近作詠草4

 近作詠草  濱野成秋 令和元年六月五日 (No.1601)     己こそと思へば何やら滑稽に走る 他人ひとはいさ吾は勝手と言ひ聞かせ      宵の飯碗たひらげにける   成秋   暗い食堂に無心なる早乙女に出逢ひて […]

近作詠草3

 近作詠草3 令和元年六月一日 (No.1928)          濱野成秋     早春に生きがひを求められ まどろみの長き褥しとねの朝ぼらけ      斑はだら雪視ゆ現うつつもの憂し  成秋   厳寒に迷ひ出でて […]

二人のマクベス論

(考現学エッセイ) 男の「浪漫」と「挫折」 日英にみる二人のマクベス 福田京一 はじめに 卒業式と聞けば思い出すのは昭和29年(1954年)の春、小学校の講堂で唱った「仰げば尊し」(1884年)である。 この年、日本は朝 […]

対談(鈴木孝夫・濱野成秋)

対談 日本人の感性を世界に⑴    慶應義塾大学名誉教授 本学会最高顧問 鈴木孝夫    本学会会長 元日本女子大英文学科教授 濱野成秋      はじめに    令和オンライン万葉集を今の日本に、いや世界に向けてカミン […]

エッセイ(鈴木孝夫)

 人間は果たして賢い動物だろうか    慶應義塾大学名誉教授 本学会最高顧問 鈴木孝夫    私たち人間という動物がいま、学術上ホモ・サピエンスという学名でよばれていることは多くの人が知っていると思います。ホモとはラテン […]

短歌詠草(河内)

 令和二年三月十八日       東京府中 河内裕二   令和二年三月、山形の庄内に暮らす親友を訪ねた。その際に遊佐の吹 浦や鶴岡の羽黒山を巡る。吹浦西浜海岸の岩礁には二十二体の磨崖仏 があり、説明によれば、地元海善寺住 […]

短歌推薦(1)

 令和二年三月十四日掲載(No.1926)   醍醐寺三宝院住職 斎藤明道         弟子 濱野成秋詞書   明道翁は我が人生の師とも言えるお方様。ご自分の悩みを隠さず 述べるをためらわず、生きる切なさを歌に託され […]

短歌雛型(1)

 令和二年二月二十六日掲載(No.1926)         濱野成秋   終戦の想い出(これはホームページ冒頭の一首のプロトタイプ) 戦いくさ敗れ父母哭き稚児の稲田里いま他人よそびとの我勝ちに住み   秋となり 稲束を […]

エッセイ雛型

2020.2.26 “山路来て”二題 会長 濱野成秋 2013年の頃か、私は京都外大で若者相手に俳句を二つ黒板に書いた。日本文化を紹介するアウトバウンド教育の一環である。 山路来てなにやらゆかしすみれ草 芭蕉 山路来て独 […]

曠野の雪 濱野成秋

濱野成秋    室生の春はまだあさい。狭霧が谿たに沿いにたゆたい、垂れ籠こめるとみせかけながら、ゆっくり塔堂のほうに這い昇ってゆく。流れは鳴りを潜め、霧が徐々に川面をたち去ってくれるのをじっと待っていた。 寺に向かう太鼓 […]