日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和七年十月十八日
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
大阪・関西万博が十月十三日に閉幕した。百八十四日間で二千五百万人を超える人が来場した。開催中に万博を訪れた知人に聞くとかなりの混雑で人気パビリオンには全く入れなかったとのことだったので、筆者は訪問を諦めた。開幕前には建設の遅れや建設費高騰などいろいろと問題視された万博であったが、報道によると建設費とは別の運営費は黒字になったとのことである。公式キャラクターの「ミャクミャク」も当初は不評であったが、何が転機となったのか大人気となり、二〇二五年の流行語大賞のトップテンにも入った。万博はいわゆるお祭りで終わってみると何だか寂しい気持ちになる。次回の万博は二〇三〇年にサウジアラビアのリヤドで開催の予定で、その規模は今回の大阪万博の四倍とのこと。
歌会は十月十八日午前一時半より三浦市勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、安田喜子、日本浪漫学会の濱野成秋会長とジュン葉山の八氏と河内裕二。さらに欠席の加藤由良子、平野ユキノリの二氏も詠草を寄せられた。
朝夕は暑さ和らぎ風涼し
今宵十五夜月は雲間に 光枝
作者は嘉山光枝さん。季節感のある歌で情景も鮮やかに浮かび上がる。上句はやや説明的な感じがするが、「風涼し」いう体感は読者の肌にも感じられ、爽やかな気持ちになる。下句では時間が夜になり、空には満月が出ている。この満月が直接ではなく雲間に見える。雲を介在させることで風情と余韻が生まれている。
卒寿なる姉を施設に訪れて
春のうたなど次から次へ 由良子
記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
大阪・関西万博が十月十三日に閉幕した。百八十四日間で二千五百万人を超える人が来場した。開催中に万博を訪れた知人に聞くとかなりの混雑で人気パビリオンには全く入れなかったとのことだったので、筆者は訪問を諦めた。開幕前には建設の遅れや建設費高騰などいろいろと問題視された万博であったが、報道によると建設費とは別の運営費は黒字になったとのことである。公式キャラクターの「ミャクミャク」も当初は不評であったが、何が転機となったのか大人気となり、二〇二五年の流行語大賞のトップテンにも入った。万博はいわゆるお祭りで終わってみると何だか寂しい気持ちになる。次回の万博は二〇三〇年にサウジアラビアのリヤドで開催の予定で、その規模は今回の大阪万博の四倍とのこと。
歌会は十月十八日午前一時半より三浦市勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、安田喜子、日本浪漫学会の濱野成秋会長とジュン葉山の八氏と河内裕二。さらに欠席の加藤由良子、平野ユキノリの二氏も詠草を寄せられた。
朝夕は暑さ和らぎ風涼し
今宵十五夜月は雲間に 光枝
作者は嘉山光枝さん。季節感のある歌で情景も鮮やかに浮かび上がる。上句はやや説明的な感じがするが、「風涼し」いう体感は読者の肌にも感じられ、爽やかな気持ちになる。下句では時間が夜になり、空には満月が出ている。この満月が直接ではなく雲間に見える。雲を介在させることで風情と余韻が生まれている。
卒寿なる姉を施設に訪れて
春のうたなど次から次へ 由良子
作者は加藤由良子さん。ご高齢のお姉様を「卒寿なる姉」と表現することで姉に対する尊敬の気持ちが表されている。訪れるのが家庭でなく施設であるが、作者が会いに行くことで寂しさよりも温かい気持ちの方が強く感じられる。歌を歌って姉と一緒に時間を過ごす。しかもその歌は春の歌という若さや再生を象徴する季節の歌であることで、心軽やかな明るい印象を感じさせる。
