日本浪漫歌壇 冬 如月 令和三年二月二七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 春を思わせる陽気が続いたかと思うと真冬のような寒さに逆戻り。三寒四温とはよく言ったものである。晴れ渡るも風はまだ冷たい。二月二七日、午後一時半より三浦短歌会の皆様と日本浪漫学会で歌会を行った。会場は三浦勤労市民センター。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、玉榮良江の五氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の桜井艶子、清水和子の二会員も詠草を寄せられた。
 
  初春に涙腺ゆるむ孫の書く
    はねだしそうな「新たな決意」 由良子
 
 お孫さんのお習字を見たときにその伸びやかな字を見て思わず涙が出たそうで、作者の加藤由良子さんは「最近はこんなことで涙腺が…」と仰る。お幸せな証拠である。元気に育つ孫とそれ温かく見守る祖母。参加者もみな温かい気持ちになった。「はねだしそうな」の言葉遣いが秀逸というのが皆の共通した意見であった。
 
  「歩いてる?」娘に訊かれ生返事
        愛犬逝きて運動不足 光枝
 娘さんに尋ねられ生返事でごまかす様子は微笑ましいが、その分愛犬を亡くした寂しさも伝わってくる。昨年愛犬が亡くなるまでは犬の散歩が日課だったとのこと。毎日時間になると、散歩を待ちきれない愛犬に催促される。そんな光景も目に浮かんでくる。
 若山牧水にもこんな歌がある。
 
  枯草にわが寝て居ればあそばむと
     来て顔のぞき眼をのぞく犬 牧水
 
 筆者は犬を飼っていないが、飼っている人を見ると犬の方が主導権を握っているように思えてしまう。気のせいだろうか。
 
  アネモネは信仰の花 花言葉
     「信じ従ふ」ラジオより聞く 尚道
 
 作者の三宅尚道氏の話では聖書には「野の花を見よ」という言葉が出てくるが、この花はアネモネだと言われている。毎日その日の花と花言葉を紹介するラジオ番組があり、アネモネの日があったことで生まれた歌。クリスチャンの三宅氏ならではの一首。調べてみると、赤いアネモネはキリストの受難を象徴するようだ。ギリシア神話ではアフロディテの愛したアドニスの血がアネモネに変わったとされる。
 筆者はこの歌に散文的な印象を受けたが、作者の三宅氏ご自身もどこかしっくり来ないと感じていて、皆で忌憚なく意見を述べあった。議論が行き詰まった時、絶妙なタイミングで濱野会長がユーモアを込めた本歌取りを披露。作者を愛する奥様がちょっぴり皮肉を込めて詠んだ歌との設定で、
 
  ナルシスは夜更けの花よあなたなら
     アネモネのごと信仰一途に 成秋
 
 この一首で場の雰囲気が一気に和んだ。
 
  お水取り越えねば春は来ぬといふ
        母の冬里思へば幾歳 成秋
 
 「お水取り」とあるので「冬里」は奈良だと判断できるが、作者の濱野会長のお母様は奈良のご出身。「お水取りが済むまでは春は来ない」とよく仰っていたそうで、奈良は盆地で冬はしんしんと冷えると伺って冬の奈良を知らない筆者も納得。「古里」や「故郷」では寒さは伝わらない。
 「思へば幾歳」と、お母様の出身地に対しても長い間欠礼していて申し訳ないと思えるのはお母様への深い愛ゆえ。中村憲吉にもお水取りを詠んだ歌がある。
  時雨して奈良はさむけれ御水取
     なほ二月堂に行を終らざる 憲吉
 
 同じくお水取りが終わらないと春は来ないと言っているが、母への思いを詠んだ濱野会長の作と比べると写実的である。
 実際の「母の冬里」は、神通力で空を飛んでいる時に若い女性の脛を見て墜落した久米仙人の話で有名な橿原の久米とのこと。それを伺ってにわかに親しみが湧いた。面白い仙人もいるものだ。
 
