日本浪漫歌壇 春 卯月 令和七年四月十九日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 四月十三日に大阪・関西万博が開幕した。日本では六回目の万博開催となる。一九七〇年の大阪万博の来場者数は六千四百万人で、これは二〇一〇年の上海万博の七千三百万人に次ぐ歴代第二位の驚異的な人数である。今回の万博の想定来場者は、日本国際博覧会協会によると二千八百二十万人であるが、沖縄海洋博を除く五回の来場者数がそれぞれ二千万人を超えていることからその予測は妥当だろう。開催期間は半年。万博は驚くべき集客力である。テーマパーク来園者数で二〇二三年に世界第三位になったユニバーサル・スタジオ・ジャパンでも年間で約千六百万人である。今回の万博のテーマは「いのち輝く未来のデザイン」。百五十八の国と地域が参加する。目玉は何だろうか。当初予定していた額の二倍もの建設費がかかっているようだが、果たして意義のある万博となるのだろうか。
 歌会は四月十九日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長とジュン葉山の八氏と河内裕二。
 
  山桜薄紅うすくれないの花開き
     メジロ止まりて花蜜かみつ吸いしか 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。「梅に鶯」という言葉があるが、実際に梅の木に止まっているのをよく見かけるのはメジロではないか。メジロは警戒心がそれほど強くないのか人前にも現れる。梅、桜、桃、椿などの花の蜜を吸っていることも多い。その際は鮮やかな緑黄色をしているので、花の色に美しい彩りを添える。山桜にメジロ。美しい春の風景を詠んだ歌である。

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良寛の相聞歌
                     日本浪漫学会副会長 河内裕二
 
  一 歌人良寛
 
 良寛(一七五八ー一八三一)は江戸時代後期の禅僧で、優れた書家、詩人、歌人でもあった。生涯寺を持たず簡素な草庵に住み、托鉢僧として清貧生活を送った。托鉢中に子供たちに出会うと、毬つきやかくれんぼをして一緒に遊んだ逸話はよく知られている。
 良寛は一七五八年越後出雲崎(現在の新潟県三島郡出雲崎町)の名主兼神官の山本家に長男として生まれた。幼名は栄蔵といい、内向的な性格の学問好きな読書子であった。十三歳になると親元を離れて地蔵堂(現在の燕市)の三峰館に通い、北越四大儒といわれた大森子陽に学ぶ。十七歳で家督を継ぐべく出雲崎に戻り名主見習役に就くも、翌年家を出奔し、隣村の曹洞宗光照寺で仏門に入る。出家の理由は明らかになっていない。二十二歳からは備中玉島(現在の岡山県倉敷市)の曹洞宗円通寺で十二年にわたり厳しい修行に励む。『定本良寛全集』の編者松本市壽によると、良寛はこの円通寺の修業時代に歌人でもあった国仙和尚から手ほどきを受けて和歌に目覚めている。残念なことに円通寺時代の歌は現存しない。
 良寛の歌の特徴は万葉調であると言われる。しかし初期の歌には三代集や『新古今和歌集』の影響が多く見られる。例えば一七九二年頃の初期作とされる次の歌は『古今集』や『新古今集』の歌の本歌取りである。
 
  あしびきの黒坂山の木の間より漏りくる月の影のさやけき 良寛
 
 元歌は次の三首と考えられる。
 「木の間より漏りくる月の影見れば心尽くしの秋は来にけり」  (よみ人しらず『古今集』秋上・一八四)
 「秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ」 (左京大夫顕輔『新古今集』秋・四一三)
 「もみぢ葉を何惜しみけむ木の間より洩りくる月は今宵こそ見れ」(中務卿具平親王『新古今集』冬・五九二)