時越へてこの地愛した人偲ぶ
白秋の歌受け継がれゆく 喜子
安田喜子さんの作。三崎では十月に港から巡る「白秋文學コース」の船路というツアーが行われる。作者はこのツアーに参加した。その時の思いを詠んだ歌である。北原白秋が三崎に暮らしたのは十ヶ月ほどだった。この地を愛し、「城ヶ島の雨」を始め三崎にまつわる作品を残した。この歌では、時間、土地、人、歌の四つが重なり合っていく。文化の継承をテーマにしているが、作者個人の感情を超えてこの土地の文学の「記憶」を未来につなぐ歌になっている。
トランプも習近平もプーチンも
民に向けたる眼差し冷たし 員子
羽床員子さんの歌。現代政治への批評を簡潔に表現した歌である。体制も文化も異なる国の三名の政治リーダーを並列して「民に向けたる眼差し冷たし」とすべて同じく評することで、個人を超えて権力そのものに対する批判を行っている。上句で「も」を三回反復して人物を並列することで、リズムを良くしさらに「どれも同じ」という印象を強めている。結句に「冷たし」という感情語が使われているが、怒りや悲しみの感情を強く表さず、とても抑制したかたちで歌を結んでいるところは、民を冷たく見ているリーダーたちを作者が冷たく見ていることを表していて面白い。
時越へてこの地愛した人偲ぶ
白秋の歌受け継がれゆく 喜子
安田喜子さんの作。三崎では十月に港から巡る「白秋文學コース」の船路というツアーが行われる。作者はこのツアーに参加した。その時の思いを詠んだ歌である。北原白秋が三崎に暮らしたのは十ヶ月ほどだった。この地を愛し、「城ヶ島の雨」を始め三崎にまつわる作品を残した。この歌では、時間、土地、人、歌の四つが重なり合っていく。文化の継承をテーマにしているが、作者個人の感情を超えてこの土地の文学の「記憶」を未来につなぐ歌になっている。
トランプも習近平もプーチンも
民に向けたる眼差し冷たし 員子
羽床員子さんの歌。現代政治への批評を簡潔に表現した歌である。体制も文化も異なる国の三名の政治リーダーを並列して「民に向けたる眼差し冷たし」とすべて同じく評することで、個人を超えて権力そのものに対する批判を行っている。上句で「も」を三回反復して人物を並列することで、リズムを良くしさらに「どれも同じ」という印象を強めている。結句に「冷たし」という感情語が使われているが、怒りや悲しみの感情を強く表さず、とても抑制したかたちで歌を結んでいるところは、民を冷たく見ているリーダーたちを作者が冷たく見ていることを表していて面白い。
茹で栗を美味しと食べる病床の
父はリハビリ優等生 潤
作者はジュン葉山さん。病床にいる父親を詠んだ歌であるが、この歌では悲しみも励ましも語られていない。家族詠にありがちな感傷は一切なく作者はただ見ているだけである。前向きな父親を静かに見守る作者の姿勢には、父親の現在の姿をそのまま受け止めようとする深い敬意が感じられる。病について述べるのではなく、日常の一瞬を見つめる。「病床」や「リハビリ」などの重い言葉を「茹で栗」という季節感や家庭的な雰囲気をもつ語が包み込み、結句の「リハビリ優等生」という親しみやユーモアも感じられる言葉により、頑張る父親に対しての温かいまなざしが歌全体に温かな余韻をもたらす。心に残る歌である。
津波警報「おばあちゃん大丈夫かな」と
幼子のことば嬉しき 和子
清水和子さんの歌。「津波警報」という語が初句に置かれることでまず緊張感と不安が立ち上がる。それが、続く幼子の言葉で一気に和らぐ。直接話法を使うことで言葉が説明でなく「声」として読者に届く。災害が起こったときに誰を最初に思うのか。自分を思ってくれたことに素直に「嬉しき」と書くことで、個人的な喜びであると同時に、思いやりが世代を越えて受け渡されたことが示される。その率直な表現がかえってその思いやりの確かさを際立たせる。この歌は破調であるが、災害の切迫感と幼子の祖母を想う気持ちがそのまま書かれることで破調は効果的となっている。