  西の空父母の顔あり悔ゆるのみ
     八十路往く身に老いのしかかる 艶子
 
 本日欠席の桜井艶子さんの作。人生を振り返り、今になって両親の存在が大きかったことを痛感し、感謝の気持ちともっと親孝行をしておけばよかったと悔やむ気持ちになられているのだろう。参加者の皆さんからこの気持ちはよく分かるとの声。
 作者の桜井さんは三崎の入船ご出身で加藤由良子さんとは幼なじみ。加藤さんのお話では桜井さんのお父様は県会議員をされていてお母様も旦那様を支えながら一生懸命働いておられたから、その姿を思い出されるのではないかとのこと。
 「西の空」とは西方浄土のことであろう。浄土が西にあるとされたのは、太陽も月も最後は西に沈むのですべてのものが最後は西に帰するとされたとする説が有力。美しい夕日が沈むのを見れば誰でもその先に浄土があると思うのではないか。そんなことを思っていたら、次の作、夕焼けの歌に。詠んだのは筆者である。
 
  冬夕焼赤く染めたる故郷の
     夕べの雲はどこへ向かふや 裕二
 
 場所が議論になった。作者はどこにいるのか。故郷に戻って詠んでいるのか。故郷を思って詠んでいるのか。また夕焼けも同様で、故郷の夕焼けか、今住んでいる場所の夕焼けか。両方の解釈が出て、どちらかと尋ねられた。
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で始まる室生犀星の詩の「詠んだのは故郷か否か」問題が一瞬頭をよぎったが、著者としては、読者がどちらにでも解釈できるように意図して書いたので、どちらでもよいとお答えした。とくに夕日や夕焼けは、人それぞれが自分のイメージを持っている。現在住んでいる東京で見る夕焼けはオレンジ色とお話したら、三浦は真っ赤ですよと皆さん仰る。「夕焼け小焼け」の歌は八王子の恩方の情景だったが、もはやそこでは見られない。最近三浦で沈む夕日を見てここではまだ見られると思ったと仰ったのは濱野会長。嘉山さんによると諸磯湾に沈む夕日が最高に美しいとのこと。夕焼け話で盛り上がった。
 冬の夕焼けを表す言葉には「冬夕焼」「寒夕焼」「冬茜」「寒茜」がある。初句は「冬夕焼」と「冬茜」で迷い、音の並びですっきり聞こえる「冬茜」を考えていたが、濱野会長より「あかね」と言えば万葉集の額田王の有名な一首がある。
 
  あかねさす紫野行き標野行き
     野守は見ずや君が袖振る 額田王
 
 この歌は月光の中という解釈があり「あかね」が夕焼けを表さない場合もあるとのご指摘をいただいた。「冬茜」という語があまり使用されないために意味が分かりにくいことも考慮して「冬夕焼」にした。
 
  愛すれど猫は巧みに家を出で
     畑や山をグルグル回る 良江
 
 家猫がすきを見て時々逃げ出すので、作者はそのたびに探し回り、猫に振り回されている。先日も五時間探されたそうだ。
 「畑や山をグルグル回る」というどこかコミカルな後半部分が、飼い主になど全くお構いなしに自由奔放に行動する猫の特性と何となく人を馬鹿にしているような印象を上手く表現している。憎たらしいけど猫好きにはそれがたまらないのだろう。
  いにしえの塚の遺れる丘に立ち
     時の動きを中宙に視ゆ 弘子
 
