和泉流宗家十九世宗家故和泉元秀報恩 狂言和泉流宗家山脇和泉家累代報恩

和泉流宗家奉納狂言

日時: 2020年6月27日(土)午後2時開始(午後1時半頃受付)
場所: 浄土真宗本願寺派築地本願寺 和田堀廟所(杉並区永福1-8-1 03-3323-0321)
番組: 和泉元秀宗家好みの狂言二曲 ほか小舞
出演: 和泉流二十世宗家 和泉元彌 史上初女性狂言師 和泉淳子 十世三宅藤九郎
    和泉元聖 和泉和秀 和泉采明 和泉慶子 ほか宗家直門弟子
主催: 和泉流宗家 二十世宗家和泉元彌
後援: 和泉宗家後援会 和泉流宗家宗家会
お問い合わせ:090-3432-2856/mail@tokuro.com
 

和泉流宗家サロン

~美しき狂言の舞・謡・語~
 
室町時代に生まれ、日本の心を今に伝え、世界無形遺産として日本の伝統芸能を代表する狂言
国内外で幅広い年代、多くの観客層に狂言の楽しみを伝えてきた和泉流宗家がお送りする
落ち着いた空間で狂言の楽しみや奥深さに触れ五感で楽しむ上質な会それが
「和泉流宗家サロン」です。
狂言の発生の基本といわれる「狂言小謡」、所作の基本といわれる「狂言小舞」、
制約のある型の中で、情景、心情を描く「語」、
舞台芸術として磨かれ受け継がれてきた狂言を通して
日本人の表現の豊かさ、日本語の美しさを再認識いたしましょう
 
サロンとは・・・もともと応接室などの部屋を意味する言葉である。
フランス語で宮廷や貴族の邸宅を舞台にした社交界をサロンと呼び、主人が文化人、学者、
作家らを招いて、知的な会話を楽しんだ。
文化史上に見られる文化人相互の交流の場を称して「~サロン」と呼ぶことがある。
 
と き: 2020年6月20日(土)14:30開演(14:10開場)
ところ: COREDO室町3 橋楽亭(03-5200-3210)
     (〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-5-5 COREDO室町3 3階)
番 組: おはなしと実演
会 費: 10,000円(お土産付き)
詳細についてのお問い合わせは、お申し込みは、mail@tokuro.com 090-3432-2856

浪漫の歌⑵
「みだれ髪」と星野哲郎さん 
                令和二年五月二十三日 (No.1938)
             濱野成秋
 
   女は断崖から身を投げるか
 どん底になれば誰だって歌が出る。星野さんも僕も。
 引かれ者の小唄でなくとも、人生詠嘆の果てに唇から歌がこぼれる。
 この歌もそれだ、どん底で出来たから俺の心に憑りついてゐ続ける。
 ここに女が一人、断崖絶壁の岬に向かう。吹き付ける風にみだれる髪。か細い指にからまる長い鬢のほつれ。裾が肌けて覗ける白い脚。それを気にも留めず、女は絶壁に向け一歩、一歩。死ぬ気だ、これは。
 この思い詰めを詩にした男がゐる。星野哲郎である。彼は若くない。もう失恋する年でも身投げする年でもない。都会に戻れば著作権協会の理事長だ。自分でも電話をとる身なのに人には言えぬ、手術した臓器が、今日も痛んで…と、電話だ。俺からの電話をとる。身体が苦しんでいるから声もかすれる。大丈夫ですか? あ、はい。お忙しい? いいえ、いらっしゃいよ、またお会いしたいから。
 ひばりちゃん復帰第一作がこの名作「みだれ髪」。船村徹のイントロが俺の胸で疼きだす。僕は言葉に詰まって、じゃあ三時に。はいお待ちします。俺も彼も著作権の話はしなくなった。が自然と会いたくなる。
 この老人は現代まれに見る確かな腕のもちぬし。新語作りの名人。職人技と鋭利な感覚を兼ね備えたプロフェッショナル。その星野の心の奥底からいまだ消えない女性が見え隠れして、俺は事務所に向かう。
    1.
髪のみだれに 手をやれば
赤い蹴出しが 風に舞う
憎や恋しや塩谷の岬
投げて届かぬ 想いの糸が
胸にからんで 涙をしぼる
 