秋の空舞ひてさやかに黒揚羽
天より来る仮姿に見ゆ ユキノリ
父はリハビリ優等生 潤
作者はジュン葉山さん。病床にいる父親を詠んだ歌であるが、この歌では悲しみも励ましも語られていない。家族詠にありがちな感傷は一切なく作者はただ見ているだけである。前向きな父親を静かに見守る作者の姿勢には、父親の現在の姿をそのまま受け止めようとする深い敬意が感じられる。病について述べるのではなく、日常の一瞬を見つめる。「病床」や「リハビリ」などの重い言葉を「茹で栗」という季節感や家庭的な雰囲気をもつ語が包み込み、結句の「リハビリ優等生」という親しみやユーモアも感じられる言葉により、頑張る父親に対しての温かいまなざしが歌全体に温かな余韻をもたらす。心に残る歌である。
津波警報「おばあちゃん大丈夫かな」と
幼子のことば嬉しき 和子
清水和子さんの歌。「津波警報」という語が初句に置かれることでまず緊張感と不安が立ち上がる。それが、続く幼子の言葉で一気に和らぐ。直接話法を使うことで言葉が説明でなく「声」として読者に届く。災害が起こったときに誰を最初に思うのか。自分を思ってくれたことに素直に「嬉しき」と書くことで、個人的な喜びであると同時に、思いやりが世代を越えて受け渡されたことが示される。その率直な表現がかえってその思いやりの確かさを際立たせる。この歌は破調であるが、災害の切迫感と幼子の祖母を想う気持ちがそのまま書かれることで破調は効果的となっている。
秋の空舞ひてさやかに黒揚羽
天より来る仮姿に見ゆ ユキノリ
作者は平野ユキノリさん。この歌の上句は、秋の空に黒揚羽が飛ぶのを写生するが、下句がどこか象徴的・宗教的になり、黒揚羽は実は何か別のものではないかという解釈の余地を残す。「天より来る」「仮姿」という語によって、黒揚羽はこの世に仮にあらわれた存在として把握され、生と死を隔てる境界に立つもののように感じられる。奥行きの深い歌である。
吾の逝く生家の里の血脈に
トンボの群消え粉雪の舞ふ 成秋
濱野成秋会長の歌。「吾の逝く生家の里」とは自分が亡くなったら入るお墓のある故郷のことだろうか。その故郷を描写する下句はいろいろと解釈できる。読者にはトンボの群れが飛んでいる情景と粉雪が舞う二つ情景が浮かび、前者から後者に一気に切り替わる。そこから、秋から冬への急激な季節の移り変わりや、かつてそこにあったトンボが飛んでいるような生命の気配が、寒々しい風景に変わってしまったことなど、時間の推移や自然の変化を読み取ることができる。その切り替えの鮮やかさによって、故郷の変化を説明ではなく感覚として読者に伝えている。
ひとりごとつらつらつらと書き連ね
己を解して心和らぐ 弘子
作者は嶋田弘子さん。自らの内省についての歌で、日記を書くことが癒しや自己理解につながる瞬間を詠んでいる。書くことで心が整っていく。「つらつらつら」と「書き連ね」の「つら」という短い擬態語の繰り返しによる軽快なリズムは印象的で、そのまま心の流れも示すだろう。結句が「心や和らぐ」にとどめられているのは、作者の抱える問題がまだ解決はされていないことを物語っている。この結句の抑制が、前半の軽快なリズムと呼応し、内省から安堵へと至る心の流れを無理なく支えている。
吾の逝く生家の里の血脈に
トンボの群消え粉雪の舞ふ 成秋