 作者の嶋田さんは、三浦市火葬場を更に上った見晴らしの良い丘の上に畑をお借りになっていて、近くに十三塚がある。人から聞いた話では、十三塚は三浦道寸の十三人の家臣の塚で、彼らは新井城が燃えているのを見ながらそこで亡くなった。落城は一五一六年。北条に敗れ三浦氏は滅ぶ。
 作者が塚のある丘から見た空はとても美しかった。自刃した家臣たちが見た空もきっと美しかったのだろう。空は変わらないが時は変わると感じお詠みになったのがこの一首。
 嶋田さんのお話を伺い、次回の歌会後にぜひ皆で十三塚を訪れようという話になった。三浦半島には史跡が多い。最近濱野会長が見つけた戦跡は、海軍水上特攻隊の特攻艇「震洋」の格納庫。場所はカインズホーム三浦店近くの海岸の崖を降りた所。付近の丘陵地帯も戦争当時は零戦基地だったとの説明。
 
  ”推し“などと粋な言葉を使われて
     吾人はたじろぎ若者を見る 和子
 前回に続きホームの外出許可が下りずにご欠席となった清水和子さんの作。三宅氏のご説明では、第一六四回芥川賞の受賞作である宇佐美りん『推し、燃ゆ』(二〇二〇)を踏まえて詠まれた歌とのこと。
 現在、宇佐美氏は大学生で二一歳。清水さんは九一歳と伺ったので、年齢差だけを見れば大きい。「推し」という言葉は、若者が使う場合「応援しているアイドル」といった意味で使われることが多く、かなり意味が拡大されているが、逆に「一推しアイドル」が略されて「推し」になったと考えたほうが適切かもしれない。「推し」は辞書的には「一推し」の意味なので、使われても「たじろぐ」ほどではないだろう。
 『推し、燃ゆ』のタイトルの二語で言えば、「推し」よりも「燃ゆ」の方がわかりにくい気がする。「燃ゆ」とはネットで炎上すること。「”推し“など」と「など」が付いているので、あるいは「推し、燃ゆ」という言葉にだじろがれたのだろうか。清水さんに伺えないのが残念である。
 『推し、燃ゆ』の主人公は、好きなアイドルの応援に心血を注ぐ女子高生だそうだ。では、同じ「燃ゆ」でもこの歌はいかがだろう。
 
  真昼日のひかり青きに燃えさかる
     炎か哀しわが若さ燃ゆ 牧水
 歌会を終え、コーヒーショップ・キーという名のカフェに移動してお茶をいただく。しばし歓談し、カフェを後にする頃には西の空は冬夕焼。充実した一日であった。今日は皆さんが仰っていたほど赤くはない。残念。
 帰り道、夕焼けを見て無意識のうちに浮かんできたのは「夕焼け小焼け」の歌だった。なぜ自分の「冬夕焼」の歌でない?歌人としてまだまだ修行が足りないようだ。
 
◎次回の合同歌会は三月二七日午前十一時より。この日は新人も加わっての花見の宴も用意されています。場所は三浦三崎の「民宿でぐち荘」(電話042‐881‐4778)。地元では定評のある魚介類が楽しめます。当日会費は三千三百円。入会希望者は、info@romanticism.jp または 090‐2735‐7495濱野成秋会長までご一報ください。年会費五千円。
三浦短歌会 一月歌会詠草 令和三年一月三十日  濱野成秋
 
 短歌の結社としてはもう古い方に属するだろう。今年で七十四年になる三浦短歌会。神奈川県の三浦半島を城ケ島に向かったところにある。
 正月三十日、宗匠の三宅尚道氏の車で料理屋旅館「でぐち荘」に向かう。随行は日本浪漫学会の副会長代理河内裕二氏。詠草を寄せられた三浦短歌会の会員は嘉山光枝、加藤由良子、三宅尚道、桜井艶子、三宅良江、嶋田弘子、清水和子の各会員に日本浪漫学会から河内裕二と濱野成秋が加わる。
 今は昨年春先より猛威を揮うコロナ感染症の最中で集会が出来にくい。だが意を決して集まった歌人たちは意気軒高である。
 
