおかっぱ頭の女の子を奥座敷に上げたが、母親の芸妓は断じて座敷に上がることを許さなかった。そんなこととは露知らず、幼い雪ちゃんと筆者は、無心に蓄音機を掛けて遊んだ覚えがある…。
 だから石堂丸の話を聞いたとき、これは僕やがなと思った。まだ小学生だったが、その時の複雑な心境を今も思い起こす。
 恵恵法師もまた出家後も、俗代で過ごした長年の苦悩が、寝屋の暗闇に次々と現れて眠れぬ思いであったのであろう。
3.罪作りと夜の静寂しじま
 
 こうして「寝屋」を視れば、安らぎの場所どころか、自らをさいなむ場所に見えて来る。考えぬが華。自らの不逞不貞、不見識を次々諫める場でもあるわけだが、そのプロセスは人によって大いに異なるであろう。自らの失態を恥じるタイプは良質な「寝屋」であるが、根っから性悪に生まれた人間には、自分の不行き届きなど、平気で棚上げし、自己肯定の立場に立って無理でもなんでも、自己主張の方策をあれこれ思い巡らせるのであろう。よりハイアなポジションを獲得する方策を練る場所が寝屋だとは。
 だが善人も悪人と波一重。今夜は懐旧の想いで眠られず、今夜は自己弁護策で眠られない。その綯い交ぜが常人の偽らざる姿であろう。
 自分を責めさいなむどころか、政敵を封じ込める策略を練るところが、「寝屋」であるとする者も、若いうちから沢山要る。
 その種の人間は決して自己省察の歌など詠むはずがない。寝屋で人は本性を露にする。だからわんちゃんにゃんちゃんによく似た性衝動も行為として実現する。「寝屋」とは、形而上でも形而下でも、永遠に罪つくりと悔悟の場なのである。
 
          令和六年四月十日        成秋