花びら  高鳥奈緒   2024.3.28
 
桜吹雪の目黒川
今年も賑わうけれど
東横線の駅からひとり降りて
川沿いを人混みに紛れ歩く私
美しい満開の桜だけど
私の心は目黒川に落ちた
一枚の花びら。
 
流されて 流されて 
ゆらゆらと何処までも
後ろ姿に悲しみの影をひいて
ひとり歩く とぼとぼと
 
 
桜吹雪舞う目黒川
花びら風に舞って私の髪に絡むの
淡い色の薄桃の優しい色は
まるで貴方の言葉みたいね
耳に残って今も消えないわ
嘘ならいらない、もういらないのに
幻の貴方の言葉が聞こえてくるわ
愛している、愛している奈緒と・・・
 
桜吹雪舞う目黒川沿い
後ろ姿に寂しさの影をひく女が
ひとり歩く とぼとぼと
うめの香り  高鳥奈緒   2024.1.17
 
ほのかなうめの香りは春の訪れ
冬山に彩りを添えて
柔らかな暖かい日差しの中
貴方と散歩したこの山道
小さな小梅は青空の下に映えて
貴方を求めて咲き乱れている私みたい
白、赤、桃色の小梅・・・どの色もいいね
貴方は選べないみたい気の多い人みたいだった
私は、貴方にとって何色の花だったの
あの頃のように仲良く歩きたい
今年のうめの花は誰と見ているの
きっと私とは違うタイプの色の小梅ね
醜いやきもちを焼かせる貴方を許せない
うめ香る季節には悲しい涙の雨が降る
「目黒川音頭」と「目黒川恋歌」  作詩 濱野成秋   2024.3.21
 
     序
 
 音頭は元来、世俗がむき出しで成った歌謡である。
 卑猥な風俗、隠さない心根さえも恥じらいも厭わずぶつけてこそ、本心で愛する音頭となると考える。本音をぶつけて何が悪いという開き直りには、苦労の毎日、失敗だらけの人生がむき出しの庶民には愛すべき笑いと哀しみの歌になっている。
 最近筆者は戦中戦後にかけて学者歌人として著名な川田順が昭和六年に出した満州訪問記とでもいうか、短歌集『かささぎ』を読みつ、自らも歌う掌編を書いた。少々硬直気味の心境が持続し、その直後の筆に成る。だから、「わたしゃ真室川の梅の花。あなたはこの町の鶯よ…と始まる「真室川音頭」に視る卑俗な「からみ」が色濃く滲む。
 川田の作風とはいかに異質か。冒頭にこうあり。
 
  大君おほぎみの遠の使つかひ寧楽人ならびと
     いはひて行きしあらきこの海
 
 筆者は抵抗を感じるも、素直に触発された風で、、
 
  奈良人の超えへし灘海なだみに乗り出でる
     おのが小袖に跳ねる荒波
 
 と詠む。恥ずるべくもない。千年の古代から数百年の近世に、寸時に跳んで、江戸期の、怪談めいた情話に浸るを愛でて俗謡を書くと次のように成った。
「目黒川音頭」   濱野成秋作詩
 
 目黒川には江戸期の、歌舞伎でも評判を取った鶴屋南北作の「白井権八と花魁こむらさき」の切ない情話が絡んで消えない。今人はこれを微塵も知らぬ。もったいないし赦せない。絶えた死霊に憑りつかれしは己が独りか、やるせない。筆者はゆえに、この情話に拘泥り、筆が進む。
 
☆壱番
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
咲いた咲いたよ 目黒の桜
逢うて嬉しや 人波小波
川のおもてに 頬くっつけて
いとし 恋しやお初の出逢い
交わす小指も夢ごこち
目黒音頭も夢心地、夢心地
ソレ!
目黒よいとこ 一度はおいで
誰に気兼ねも要るものか
ソレ!
目黒よいとこ 一度はおいで
可愛小袖に半幅帯で
ソレ!
 