  初日の出畑道に立ちて手を合わせ
     コロナ感染終息願ふ   光江
 
  久々に息子は帰省せりなにげなく
     吹く口笛に時は戻りぬ  由良子
 
  短歌会七十四年経過して
     三浦の短歌二集歩ませ  尚道
 
  時経れば百年なりとも親しきに
     父母兄みな逝くそを如何にせむ 成秋
  息詰めて来光の時唯待ちぬ
     去りしあの時われのみぞ知る 艶子
 
  駅ホームの点字ブロックに人立ちて
     障害者への場所と知らさる 良江
 
 秋である。写生歌である。朗々と読み上げる。樹木と色と動物と。その動きの中で枯葉が舞う。英語に driftというのがあり、これは漂い落ちる感であって、dropでも fallでも scatterでもない。それを「舞い散る」と詠んだところが近似してゆかしい。
 
  あいみょんを聞きつつ深夜外に出る
     秋季ただよいブルームーン高し 由良子
 
  感染者五千人超え続いても
     八時になれば朝ドラ始まる 弘子
 
  今日も又何とはなしに日は暮れて
     ふくらむお餅を眺めて待ちぬ 和子
 
  厳冬の心に咲きし寒椿
     花弁ちりばむ春待つ君に 裕二
 右の歌で特に皆が心を寄せたのは「エデンの園」というホームに住んで今年九十一歳の清水和子会員の歌。本日は足止め欠席。ホームでは与えられぬ餅を密かに焼いて頃合いになるのを待っているご本人は、ほんとうに待っているのは何? 訪れる身内? それともやり甲斐のある何か? いや業平のいう、昨日けふとは思はざりしをの…? とは誰も口には出さねど、他人ごとではないとはこのことで。
 
  その名さへ忘られし頃飄然ひょうぜん
     ふるさとに来て咳せし男 啄木
 
 啄木はコロナウイルスで死んだわけではない。だが、肺を患い心細い足取りで飄然と故郷に姿を見せては咳をする男。ここなら死に場所にしてよいとする心情は今も昔も変わりはない。
 終わって持参せし河内裕二副会長代理の五首を披露して勉強会。
歌会の後は別室にて新年会。地魚に鮑に本場のマグロに。天下の三崎港の御膝元である。終わって海辺。対岸に富士の霊峰。いましも暮れゆく夕凪の彼方を酔眼にて望みをり。未だ脈打つことのせつなさを噛み締めて。

令和二年十二月十四日 (No.1939)

濱野成秋

ハイデガーやキルケゴールの実存哲学の齟齬と対峙していると、登美子も自己の存在に人一倍認識していたことを強く意識するようになった。登美子は肺結核に罹って余命いくばくも無きを自覚した時、その意識は頂点に達していたが、夫と見合う以前既に、つまり鉄幹の愛を得たくて晶子と競い合う日々にも、登美子は自己の孤独を自覚し、その思いに沈んでいた。沈みの底から歌が浮き上がるが如し。と気づかれた方は多かろう。

登美子は父に勧められて明星の館を去る時、また楽しきはずが暗い、短い結婚生活と夫の死に別れがあり、明星に返り咲いても自分の居場所のなきを常に自覚して日本女子大学校に、さながら駆け込み寺かのように帰属するなど、どれを観ても、みな己が存在を持て余していた感がある。

