日本浪漫歌壇 夏 文月 令和三年七月十七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会前日に気象庁が関東甲信地方の梅雨明けを発表した。今年は梅雨入りが平年より一週間ほど遅かったが、明けるのは三日ほど早かった。歌会当日は気持ちの良い晴天となり、先月よりも駅や電車には人が多かった。最近よく耳にするようになった言葉に「人流」がある。「人の流れ」という語は普通に使われていたが、「人流」はコロナ禍になって初めて聞いた。流れを表す意味で「電流」「水流」「物流」などはよく聞いても「人流」は聞いたことがなかった。国語辞典を引いてみても「人流」だけ載っていない。「流」という漢字には「流れ」以外にも多くの意味がある。例えば「女流」のように類という意味もあるし、「流行」のような伝わり広がるという意味もある。最近よく使われる造語「韓流」は韓国の流行という意味である。「流派」や「流暢」の「流」もまたそれぞれ別の意味である。これまで「人の流れ」は使われても「人流」が使われなかったのは、この「流」の多義のためで、それがコロナ禍によって人の移動が注意点としてあまりに強調され、「人」と「流」の組み合わせで「流れ」以外の意味など想像もされなくなったために「人流」が突然使われ始めたのではないか。そうだとすれば、コロナは言葉にも影響を与えている。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、七月十七日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、桜井艶子、嶋田弘子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏と日本浪漫学会の濱野成秋会長も詠草を寄せられた。
  夫逝きて十年となり独り居も
     「なれましたよと」と花を供へる 光枝
 
 嘉山光枝さんの作。ご主人が亡くなって今月で十年になる。ひとりの不安や寂しさはあるが、現在は自由な時間をいただいたと思うようにしている。ただ、自由を感じているとはいえ、夫婦はやはり喧嘩をしているうちが華であると嘉山さんは仰る。わかりやすく表現されていて嘉山さんのお気持ちがよく伝わってくるというのが皆さんの共通する感想だった。パートナーを亡くされた方にはとくに共感できる歌であろう。
 
  梅雨はしり仙台秋保あきうあざやかな
     みどりと藤とあたたかき人と 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。五月に秋保温泉に旅した時の一首。秋保温泉までは仙台からバスで四十分ほど。新緑を眺めながら向かっていると、その緑に天然の藤が美しい彩りを添えていた。秋保温泉の美しい風景とさらに地元の人たちの温かさに感動されたとのことで、梅雨前のぐずついた天気を吹き飛ばすような爽やかな歌である。
 
  早朝のバスの人々会話なく
     マスクを付けて皆前を見る 尚道
 作者は三宅尚道さん。まったくその通りだと皆さんが仰った。何気ない日常の光景が詠まれているが、「マスクを付けて」とあれば、現在のコロナ禍では読み手は様々に想像をめぐらせる。不要不急の外出の自粛が求められる中、乗客は早朝にどこへ向かっているのか。仕事だろうか、買い物だろうか、ワクチン接種だろうか。会話がないのはひとりで出かけているからか、感染予防のためか、同調圧力のためか。いつまでこの生活が続くのだろう。三宅さんは結句「皆前を見る」に、社会の閉塞状況の中でも前を見てゆこうという思いを込めたと仰った。
 
  産土の宮に飛びかうつがい鳥
     おいかけおいこしいずこへか消ゆ 弘子
 
 作者の嶋田弘子さんのお話では、実際には鳥ではなく蝶だったそうだが、ご自身が目にした光景を詠まれたとのこと。ご主人の手術前に神社に寄ってお願いをした際に、二匹の蝶が追いかけ合うように飛んでいて、しばらくするとどこかに消えていった。その蝶を見て、何だかご夫婦の人生と重なるように感じてこの歌を詠まれた。映像が目に浮かんでくるというのが皆さん共通のご意見であった。
  
  衣笠の寓居手放す日も近し
     十歳ととせの哀歌も幻と化す 成秋
 濱野会長の作。衣笠にある別邸を手放されるお気持ちを詠まれた歌。家とともにそこで過ごした思い出も失われてしまうような気持ちになってしまう。家だけでなく長く愛用した物や形見など過去を思い出させる物であればみなそうであろう。自分の人生の一部が欠けてしまうように感じて悲しくなる。しんみりした調子で心に余韻が残る秀歌である。濱野会長は俳句も一句詠まれた。
  
  薔薇一輪咲いて衣笠売りて去る 成秋
 
  夫婦じアない夫婦以上のカップルの
     声弾みおり朝の食卓 和子
 
 作者は清水和子さん。ホームにお住まいの清水さんが朝の食堂の光景を詠まれた歌。ホームには、伴侶を亡くされひとりで入居されている方で、ここで知り合ってカップルになられた方がいらっしゃるそうで、「夫婦じアない夫婦以上のカップル」とはその方がテレビのドキュメンタリー番組の取材の際に自ら語った言葉とのこと。筆者は高齢の方が暮らすホームにどこか静かで暗い印象を持っていたが、明るくはつらつとした入居者の姿を描く清水さんの歌を拝読し、ホームのイメージが変わった。
 
  蓮華はすはなの薄紅白く移ろひて
     待ちたるのみや散りて枯るるを 裕二
 筆者の作。家の近所の公園に咲く蓮の花を見て詠んだ一首。蓮の花は早朝に開き、夜には閉じるが、わずか四日で散ってしまう。花の美しい紅色は一日ごとに薄くなり、四日目にはほぼ白色になる。紅色の花に混じって咲く白色の花は午後には散る。自然の摂理とはいえ、どうにも切ない。
 
  夫忍び保安林保護呼びかけむ
     故里の海永遠とわあおさを 艶子
 
 作者は桜井艶子さん。櫻井さんのご主人は生前よく寄付をされていた。若い世代の助けになればと地元の高校の保安林にも助成され、その森が三浦の海さらに世界の海を守ってくれることを祈っておられた。保安林を守るために高校では生徒のクラブ活動の一つにしようとするが、活動費不足が問題となっている。現在、櫻井さんは保安林の整備のための資金を集める募金活動に協力されておられ、お話を伺って歌の意味がよく理解できた。
 
  鶯の声がしきりに響く朝
     まねして口笛吹きて返せり 良江
 作者は玉榮良江さん。自然豊かな三浦では鶯の鳴き声がよく聞こえてくる。この歌の状況がよくわかると皆さん仰る。美しい鶯の鳴き声を聞けば、真似して口笛を吹いてみようと誰もが一度は思うのではないだろうか。玉榮さんのお話では、実際に真似をしたら、鶯が近くまで来たそうで、その時初めて鶯を間近でご覧になり、色は茶色だとは聞いていたが本当にその通りだったとのこと。岩手県の民謡「南部茶屋節」に「声はすれども姿は見えぬ藪に鶯声ばかり」という一節がある。英語では鶯はジャパニーズ・ブッシュ・ウォーブラーと言い、ブッシュ・ウォーブラーとは「藪でさえずる鳥」といった意味である。鶯は警戒心が強くめったに姿を見せないというが、それを呼び寄せる玉榮さんの口笛の腕前には驚きである。
 
 歌会で皆さんのお話をうかがい作品背景などを知ると、三十一文字で思いや感情をいかに表現したのかがわかり勉強になる。テーマ、リズム、イメージを効果的に作用させる言葉や語順を探すのは簡単ではない。一言変えるだけで歌が劇的に良くなることもあるが、その一言になかなか気づけない場合もある。歌人の皆さんと議論できる機会は大変貴重であり、細心の注意を払ってコロナ禍でも歌会を続けているのは立派だと思う。今回も有意義で充実した歌会となった。