令和二年二月、JR横浜駅西口キリンシティにて集い会う
宵闇のグラス弾ける春今宵ロウマンの風友と語らふ  港区白金 紅竹みずほ
 
国鉄からJRへ。この異郷の街ヨコハマにて集ひて
夕暮れのビルの二階でのむ麦酒ばくしゅ行方定めむ春ゐたりなば  東京府中 河内裕二
 
萌黄立つ京の街四条の酒舖楽庵にて朋友成秋と杯傾けし日を想ひ
ひさかたの都の春を楽しまん友と庵で肴喰ひつ  古都から 福田京一
 
この集いを聞き及んで伊豆から詠める
殿を伊豆の山なる神の虹しろ薔薇手折りて捧ぐ集いに  伊豆山系 三井茂子
 
ポート横浜はあくまで異郷の地なれば
啓蟄を歓びとせむこの命他国の駅舎であおる独酒  葉山 濱野成秋
 
 令和二年二月十五日、この歌の群れを編集しをる折に鈴木孝夫先生より架電あり。亜米利加合衆国の成り立ちにつき語り合ふ。読者の方々もこぞって応募をされたし。

奈良県久米 石井秋野

「十五夜お月様ひとりぼち桜吹雪の花影に花嫁姿のお姉さま車にゆられてゆきました」

この歌を聞くたんびに明日香に嫁入りした姉さんのこと、想い出してならへんです。貧乏な布教使の家に八人兄弟で育った私には、朝の早いうちに起きて土間で炊事や洗い物をするお姉さまは不思議な人やった。うちのことは忘れたみたいに方々飛び回るお父ちゃん。身体の弱い母。長女の姉は小言の一つも言わず朝から晩まで働きどおし。弟たちの面倒を見たり縄を編んだり。遂に私は父に向って云ひました、「お父ちゃん、人様のことばかりやってんで自分のうちのこと考えてや」でも父は相変わらずや。二上山で山賊に襲われても、その人を入信させたり。あるとき父がにこにこしたはる。お姉さまを嫁入りさせる、あの子は働き者やな嫁にほしいと言ふてきよった…一人り片付いたがな。

お母ちゃんは寝たり起きたり…もう、やってかれへんのに何考えてはるんや…。

姉さまは私たちと別れを惜しんで五里も先の岡村の教会の家にお嫁入しはった。桜吹雪の花影を牛車にゆられて…この歌のとおりやったですよ。

「十五夜お月様見てたでしょ桜吹雪の花影に花嫁姿の姉様とお別れ惜しんで泣きました」

お嫁入入りの日、ほろ酔いで笑っているのは酒に弱いお父ちゃんだけやった。お客さん帰ったら、うち中涙を流してた。花嫁御寮って、みんな泣く。あたりまえや、と母。もう生き別れと同じやさかい…。「秋野さん、私の役目はあんたがするねんよ」あんたしかおれへんよ。という涙目のお姉さまの手が温かかった。

「十五夜お月様一人ぼち桜吹雪の花影に遠いお里のお姉さまわたしは一人になりました」

わたしにはその後、大阪の軍需会社を派手にやってはる家の後妻になる話が湧きました、大金持ちやそうやと乗り気の父。私は薬剤師の免状とって、高取の「石川はん」の薬局に努めて仕送りしていたけれど、弟や妹を食べさせられへん。後妻でもかめへん、内にもっとお金送れるようになる。けど橿原神宮のお神楽舞の楽しみも、もう終わりやな。

そう思って。大阪へ嫁入りしたら、なんと二階に赤子がいた。姑が嫁を放り出して、赤ちゃんだけ置いて行けと。その日から子育てやった。この子に罪はない。そう思うておしめの世話から社員さんの食事や洗濯…騙され結婚やったわけや。せやけど、子がなついた、それを姑が怒って私の目の前で「あの女の人、あんたのお母ちゃんとちゃうんやで」て、そんなん…言わはったら…どないしたらええねん。お姉さま、うち、どないしたらええねん。雪の日やった。岡村へ行こう思うたらトウキョで何や兵隊さんら首相官邸やら襲うて…二・二六事件で外出禁止やった。

夫は新町の芸者の家に入り浸りになった。姑が私をいじめて、いじめて。そんなん厭やったんやろ。こっちも勝手や。もうこんな家いやや。里へ帰った。

久米の家で風呂上りに鏡の前に立ったら乳首が紫色になってた。でけたんや、あんた、おなかに赤ちゃんが…帰りや、大阪に。無理しても帰りや。てて無し子産むんか。お母ちゃんに追い出されてまた大阪へ。「せやけど岡村へ行きたい」「なんでや?」「知らんの? お姉ちゃん、お乳が痛いて、あれ、乳癌かもしれん…うち、見たげるし」あかん、見舞いに行ってたりしたら離縁されてまうがな…とお母ちゃん。

歳が明けて、桜の咲くころ、男の子が生まれた。花影の下で赤ちゃん抱いて幸せやった。でもその年の12月、ハワイで大きな戦争が。大勝利や。夫は軍のなかで鋼鉄線を独占製造してたんか、軍需工場は大繁盛で儲けた儲けた。大将と呼ばれて祇園にまで遊びに行っこる。芸者はんとの間に子ができたとか。私にはこの子がいる。離れ座敷で我が子を抱きしめた。可愛い坊やと二人の暮らしや。せやけどいつ里へ帰れと言われるか…お姉さま、助けてや、助けてや。見舞いに行きなち、あかん、あんた上の子放り出すんか、この非常時に…翌年の春、花の咲くころ、電報が来た。「岡村のお姉さま危篤」それからすぐに、「死す」の電報が届いて…。