文学者であってみれば、こうした孤独を噛み締めながらの流離の日々ほど切ないものはない。流浪の波に浮沈する己が日々の生。その自覚があってこそ、詩や歌になって迸る。

海原に漕ぎ出でてみても、自分はしょせん舵を絶えた船頭の如しで、

和田津みの真中に櫂をなげやりて
  泣きて見ましな船しづむまで 登美子

登美子はここでも自分という個体の行方をなげやりにと考えては、未だ見切りをつけられぬ自分の姿を見つめる。筆者はその御姿を哀れみて

わだつみに舵を絶へゐてこの一夜ひとよ
  明日の一夜も占ふべきや   成秋

と詠みて短冊にしたためれば登美子の思ひはいかばかりぞ。夕刻には雪となり、同舟の登美子は陸に上がって、

行き来する人も途絶へし夕暮は
  窓打つ雪の音のみぞする   登美子

と詠めば、吾人は応へてこう詠めり。

大雪の積もれる夜ぞくもり窓
  指の腹にてかりそめの雅樂うた  成秋

その雅楽に登美子はちはやぶる神代の清流に思ひを馳せて

竜田川清き河瀬に綾錦
  織るさざ波の美しきかな  登美子

竜田川と聞けば吾人にも慈父と遊んだ少年期を思い出し、

奈良かへり竜田川にてふと父は
  車を降りて歩くもまぼろし 成秋

登美子、何故か自己の冷めたる境遇を吐露せるか暗き声になりて

今の吾は虹の色して一めんに
  くもるが中にふたりはもえぬ

さもありなむ。鉄幹との仲はつねに半ば燃えたる、白けたる。吾人はこれもいたいけにとらえて、こう励ましたる、

われのみと思ひをりゐて沈めるや
  翳り曇れる痛みぞ祓はめ  成秋

(No.1939は以上)

浪漫の歌特集⑶
平城山ならやまと志保子の場合
                令和二年六月十五日 (No.1938)
             濱野成秋
 
    行ってみたくなる平城山
 恋歌ほど現地に誘う力を持つものはないだろう。
 荒城の月を聴くと荒れ果てた城跡に行きたくなる。
 遥か昔日を偲んだ歌と知れど、むしょうに脚を踏み入れてみたい。
 理屈じゃない衝動だ、想念ではない幻影の虜だ。
 僕も志保子の心情を胸に抱えて平城山に。
 やまみち坂道土のみち。
      1.
 人恋ふは悲しきものと
 平城山に
 もとほり来つつ
 耐え難かりき
 平凡な言い草に「恋は盲目」という。恋人は自分とは比較にならぬほどの魅力ある人物だから恋病は始末がわるい。
 増してや夫がいるのに別人が心の奥深く忍び入ると、成らぬ恋路の絶望感と自己嫌悪の両方にさいなまれて抜け出せなくなる。
 だから道ならぬ恋はしばしば心中しんじゅうへ。坂田山心中をご存知か。志保子は高名なる歌人である夫が居ながら、なんとその弟子の、自分とは十歳以上も年下の男と恋仲に。実名はちょっと調べるとすぐに出て来るが、そうしないのがいい。
 恋に狂った女はふらふら縁もゆかりもない平城山にさまよい入る。
 だから「もとほり来つつ…」となり、「女人短歌会」を起ち上げた程の女丈夫がふらふらと平城山に。磐之媛が夫である仁徳天皇に思いを馳せた心境に浸れども心は一向に癒えない。
      2.
 いにしえつまに恋ひつつ
 超へしとふ
 平城山の路に
 涙おとしぬ
 古の悲恋を味えば幾何いくばくの心の平安やすらぎを得られるか。ああだめだ、耐え難い。わかる、わかる、だからこの秀歌が生まれた。
 恋は苦しい。果ては悲惨。悲恋はあるが快恋はない。悲歌はあるが楽歌はない。だから悲しい酒の歌は音楽ではない。みだれ髪の歌も音楽ではない。音苦である。ところがしみじみ心を捉えて身をも心をも引き摺って行く、平城山に。
 ロミオとジュリエットの悲恋とどう違うか。
 この二人に罪はない。だが志保子は道ならぬ恋を自分からしでかした、不倫だと解るから自分や夫を知る歌人たちみんなの非難がましい視線を浴びた。だからひとりぼち。孤独に山道に迷い込む。脳裏から消そうとしても襲い掛かる非難ごうごう。抑える涙。だがぐぐっとこみ上げる。涙が、涙が、大粒の涙が、流れるのではない、ぼろっ、ぼろっと落涙する。ロミオにもジュリエットにもそれがない。自分自身の良心への呵責というものがない。だが志保子の恋は罪深い。平城山の土の路に、ぼとぼとと涙の粒を落し続けるのだ…。
 配役代わって晶子を登場させよう。
 こともあろうに、修業中の若い僧に「やは肌の…」の歌を贈るとは何事ぞ。駿河屋のすぐそばの寺の次期住職に。
 鉄南へのラブレターも鉄幹を知ってからそれを詫び、自分は「罪びと」だと言いながら、渋谷の、現今毎日テレビに出る交差点から歩いて3分の「東京新詩社」へ来て、道ならぬ恋で鉄幹の前妻を追い出した。
 恋は盲目か? 暴力か? まあいい、その目でもう一遍、
 名曲「平城山」に耳を欹ててくれ。
 それから星野哲郎さんと僕の会話のある「みだれ髪」を読んでみてくれ。
 気味の悪い、夕鶴に、雪女に、惹き寄せられる男がいたように、道ならぬ恋の果てに平城山に来た歌人北見志保子の気持ちになろうと、吾輩は出かけたのだが、志保子の心をしっかり捉えた気分で、その日は奈良町の飲み屋の奥座敷で歌会となりました。
 