 
大江戸恋しや 一度はおいで
此処は元禄 花見酒 花見酒
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
 
☆弐番
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
西の祇園は東の目黒
誰そ彼ぼんぼり 夜更けは錦
三味と太鼓に浮かれて酔うて
奴さん尻端折しりばしょ
きりりと締めて
粋な目くばせ
にっこり笑顔
ソレ
踊り明かそう
目黒の岸辺
恋の未練も尽きぬまで
ソレ!
 
 
踊り明かそう
目黒の出遭い
ソレ!
愛し恋しの
目黒川、目黒川
 
 
「目黒川恋歌」  作詩 濱野成秋
 
☆壱番
チントン、チレンツ、ツウンシャン
花は大江戸 目黒のさくら
小紫こむらさき待つ 愛しき街よ
川辺の春雨 寄り添う二人
腕に縋って しなだれ濡れて
けふもそぞろに 春雨しとど
濡れて渇ひて 渇ひてぬれて
雄蕊雌しべも 花魁おひらん橋も
春はめぐろよ ヤーレ 恋の街
チテチテ ツルーン、シャン
 
 
☆弐番
チントン、チレンツ、ツウンシャン
花は散りめ 葉桜愛い愛い
逢うて嬉しや 目黒の岸辺
月は木の間を ちらちらと
ほろ酔い 頬寄せ 今日もまた
おぼろ月夜の 逢う瀬の宿よ
でもなによそれ
ささの機嫌の 爪弾きみたい
権八のごと 手切れにするの
チテチテ ツルーン、シャン
チテチテ ツルーン、シャン
 
☆参番
女・遭へて嬉しや 三年ぶりね
男・目黒の川風 こごちよい
女・あらま独り身 お気の毒
女・私を探して毎日ここへ?
男・まるで権八 小紫こむらさき
女・そんなのいやよ 幸せ欲しい
女・目黒の川は幸せの
男・小笹舟おざさぶねを流す川
 
 
☆繰り返し
巡る弥生は 楽しみばかり
雄蕊雌しべも 花魁おひらん橋も
目黒に巡るよ 目黒に巡るよ
ヤーレ 恋の街
 
 
☆本作は2024.03.21に書き起こし同月28日に日本浪漫学会会員たちと回覧し目黒川花見の席にて披露発表に及んだ。当日の立会人は作曲家山川英毅(慶大哲学科よりボストン「バークリー音楽院」卒業)、同学会会員で大正大学英文学科卒業の閨秀詩人高鳥奈緒、まとめ役を同学会副会長河内裕二尚美大学准教授に依頼した。作詩は中央公論社や研究社での出版歴の多い警鐘作家濱野成秋。学生時代、目黒に居住し昔日の想い出とみに多し。制作時点で濱野成秋は日本浪漫学会の初代会長である。
空き地  高鳥奈緒   2024.3.18
 
空き地でバラ線くぐってすりむき傷
泣きながら大きな水溜まり
おろしたての白いズックも汚れたって
裸足で歩いてズックも失くしたから
母にもしかられたねお兄ちゃん
 
夏は住宅街の敷地へ探検隊
「蝉をとらせてください」とチャイム音鳴らした
近所のおばさんにアイスもらった
お兄ちゃんを頼りに臆病な私は大冒険
いつだってお兄ちゃんには敵わない
 
 
大人になって、ある日突然
臆病な妹を置き去りにして
お兄ちゃんは振り返ることもなく
逝ってしまった
今日は三回忌
向こうから私を気にしているのかな?
もう私は臆病じゃないよ
私はあの頃より強くなったよ
 
あの楽しかった空き地も今はないけれど
時は流れて思い出の中で生きているから
いつだってお兄ちゃんに会える
いつまでも、いつまでも消えない
川田順の満州紀行と我が人生歌  濱野成秋   2024.3.18
 
 川田順が昭和六年に出した満州訪問記とでもいうか、短歌集『かささぎ』を読みながら、この歌人の旅人としての心情にふれて、幾つかのうたを創る。
 例によって、他者に触発されての本歌取りもしたが、その数は二つか三つ。読みながら、全く別の発想が堆く積み上がり、発句が次々と浮上したので、即興で詠んだ歌が殆どとなった。ところが推敲を二度三度とやっていると、人生の深い所で通底するので奇妙な印象で終わった。丁度一百年の時間の落差である。また大変容を遂げた開発以前の中国大陸と文明乱立の両国の暮らしぶりとが通底して視えるのは予想だにしない収穫だと言える。
 歌人川田順は記録好きで、京城訪問九回四十八日滞在、などと記して、奉天六回、大連五回、旅順三回と訪れ、平壌にも二回行く小まめな旅をして作歌におよぶ。当然、旅情もたっぷりと思う。
 「序曲」と小見出しを置いて川田はこう詠う。
 