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日本浪漫歌壇 秋 霜月 令和六年十一月十六日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 四年に一度と言えば、オリンピックを思い浮かべる人が多いだろう。今年はパリでオリンピックが開催された。最もメダルを獲得した国はアメリカ合衆国だったが、そのアメリカでは、オリンピックの年に四年に一度の大統領選挙が行われる。数日前に選挙結果が出て、次期大統領がドナルド・トランプ氏に決まった。大統領の任期は二期八年までだと知ってはいるが、返り咲きについては考えたことがなかったので、今回正直驚いた。調べてみると、過去にも一人だけ返り咲いた大統領がいた。第二十二代、第二十四代大統領を務めたスティーヴン・グロヴァー・クリーヴランドである。今から百三十二年前のことである。初めてではないにしても返り咲きは極めて珍しい。トランプ氏には、選挙集会中に起こった暗殺未遂事件でも驚かされた。彼が「型破り」な人物であることは間違いない。就任後は日本にどのような影響があるのだろうか。
 歌会は十一月十六日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。嶋田弘子氏も詠草を寄せられた。
 
  亡き夫がみやげに買いしパナマ帽
     野分立つ朝友かぶり来ぬ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。亡くなった夫への深い愛情とその喪失感が、パナマ帽という具体的な物を通して見事に表現されている。しかもそのパナマ帽は夫が作者に買ってきたものではなく、土産として友人にあげたもので、友人はそれをずっと大切にしている。「野分立つ」とあるので、季節は秋から初冬ごろであろう。時期としてはパナマ帽には少し遅めかもしれないが、一日の始まりにそれを被って作者に会いに来た。帽子を見た作者は夫のいない のを寂しく感じたかもしれない。ただそれ以上に夫と友人との良きつながりに心が温まったので歌に詠まれたのだろう。

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歌謡『夜のプラットホーム』に見る
  別れの背景  橘かほり
 
  壱.星はまたたき 夜深く
    鳴り渡る 鳴り渡る
    プラットホームの 別れのベルよ
    さようなら さようなら
    君 いつ帰る

 
 別れの歌は切ない。殊に戦場に送り出す場合は複雑だ。愛する人を死ぬか生きるかの世界に送り出すわけだから。
 戦争とは運次第。隣が死んでも自分は無傷。今の子は戦争を知らないから、こう思うだろう。当時も日中戦争当時やハワイ奇襲の頃はそんな楽観論が多かった。だから送り出す側も陽気だった。「手柄頼むと妻や子が、ちぎれるほどに振った旗」なんて歌まで平気で唄っていた。「露営の歌」では、勝ってくるぞと 勇ましく 誓って故郷を 出たからは 手柄立てずに死なれよか 進軍ラッパ聴くたびに 瞼に浮かぶ 旗の波…と歌うのである。
 ところが昭和17年6月のミッドウェー海戦の大敗北いらい情報作戦で日本は敗戦の連続。それを大本営がいくら大勝利と喧伝しても、帰還兵から漏れ来る情報は悲惨な負け戦ばかり。
 こんな国家ぐるみの操り作戦で鼓舞される民は不幸だが、現代もその種の政策で民を操る国は色々。日本も何もかも真実かどうか、人は公的政策にもっと疑念を持つべしと助言したい。

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歌謡『赤い靴のタンゴ』に見る
  女の半生涯  橘かほり
 
  壱.誰が履かせた 赤い靴よ
    涙知らない 乙女なのに
    履いた夜から 切なく芽生えた 恋の こころ
    窓の月さえ 嘆きを誘う

 
 この歌が出た昭和25年はようやく食えるか飢え死にか、瀬戸際にピりを打った、朝鮮動乱の特需景気のさ中であった。巷は軍国復活キャバレーが氾濫していた。だから高級すぎるタンゴ調で、悩ましく、おぞましく。ピカピカの赤い靴など、高嶺の花。
 歌はまだ男を知らないうぶな少女が、「どうだい、いい靴だろう、履いてみんか?」と悪の誘いにかかる。「何も知らない乙女」を「涙しらない」と書いて胸ときめかす。昭和30年代に出た『赤線地帯』という映画では、赤い靴ならぬ親子丼の旨さに驚嘆した貧農出の子がその道に染まる誘惑の第一歩の描写がある。月を見ても自分の境遇との落差に涙する純真ぶり。進駐軍のダンスホールにぴったりで。
 
  弐.なぜに燃え立つ 赤い靴よ
    君を想うて 踊るタンゴ
    旅は果てなく 山越え 野超えて 踊るタンゴ
    春はミモザの花も匂う

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