                   (No.1938は以上)
浪漫の歌⑵
「みだれ髪」と星野哲郎さん 
                令和二年五月二十三日 (No.1938)
             濱野成秋
 
   女は断崖から身を投げるか
 どん底になれば誰だって歌が出る。星野さんも僕も。
 引かれ者の小唄でなくとも、人生詠嘆の果てに唇から歌がこぼれる。
 この歌もそれだ、どん底で出来たから俺の心に憑りついてゐ続ける。
 ここに女が一人、断崖絶壁の岬に向かう。吹き付ける風にみだれる髪。か細い指にからまる長い鬢のほつれ。裾が肌けて覗ける白い脚。それを気にも留めず、女は絶壁に向け一歩、一歩。死ぬ気だ、これは。
 この思い詰めを詩にした男がゐる。星野哲郎である。彼は若くない。もう失恋する年でも身投げする年でもない。都会に戻れば著作権協会の理事長だ。自分でも電話をとる身なのに人には言えぬ、手術した臓器が、今日も痛んで…と、電話だ。俺からの電話をとる。身体が苦しんでいるから声もかすれる。大丈夫ですか? あ、はい。お忙しい? いいえ、いらっしゃいよ、またお会いしたいから。
 ひばりちゃん復帰第一作がこの名作「みだれ髪」。船村徹のイントロが俺の胸で疼きだす。僕は言葉に詰まって、じゃあ三時に。はいお待ちします。俺も彼も著作権の話はしなくなった。が自然と会いたくなる。
 この老人は現代まれに見る確かな腕のもちぬし。新語作りの名人。職人技と鋭利な感覚を兼ね備えたプロフェッショナル。その星野の心の奥底からいまだ消えない女性が見え隠れして、俺は事務所に向かう。
    1.
髪のみだれに 手をやれば
赤い蹴出しが 風に舞う
憎や恋しや塩谷の岬
投げて届かぬ 想いの糸が
胸にからんで 涙をしぼる
 