 協会事務所はせまっ苦しいけど、二人で出たらのびのび。蹴出しって言葉、ないんですけれど…つまずき歩きをしながら本人が笑う。
 作ったと言われてもいいじゃないですか。心の琴線が糸になるし、片思いが片情けに。だから心にまといつく。出だしは岩田仙太郎の女だ、幽玄で思い詰めて…後半、思いの糸となるから、引きずり込まれる。こっくり頷く星野…船村さん、三味線口調の琴線でうまいね。幽玄か、なるほど。
 星野さん、これって、死にに行く歌だな、とみんなが思うから、船村さんのイントロが始まると聴く方も構える。自分も女の裏人生が分かる気がして。ひばりちゃんの哀しい一人酒に通じるけど…あ、そういえばあれからどうしました、あの女性は? …と訊きたいところだが、
 「周防大島の小学校の同級生の子は…」とも訊けず、「周防大島って、明治にたくさん移民で渡米したから、がらんとした家並があって…」と切り出すと、「ええ、移民するか漁師になるか志願するか…」
 志願? ああ兵隊ね…でも星野さんは戦中派でも戦後は漁師が男らしくなりたかったとか…本気で漁師になりたかった?
 頷かない。ぼそりぼそり歩いてプレドールの階段で、濱野さんも身体が弱かったって…海には向かんよね、せんせもわたしも…
 ええ…それより、あの女性との再会は?
 同じいわき市でも塩屋崎じゃなかった…駅前の何とか…。
 コーヒーを啜る。
「私のこと、哲っちゃんって呼ぶわけ、その子。勉強家で、いや僕じゃなく、その子、ご大家の子で、ノートづくり、立派だった。でも家が零落されて、もう網元の家も何もかも…」と首を振る。
 あ、だから糸さんは酒場に出た…それも大島からうんと離れたいわきで」
 こっくりうなずく老人はコーヒーを啜る。伏し目で、その女性、今なにしてるか、言いたそうでおっしゃらない。訊かぬが花だ。
 
    2.
捨てたお方の しあわせを
祈る女の 性かなし
辛や 重たや わが恋ながら
沖の瀬をゆく 底引き網の
舟に乗せたい この片情け
 私がも少し気も強く腕っぷしも強かったら、そこの家の養子になっていたかも…底引き網の船を…そう10隻はあったかな。それに乗って…
 あ、だから、岬から身を投げたらいったん底に沈んで網に掛かり…
 いや、そんなの私の想像ですよ、糸ちゃんはもっとしっかりしていて。運動会の片づけのとき、てっちゃんもっとしっかりしてって、涙をためて忠告してくれました…でも僕は船に乗りたいけど…同級生でそばで聞いていた子らが黒板にでかでか、哲郎、糸の名前並べて相合傘あいあいがさにしよった。もう大島にはおれなくなりました。
 それで、糸さんは、自分は捨てられたのだと、思われたのかな…
 捨てたんではない、僕のように心も体も虚弱では、みんなと肩並べてやれる場所がない…僕なんか…半病人で役立たずで…
 
    3.
春は二重に 巻いた帯
三重に巻いても 余る秋
暗や 果てなや 塩谷の岬
見えぬ心を 照らしておくれ
ひとりぼっちに しないでおくれ
 二重にとか三重とかいうと、半幅帯か。玄人だから下目に結んで。着物は黄八丈か大島ね。ひらめく蹴出しは長襦袢の裏地で玄人好みのお色気たっぷりの桃色紅…と僕。
 濱野さんだとそこまで読んじゃいますか、と笑う。…糸さんは小学生のころからマドンナ的存在でね。僕が一番よく覚えてる子だった。
 「とにかく大人になってから再会した。もう自由やないですか、結婚は難しくとも何度も会える…あ、失礼、そんな乱暴な人生はだめか…」と俺。
 首を横に振り、僕も出来れば時々は会いたかった…でもね、次に会ったとき、とんでもなく窶(やつ)れてて、糸ちゃん…目のくりっとした丸顔の明るい子だったのに、頬がこけて面長になっていて、鬢のほつれに指をやる、その反り返った小指で目を抑え、この目、時々見えんのよ、ひとり暮しだから誰にも迷惑かけないけれど…ああ、嘆いてなんかいないわ、ひとりぼっちでいいのよ、私をこのままにしておいてね、てっちゃん…
 星野さんはこの話、ひばりさんにしか話さなかったそうで、ひばりさんは心で受けとめ、舞台に立つとき涙をいっぱい浮かべて歌う。星野さんは著作権協会の事務所でそれを視る。
 ひばりさんも逝き星野さんも逝き、糸さんももはやこの世の人ではないかもしれない。でも、「みだれ髪」の歌だけは今日もどこかのカラオケ酒場で生きている。詩的真実は永遠なり。この小文もまた然り。
 
                   (No.1938は以上)