濱野成秋会長の歌。「吾の逝く生家の里」とは自分が亡くなったら入るお墓のある故郷のことだろうか。その故郷を描写する下句はいろいろと解釈できる。読者にはトンボの群れが飛んでいる情景と粉雪が舞う二つ情景が浮かび、前者から後者に一気に切り替わる。そこから、秋から冬への急激な季節の移り変わりや、かつてそこにあったトンボが飛んでいるような生命の気配が、寒々しい風景に変わってしまったことなど、時間の推移や自然の変化を読み取ることができる。その切り替えの鮮やかさによって、故郷の変化を説明ではなく感覚として読者に伝えている。
ひとりごとつらつらつらと書き連ね
己を解して心和らぐ 弘子
作者は嶋田弘子さん。自らの内省についての歌で、日記を書くことが癒しや自己理解につながる瞬間を詠んでいる。書くことで心が整っていく。「つらつらつら」と「書き連ね」の「つら」という短い擬態語の繰り返しによる軽快なリズムは印象的で、そのまま心の流れも示すだろう。結句が「心や和らぐ」にとどめられているのは、作者の抱える問題がまだ解決はされていないことを物語っている。この結句の抑制が、前半の軽快なリズムと呼応し、内省から安堵へと至る心の流れを無理なく支えている。
神無月刈り田の面に夕陽さし
ありし日しのぶ影ぞこひしき 裕二
筆者の作。晩秋の風景が過去の記憶と重なり合う歌である。下句で視点が外界から心の内へと移る。そのため、この歌に詠まれる「ありし日」や「影」は特定の対象に限定されず、読者それぞれの記憶と結びつく。解釈の自由度が高く、読後にも余情を残す歌である。
いつも買うコンビニコロッケ値上げされ
今日より十月値上げの十月 尚道
作者は三宅尚道さん。コロッケの値上げに時代の空気が凝縮されている。「十月」という語をくり返すことで、日付が変わっただけで生活の重さが増すという現実が強調される。日常のごく小さな出来事に目を向けることで、個人の生活と社会の動きとが静かに繋げられている。声高な批判ではなく変わった違和感を示すことで読者の共感を呼び起こしている。
短歌において五七五七七の整った調子は心地よいが、ときに思いがけない出来事や急な変化を十分に伝えきれないことがある。そうしたとき、破調は言葉の流れをあえて崩すことで、現実のスピードや息づかいを短歌の中に持ち込む。今回は清水さんの歌でこの破調が効果的に用いられている。破調によって読む人の呼吸は一瞬乱され、その揺れが現実の不安や驚きを感覚として伝える。破調は意味を強調するための技巧ではなく、現実に触れたときの感覚をそのまま表現するための方法であり、清水さんの歌では、それが無理なく伝わってくる。テーマが見つかれば、破調の歌にも挑戦してみたい。
ありし日しのぶ影ぞこひしき 裕二
筆者の作。晩秋の風景が過去の記憶と重なり合う歌である。下句で視点が外界から心の内へと移る。そのため、この歌に詠まれる「ありし日」や「影」は特定の対象に限定されず、読者それぞれの記憶と結びつく。解釈の自由度が高く、読後にも余情を残す歌である。
いつも買うコンビニコロッケ値上げされ
今日より十月値上げの十月 尚道
作者は三宅尚道さん。コロッケの値上げに時代の空気が凝縮されている。「十月」という語をくり返すことで、日付が変わっただけで生活の重さが増すという現実が強調される。日常のごく小さな出来事に目を向けることで、個人の生活と社会の動きとが静かに繋げられている。声高な批判ではなく変わった違和感を示すことで読者の共感を呼び起こしている。
短歌において五七五七七の整った調子は心地よいが、ときに思いがけない出来事や急な変化を十分に伝えきれないことがある。そうしたとき、破調は言葉の流れをあえて崩すことで、現実のスピードや息づかいを短歌の中に持ち込む。今回は清水さんの歌でこの破調が効果的に用いられている。破調によって読む人の呼吸は一瞬乱され、その揺れが現実の不安や驚きを感覚として伝える。破調は意味を強調するための技巧ではなく、現実に触れたときの感覚をそのまま表現するための方法であり、清水さんの歌では、それが無理なく伝わってくる。テーマが見つかれば、破調の歌にも挑戦してみたい。