 協会事務所はせまっ苦しいけど、二人で出たらのびのび。蹴出しって言葉、ないんですけれど…つまずき歩きをしながら本人が笑う。
 作ったと言われてもいいじゃないですか。心の琴線が糸になるし、片思いが片情けに。だから心にまといつく。出だしは岩田仙太郎の女だ、幽玄で思い詰めて…後半、思いの糸となるから、引きずり込まれる。こっくり頷く星野…船村さん、三味線口調の琴線でうまいね。幽玄か、なるほど。
 星野さん、これって、死にに行く歌だな、とみんなが思うから、船村さんのイントロが始まると聴く方も構える。自分も女の裏人生が分かる気がして。ひばりちゃんの哀しい一人酒に通じるけど…あ、そういえばあれからどうしました、あの女性は? …と訊きたいところだが、
 「周防大島の小学校の同級生の子は…」とも訊けず、「周防大島って、明治にたくさん移民で渡米したから、がらんとした家並があって…」と切り出すと、「ええ、移民するか漁師になるか志願するか…」
 志願? ああ兵隊ね…でも星野さんは戦中派でも戦後は漁師が男らしくなりたかったとか…本気で漁師になりたかった?
 頷かない。ぼそりぼそり歩いてプレドールの階段で、濱野さんも身体が弱かったって…海には向かんよね、せんせもわたしも…
 ええ…それより、あの女性との再会は?
 同じいわき市でも塩屋崎じゃなかった…駅前の何とか…。
 コーヒーを啜る。
「私のこと、哲っちゃんって呼ぶわけ、その子。勉強家で、いや僕じゃなく、その子、ご大家の子で、ノートづくり、立派だった。でも家が零落されて、もう網元の家も何もかも…」と首を振る。
 あ、だから糸さんは酒場に出た…それも大島からうんと離れたいわきで」
 こっくりうなずく老人はコーヒーを啜る。伏し目で、その女性、今なにしてるか、言いたそうでおっしゃらない。訊かぬが花だ。
 
    2.
捨てたお方の しあわせを
祈る女の 性かなし
辛や 重たや わが恋ながら
沖の瀬をゆく 底引き網の
舟に乗せたい この片情け
 私がも少し気も強く腕っぷしも強かったら、そこの家の養子になっていたかも…底引き網の船を…そう10隻はあったかな。それに乗って…
 あ、だから、岬から身を投げたらいったん底に沈んで網に掛かり…
 いや、そんなの私の想像ですよ、糸ちゃんはもっとしっかりしていて。運動会の片づけのとき、てっちゃんもっとしっかりしてって、涙をためて忠告してくれました…でも僕は船に乗りたいけど…同級生でそばで聞いていた子らが黒板にでかでか、哲郎、糸の名前並べて相合傘あいあいがさにしよった。もう大島にはおれなくなりました。
 それで、糸さんは、自分は捨てられたのだと、思われたのかな…
 捨てたんではない、僕のように心も体も虚弱では、みんなと肩並べてやれる場所がない…僕なんか…半病人で役立たずで…
 
    3.
春は二重に 巻いた帯
三重に巻いても 余る秋
暗や 果てなや 塩谷の岬
見えぬ心を 照らしておくれ
ひとりぼっちに しないでおくれ
 二重にとか三重とかいうと、半幅帯か。玄人だから下目に結んで。着物は黄八丈か大島ね。ひらめく蹴出しは長襦袢の裏地で玄人好みのお色気たっぷりの桃色紅…と僕。
 濱野さんだとそこまで読んじゃいますか、と笑う。…糸さんは小学生のころからマドンナ的存在でね。僕が一番よく覚えてる子だった。
 「とにかく大人になってから再会した。もう自由やないですか、結婚は難しくとも何度も会える…あ、失礼、そんな乱暴な人生はだめか…」と俺。
 首を横に振り、僕も出来れば時々は会いたかった…でもね、次に会ったとき、とんでもなく窶(やつ)れてて、糸ちゃん…目のくりっとした丸顔の明るい子だったのに、頬がこけて面長になっていて、鬢のほつれに指をやる、その反り返った小指で目を抑え、この目、時々見えんのよ、ひとり暮しだから誰にも迷惑かけないけれど…ああ、嘆いてなんかいないわ、ひとりぼっちでいいのよ、私をこのままにしておいてね、てっちゃん…
 星野さんはこの話、ひばりさんにしか話さなかったそうで、ひばりさんは心で受けとめ、舞台に立つとき涙をいっぱい浮かべて歌う。星野さんは著作権協会の事務所でそれを視る。
 ひばりさんも逝き星野さんも逝き、糸さんももはやこの世の人ではないかもしれない。でも、「みだれ髪」の歌だけは今日もどこかのカラオケ酒場で生きている。詩的真実は永遠なり。この小文もまた然り。
 
                   (No.1938は以上)