浪漫の歌特集⑴
荒城の月によせて 令和二年五月二十日 (No.1937)
             濱野成秋
 
   まえおき
 歌の心に自らの心を入れ込んで語る。
 最初は内輪から書き始めますが、このコーナーは会員のためのものです。読者諸君の中に、よし、それなら自分はこの歌を語ろうと申される方々が現れればと期待しながら開始します。
 先ずは筆者が男の浪漫を讃え、悠久の光陰の下にて人事の儚さを語る「荒城の月」の心に浸りてこの文学と感応してみせます。
 
    1.
春高楼の花の宴 巡る杯影差して
千代の松が枝 分け出でし
昔の光 今いずこ
 
 戦国の時代だからこそ天守閣が生きる。堀も城壁も生死の境。観光だけの存在とは訳が違う。城とは不気味とも言わん撃ち滅ぼす凄惨悲劇の舞台ともいわん。とても流麗美学のミュージアムに非ず。城郭は武家にとっては血脈果てて骸を晒す三途の川の岸辺であり家族もろとも死ぬ場所である。今生の想い出が輝くのは片時の好事のみ。勝ち戦が続けば国は栄え、春ともなれば殿を囲んでのはなうたげ
 さて晩翠の詩を、七五調の歌舞伎セリフに仕立て直し、日本の歌「荒城の月」を今風に語らえば、かくなりなむ。
 
 ここら辺りが車座の、飲めや歌えの黒田節。吟じて槍を小道具に、かみしもはかまで舞うおのこ。天下泰平と思う世も、栄枯盛衰は世の習い。いかな強者つわもの剛者とて移る御代みよには勝てやせぬ。それを告げるか昔日の、陽射しも去りて寄る辺なし。
 
 平家琵琶にて弾き語る。奢れる者は久しからず。ただ春の夜の夢の如し。赤い漆器になみなみと注ぐ酒に降る陽射し。松枝まつがえわけて射しゐたる大日如来のまぶしき哉。その輝きも今は昔。真昼の果てに待つ宵は人をも身をも恨み闇…。
 
TSエリオットは『完全なる批評家』の中で、詩歌は最も凝縮した言語であると言ったが本当だ。土井晩翠の詩はたったの三行。しかるに歌舞伎のセリフだと倍もの字数が必要になる。これは竹田城か青葉城か。そんな詮索はせぬが良し。吾とわが身の栄枯に照らしてこそ歌の心なり。
 
    2.
秋陣営の霜の色
鳴き行く雁の数見せて
植うる剣に照り塑いし
昔の光今いずこ
 人生攻めるばかりの上げ調子とはいかない。いくさ出入りは出掛けてやるもの。自宅に刃を迎えるとは、如何ばかりか悔し口惜し。籠城狂気の末路は悲惨。昭和の時代に出た言葉、本土決戦死ぬ覚悟。形勢不利の証拠にて援軍部隊も来ぬが習い。斜陽か。支店や出張所を閉鎖して本社ビルだけになったようなもの。やがてそれも敵の傘下に下るのか。そうはさせぬと抗うのが籠城である。
 
 籠城戦で勝ち目はあるか。まず、ない。おいそれと離脱も出来ぬ。天空を仰げば雁が行く行く南の空へ。俺もなりたやあの鳥に。シベリア抑留の兵士たちもまた異国の丘に立って孤独で切なくて寄る辺ない思いをさんざ味わった。戦友が死んで担ぎ込まれ、土饅頭にして愛刀を抜いて射してやった。それは卒塔婆の代わりだ。
 
    3.
いま荒城の夜半の月
変わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛
松に歌うはただ嵐
 
 時は明治三十八年、処は満州。戦い済んで日が暮れて探しに戻る心ではどうか生きていてくれよ。ものなど言えと願うたに…虚しく冷えてポケットの時計ばかりがコチコチと動いているも情けなや。そんな思いが、さながら植えられたかの刀身に甦る。土饅頭に射された氷の刃。それに射す月光。あの春爛漫の宴の、温かい陽射しで舞う剣舞。
あれは今や幻か。この寒々とした月光も、時が経つと皆失せる。黄泉にある武士は散る桜、遺された者たちも散る桜。戦場は去り武士もののふの思いも消え果て、今は往時を偲んで語る人とていない。今、吉林の開拓村へ行ってごらんなさい。弾痕の板塀に生垣に…そこに残るはただ葛である。
 
    4.
天上影は変わらねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか 今もなを
嗚呼荒城の夜半の月
 
 人の世の移り変わりなど、雨に咲く花を見るが如し。すぐに色あせて萎んでしまう。だけど悠久の天地は不変である。
 
 世界のみなさん、日本の人たちは、こうした人の世をしみじみ味わう国民なのです。君も私たちも、人間がみな天上の世界の懐にあるにすぎないのなら、など波風の立ち騒ぐらむ。
 