  大君の遠の使と寧楽人ならびと
     いはひて行きしあらきこの海
 
 筆者は素直に触発されて、
 
  奈良人の超えへし灘海なだみに乗り出でし
     我が小袖にも跳ねし荒波
 
 
 と読む。従順な本歌取りだが、視点が全く異なる。川田は朝廷を礼賛し、大宮人の辛苦を窺う。いささか古き時代を味わう程度で実感を得るに程遠い。正直、歴史の雪に降られる実感は僅かなり。我が小袖をわが衣手と書こうとしたが、その後にとか露を連想するし、川田のようにあからさまに皇道参賀もどうかと思え、「小袖」とした。洋服を着ると筒袖になるが、身分なき身こそ召し物である。ゆえに川田とはまったく別個の歌が一つ生まれて当然なわけだ。と思うと、意外にも全く別個の一首が浮かんだ。
 
  何一つ人智教へぬ親なれど
     愛の数々いまだ生き生き
 
 船出とは全く異なる発想である。だが多分、もし俺がまだ支配中の満州に旅となると、どうせお決まりの満州浪人の類となろう、無頼漢となるであろうと想うと、親不孝を詫びて出た歌である。
 川田はこんな情景も読んでいる。
 
  のびやかに鋤の長柄に顎をのせて
     わが汽車を見る支那の男は
 
 
 歌の小見出しには「満鉄本線車中即事」とある。
 満鉄とは南満州鉄道のことで、現代でも大連に行くと、元満鉄本社がロータリー沿いにあり、おなじロータリーには「大和ホテル」もあって、帝国陸海軍や高級官僚が家族連れで滞在していた。関東軍の守備隊の下士官以下は警備で動かされて「アジア号」に乗って、ロシア人の乗員の世話でいい気になって旅をする勝ち誇った日系人なら、誰もが窓外に目に映ずる中国農民の鋤の長柄の上に自分の顎を載せて日本人の走らせる超特急「アジア号」をボケーと見ている姿を眺めて、未開人たちと思っただろうが、その心底に滾る憎悪の念を読みとらねばならないし、日本の農家でも、鋤打ちでは休むとき、顎を鍬の上に置いて休む。私は戦中も戦後も、幾度となくその姿を日本国内で目撃している。わざわざ満鉄のアジア号を配して描写するには中らない。
 川田の歌は支那の女や支那の童にも、ぼんやり満鉄を眺める姿を捉える。支配者時代の言い知れぬ恥辱の一ページとも思われて複雑な思いである。
 
 川田は砂竜巻にも遭っている。
 
  竜巻をまこと見るかも目交に
     うつそみの吾が目を疑へり
 
 
 筆者も西安を過ぎ、敦煌に向かう索漠たる荒地にあって同じ思いをしたことがある。竜巻に驚く。
 
  竜巻に巻き込まれしか夕陽さす
     人智も夢も打ち砕くかも    成秋
 
 中国に限らずとも、エジプト訪問でも屡々想うことだが、古代人も為政者は巨大な墓地を建造しながら思うことは周りの者たちが自分の死後、どう考え、どう行動するかである。ねたみ、そねみで、墓穴はズタズタにされる被害者になりきって、巨岩を幾層にも重ね合わせ、そうはさせじと、防御に出る。
 
  吾妹もその子も孫もその先も
     皆苦しむかねたみそねみに   成秋
 
  親だまし独り歩めり吾妹の
     つたなき日々や哀しみに満ち  成秋
 
 
 川田は羊を上手く捉えて詠める。
 
  たもとほりわれもひもじきゆふべなり
     羊の群れの 飼葉食む音   川田順
 
  ひと群れの羊もの憂ひ夕暮れに
     飼葉食む音 心に沁みる   成秋