自分にはこの子がいるけど、私は独りになりました、という歌の締めくくりは、ほんま実感やったです。(日記から聞き語りを書き起こす)

同志社女子大名誉教授 福田京一

合理主義、理性、物質主義、科学、慣習と制度と法律、伝統、古典主義、現在、他者などに対する反措定として感情の発露を原動力とするエゴ(自我)の営みがロマンチシズムであると大雑把にとらえてみれば、芸術に限らず哲学や社会思想、さらに政治の分野においてその創造力が生み出した影響は計り知れないほど深く広い。創造に携わる人なら、程度の差こそあれ、この力を糧にしないものはないだろう。究極において創造行為とは抑圧からの自我の解放であり、病める自我の救出の暗喩であると納得すれば、ロマンティシズムとはさしずめ創造の神と言ってもよいのではないか。

とりわけ近代になって、世界が劇的に変化するなかで自我が強く意識にのぼるようになった。それ以来、芸術はロンティシズムと深く関わるようになった。自我を抑圧から解放する営みが様々の領域での革命と結びついたのは感情の力のせいであり、それが戦いの場で強力な武器となった。愛も嫉妬も、憎悪も義憤も憐憫の涙も慚愧の涙も、恐怖も畏怖も、哄笑も微笑も嘲笑も、その激しい感情によって人が我に帰り、同時に他人とつながるための手段になることを知ったのである。あとは表現をどうするか、であった。感情過多になってゲーテが言うように「病的」にならないために。18世紀も19世紀も、そして現在も、事情は変わっていない。

ここにエミリー・ディキンソン(1830-86)の詩がある。

This is my letter to the World
これはわたしからの世間への手紙
That never wrote to Me –
一通も私はもらわなかったけれど、
The simple News that Nature told –
自然が語ってくれた素朴な報せです、
With tender Majesty
優しく威厳をもって
 
Her Message is committed
託された彼女の言づては
To Hands I cannot see –
見知らぬ人たちに差し出されたもの、
For love of Her – Sweet – countrymen –
どうか彼女を愛するなら、心ある、皆さま、
Judge tenderly – of Me
優しく裁いてくださいね、私を

なんとチャーミングな言葉か。保守的な田舎町アーモストで、人知れずせっせとノートに短詩を書き貯めては、当時高名な文学者T. W. ヒギンソン先生に送って理解と支援を求めたが、夢叶わず、彼女は無名のまま消えていった。しかし、孤独と世間の無理解に悩みながらも、押しつぶされることなく、彼女は自我の営みを言葉によって紡ぎ続け、世間に、そして未来の世代に向かって、密やかに発信していたのである。やがて時と場所を超えて蘇った彼女の言葉は私たちの心にじかに語りかけてくる。

A word is dead
言葉は死ぬのだ
When it is said,
それが発せられた時に、
Some say.
そう言う人がいる。
 
I say it just
わたしに言わせて頂ければ
Begins to live
生きはじめるのです
That day.
その日にね。

「詩は力強い感情が自然に溢れたものである」(Poetry is the spontaneous overflow of powerful feelings)と言ったワーズワスの定義がロマンティシズムの理解を歪めてしまったのは残念であった。感情の発露は創造のための起爆剤として効果がある一方、その行く末のことに気づかず、往々にして独り善がりに陥った。感情に駆られて饒舌になるのではなく、もっと言葉の力を信じなさいとディキンソンは言っている。その意味では、もっと自由に詩を書くようにと忠告したエズラ・パウンドに「ネットなしでテニスをしてどこが面白いのか」と反論したロバート・フロストの作詩法はロマン派にとって含蓄のある忠告だと思う。

(2019.9.7)

 浪漫の香り高き心の歌を第一に求めます。詞書を付しますと前後の情景が偲ばれて好ましい。作者名の上に地名を。三井茂子さんは横浜読売文化センターにて私の指導で上達された歌人です。
 
初冬の佇まいを静謐なる庭園を愛でゐて
苔むした石に落ちたる一凛の椿語るがに静もる初冬  伊豆 三井茂子
 
本歌取り。ためらふ心と訪なふ人を想ひて
苔はらひ棕櫚縄結びし関守の水面に映る手弱女の袖  葉山 成秋
 
苦悩も憤怒も忘れまじペンに託せし吾滅びても
吾がペンも吾が書もゐるをる寄り添ひぬ何処いずこぞ吾だけ旅立つ朝まで
葉山 成秋
 
己の生への推し測り難きを詠める
何故なにゆえに喰らひて書くや何故に生きて何故死して何故
 
きのふ城ケ島に遊びて白秋の魂に遭ふて語れり
君問ふな幾年虚いくとせむなし城ケ島数へる指に雨粒の舞ふ
 
 このように限りある命や古人への思いを歌うもよし。横浜読売文化センターでは私が土曜の午後に指導。歓談も楽しく。事務担当は佐野様。ほかのジャンルも雛型に拘らずまずは投稿されよ。
本歌取り。ためらふ心と訪なふ人を想ひて
苔はらひ棕櫚縄結びし関守の水面に映る手弱女の袖   葉山 成秋