                   (No.1937は以上)

東スポWEBニュース 警鐘作家・濱野成秋氏が訴えるコロナ対策・・・』より

新型コロナウイルスと人類は戦争状態になっており、自粛ムードの広がりは経済にも深刻なダメージを与えている。

 N(核災害)、B(生物災害)、C(化学災害)、R(放射能災害)の防護対策を推進する「NBCR対策推進機構」特別顧問で、警鐘作家の濱野成秋氏はこう語る。

「今夏開催予定だった東京五輪直前に、日本医師会との協力で、今まで50回以上にわたり全国のドクターに生物化学兵器対策を指導してきた視点で言うと、コロナ対策も医師の治療能力を得てこそ根治でき、産業再開も可能と明言できる。現方式では産業大国の日本は破滅だ」

 日本のPCR検査方式は、少数の検査官による手作業がほとんど。しかも陽性と断定できず、擬陽性や擬陰性が多いとされる。

「陽性と出ても収容先選定に日数がかかり、ホテル待機では酸素器具もなく、悪化の一途。たった3日の放置で死ぬから、即日、薬品投与が急務の病気なのに、その配慮が取れていない。微熱、味覚嗅覚など諸症状からかかりつけ医が判断し、すぐ薬品投与をせねば間に合わない。治療薬投与が先である」

 現在、治療効果が期待される薬品は抗インフル薬「アビガン」が代表格だが治験段階。米開発の抗ウイルス薬「レムデシビル」は承認された。寄生虫感染症の治療薬「イベルメクチン」も注目されている。

「アビガンもレムデシビルも政府管理。こんな手続き優先方式では、罹病後3日で死ぬ凶悪ウイルスに勝てるわけがない。今の内科医は、問診とその場の検査だけで、ただの風邪かインフルか、肺炎進行が何%かを見抜く。だから当局は即刻、医師らに通達を出し、副作用を患者に事前に認めさせた上で、投薬を医師の判断に任せなさい」

 それらの対策の上で、経済を回すべきだという。

「小規模の3密企業は必死に生きている。あと1か月でも家賃が払えず、倒産するしかない店がわんさと出ている。行政指導のトップに立つ首相や知事は上記の対策をやって、街のあちこちで倒産し始めた歓楽街を救え」と濱野氏は提言した。

 近作詠草11 令和二年一月十一日 (No.1936)
             濱野成秋
 
歌人三井茂子より四首たまはり、その壱苔の歌
苔むした石に落ちたる一凉の
  椿語るがに静もる初冬   茂子
 
本歌取り。ためらふ心と訪なふ人を想ひて
苔はらひ棕櫚縄結びし関守の
  水面に映る手弱女の袖   成秋
 
もはや絶えなむか、いや蘇りとて嬉しく
みとせおも眠れるシャコバサボテンの
  今朝赤々と蕾膨らむ    茂子
 
本歌取り。想ひ想はれ良き人は逝く
これ吾と君がくれにしサボテンの
  参年みとせの春に紅の華咲く   成秋
伊豆山荘に遊びて詠める
ひきつめし山の庭なる枯葉鳴る
  誰そ歩むやハクビシンなる   茂子
 
閑居してよそ人の訪れに戸惑ひ
枯葉舞ひしとど濡れたる白路地を
  踏み来て乞ふる案内のよそ人  成秋
 
初春に想ふ人とお茶して
雛の日に君と逢い見む梅の里
  ままごと屋にて語る嬉しも   茂子
 
今年も春は廻り来るが帰らぬ人の俤や何処
雛近し蝋梅の枝掻ひ潜り
  訪れし君の笑顔やいずこに   成秋
 
かくしてわが心は里帰りをしてみるものの
盆暮れと古里おもきいと辛き今年の夏は去年こぞより重き
今年の郷里の盆踊りで、おそらく吾は
里人の笑みや太鼓のほとばしり草吹く踊りに吾怯ひるみをり
 
与謝野晶子の孫女から「われ転向せじ」の御詩賜りて詠める。
汝がこころ殺伐たるを歓ばず希わくば生きよ超えゐてまほし
 
苦悩も憤怒も忘れまじ吾らが世代はペンに託すのみにて
吾がペンも吾が書もゐるをる寄り添ひぬ
  何処いずこぞ吾だけ旅立つ朝まで
 
人の生と文の行方は測りがたき
なにゆえに喰らひて書くや何故に生きて何故死して何故
 
きのふ城ケ島に遊びて白秋の魂に遭ふて語れり
君問ふないくとせむなし城ケ島数へる指に雨粒の舞ふ
 
                     (No.1936は以上)